ざわつく教室で、相馬律は思わず声を漏らした。騒音でかき消されてしまいそうな声だが、聞こえたのか後ろにいた男子が友人との話を中断して振り返った。


「どうかしたの、律」


 一人が訊くと、その周りにいた男子も何事だと律の周りに集まってくる。律は苦笑を浮かべて立ち上がった。


「教科書忘れちゃっただけだよ。充(みつ)のところに行って借りてくる」


 そう言うと、律は一人教室の喧騒から外れて気温の低い廊下に向かう。ドアを開けたところで、勢いよく入ってこようとしていた人物にぶつかった。危うくしりもちをつきかけて、律は壁に手を突いた。飛び込んできたもう一人もドアに掴まって、どうにかしりもちという悪態は免れたようだ。


「「ぅわっ」」

「前見て歩けボケェ」

「それはこっちのセリフだ、バカ充」


 ギンとこちらを睨んだ自分とそっくりの顔に律は呆れたように言い放った。ぶつかった相手が律だと知ると彼は一瞬だけ片目を眇めたが、直ぐに目の前で両手を合わせた。


「体育着持ってねぇ?」

「数学持ってるか?」


 同時に口を開き、数瞬二人は見つめあった。同じタイミングで踵を返す。


「相変わらずそっくりだなー、お前等」


 その様子を見ていた誰かが感心したように言うと、律は「双子だから」といつものように返事しながら荷物の中から体育着を引っ張り出す。綺麗にたたまれているそれを持って廊下に戻ると、ちょうど充がボロボロの教科書を持ってきたところだった。


「「はい、どーも」」


 教科書と体育着を交換する。充はニカッと笑うと踵を返して部室に向かった。自分と同じ背格好の赤茶の頭を見送って、律は溜息を吐くと教室に戻った。
 授業開始のチャイムが鳴った。






 ×××





 相馬律。テニス部部長で成績優秀、教師の受けもよい典型的優等生。
 相馬充。テニス部エースで成績優秀。但し、教師受けは悪い問題児。
 同じ環境で育ち、同じ顔、同じ嗜好を持つ彼等は一卵性双生児だ。現在、充は髪を赤茶に染めているが、それがなければ黙っていれば見分けがつかない。幼い頃は何をするにも二人一緒だった。二人で一人だった。今でも、誰よりも近くにいるのはお互いのはずなのに。一体いつからこんなに遠くなってしまったのだろう。
 そんなことを考えながらふと、律は窓の外に視線を移した。校庭では体育の授業が始まっている。しかしそこに充の姿はない。


「相馬。相馬律」

「あ、はい」


 教師に名前を呼ばれているのに気付いて、律は視線を窓から外して立ち上がった。テストを返している教師は律の答案を見ながらご機嫌だ。その表情にうんざりして、それでも笑顔を浮かべて律は一枚の紙を受け取った。
 もしかしたら、充は教師のこういう対応が嫌になったから、あんなになったのかもしれない。


「さすがだな、相馬」

「ありがとうございます」


 偽りの笑みを貼り付けたまま、律は自分の席に戻った。ちょうど、充が校庭に出て行ったところだった。










 チャイムの音を聞きながら、充はダルそうに部室で着替えをすませた。このままサボってもいいのだが、そろそろ単位が危ない気がする。ダルそうに歩いて校庭に行くと、ちょうど準備運動が終わったところらしく全員が集合している。何となく気に食わなくて、充は小さく舌を打ち鳴らした。


「相馬ぁ!今何時だ、ん?お前は時計が読めんのか?」


 こちらに気付いた体育教師が、怒鳴り声を上げながら近づいてきた。胸倉を掴みそうな勢いで顔を近づけ、口元を引きつらせている。漂ってくる不快な口臭に充は軽く眉をひそめた。ついこれが加齢臭というレベルですむだろうか、と考えてしまう。
 沈黙を反省と見たのか、教師は充から離れて大げさに肩を竦めた。


「相馬律は真面目で優秀な生徒だと言うのに、お前らは本当に兄弟か?」


 ドッペルゲンガーじゃないかと幼い頃に言われたことはあっても、兄弟かどうかを疑われたことは初めてだ。このオッサン眼ぇ見えてンのかと思いながら、充はポケットに手を突っ込んで笑った。


「ちゃんと弟っスよ。クローンとかでもないっス」


 自分を律と同一視したり、どちらか一方を贔屓したり。そんなのが嫌だった。他人には理解できないだろうけれど、自分は『充』であり『律の片割れ』なのだ。充のからかうような台詞に怒り狂う教師を笑って誤魔化して、充はそっと律のいる教室に視線を移した。
 自分と正反対のもう一人の自分は今、何を考えているのだろう。





 ×××





 空には星が輝いているが、コートには照明が当たっていて空の暗さが気にならなかった。冬の夜を思わすのは外気の冷たさだけだ。それすらも余り感じないけれど、充は右手のリストバンドで汗を拭って部室に戻った。
 部活は一応終わっている。充がこんなに遅くなったのは、今日は律が生徒会のほうに顔を出しているからだ。待つついでに自主練をしようと思ったのだが、気がつけば夜になっている。


「まだ終わんねぇのかよ、あいつ」


 独り言ちて、部室のドアを開ける。電気は消してないので室内は明るいままだ。


「あ、お疲れさま。……充くん」

「…………何でいんの、垣之内」


 誰もいないか、いても律だけだと思っていたのに、予想外にも女子がいて充は眼を点にした。男子テニス部の唯一のマネージャーである垣之内優歌は困ったように眉を寄せて、畳んでいたタオルを端に寄せる。


「明かりがついていたから……」


 その瞳にはやや怯えの色が見て取れて、充は自嘲に似た笑みを浮かべた。自分はこんなに彼女を怖がらせることをしただろうかと考えながら、普段の自分の行いに自分の事ながらあきれ返るような事しかしていないと思い当たる。


「残念だけど俺しかいないぜ」

「……うん」


 充はつまらなそうに眉を寄せ、乱暴にロッカーの中にラケットを放り込んだ。優歌がいるのを気にせず、汗まみれの体育着を脱ぎ、数秒見つめる。ややあって、それを彼女の方に放った。彼女が慌ててキャッチするのを片目で捕らえながらも何も言わずに、彼女が畳んでいたタオルに手を伸ばす。


「これ、洗っといて」

「悪い充、遅くなった」


 そのとき、キッチリと制服を着た律が息を切らせて入ってきた。部室内の気まずい空気に一瞬言葉を失い、次いで驚いたように目をむく。


「女の子の前でなんて格好してるんだ、充!」

「なぁに言ってんだ今更」


 生真面目な律の言葉に唇を笑みの形に引き上げて、充はタオルで汗を拭う。ふと思いついて、タオルを肩にかけた格好のままでおもむろに優歌に近づいた。


「こんくらい大丈夫だろ?」


 厭らしく唇を歪めたまま優歌に後ろから抱きつくと、優歌は真っ赤になって固まり、数秒後にバタバタと抵抗し始めた。喉で笑いながら充はさらに腕に力を込める。


「み、充くん!」

「充! 嫌がってるだろ、離せよ!」

「律はやさしーなー。ンなに怒んなよ、離せばいいんだろ」


 からから笑いながら充は優歌から離れ、律は硬直している優歌に申し訳なさそうに眉を寄せた。


「本当にゴメンね。後できつく言っとくから」

「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」


 先ほどとは違った色にに頬を染めて、優歌が俯く。そんな優歌に充は微かに目を細めて視線を逸らした。タオルを放って、制服に着替える。


「兄貴風吹かしてんじゃねぇよ」


 口の中で呟いて、学ランに袖を通す。無性にイライラして思い切りロッカーを閉めると、予想以上に大きな音がした。


「もっと静かに閉めろ、バカ充」

「うっせ」


 不機嫌に吐き捨てて、充は手ぶらで部室を出て行った。いきなり不機嫌になった弟の後を、律は重い鞄を持って慌てて追う。


「律くん、あの」

「ん、何?」


 振り返った律に戸惑ったように言葉を切って、ややあって優歌が口を開いた。それはきっと、一生懸命発した言葉。


「また、明日ね」

「また明日ね」


 一度きょとんと優歌を見つめ、律はにこりと笑った。二人の会話を背中で聞きながら、充は憎々しげに奥歯を噛み締めた。何に対して自分がイラついているのか分からない。律に向かうこの感情を、充はまだ知らない。





 ×××





 家にいても落ち着かなくて、律の顔を見て思い出すのは先ほど感じた知らない感情だけで。充はコンビニに行って来ると言って、行く当ても無く家を出た。夜は思っていたより冷え込むらしく、寒くなって充はだらしなく着崩した学ランの前を合わせた。


「……コンビニ行くか」


 取りあえず暖を取ろうと、近くのコンビニに向かう。この時間のコンビニは塾帰りの学生やら不良な兄ちゃんやらがたむろしていたりするが、別に充にとっては何でもない。律なら敬遠するだろうが。そう考えると自分と律は余りにも遠いのだと思って、苦笑が漏れる。


「こぉら、そこの不良少年!」


 不意に後ろから声を掛けられて、充は反射的に振り返った。立っていた人影に溜息を一つこぼす。


「何だ、千影かよ」

「何だ、はないでしょ。可愛い幼馴染に向かって」


 頬を膨らませて口を尖らせた浅井千影は、温かそうなマフラーに顔を埋めたまま充の腕を取った。もたれかかるように体重をかけるので、充は振り払おうと腕を振る。


「千影重い。離せ」

「お姉さんが紅茶をおごってやろう」


 じっと充の顔を見つめていた千影が、唐突に言った。困惑と疑心に満ちた表情の充の額を指で弾いて、笑う。


「肉マンでもいいよ?」

「自分が食いたいんだろ」

「みっちゃん、やさしー」

「……優しいのは律だろ」


 自分より頭一つ分小さな一つ年上の幼馴染に呆れたように溜息を吐いて、充は大げさに肩を落とした。小さく呟かれた言葉に、千影はただ笑っている。


「そういやお前。何でこんな時間にこんな所いんだよ」


 携帯の時計で時間を確認して、充はピザマンを幸せそうに食べている幼馴染に訊いた。時刻は十時を回ったところ。年頃の女の子が出歩く時間じゃない。


「受験生ですよぉ? オベンキョよ」


 口の中のものを飲み込んで、千影は肩を竦めて見せる。コンビニの向かいにある公園の、ブランコに二人は座っていた。昼間は子供達が遊んでいる公園も、夜には雰囲気をガラッと変えて静かに佇んでいる。時々キィッとブランコの鎖を軋ませて、千影は足を振る。


「律とケンカでもしたかい、充?」


 ピザマンを食べ終えて、千影は柔らかく微笑んだ。温かなコーヒーの缶を握り締めて黙ってしまった幼馴染に小さく息を吐き出す。


「お姉さんに話してみれば?」


 からかうように言われて、充はつい千影を睨みつけた。自分がこんなに悩んでいるのに、この幼馴染は昔から変わらず他人の事には関心がない。自分はこんなに、苦しいのに。
 そう思って睨みつけたのに、千影の顔に浮かんでいた柔らかな笑顔にすぐに視線を持っていた缶に戻してしまう。


「千影、さ」

「うん?」


 たどたどしくも言葉に出そうとして、言葉に詰まる。ちらりと視線で窺うと、千影はポケットからアメを出して選んでいた。掌には五種類のアメが収まっている。


「そんなに食うと太るぞ」

「何味が好き?」


 訊かれて、充は思わず千影の掌に視線を落とした。果物のアメは、女が好きそうなものばかりだ。


「……イチゴ」

「じゃ、イチゴにしよ」


 にこっと笑って、千影はイチゴだけ残して他のアメをポケットに戻した。ためらいもなく封を開け、口の中に放り込む。


「充もいる?」

「いらね。お前さ、俺のこと好き?」

「バーカ。大好きだよ、あんたも律も」


 キコキコとブランコをこぎながら千影は笑った。昔から彼女は同じだと、充の口元に小さく笑みが浮かぶ。昔から、自分も律も好きだと言ってくれる。


「オレさぁ、今日はじめて律がムカついた」


 空を仰ぐと、星がキラキラと輝いていた。息を吐くと、白く濁った空気に変わる。
 何を気負う必要もない気がして、充は思うままに口を開く。たどたどしくとも、その言葉は充の本心。


「今までだって律のがスゲェって分かってたし、でもオレは律と双子だったんだ」


 誰にも理解されなくても隣にいる権利があると、自分のものだと思うことが出来た。でも今日、自分ではない律に知らない感情を抱いた。自分よりも頭が良くて、人にも好かれて、優しくて。そんな律が、嫌だった。気がついたら、自分は律と同じに見られるのが嫌になっていた。同一視されたくなくて、髪を染めていた。


「初めはオレは律じゃないって言いたくて髪染めたのに」

「充も律も友達多いじゃん」


 変わらないと、ぽつりと千影が言うが、充は小さく首を振る。そういうことではなくて。


「ウチのマネと律が仲良くて、ムカついた」


 ぶすっくれた顔で充が呟いた。その光景を思い出してイライラしてきて、充は無意味にポケットの中で携帯を開け閉めする。子供の頃と同じに拗ねたようにぶすっと黙る充につい、千影は吹き出した。


「充はバカだね」

「何だよ」


 充を知らない人間だったら恐怖に言葉を失ってしまうだろう。しかし充が向けてくる鋭い眼光を物ともせず、千影はよしよしと充の頭を撫でた。


「ちゃんと全部分かってるくせに、気付かない振りしてる」

「……ガキ扱いすんな」


 奥歯を噛み締めて、搾り出すように充は千影の手を払った。
 本当は、全部気付いてた。その感情を信じたくなくて、知らない振りをしていた。自分は律が羨ましいんじゃなくて、本当は。


「帰ろっか」


 カシャンと音をさせて、千影がブランコから降りた。にこっと笑って手を差し出すから、充は立ち上がって手をポケットに突っ込む。


「手なんて貸してやんねぇよ。オレは律じゃねぇもん」

「ケチ!」


 いつものようにニンマリ笑うと、千影がむぅと唇を尖らせた。充に飛びかるとポケットに手を突っ込み、充の手を握る。


「離せバカ」

「充だって優しいよ。さっきのアメ、私の好きな味でしょ」


 やはり幼馴染には敵わない。
 充は降参とばかりに深く溜息を吐いて、千影の歩調に合わせて歩き出した。本当は勝手に帰れと言おうと思ったのだけれど、幼い頃のように一緒に歩きたかった。


「ね、充が好きな子って律のことが好きなんでしょ?」

「知らね」


 いつの間にか自分より小さくなってしまった幼馴染が、楽しそうに訊いてくる。あまりこの話題に触れたくないのにどうして女はこの手の話題が好きなのだろう。
 充が不機嫌に返すと、千影はつまらなそうに口を尖らせた。


「でもさ、もしその子と律がくっついたら充は弟になるんだよ?」

「お前なぁ、変なこと考えさせんじゃねぇ」


 一瞬その映像を想像して、充はあからさまに顔を歪めた。ムッとして考えさせてくれた千影の頬をつねる。
 そうこうしている内に家の前まで来ていた。千影の家は向かいなので送って行く必要はなく、千影は充のポケットから手を出す。


「じゃ、頑張んな。なんかあったらお姉さんが慰めてあげよう」

「言ってろ、バーカ」


 その時、充の家の玄関のドアが開いた。充と同じ背の人影は、二人の姿に戸惑ったように口を開く。


「充、と……千影?」

「律」


 どこか呆然としているように見える律に充はばつが悪そうに片割れの名を呼んだ。千影がにこっと笑う。


「じゃ、充。ちゃんと報告してよね!おやすみ」


 律が声をかける前に、千影は自分の家の玄関のドアをくぐっていた。
 なんとも言えない表情の律を見やって、充は一つ息を吐いた。自分は律の片割れだけど、律ではない。


「律」「充」


 合さった声に、二人は一拍置いて笑った。外だという事実を忘れるくらいに大声で笑い、酸欠になりかけた頃向かいの二階から千影に怒鳴られた。





 ×××





 部活が始まるまで、まだ時間があった。午後の授業に出る気が起きなくて、結局部室でサボってしまった。昨日から考えていたことだが、いざ行動に移すとなるとためらってしまう。こういうとき、律なら格好良く行動できるのだろうか。
 浮かんだ考えを打ち消すように充が頭を振ったとき、思いがけず部室のドアが開いた。


「あれ、充くん」


 入ってきた優歌は、長椅子の上で寝転んでいた充に意外そうに声をかけた。充は驚いたがどうにか押さえ、何でもないことのようにだるそうに体を起こした。


「垣之内じゃん。早いじゃんか」

「今日先生いなくてね、早く終わったの」


 ふーん、と気のない声を返し、充は再び寝転がった。ポケットに手を突っ込んで、カサッと触れた小さな包みを取り出す。掌に乗っているのは、黒い封のアメだった。そう言えば、今朝家で見つけて面白そうだからポケットに突っ込んできたのだ。充は起き上がって、それを見つめた。


「充くんは?」

「オレはサボり。垣之内、これやる」


 え、と振り返った優歌にアメを放る。慌ててキャッチした優歌はそれを見つめて、はにかんだように笑った。


「ありがとう」


 カサッとビニール特有の音をさせて、優歌が封を切る。中から現れた人工的すぎる赤いアメに微かに首を傾げて、口に放り込んだ。瞬間。


「―――!」


 声にならない悲鳴を漏らした。目に涙を浮かべて、何が起こったか理解しようとしている優歌に、うっすら笑みを浮かべて買っておいた缶ジュースを見せる。


「激辛唐辛子キャンディー」


 にやっと笑って商品名を言うと、優歌の目が大きく見開かれた。何するの、と言っているのが手に取るように分かり、自分が滑稽に思えてくる。


「ジュースやるよ」


 やや警戒しながらも、口内の辛さに勝てないのか優歌は充の持っている缶に手を伸ばす。彼女の手が缶に触れる瞬間、充は彼女の手を取って自分のほうに引き寄せた。


「好きなんだけど」


 耳元で囁くように言うと、優歌はばっと充から離れた。予想していたとはいえ、その行動はちょっと傷つく。自嘲気味の笑みを浮かべて、ジュースを放ってやる。


「何で、そういうこと言うの……?」


 ジュースで口を冷やしてから、優歌は声を振り絞った。
 今までそんな素振りなんて見せなかったのに。それが言葉にならなくて充を見つめていると、彼は笑った。


「好きだから」

「だって、いつも」


 意地悪ばかりするのに。現に今だって。充が困ったように頭をかく。


「泣かないでくんない? オレが悪いみたいじゃん」


 実際オレが悪いんだけど。充の言葉に、優歌は初めて自分が泣いていることに気付いた。これはアメが辛かったからなのか、分からない。


「でも、私は律くんが……」


 彼女の言葉を遮るように、部室のドアが開いた。入ってきた人物が気まずさに言葉を失い、戸惑ったように片割れに問いかける。いきなり現れた律に、優歌の顔が青ざめる。充はその光景に薄く笑みを浮かべた。


「充?」

「律、ナイスタイミーング」

「律くん……」

「丁度良いじゃん。律、返事は?」

「充くん、酷い……」


 か細い声で呟き、優歌が顔を手で覆って膝をついた。時々漏れる嗚咽が、静まり返った部室に響く。


「充!」


 堪りかねて、律が充の胸倉を掴みあげた。充を立たせて、視線を近づける。


「何のつもりだお前!」

「オレ、律のそういうとこムカつく」


 落とした声で言われて、律は言葉を失った。ケンカ慣れした目は据わって眼光は鋭く澄んでいる。自分とは余りにも違う、片割れ。


「結局みんなお前のことが良いんだろ。どうせオレはお前の出来損ないなんだろ」


 声を荒げるわけではなく、淡々と言う。逆にそれが律の中に入ってきて、律は自分の中で何かが切れた音を聞いた。


「勝手なこと言ってんな! 俺だってお前のこと羨ましいよ。俺よりも上手く生きてるし、千影にも好かれてるし!」

「「大体なんでお前は俺じゃないんだよ! 勝手に生きんな、勝手に行くな、隣にいろよ!」」


 同じ言葉を吐き出して、数拍互いを睨みやった。


「「ハハッ」」


 同時に二人は笑い出した。何が可笑しいか分からなかったけれど、笑いたかった。自分たちは二人で一人なのだと、思い出した。遠くに行ってしまったんじゃなくて、違うところを見ていただけだった。一度笑い出すと止まらなくて、二人は体を折って笑い転げた。終いには苦しくて、お互いを蹴りあった。靴で汚れるのも気にせずに、笑いながら。


「何してんだ、こいつ等」


 その間にやってきたほかの部員が呆れてそう呟いても、二人の笑い声は消えなかった。





 ×××





 顔を痣だらけにして、二人は日の暮れた帰路を歩いていた。生々しい傷は左右対称についていて、母が見たら驚くだろうし、父が見たら爆笑するだろう。


「律もったいねーの」

「何が」

「垣之内振っちまって。可愛いじゃん、あいつ」


 苦笑を浮かべて考えるように空に視線を移した律に、充は同じように苦笑を浮かべて空を見上げた。


「ま、オレは頑張るけどね」

「律、充。おかえり」


 家の前で、千影が待っていた。今日はマフラーもなしで寒そうだ。


「「千影寒くない?」」


 そう訊いた二つの声に千影はにっこりと笑ってブイサインをかざす。


「あんた達こそ、仲直りしたみたいじゃん」

「「受験生が風邪引くなよ?」」

「律も充も、優しーじゃん」


 幼い頃から変わらない空間。その空間に心地良さそうに眼を細めて、千影は笑った。


「「千影」」


 急に真面目な声で呼ばれ、千影は目を瞬かせて二人を見やった。こう呼ぶときは、いつだって二人で何かを隠しているときなのだが。


「好きなんだけど」

「ぅえ?」


 とてつもなく真面目な顔で律が言うから、千影は間の抜けた声を漏らした。真面目な律の隣では、薄く笑った充がいる。千影はちらりと充に視線を移してから、困ったように笑った。


「どしたの、いきなり」

「千影が充のこと好きなのは知ってるけど、千影が好き」

「ちょいちょい、りっちゃん?」


 混乱している千影をよそに、律は充とそっくりな笑みを浮かべた。


「充より俺のこと好きになるよ、千影は」

「お、言いやがったな?」


 一方的にそう宣言して、双子は玄関を潜った。道に、幼馴染を残したまま。





-END- 

部誌に載せたままなので見辛い上にヘタクソです。
気が向いたら直します。