朝練を終えて大きな荷物を持って廊下を歩いていると、なぜだか学校全体がざわついていた。もうすぐ予鈴がなる時間だろうにみんな廊下で興奮と恐怖の入り混じっていた声で話をしていて、その中でわけも分からず同じ顔が同じ顔を見合わせた。
 相馬律。テニス部部長で成績優秀、教師受けもよく友達も多い優等生。
 相馬充。テニス部エースで成績はそこそこだが教師受けは悪いクラスの人気者。
 同じ環境で育って同じ嗜好、同じ顔をした彼らは、一卵生双生児だ。二人の外見の違いは、充の赤茶の髪くらいだ。


「お、相馬兄弟おはよー」


 歩いていた兄弟に気付いて、友人が声を掛けてきた。二人がほぼ声を揃えて「「おはよう」」と返す。友人は揃った声に感心したように「ほー」と言っていたが、二人はいつもの事なので特に何も思わずに彼がこの状況を説明してくれるのを待った。一しきり感心した彼は、二人の首に腕を回して顔を寄せた。


「崎沼が停学解けたって」

「え…崎沼が?」

「マジ?澄那やっと解けたんだ」


 いつも似たような反応を見せる双子だが、この時ばかりは反応が違った。律はほんの少し嫌そうに顔を歪め、しかし充は意外そうに眉を上げる。充のその顔を見て、律は不快そうに眉を顰めた。自分とそっくりのこの双子の弟は、警戒心をどこかに置いてきた感がある。


「お前さ、まだ崎沼と付き合ってるのか?」

「何だよ、悪いのか?」


 やっぱり警戒心のない充に律が呆れたように溜め息を吐いた。それを見て充は不機嫌に顔を歪める。
 律はいつだって兄貴面しているように充は思う。友人関係にまで口を出されたらたまらない。この髪を染めた時だって、親よりも文句を言っていた。充が過去までひっぱりだして不機嫌になっていると、本鈴が鳴って廊下にいた生徒達は慌てて教室に戻っていった。
 教室に澄那の姿がなく、充は今日はサボりかなと思っていた。しかしSHR中に悪びれもなく教室に入って来た長身の男子生徒に、教室は図らずも不快なざわつきを取り戻した。しかし彼は取り合わず、更に言えば教師の小言にも付き合わずにさっさとだいぶ前に自分の席だった席に腰を下ろした。変わらない彼の姿に充はニカッと笑って担任に分からないように彼に合図を送る。
 彼こそが渦中の青年、崎沼澄那その人だった。色素の抜けた長い髪とピアスだらけの耳、着崩した制服。人目で『不良』だと見られがちな彼は二週間の停学が明けたばかりだった。


「よ、澄那。お前二週間何してた訳?」

「充」

 SHRが終わると、誰も声を掛けず澄那の周りに妙な空間が出来ていた。しかしその空間に充は臆すことなく入ってく。周りからは小声で「やめなって充」とか「充くん、危ないよぉ」などとクラスメイトの声が聞こえたが軽く無視して充は後ろから澄那にのしかかった。ニカッと笑って言うと、澄那が意外そうに眉を引き上げる。


「何だよ、お前また眉薄くなってんじゃん」

「充こそ焼けた?」

「スポーツマンだから」


 充は笑って、澄那の前の席を勝手に引いた。背もたれを抱え込むように座って、澄那の机に頬杖をついて澄那の顔を覗き込む。綺麗な顔は長い髪に隠されているが、変わらずに穏やかだ。みんながどうして彼を避けるのかよく分からなくて、充は澄那の顔を覗き込んだまま黙っりこんでしまった。じっと自分を見て黙っている充に澄那は眉をひそめる。


「なに、充。見つめられると気持ち悪い」

「……髪薄くなった?」


 誤魔化しているのか本気なのか呟いた充に澄那はポカンと充を見、ついで心外そうに充の頬に手を伸ばした。むぎゅっと頬を摘んで抓ると、充がうっすらと目に涙を浮かべて噛み付きそうな顔をする。


「充?誰がハゲだって?」

「いっへねーほ、ほんなほほ!」


 にっこりと微笑んで言うと、充は「言ってねーよ、そんなこと!」と声を上げた。澄那の手を振り払おうとしているがそれが叶わず、何を言っているか分からない。双子の兄と違い凶悪な顔をする充に満足して澄那はぱっと充の顔から手を離した。


「痛ぇな!ったく」

「だって俺ハゲじゃないもーん」


 「もーん、じゃねぇよ」と充が悪態を吐いてひりひりする頬を擦ると、教師が「授業始めるぞ」と言いながら入ってきた。その声に充は一つ舌打ちすると自分の席に戻っていく。
 友人のその背を見送りながら、澄那は友人のありがたみにを噛み締めて誰にも気付かれないように口の端を歪めた。きっと、自分には相馬充という人間はもったいないかもしれないけれど。





 ×××





 昼休みになって、充と澄那は昼食を摂ってから屋上に寝転んでいた。いつも二人でいる訳ではない。しかし何となく、近寄る時がある。相馬充という人間は、不思議な魅力を持っていると澄那は思っている。友達が多い上に誰を恐れるわけでもない彼に、自分は害を与えていないだろうかとも偶に思う。


「澄那さぁ、何で停学になったんだっけ」

「喧嘩」


 言いながら体を起こして、学ランのポケットから煙草とライターを取り出した。自分は充のことが好きだし迷惑を掛けたくないと思っているが、こればかりはやめられない。煙草ではなくて、自分でいることを、だが。


「充もいる?」

「俺スポーツマンだっつの」


 充がいらないと言うので澄那は煙草を銜えたまま再び寝転がった。
 充に喫煙を咎められる事はない。教師にこの光景をみられたら充だって停学になるかもしれないのに、彼は他人を縛る事をしない。それはありがたいが、ほんの少し充が心配になる。誰にも深入りせずに、干渉させずにいて本物の友人はいるのだろうか、と。彼の、双子の兄のように。


「もしもこれ教員にみつかったらどうするつもりよ、お前」

「でもなー、澄那が好きなモン俺が止める権利ねぇし」

「いいなぁ充、その考え方」


 そんな言葉で濁して、澄那は紫煙を吐き出した。充といると心地良いけれど、充にとって自分は心地良い存在でいるのだろうか。もしかしたら彼も双子特有の半身がいればそれでいいタイプなのだろうか。もしそうならば、ほんの少し淋しい。


「充、友達いる?」

「は?」


 唐突な質問に充が目を見開いて頭上の澄那を見やった。澄那は苦笑して体を起こすと、壁に体を預けて片胡坐を掻く。すると充がずるずると寝転がったまま近づいてきて、膝の上に頭を乗せて仰向いた。ちょうど入ってきた女生徒が、二人の姿をみて小さな悲鳴を上げて踵を返した。


「俺なんかとつるんでるし」

「あのな」

「あの相馬兄みたいにさ」


 口の端に笑みを浮かべて言うと、何かを言おうとした充は口を噤んで黙り込んでしまった。
 充も自覚しているのだろう、自分の兄の友人関係に。しかし澄那の予想とは裏腹に、充は眩しいのか薄目を開けて澄那を見やり小さく息を吐き出しながら口を尖らせた。


「バカ」

「バカな充にバカって言われたくない」


 返ってきた言葉に澄那は心外そうにペチンと充の額にデコピンを喰らわせた。充は一瞬痛そうに顔を歪めたが、すぐに眠そうな表情を浮かべて欠伸を噛み殺しながら澄那の足を軽く殴った。バカと言われた意味が分からなくて、澄那は充の言葉を待っている。


「俺は好きでお前といるし、律だって友達いるだろ?」

「兄の方は友達いなさそうだけどね。みんな知人みたいな」

「やっぱお前バカだ。わかんねーじゃん、そんなん。少なくとも俺はみんな好きだぜ?」


 「昔から友達は一緒じゃなかったな」と言って笑った充に澄那は何故か嬉しくなって短くなった煙草を壁で揉み消した。それをどうしようと思って一瞬迷い、その場に棄てようかと思ったが充に無言で睨まれたのでそのままポケットにつっこんだ。


「俺さ、他人の悪いトコみつけるより良いトコ見つけたほうが簡単だと思うんだよな」

「充みたいなおめでたい人、そういないと思うけど」

「お前、失礼。人間なんて良い所も悪い所もあるんだからな」

「……充ってバカなのか鋭いのかわかんない」


 低いテンションでそんな話をして、二人は笑顔を交わした。
 誰とも仲良くなれる外交的な充はきっと澄那といることを苦に思っていないだろう。もしかしたら、同じように心地よく感じてくれているかもしれない。そう思って何気なく充の赤茶けた髪に手を伸ばすと、充は眠そうな声で呟いた。


「お前といるの、楽で好き」

「充って本当に末っ子体質だね」


 そう呟いて充の髪をなでていると、すぐに充は規則的な寝息を立て始める。子供のようなその姿に澄那は苦笑して、自分も壁に背を預けて目を閉じた。春の風と一緒に意識を簡単に浚われた。次に意識が戻ったのは、授業終了のチャイムが鳴った時だった。





 ×××





 部活を終えた帰り道、部員達とも別れて相馬兄弟は歩いていた。同じ背格好の二人は何気ない会話を繰り返す。兄弟だから何を気遣うわけではないが、今日はお互いにお互いの様子がおかしいと気付いている。


「「あのさ……」」

「「……なに?」」


 同じタイミングで躊躇いがちに声を掛けて、同じタイミングで答えた。そんなことはいつもの事なので、二人は唇を引き結んで同時に手を突き出した。ジャンケンポンすら省略だ。数度あいこを繰り返して、四度目で充が勝った。「っし!」と勝利の息を吐き出して、充がポケットに手を突っ込んで口を開いた。


「律、友達いる?」

「……はぁ?」


 突然に失礼な質問をされて律は眉を寄せて充を見た。その顔に充は言葉がなくても以心伝心の双子の兄に通じなかったのかと言い直そうと言葉を探すが、上手く見つからなかった。澄那が言っていた、「兄の方は友達いなさそうだよね」という言葉が引っかかってしょうがなかった。いつからだろう、自分が律だけではないものを欲しいと思ったのは。


「澄那が言ってたから。律って友達よりも知人って感じだって」

「……お前まだ崎沼と付き合ってるのか」


 朝と同じ質問を溜め息交じりにされて、充は不快そうに眉を寄せた。こうしているとほんの少しの違いはあるがそっくりだ。
 部活の時もチームメイトたちにさんざん言われた言葉だが、自分が誰と付き合おうと関係ないだろう。そう思っているのは充だけのようで、みんな口を揃えて言った。


「あいつと付き合ってるとお前まで悪影響受けかねないだろ」


 今日一日で何度も聞いた台詞に充は言い返そうと思ったが、相応しい言葉が見つからずに黙り込んだ。自分の意思で付き合っているし、悪い事は悪い事だと知っている。誰に流される事はないと、自分がよく分かっている。けれど、それを伝える術を自分は持っていなかった。
 だから諦めて、充は自分の質問を再度口にする。


「律が友達いるのかって話だろ」

「いるよ、ちゃんと。失礼だな」

「……でも確かに、律って千影がいれば良いって感じかも」

「………バカ」


 充がぽつりと呟くと、律は深い溜め息を吐いて双子の弟を見た。瞳に明らかな哀れみの色を浮かべて律は吐き捨てるように呟くと、テニスバッグを肩に掛けなおして歩調を早めた。数秒送れて充も律を追うように歩調を上げた。





-END-

崎沼澄那(さきぬま すみな)
何となく、この兄弟はお互い心の底ではお互いが一番大事な気がします。
絶対に裏切らない確信があるからお互いに視線を逸らしているけれど、逸らしきれない。そんな感じ。