自分の洋服ダンスの抽斗を開けて着替えを探し、ふと違和感を覚えて律は一瞬硬直した。
 相馬家の双子は世間一般と同じように共同で部屋を使っている。ベッドは二段だし机は対称に配置してある。本棚も箪笥も揃いだが、中に入っているものは正反対だった。同じ状況で育ったのにその趣味思考は正反対なのだから面白い。律はきちんと整理して物を置くけれど充は机の上が今にも雪崩を起こしそうだ。もちろん洗濯物だって律は自分でしまうが充は出しっぱなしの上に、そこら辺にあるものを着る。血液型は同じはずなのに。
 充の散らかった洗濯物を見て同でもいいことを考えてから、律は夕食時にした会話を思い出した。


『最近ね、下着ドロがでるんですって』

『へー。別に俺ら関係ないじゃん』

『だな』

『『あ、このこんにゃく美味い』』

『それ浅井さんにいただいたのー。でね、律も充もちゃんと聞いて!ママの勝負パンティーが危ないの!!』

『充。英語の教科書は?』

『やっべ、学校おきっぱ』

『もーぅ!ちゃんと聞いてってばぁ!』


 あの時はあまりにもくだらなくてどうでもよかったけれど、もしかして……。けれどいくらなんだって下着泥棒が野郎のトランクスなんて狙わないだろう。けれど昨今ホモとかゲイとか言われる人種が公認されるようになってるのも事実。そして今目の前では、あるはずの下着が一枚ない。リビングに洗濯物が置きっ放しかと一瞬疑ったが、夕食後にちゃんと持ってきているからありえない。
 立ったまま考え込んで、やっぱり下着ドロは女性のものを狙うだろうと思い直した律は僅かに目を眇めると持っていた着替えをその場に落とし無言で部屋に唯一在る窓に向かう。ここから向かいの千影の部屋は道を挟んで真っ直ぐだ。窓枠に体を預けて、律はおもむろに携帯で目的の番号を押すと、受話器を耳に当てた。数コール後にブチっと切れてノイズが混じる。


「千影?俺。今どこにいる?」

『どこって、家にいるけど。律は?外?』

「部屋」


 千影の質問が妙におかしくて笑みを含んだ声で答えると、不信そうに千影は繰り返す。その反応もおかしくて律はクックッと堪えることもせずに笑った。千影が電話の向こうで不快そうに眉を寄せているのも簡単に想像がつくけれどやめてやる気にはなれなかった。妙にほっとして笑っていると、小さなカラカラと窓を開ける音が聞こえる。思ったとおりの顔をした千影が顔を出した。湯上りなのか髪が濡れている千影にひらひらと手を振って、律は気を落ち着かせるために大きく息を吐き出した。


「あー、笑った」

『……珍しいじゃん、律が意味不明な行動とるの』

「そんなに意味分からなかった?」

『そりゃもう充並みに』

「うわ、それショック」


 そう言って律がまた笑うと、千影も少し笑った。けれど声は何かを待っているようにぎこちない。それは律自身が自分自身のせいだと分かっているから妙に胸が騒いだ。千影に心配をかけているのだという自己嫌悪と。千影が心配してくれているのだという欣幸と。
 一度黙って真面目な声を作ってから、律は道路の向こうの千影の目を真っ直ぐ見た。視力は両目とも良いので、ぼやけずにちゃんと見える。真っ直ぐ見つめると千影が緊張して息を飲んだ音が耳元からノイズ混じりに聞こえてきた。


「千影……」

『な、何?』

「下着ちゃんとある?」

『は!?』

「今流行ってるんだって。下着ドロ」

『そんなことで電話してきたの!?』

「うん。ほら、調べて調べて」

『バッカじゃないの!もう切るよ』

「うん、ちゃんと調べて報告してね」

『するか馬鹿!』


 すぐにブチッと電話を切られた。でも部屋の電気が消えないので箪笥でも漁っているのだろう。その姿が可愛くて、律は肩を震わせて笑った。初めは窓枠に上体を預けていたが段々声が噛み殺しきれなくなるにつれて辛くなったので壁に背を預ける形で座り込んだ。俯いていた視線を上げると、正面に湯上りの茶髪の自分が呆れ顔で立っていた。


「……何一人で笑ってんだよ」


 見られたことがばつが悪くて、律は腹筋で笑みを押さえ込んで「別に」と立ち上がった。それから下着姿の弟に注意しようと視線を向けて、気づいてしまった。充が唯一身に着けている布。俗称はトランクス。あの柄は律が探していたものだ。
 一瞬言葉を失って、律がやっと声を上げたらその声は怒鳴り声に似ていた。


「充!人の下着を勝手に履くな!!」

「律はお兄ちゃんだろ!?固ぇこと言うなよ」

「こういう時ばっかり弟面すんな、気色悪ぃ!」


 いつも弟面するのも兄面されるのも嫌がるくせにと律が吠えるが、充は憎たらしく顔を歪めて舌を出した。
 律も充も服の趣味は合わない。律の箪笥にはシンプルなシャツ類が入っているが、充の箪笥にはプリントのTシャツやらがくしゃくしゃに詰め込まれている。けれど基本的に充は無頓着なので、見えないところならばこだわりは無い。特に下着なんて見せる訳でもなければデザインに大きな違いはない。だからって下着はないと思う。いくら双子でも。
 けれど何を言っても今更もう無駄なので、律はきつく充を睨みつけてから着替えを持って風呂場に向かった。





×××





 夏の部活ほど堪えるものはない。べたつく体を部室の固い長椅子の上に投げ出して暑い暑いと言うけれど涼しくなる訳でももちろん暑くなる訳でもない。できれば水でも浴びたいものだが、さっき水道に頭を突っ込んだばかりだ。濡れた髪が急激に乾いて生暖かくなるのを感じて眉を寄せながら充は着替えても暑いもんは暑いだろうなと思った。


「充、そんなとこに寝てたら邪魔なんだけど」

「だって暑ぃんだもんよ」

「だったら着替えて帰れば?」

「制服暑ぃ」


 文句は言っていたが、帰って風呂に入るのが一番早いのは知っている。ごく一般の家庭に生まれた相馬兄弟の家の風呂は普通の大きさしかないから、この年になって一緒に入るのは不可能だ。家に帰った瞬間に風呂の取り合いになって負けた方が不快さをその分長く引きずっていなければならない。ちなみに昨日は充が勝った。
 遅く着替えようが早く着替えようが帰るタイミングは一緒なのでせめて体育着を脱ごうと充が体を起こしながら上を脱ぎ捨てた。下を脱ぎながらふとロッカーの所に目をやると、律が着替えている所だった。見慣れた片割れの見慣れた柄に一瞬言葉を失って、次いで飛び出してきたのは怒声にも似た声だった。


「律!それ俺のトランクスだろ!」

「お前が俺の履くからだろ」

「ガキかお前は!つーか名前書いてあんじゃねぇか!!」

「俺のにも書いてある」


 兄弟のあまりにも低俗な言い争いに部員達は言葉を失った。なんだってこの双子は高校生にもなってそんなことで喧嘩をしているのだ。まるで小学生のようだ。充に至っては着替えることも忘れて腰パン状態のままだ。律はしっかり着替え終わっているのに。


「そろそろ入っていい?」

「わー!ちょっ垣之内ストップ!!」


 みんなが着替え終わる頃を見計らって、優歌は部室に入って備品の片付けをする。それはいつもと変らないけれど、今日は充が着替えを渋っていたので遅くなった。というかまだ終わっていない。先に着替え終わった部員が止めようとするが、ドアが開いたのが先立った。荷物を両手に持った優歌が中の光景に硬直した。男だらけの中でたった一人、しかも部のエースがパンツ一丁だったら女の子としては正しい反応だといえる。
 優歌が入ってきたことに気づいた充が凄い勢いで振り返って、これ以上ないくらい大きく目を見開いて固まってしまった。パンツ一丁で。充が優歌を好きなことは最早部員みんなが知っている。そして協力する気もある。けれど今日は誰も庇いきれなかった。


「垣之内!垣之内ちょっと外行こうか!?」

「そうだな、充が着替え終わるまでちょっと行こうか」


 気を利かせたダブルスペアがぱっと優歌から荷物を奪ってさっさと部室の外に引っ張っていった。優歌は免疫が無いのだろう耳まで真っ赤にして固まっている。さっきまで律に向かっていた怒りが一気に冷めて、充は呆然と長椅子に腰を下ろした。パンツ一丁で。


「み、充!ほら着替えようよ」

「充先輩、大丈夫ですよ。女の子はみんな男の裸が大好物です!」

「バーカ。格好悪ぅ」

「律ー!?」


 後輩すらも充を慰めているのに、半身が小馬鹿にした顔で何を言っているんだ。そこにいた部員が顔を青くするが、充は律の軽口にも取り合う元気がないのか落ち込んだままのろのろと立ち上がって着替え始めた。これで良かったのか良くなかったのか微妙な所だけれど、とりあえず着替えだしたので良い事にする。


「充、帰りになんか食ってく?」

「……いらねぇ。帰る」


 着替え終わってテニスバッグを担いだ充の隣で、律がにやりとそれこそ普段の充とそっくりの悪人面で笑った。きっと帰り道にずっと苛められ続けるのだろう。凹んでるのに可哀相だなと思ったけれど、誰も止めることができずにただただ充が明日元気に学校に来ることを祈るだけだった。










 帰る間ずっと律にからかわれていた充は家について凹んだまま夕食を食べて母に「恋の病ね!」と当たらずとも遠からずなことを言い当てられて、風呂も律に譲って部屋に引き篭もった。結局律が風呂から出てくれば終わる引き篭もりだが、それまでは一人でいたかった。
 けれど、好きな女にあんなダサい姿を見られたままで何も言わないのはどうかと思う。せめて言い訳でもしないことには優歌に変態と思われてしまう。それだけは断固として阻止したい。持ち前の勝気さでそう思い、充は初めての番号を押した。数回コールした後、ブチッと切れてノイズが混じる。向こうから声は聞こえてこなかった。


「垣之内?俺、充」

『充くん?どうしたの?』


 電話の向こうから聞こえる少し緊張したような優歌の声に充も少し緊張して生唾を飲み込んだ。初めて好きな女に電話するのにこんなに緊張するとは思わなかった。けれど充はそんな緊張を表面に全く出さず、いつものおどけたような声で笑った。


「今何してた?あ、風呂とか」

『何って…特に何もしてないよ』

「残念。……あのさ、ごめん」


 上手く言葉が見つからなくて、充はとりあえず謝った。電話の向こうで優歌も分からないのだろう戸惑ったような声がした。どうにか言葉を探そうと思って、窓の下の壁に背中を預けて座り込む。自分の素足の先に視線を向けながらもしどろもどろになりながらも説明しようと試みた。


「今日、変なカッコしてて。でも別にいつもあんなんじゃねぇから!」

『あ、うん……。大丈夫だよ』

「……そっか。あのさ、今度どっか…いや、なんでもねぇや」

『え、何?気になるから言って』

「そーだなぁ。好きな食いモンは?」

『質問違うじゃない』

「いいからいいから。ちなみに俺は今はやきそばパン」

『……甘いもの、とか』


 少し間を置いて返ってきた答えに充はにかっと口の端を引き上げた。ただの口実だ。失態を見せたお詫びに帰りに一緒に出掛けられたらいいと淡い期待を抱いて、電話してみた。試合前よりも逸る心臓の音を押さえつけて、充はゆっくりと口を開いた。


「んじゃさ、今度なんか奢ってやるよ」

『え?いいよ、理由ないし』

「今日の詫びにすっげ高ぇモン奢る」

『で、でも……』

「奢ってもらえるモンは貰っとけって。な?」


 本当は帰ってくる返事が怖い。けれど結果は結局でてくる。明快なことを好む充だから、結果がでてくることを先延ばしにも曖昧な回答も欲しくはない。ただ優歌が自分を拒絶するかしないか、それだけだ。緊張の数秒の沈黙の後、優歌の声がゆっくりと聞こえる。


『じゃあ、お言葉に甘えて。奢ってもらおうかな』

「うっし!約束な。じゃあまた明日」

『うん、お休み』


 名残惜しいけれど電話を切って、充は大きく息を吐き出した。緊張したけれど結果オーライ。携帯を握り締めてにやにやしながら、充はべたつく体を持ち上げて散乱している洗濯物の中から着替えを引っ張り出した。視線を感じて顔を上げれば湯上りの黒髪の自分が立っていて、何となくばつが悪くなって逃げるように部屋を出ると階段のところで後ろから蹴られ、危うくバランスを崩して落ちかけた。


「何すんだよアホ律!」

「お前のニヤケ面がムカついた。バカ構ってないで千影に電話しよ」


 言い返そうかと思ったけれど体が汗を流すことを優先させろと命令を下したので、憎々しげに舌を打ち鳴らして風呂場に向かった。





-END-

充が可哀想でしょうがないです。