相馬兄弟とこの学校で言えば、学年は愚か学校中で知らない人間の方が少ない。
 兄の律は人当たりがよく誰にでも優しく、成績もいいので教師受けも良い。顔もいいので女子からの人気も高い上スポーツもできるし生徒会の役員もやっている。一部男子からは疎まれることがあるかもしれないが、大半の生徒が律を慕っている。
 弟の充は騒がしく誰とでも別け隔てなく接し、お祭体質を体現している。得意な教科と苦手な教科の差が激しく授業態度もあまりよくないので教師からは問題視されてはいるが、嫌われるというよりは馬鹿が子ほど可愛いと言われている。律同様顔がいいので女子からの人気も高く、スポーツもできる。友達タイプと言われがちだが、男女問わず誰からも好かれている。
 だからこの学校の生徒は律派と充派に別れていると言われている。


「聞いて聞いて!充くんに声掛けられた!!」

「えぇ〜、いいな!どうして!?」

「消しゴム貸してって!もう私これ使えない!」


 人気があるからだろう、何をされたとか何をしていたとかはすぐに女子の耳に入る。特に充は友達が多い分内気な女子たちが極論に走るところにある。対して律は彼自身が真面目な所があるので、しっとりとお慕いされている。


「決めた。私、充くんに告白する」

「マジ?だって充くん好きな子いるじゃん」

「好きな子って言っても脈なしなんでしょ?ていうか、垣之内さんだっけ、優柔不断だよ。充くんが可哀相」


 騒いでいるのを聞いているだけだった眼鏡の少女が真面目な顔でそう言った。周りは彼女に何を言ったらいいのか良いか考えあぐねるように曖昧に笑っている。それを嫉妬と取って彼女は勝ち誇ったようにフッと笑って眼鏡を引き上げた。










 昼休み、充は珍しく教科書を持って教室を出て行った。午前の授業で教科書を忘れたので借りたのだ。相馬兄弟の教科書は二人兼用で一冊しかないから同じ日に授業がある日は後の方が取りに行くけれど今日は充だけしか授業があらず、これはチャンスと優歌に借りてそれを返すついでにお礼がてらデートに誘おうと思っている。


「垣之内、教科書……あれ」


 遠慮なく教科書を持って教室に入るけれど、優歌の姿はなかった。辺りをキョロキョロ見回してみるけれど見つけられず、代わりに見つけたチームメイトの松木に教科書を小脇に挟んだまま訊いた。こいつに預けて戻るつもりは毛頭ない。そんなことするんだったら借りた意味なんてないのだ。


「松木、垣之内は?」

「さっき他のクラスの女子に呼ばれて出てったよ。中庭に行くって言ってたかな。友達って雰囲気でもなかったけど……」

「ふーん。つーかさ、何でお前が垣之内と同じクラスなんだよ!」

「充八つ当たり!!」


 妙にむしゃくしゃして松木の机を蹴っ飛ばして優歌を探しに中庭に向かう。もちろん教科書は持ったままだ。テニス部一同は充が優歌が好きなことを知っていて協力的なので、優歌が律に恋していることを無視してくっつけようとしている。表立った充ファンも充が誰を好きでも構わない。充は友達だから。だから邪魔することもない。
 首を傾げながら教室を出ると、クラスの女子が「充くん、またねー」と手を振ってくる。笑顔で手を振り替えして、中庭に向かう階段を下りた。だるそうにポケットに手を突っ込んで上履きのままで中庭にでると、天気がいいからか数人の生徒が固まって弁当を食べたりしていた。


「あ、充せんぱーい!」

「どーもー」


 手を振ってくるあれは一年生だろうか、結構可愛い。充が笑って手を振り返すと「きゃー」と叫んで彼女たちは何か興奮したように額を寄せ合って話している。初々しいなぁと思いながら充は中庭を見回した。けれど優歌の姿はない。代わりに一年の部員の姿見つけて、もしかしたら知ってるかもしれないとツカツカと歩み寄った。


「充先輩、ちーっす」

「お前さ、垣之内見なかった?」

「垣之内先輩ですか?」


 見てないな、と呟かれ充は小さく舌を打ち鳴らした。何となく嫌な予感がしているのだ。優歌自身は優しいいい子で恨まれることはないが、もしかしたらということがある。それに、充が彼女を好きだということはみんなが知っていると言っていい。この間も充のロッカーに呪いのような手紙が突っ込まれていた。
 三人くらいでわいわい騒いでいた一年はみんなテニス部で優歌の顔を知っているはずなので、ここで情報がなければ充は中庭どころか学校中を捜索するつもりでいた。彼らに別れを告げようと思ったとき、もう一人やってきた。


「ただいまー。あ、充先輩チッス。今垣之内先輩も見ましたよ」

「マジで!?でかしたお前、どこ!?」

「え、体育館の裏の方……ですけど」


 充の剣幕に彼はたじろいだがそちらを指差してはっきりと答えた。体育館の裏は人通りの少ない公道だから生徒を含めて人に見られることは少ない。ただ外のトイレがそこにあり運動部はよく利用している。彼もトイレからの帰りだったのだろう。充はそれを聞くと彼らに「サンキュ」と言い捨てて体育館裏に走って行った。あんな所に連れて行かれるなんて尋常じゃない。
 中庭から体育館はそう遠くなく、充の足ならすぐに着ける。体育館を曲がって裏に行くと、本当に優歌と数人の女子がいた。


「おい……もがっ」


 叫んで止めようとしたらいきなり口を塞がれて、充は一瞬硬直した。長身に腕も掴まれて抵抗できず、ずるずると木の影に隠されてしまう。後ろから掴まれているけれどふと鼻腔を掠めた匂いに身に覚えがあって、充はとりあえずてを振りほどこうと顔を振った。


「おい、澄那!」

「充、シー」


 彼女たちから姿を完全に隠してから漸く手が離れたのですかさず充が叫んだ。けれど充をいきなり拘束した澄那は爽やかな笑顔で口元に細い指を持っていった。銜えた煙草から立ち上る匂いで彼だと分かった充は、狙いは何だと目を眇めて澄那を見た。悪戯に笑っていた澄那は充の不満そうな顔に煙草を指で挟んで、彼女たちがいる所を刺した。優歌が壁に追い込まれている。囲んでいるのは三人の女生徒だった。


「今お前が出てったら彼女たち歯止め利かないって。ここは落ち着いて様子見ときな」

「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないだろ!?」

「充のせいなんだし、少しは我慢。あれ、充ファンでしょ?」


 澄那が笑ったのを見て、充は不満そうな顔をしながらも首を落すように頷いた。しばらく耳を澄ましていると、優歌が彼女たちに文句を言われているのだろう鋭い声が耳に届く。やはりあれは充ファンで、原因は充らしい。


「垣之内さんがはっきりしないから充くんだって困ってるんでしょ!?」

「大体律くんと充くん迷ってるなんて、ちょっと図々しいんじゃないの?」

「マネージャーだからって調子こいてんじゃないの」


 遠くから聞こえてくる声に充の方がムカムカしてきた。自分の恋愛事情を他人に指図されることほどムカつくことはないのだとここで知った。優歌は黙って聞いているらしく、声は聞こえなかった。代わりに僅かな沈黙に澄那の紫煙を吐く音が聞こえる。


「……つーか、お前ここで何してたんだよ」

「ここ、俺の喫煙スペースそのに」

「あっそ」


 「罪な男だね、充」と笑った澄那の足にケリを入れて、充は深く溜め息を吐いた。正直、ここに澄那が居てくれてよかったとは思う。充だけだったらただ飛び出して事態を悪化させただけだろう。そう思うと自分が餓鬼に思えるし、澄那が妙に大人に見えた。煙草を落として上履きの踵で揉み消した澄那をじっと見ていたら、妙に近い位置で見返された。


「……なんだよ」

「ん、ほら終わったみたいだよ。集団リンチ」

「は?あ、マジだ」


 澄那の言葉に首を巡らせて見ると、女生徒たちがこちらに歩いてきていた。慌てて隠れている体を隠すように縮こまる。高笑いでも繰り出そうな彼女たちが隣を通って姿が見えなくなってから、充は細い息を吐き出して立ち上がった。


「充。頑張ってね」

「おう」


 にっこりと微笑んで煙草をもう一本ひっぱりだした澄那に笑んで、充は壁に背を預けてしゃがみこんでいる優歌にわざと枯葉を踏んで近づいた。俯いていた優歌がパリパリとした音に気づいて顔を上げたので、充は無理矢理にも笑みを浮かべて見せた。漠然とそうするのが正解だと思ったのだ。馬鹿な充には理由は分からないけれど。


「垣之内みっけ。教科書、ありがとな」

「み、充くん……」

「ん?教室戻ろうぜ」


 不安そうな顔をしている優歌に笑いかけ、充は教科書を差し出した。遠慮がちに優歌が受け取ったので満足して優歌の肩に腕を回して無理矢理に華奢な体を引き寄せた。小さな悲鳴を上げる優歌の顔を自分の胸に押し付けて、謝罪を込めて小さく呟いた。


「……ごめんな」

「充くん?」

「教科書のお礼にさ、今度一緒に……うわ、やっぱ今のなし!」


 一緒に出かけようと言おうとして、急に恥ずかしくなって優歌を離すと優歌も僅かに顔を赤らめた。
 微妙な距離を開けて教室に戻ろうと歩き出すと、澄那が笑っているのが見えてばつが悪くなり、充はポケットに手を突っ込むと丁度足元にあった石を蹴った。










 放課後、部活の前に手紙で呼び出された充は億劫ながらも指定された体育館裏の切り株に座り込んで待っていた。もうすぐ部活が始まるとちらちら時計を確認していると、三人の女生徒が現れる。彼女たちは昼休みにもここにいた人たちだろうと充は目を眇めた。充の視力は両目とも良いので見間違えることはない。


「……何?」

「あの…、来てくれてありがとう」

「うん?」

「……好きです。付き合ってください」


 そう言ったのはみつあみの少女だった。こいつが優歌に一番ひどい事を言っていたなと思ったら充の声にも剣呑としたものが混じり、知らず知らずに冷たくなってしまう。二人の女生徒は口を挟む気がないのか、一歩下がって黙っている。


「悪いけど俺、好きな子いるんだ」

「知ってる。知ってるけど……脈ないんでしょ?いいじゃない、そしたら!」

「俺の誠意の問題だから」

「私は充くんが好きなの!」


 顔を歪めたと思ったらぼろぼろと泣き出してしまった彼女に今更名前を聞くのもはばかられて充は大きく溜め息を吐き出した。なんだ、このワガママ女。
 けれど彼女の言葉に少し傷ついている自分もいた。確かに脈なしだ。優歌は全然なびいてくれないし、でもそれはデートに誘えない自分の意気地がないだけで……。ぐるぐると考えたが結論は優歌に振り向いてもらえるように頑張るであることに代わりはない。バカな充にはこれ以上の思考は不要だ。


「でも俺、あんたのこと好きじゃないから。正直、迷惑」

「ひどい!充くんがこんな酷いこと言うなんて思わなかった!」

「……悪いけど、部活あるから」

「なんでぇ!?」

「じゃあ聞くけど、お前を好きじゃない俺と付き合っても嬉しい訳!?」


 部活に行こうと立ち上がって鞄を肩に掛けて、尚も言い募ってくる彼女に充は声を荒げた。どうしてこうもワガママを言えるんだ。恋愛は人をワガママにするというけれど、身勝手さは相手も自分も傷つけるんじゃないかと、充は思っている。
 彼女が言葉を失くしてつったっているのをどうしようかと迷っていると、クスクスと笑い声が聞こえた。


「充はばかだなぁ」

「……黙って聞いてんなよ」

「言ったろ?俺の喫煙スペースそのにだって」


 現れた澄那に充はばつが悪そうに呟いた。けれど澄那は微笑むだけですっと充の額を小突くと彼女を思いっきり殴った。吹っ飛ばされた彼女が呆然と頬を押さえて倒れているのを見て一瞬言葉を失ったけれど、澄那が拳をプルプル振っているうちに彼の胸倉を掴んだ。


「何やってんだよ、お前!?」

「充の優しさを分からない馬鹿、嫌い」

「だからって女殴っていい訳ねぇだろ!大丈夫か?」


 慌てて充が駆け寄って手を差し出すと、彼女は充を涙目でじっと見つめた。けれど差し出された手に触れずに自力で起き上がると、泣きながら走り去った。その後を二人の友人が追いかける。ぽかんとその様子を見て、充は言葉を失くした。肩に置かれた澄那の手にも気づかない。


「充は誰彼構わず優しくしすぎ」

「………」


 肩に置かれた手を払って、充は冷たい目で澄那を見た。にこにこといつもと変らない笑みを浮かべている彼に掛ける言葉も見つからなくて、そのまま無言で荷物を持ち上げると部活に向かった。あの子に何か謝罪をしよう。そのためのプレゼントを全て話して優歌に一緒に選んでもらおうかとデートの口実を作って、後は誘うだけだと充は拳を握った。
 その後一週間充に口を聞いてもらえないで困った澄那は、また別の話。





-END-
 
充のヘタレめ