ミーンミーンとどこからか蝉の声。季節はずれだと思うがそれ以上に疑問は浮かんでこない。見回せば一面緑。田舎独特の山に囲まれている。空の色は青。さっき寝たばかりなのにと言う疑問は空の彼方に放り投げてある。


「充、あっちにセミ!」


 声がしたほうに視線を移せば、自分と寸分違わぬ姿の双子の兄。性格には今の自分よりも数年前の姿だが、今の充の姿も目の前の律と同じに決まっているので今は十年近く前の夢の中なのだろう。さっき布団に入った記憶はあるのだから、現実では律が隣で眠っているはずだ。
 だから今は夢だと割り切った。実際は部活の合宿中のはずなのだから。いつもは二段ベッドの上で寝ているはずの片割れが隣に寝ているからこんな夢を見るのかもしれない。


「あれとった方が勝ちな!」

「おれがとる!」


 比較的近くの木に一匹蝉が止まっている。小学生には少し高い所にいるそれは手を伸ばしたら届かないだろうが、虫取り網を使ってなら取ることが出来るだろう。色違いのアミを一本ずつ手に持って二人は同時に駆けて行く。同じ歩調、同じスピードで走ってはいるが、今は充のほうが少し早い。
 木に向かって駆けながら、子供は無条件に元気だと思った。今は部活をしているとへとへとになるのに。動く量は変わらないはずだから、やっぱり子供は元気なんだ。


「律、充。お昼ご飯になるよ」

「「あー!セミ逃げた」」


 二人で同時に網を木にぶつけた。けれどその一刹那前に後ろから声をかけられた。網に入る前にセミは飛んで逃げて行ってしまった。残念そうに二人で同時に肩を落として振り返ると、まだ白髪の少ない父親が暑そうにタオルを肩にかけて立っていた。その父親に飛び込むように二人で駆け出し、別々の手に捕まる。


「「お父さんのせいだよ!」」

「残念だったなぁ。午後にまた獲りに来ような」

「「午後は川に行くの」」


 今でこそ考え方も変わったし声が被さることは減ったけれど、昔は半分以上をステレオで話していた。同じことを考えて同じことを同じ表情で言っていたのは幼い頃だけだ。いつからだろう、こんなに違う人間になったのは。
 父親の腕に捕まって家に向かって歩く。母方の祖父母の家は山梨にある。東京よりは涼しいけれどやはり暑くて、お揃いのタンクトップは汗で体に張り付いている。


「おれの方が大きいのとったんだよ!」

「おれの方がいっぱいとったんだよ!」

「そ、そうかぁ……」


 歩きながら父親は曖昧な表情を浮かべている。あのころは疑問に感じなかったが、今更思うのは昔は大変だったのだろう。なにせ見分けがついていないのだから。今だって、どっちが大きいのを獲ったのかいっぱい獲ったのか分かっていないはずだ。
 律と充の虫かごにはたくさんのセミが詰まっている。もちろん充の方がたくさん獲った。律の方が大きいのを獲った。本人は分かっていると確信している所が子供だ。
 少し歩けば、平屋の家が見えてくる。広い庭のある、典型的な田舎の家だ。毎年夏休みは一週間ほど遊びに来ている。その癖がなくなったのは一体いつからだっただろうか。玄関にまで回って、二人で意識しないのに声が揃った。


「「ただいまー!」」

「おかえりー。早くしないとご飯食べちゃうよ」

「「待って待って!」」


 玄関の前に虫かごと網を置いて履いていた靴を脱ぎ捨てて家に上がった。バタバタと走って茶の間に行くと、もう祖父母と母が食卓を囲って待っていた。テーブルの真ん中に涼しげな入れ物に入ったそうめんが置いてある。麦茶のコップの中で氷が爆ぜた。


「おかえり。律君、充君」

「「いただきまーす!」」


 二人で並んで、箸を持った。ずるずるとそうめんを啜りながら、午前中二人で何をしていたのかと言う質問に双子は極自然に言葉が被らないように、たまに声を合わせて虫取りの様子を語った。


「カブトムシはいなかったんだ」

「でもセミがいたの」

「「おれのほうがすごいのとったんだよ」」


 自慢話だけはステレオで。周りはさぞ困っていただろう。しかし祖父母は「よかったね」と笑っているだけだった。たったそれだけだったのに子供心は満足できるなんてお安いものだと思う。今だったら、お互いに同視してほしくなくて変に突っ張るのに。この頃よりも大人になったけれど今よりもまだ幼かった頃、髪を染めたのは充だ。


「律も充も宿題やる約束は?」

「「明日やるもん」」

「昨日もそう言ってやらなかったじゃない」


 食事をしながら愚痴モードに入ってしまった母にこれ以上小言を言われるのはごめんなので、二人は目を見合わせてそうめんを思い切り掻き込んだ。
 ずっと変わらなかった夏の風景。これがなくなってしまったのは一体いつからだっただろうか。たぶん中学に上がってすぐだった気がする。気がするだけで、本当はよく覚えていない。いつから、律と一緒じゃ嫌になったのかも。










 けたたましい目覚ましの音で起こされた。いつも使っている携帯のアラームとは違う、まさに目覚ましみたいな目覚まし時計の音。差し込んでくる光を遮断するように布団にもぐりこむけれど音が聞こえてきて、それを聴覚から除外する為だけに更に深く潜った。


「相馬兄弟、朝!」

「「……あと十分……」」

「ハモんな!」


 もそもそと布団にもぐると何か温かいものがあた。心地良いのでそこにそのまま留まる。外から聞こえてくるのはチームメイトの声だと分かるが、律の声ではないと起きる気にはならない。いつも目覚ましを掛けるのも止めるのも結局寝ている充を起こすのも、律だから。何となく決まってしまった兄弟の役割分担。


「起っきろー!」


 急に奪われた暖気と襲ってきた冷気。布団を剥がれて思わず身を竦めてしまった。眩しい朝日に目を射され、観念して薄く目を開けるとすぐ近くに自分と同じ顔があった。律も同時に目を覚ましたのか、目の細さも眩しさも同じだ。いつの間にかどちらかが片割れの布団にもぐりこむのも、昔と一緒。


「……お前ら、いい年こいて一緒に寝んの?」

「邪魔」

「おぅ」


 周りのチームメイトは驚いているのに双子は特に気にした様子もなく自然な仕草でお互いの布団に戻った。充が生え際が律と同じ色になった頭をかき回しながら欠伸を噛み殺し、何かを思案するように眉を寄せている。そのとなりで律も全く同じ表情で固まっている。
 お互いにチームメイトたちの視線を気にするでもなくゆっくりと視線を絡み合わせると、ぼんやりした声で充が呟いた。


「何の夢みてたんだっけ」

「夏休みに虫取りしてた夢」

「それだ。オレの方がたくさん獲った」

「オレの方が大きかった」


 お前ら夢まで同じなのかよ、とチームメイトがざわつく。昔からのことなので他人もそうだと思っていた双子は不思議そうに目を瞬かせ、同じタイミングに同じ仕草で髪を掻き揚げると着替える為にのそのそと布団の上を移動して大きな荷物の入ったバッグを引き寄せた。例によって兄弟は共同で同じバッグに荷物を詰めている。


「……双子って凄いな」

「髪の色同じだったら見分けつかねぇよ」


 チームメイトたちが言うように、二人の動きは全く同じだった。ボタンを外す動作のタイミングも所作の細部までまるで同じ人間のビデオなんじゃないかと思うほどに同じだ。充の髪が黒かったら見分けはつかなかった。それはもしかしたらいつものことになっていたかもしれないけれど、いつもは表情が僅かに違うから多少の見分けはつくが、寝ぼけているのか今は全く同じだ。
 色違いのシャツに腕を通しているけれど、それだけでは見分けはつかない。茶髪の充が赤いTシャツ、黒髪の律が緑のTシャツ。


「相馬兄弟、起きてる?」

「「起きてる」」

「飯いける?」

「「……いける」」


 いつもしっかりしているはずの律までがすっかり充とステレオで動いている。まだ寝起きでぼんやりしているのかいつもよりも並んだ肩が近い。色の違う髪を全く同じにセットして、双子は立ち上がった。僅かにいつもよりも近い距離で朝食会場である食堂に向かう。それを後ろから見ていると、なんだか可愛く見えた。


「「カブトムシで勝負な。あのときは親父が逃がしたけど」」

「二人は何の話してんの?」

「「夢の話」」


 双子だからって同じ夢を見るとかそれについて話すとか、結構ありえないことだと思う。チームメイトはみんなして思っているのに、本人たちには普通のことらしい。彼ら以外は双子じゃないから分からないが、双子とはそういうものなのだろうか。普段喧嘩が絶えないのに、気を抜くと本性を表すとでも言うか。


「それにしても充が律の布団で寝てるとは思わなかった。垣之内に伝えてやろうか」

「冗談じゃねぇ。やったらマジで殴んぞ」

「やだなぁ、冗談だって」


 朝だからか普段よりも二割増しの凶悪顔で振り返られた。充は優歌に対して本気のようで、さっきまでぼんやりしていた目がギラギラしているようにも見える。思わず口に出したチームメイトは顔を引きつらせて無理矢理笑って見せた。


「何が冗談なの?」

「か、垣之内……」

「おはよう、みんな」

「おはよ優歌チャン。よく眠れた?」


 律よりも早く覚醒したのか、充がいつもの調子に戻っていきなり現れた優歌に近づいた。彼女はもっと早くから起きていたのか、完全に目を覚ましてしっかり身支度も整えられている。優歌の肩に腕を回して、充がにこっと律そっくりの顔で微笑んだ。その表情に髪の色を抜きにして優歌の頬が赤くなる。


「今夜は添い寝してやろっか?」

「結構です!」

「充、垣之内が可哀相。はやく食堂行こうぜ」

「寝起きの充はスキンシップ激しいんだから」


 早くも泣きそうな顔になってしまった優歌に軽くさり気なくフォローをいれ、ダブルスコンビが充を優歌から引き剥がして食堂に先に連れて行った。律がまだ眠そうに歩いているのを通り越し、その後で後ろから優歌の声を聞いた。


「おはよう、律君」

「おはよう垣之内。よく眠れた?」


 呼び方が変わっただけで他は変わらないじゃないか。そっと後ろを窺えば優歌が硬直している。
 この双子はきっと普段無意識の意識で別の人格を演じているだけで奥底では全く同じ人間なのではないかと、朝の短い時間だけでそう感じることができた。夢の中にいるような時間だけ、全く同じ。そう思えたが、全ての真実は双子しか知りえない。





−END−

子供はみんな可愛い。