四限の授業がチャイムとほぼ同時に終わり、律は肩から力を抜いて持っていたシャーペンを放り出した。やっとお昼で、昼食が待ち遠しいクラスメイトは早くも机の上に昼食を出していたり買いに走ったりしている。緩慢な動作で机の上を綺麗にし、律は鞄から弁当箱を取り出した。そして、一瞬違和感を感じる。


「不思議な顔してどうしたの、相馬君」

「いや、何でもないよ」


 弁当箱を持ち上げた形で固まっていた律に声をかけた明石は、律の机の前の椅子を引っ張って向かい合わせそこに腰を下ろす。自分の弁当を開きながら、未だ納得が言っていないような顔の律に首を傾げ再度問うてみた。


「何か不可解そうな顔だね」

「そうかな。何か弁当箱が軽い気がして……」


 何度か弁当の包みを持ち上げて重さを確かめながら律は首を捻った。中身が入っている感触がしないのだ。まさか早弁した充がこっそり入れ替えた訳じゃあるまいしそんな事はある訳がないが、軽すぎる。
 疑問に思いながら、既に食べ始めている明石を前に疑問を特には弁当箱を開ければすぐ解決だと蓋を開けた。開けて、驚く。


「相馬君?」

「ちょっと……、充もどうせ同じだろうから強奪してくる」

「……行ってらっしゃい」


 律の口から不穏な言葉が流れ出る時、校内で有名な相馬兄弟が本当に双子なのだと思い知る。普段の性格は正反対と言ってもいいくらいなのに、こういうときばかりはそっくりな顔をして笑う。普段の律には決して似合わない悪党の笑みを貼り付けて、律は席を立った。
 理由は分からなくても問うことすら許されないような笑みに、明石はただ手を振ってその背を見送った。










 四限の授業が終わると、その少し前から起きていた充は弁当箱を引っ掴んで教室を飛び出した。たった今学校に来たらしい澄那と擦れ違って「充ぅ?」と声をかけられたけれど、止まらなかった。
 職員室に戻る教師と擦れ違いざまに「廊下を走るな!」と怒鳴られたけれど充は無視して三組の前のドアを遠慮なく開けた。澄那が学校に来てれば澄那とお昼を一緒に食べるけれどいなければ教室でクラスメイトと食べるし、たまには一人で食べる時もある。けれど今日は、珍しく他クラスまで出張した。


「松木!飯食おーぜ」

「あれ珍し。充じゃん」


 そこら中に友達がいる充にとっては他クラスに出向かなくても食べる相手はいる。なのに珍しく自分から、しかも部活仲間の自分のところに来たことに多少驚きながら松木は自分のダブルスパートナーを見た。テニス部でダブルスを組んでいるのが理由ではないが、お昼は大抵一緒に食べている。


「いいじゃんいいじゃん」

「どうせ充は垣之内に会いに来たんだろ」

「正解!さすが楠田」


 他クラスなのに遊びに来ている松木のパートナーの楠田に充は笑って、「腹減ったー!」と近くの椅子を手繰り寄せて座り弁当箱を開けようとした。袋から出して、ふとその重さに違和感を覚える。けれどそんな些細な事実はどうでもいい。今日は珍しく早弁していないのだ。財布に余裕がないから。
 けれど、この弁当箱を開けて流石の充も固まった。


「充?アホ面してどしたの?」

「いつもよりもアホっぽいぞ。垣之内に見られる前にしまっとけ」

「楠田、それは充怒るよ。顔の作りは律と一緒なんだから」

「でも充ってだけでアホっぽく見えるのは何でだろうな」

「そりゃアホだからじゃん?……って充、どうしたよマジで」


 いくら馬鹿にした会話を繰り広げていても帰ってこない充の反応に松木が冗談交じりに声を掛けるが、充には聞こえていないようでギリッと奥歯を噛んで弁当箱の蓋を机に叩き付けた。大きな音にビックリするが、それ以上に充の大声に教室中が音の発信源を見た。


「あンのクソババア!何が『ごめんね〜』だ!」

「充!充恥ずかしいんだけど!」

「試合中じゃないんだから吠えるのやめよーぜ」

「大体おかしいだろこれ!?」


 バンバンと机を叩いて憤る充と他人の振りをしたかったが残念ながらここは松木の教室でクラスメイトはテニス部レギュラーを知っていたし、もう既に目立ちすぎた。第三者になることを諦めて、せめて冷静な助言者でありたいので充の弁当箱に視線を向けて、二人して固まった。
 お弁当箱の中身は空だった。けれど底にはセロハンテープで五百円玉が張り付いていて、その上にピンクの可愛いメモ用紙に『朝起きたくなかったので、自分で好きなお弁当を作ってね。ごめんね〜』とハートマークたっぷりに書いてある。確かにごめんねじゃない。


「相変わらず可愛いお母さんだよね」

「嬉しくねぇよ。どうすんだよオレの昼飯!」

「確かに、この時間じゃもう学食は完売だろうな」


 指でセロハンテープを剥がして五百円硬貨をポケットに仕舞い、充は椅子にどかっと腰を下ろすと頭を抱えた。今からなら校内で食を得ることは不可能に近い。けれど外に行こうにも教師が見張っているので上手くいくとは思えない。万事休すとはこのことか。


「しょうがないなぁ、充。おかずわけてあげるから元気だしな」

「俺は分けないけどな」

「松木……。お前、ホントいい奴だよな」

「もっと褒めて褒めて」


 笑いながら、松木は自分の弁当のご飯の上から小さな梅干を箸で摘み上げて充の弁当箱の中に入れた。確かにおかずだ。おかずだけど、梅干か。一瞬ぽかんとしたけれどすぐに充は怒鳴り声をあげた。


「梅干じゃ腹いっぱいになるどころか余計腹減るっつーの!」

「パブロフの犬か、お前」

「楠田!お前はオレになんかくれねぇの?」

「パン屑でいいか?」

「いい訳あるか!」


 弁当持ちの松木と違い、楠田は購買のパンだった。なのにパン屑と来たもんだ。バンと机を叩いて、充は「腹減ったぁ」と大きく嘆いた。流石にそんな充の前で食べるのも心苦しいので、ダブルスペアは顔を見合わせて眼だけで会話すると、くるりと充に背を向けた。


「……だからってハブんなよ」

「いやぁ、つい」

「つい、じゃねぇ」


 空腹とイラつきで充は不機嫌になった。さっき澄那が学校に来たみたいだから、教室に戻って飯奢ってもらおうかなと驚くほどの見返りを要求されることを背に腹は変えられないので考えてしまう。けれどこの時間ならもう食べてきたかもしれない。


「いた、充」

「んあ?」


 廊下の窓から同じ声をかけられて、充はそちらを見た。髪の色だけが違う自分と同じ顔が多少げっそりしていた。同じ母が作った弁当に兄弟で格差があるわけがない。どうせ律も弁当がないのだろうと踏んで、居場所を知らせるために手を上げると律は入って来て机にバンと手をついた。


「弁当が……」

「やっぱり?」

「帰って親父に文句言うぞ」

「帰る前に今オレ飢えそう」


 相馬兄弟が揃ったことで、教室中の特に女子がざわついた。それを無視して双子が腹減ったと言う。けれど対策なんて浮かぶはずもなく、結局部活前に充がコンビニまで走ろうかと話が付いてきた時、一人の女子が立ち上がって近づいてきた。


「あ、あの……」

「「あ、何?」」


 律の方はたった今気付いた風に、充は少し鬱陶しそうに同じ言葉を発した。声を掛けてきたのは真面目そうにしっかりと制服を着た女生徒だった。自分のお弁当箱を持って、申し訳なさそうに佇んでいる。彼女の言葉を待っていると、しばらくしてその弁当箱を差し出してきた。


「まだ箸つけてないから、私のお弁当でよければ……」

「マジで!?ありが……もがっ」

「気持ちはありがたいけどもらえないよ。君がお腹空いちゃうじゃないか」


 ありがたく貰おうとした充の口を塞いだのは松木だった。咄嗟に充が後ろを睨みつけると、その間に律が断ってしまった。彼女は律の言葉に頭を下げると、パタパタと踵を返してしまう。その姿を見送って、充は切なくなった。
 けれど、今度は何人か女子が連れ立ってやって来た。どの子も小さい弁当箱を持っている。


「空腹な充くん、おかず1個恵んであげよっか」

「マジで!?サンキュー!」

「いいってことよ。私と充くんの仲じゃなーい」

「友達多いって最高だよな!」


 充は笑って空の弁当箱を彼女たちに差し出した。一人一つずつ小さなおかずを入れてくれる。いい匂いが空腹に染み込み、充はもう一度礼を言った。友達が多い充に、それを見ていた男子が何故かは次々に「しょうがないな、弟はぁ〜」とおかずを一つずつ持ってきてくれた。たちまち弁当箱がボリュームのある茶色いおかずで溢れかえる。
 どうだとばかりに律を見ると、律は律で充の弁当箱の蓋を持っていた。その上にはこんもりと可愛いおかずが乗っかっている。よく見ると律の方には女子の列ができている。


「だれか飯恵め米!」

「残念だったな、お前はおかずだけか」

「じゃあお前米あんのかよ!?」

「ふん」


 律が勝ち誇った顔で笑った。それに口の端を引きつらせながら律の戦利品を見ると、確かにおにぎりが二つある。どこの裏切り女の子の仕業だと思わず教室内を見回してしまった。
 そんな充に松木が後ろで「十分凄いじゃん、充」と言うが充は聞いていない。律には主食があるがその代わりにおかずのボリュームは少ない。対して充は主食こそないものの大量のおかずが栄養バランスも良く野菜込みで貰っている。


「まあまあみっつん。私のおにぎり一個あげるー」

「おー上原っち!女神だお前は!」

「代わりに今度崎沼紹介してね」


 派手な格好をした女子は、そういうとさっさと仲間の所に戻ってしまった。彼女は前々から澄那を狙っていたのだが、相手側の諸事情により未だに接触を持てていない。
 これで主食も得たし、充は座って一つおかずを摘んだ。ただこんなにこんもり積まれていてもみんなが譲ってくれたけれど、まだ欠けているものがある。ほぼクラスの女子全員が何かしらくれた。クラス外の女子も駆けつけてくれた子がいた。けれど、同じ教室にいる優歌はまだ近づいても来ない。腹が減っているとかそういう卑しいことではなく、優歌のおかずが欲しいと素直に思った。


「何か充、遠足みたいだね」

「普通の弁当よりも豪華だしな」

「でも垣之内からは貰ってないと」

「どっちみち垣之内は充じゃなくて律だろ」


 仲間たちの心ない言葉を聞きながら、充は何度かちらちらと優歌を見た。座ってはいるけれど周りから何か言われている。一つ一つおかずをゆっくり食べていると、五分くらい経った頃に優歌が立ち上がった。一瞬どきりと心臓が跳ねる。弁当箱を持ってこっちに向かっている辺り、絶対にこっちに来る。


「垣之内こっち来てんね」

「…………」

「無視か」


 松木の言葉なんか軽く無視した今まで動いていた手が完全に止まっているが不自然ではないだろうか。けれど優歌が気になって手は動きそうになかった。
 彼女はゆっくりと近づくと、四人の少し前で足を止めた。充に緊張が走り、ダブルスペアが興味津々に彼女を見る。そんな中で、優歌は口を開いた。


「ぶ、部活の後に何かお腹に溜まりそうなもの買っておくね」

「ありがとう。でも今こんなに貰ったから大丈夫かな」


 せっかくの優歌の優しさも、律は笑顔で断った。確かにそうなのだが、充にはその言葉が信じられなかった。充はもともと追い詰められれば出来る子だ。この点も追い詰められなくてもこなせる律とは違う。
 充はいつもの笑みを顔に佩くと、自然に優歌に声をかけた。


「じゃあさ、垣之内。帰りにオレとなんか食ってこうぜ」

「……でも、お腹減ってないでしょ?」

「オレは減るぜ?でも我儘言うなら今なんかほしい」


 背後で「充がんばれ!」「やっぱりやれば出来る子だな」など余計な雑音が聞こえてくるが、充は全て無視した。無視して、優歌の返事を待っている。すると優歌は少し間をおいた後持っていた弁当箱に手を伸ばした。初めからそのつもりだったのに、律の言い方じゃあ軽い拒絶だ。こういう点に関しては律より充の方が優れているらしい。


「デザート、ないよね」

「うわ、サンキュっ」

「律くんもどうぞ」

「ありがとう」


 二人に一つずつ、優歌はイチゴを渡した。それを口に放り込んで充は笑ったけれど、律も貰っていたイチゴに少しだけ嫉妬した。だから、食べようとしていた律のイチゴも無理矢理食ってやった。
 弁当箱が空になる頃、昼休みが終わるチャイムが鳴った。放課後になったら礼も兼ねて優歌に甘いものでも買ってきてやろうかと、充は授業中にメールで優歌に好きな菓子を訊くことにした。





−END−

忘れた人は逆に豪華になる不思議。