昔は、二人一緒であることが当たり前だった。生まれたときから一緒にいて、俺はあいつであいつは俺で。だから小さいころは自分のものといえば律のものであり充のものでもあった。人よりも二倍楽しめるからそれでいいと双子は思っていたし、親は金が通常の兄弟の半分ですむから喜んでいたのだろう。
 だから双子の服は赤ん坊のころこそ色違いのお揃いを着ている写真があるが、成長するに従って違う服を着ている。着まわしているんだから、当たり前だ。それが嫌になったのは小学校の高学年くらいだっただろうか。覚えている限りはそのあたりだ。中学三年間同じテニス部に所属して、正しい名前を呼ばれたことは半分だった。誰も見分けられないのはしょうがないと思っていたから、うちに燻る思いを抱き続けてもそれは深くに押し込めていた。
 けれど我慢ができなくなったのは、高校に入ってから。嫌なら別の学校に行けばいいのにもかかわらず同じ公立に入学したのは、やはりどこかで自分は二人は一人だと思っていたから。初めて一目惚れした女の子に、見分けて欲しかったから。


「たでーま」


 高校一年の春。もう桜は散ってしまい薄紅色の花の代わりに瑞々しい若葉が桜の枝を彩っていた。その若緑が夕日に照らされて濃くなった時間、充は一人で帰宅した。入学してからも行き帰りは一緒だった。示しをあわせたわけじゃあないけれど部活も同じだから、当然のように一緒に帰る。
 けれどその日、充は初めて一人で帰宅した。律はもう帰ってきているのか充のと色違いのスニーカーが脱ぎ捨てられている。


「おかえりなさーい。遅かったのね……充!?」


 玄関で靴を脱ぎ捨ててリビングに顔を出すと、まずソファに寝転がって本を読んでいる片割れが目に入った。見慣れたその姿はまるで昨日の自分のよう。夕食の前に減った腹を少しでも満たそうとリビングに入っていくと、テレビを見ていた母親が悲鳴を上げた。まさか悲鳴を上げられると思わなかったので思わずたじろいだが、面倒そうに顔を上げた律と目が合って何だか動揺が消えた。彼の瞳に映った自分の髪の色が、もう同じじゃあなかったから。


「充よね?こっちが充よね!?」

「何の確認してんの?」


 なぜか母は髪を染めて帰って来た息子が自身の産んだ双子の弟の方だということをしきりに確認した。今から思えばそんな馬鹿なことをするのは優秀な律ではなく馬鹿な充であって欲しいと思ったからだろうけれど、それもそれで酷い。
 学校から帰り道、充はもともと髪を切る予定で美容院に行き懇意にしている美容師さんに髪を染めてもらった。今まで真っ黒だったところから色を抜いて茶色を入れたものだから時間がかかってしまった。けれどいい色になったと思う。これでもう律と間違えられることはないだろう。


「律、充が!」

「見りゃ分かるって。一層馬鹿っぽくなってんじゃん」

「馬鹿は余計だっつーの」

「頭茶色いと馬鹿に見えるぞ、馬鹿充」

「うっせぇ」


 ソファに寝転がったまままんざらでもない声で律は言う。興味なさそうな顔をしていても片割れの心の中なんて自分のことのように理解できる。律も変化した双子の容姿に躊躇いを感じながらもそれを心のどこかで喜んでいた。
 プリプリ母が怒っているのを適当に聞き流していると、今日は帰りが早かったらしい父親が風呂から出てきた。さっぱりした顔をしてリビングにやってきたのに、中でまだ制服姿で佇んでいる充の姿を見て目を瞬かせてジャージ姿の律と見比べていた。


「今日先に帰って来たのが律で、制服が充だよな?」

「「うん、そう」」

「あなた!なんとか言ってやって!」


 やっぱりどちらがどちらかを確認した父親に二人揃ってため息が出た。もともと父も双子がどちらか見分けていないから、どっちがどっちでもかまわなそうなものだけれどそうでもないのだろうか。母はぽかんとしている一家の大黒柱に駆け寄って充が不良に、だの髪を染めて、だのを喚いて、最後に叱ってくれと言った。じっと充を見た父の顔は、億劫そうだった。
 そもそも入学したばかりの高校には校則というものがあまりなく、頭髪も自由だしピアスも構わない。だから校則違反ではないのだと先に父に言うが彼の表情は変わらずに疲れていた。


「充、座りなさい」


 説教かよ、と充は思わず顔を歪めた。それと一緒に腹がぐーっと鳴る。なんだかこの状況に対して充のテンションと腹が共鳴しているようだった。父のほわんとした声に寝転がっていた律が身体を起こして場所を空けたのでその場所に収まる。父は向いのソファに腰を下ろすと一度大きく息を吐き出して、じっと律と充を見比べた。


「黒い頭が律で、茶色いのが充か」

「ん。分かりやすいっしょ」


 どうせ怒られるならおどけた態度で。それが充の心情だった。律と一緒になって怒られるならば同じ態度で怒られるけれど、今回は悪いことをしたという意識もなければ自分の中で正当性すらあるから、充はにやっと笑った。母親が父の隣できつい声音で名前を呼んだけれど、無視。数秒黙っていた父は、じっと充を見て問うた。


「頭の色を変えて二人で入れ替わる悪戯はしないな?」

「「しねぇよ」」


 一体何が気になったのか真剣な顔をしていた父に、充だけではなくて律も声をそろえて突っ込んだ。昔は服を取り替えて入れ替わって親を驚かしたけれど、もうそんなおふざけで髪の色を変える気はない。これだって結構な額がかかっているのだから。すると父は納得したように何度か頷き、それから母に充の食事の準備をするように言った。不満そうな母に父はただ笑う。しぶしぶ立ち上がった妻についでにビールを注文した。


「分かりやすくていいんじゃないか」

「さすが親父。物分りいいじゃん」

「ただし、悪戯に使ってくれるなよ」

「へーい」


 父にとっては、茶色い頭は見分ける印のようだ。確かに本来その目的で染めたのだから第一だけれど、はっきりそれを言われたら少し寂しい感じがした。
 キッチンから温められた夕食の匂いがしてきて、充は鼻を鳴らした。同時に腹が切ない鳴き声をあげるのでふらふらと立ち上がってダイニングに場所を移す。キッチンの中から母が苦い顔をしているのが見えたけれど無視。どうせ二、三日すれば機嫌も戻るだろう。食事が目の前に置かれる前に、丁度玄関のチャイムが鳴った。


「誰か出てー」

「俺行く」

「どっち?」

「「頭が黒い方」」


 ソファにいた律が先に反応したけれど、背を向けている母には分からない。せっかく見分ける方法があるのだからと二人は示しをあわせた訳ではないけれど面白がって髪の色で言ってみた。ついこの前まで「俺」「だからどっち!?」「俺だってば」「もうどっちでもいいわよ!」なんて母をからかっていたけれど、これはこれで楽しい。
 律が玄関に行っている間に食事が出てきて、充は手を合わせるのもそこそこに箸を手に取った。


「千影、丁度良かった。面白いもんあるよ」

「面白いもの」

「人を面白いもの呼ばわりしてんじゃねぇよ!」


 玄関先から聞こえてきた会話は、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のような会話だった。けれどそのおもちゃが自分である以上充も黙っているわけにもいかなくて、口の中の米のかたまりを飲み込んで声を張った。けれどそのために千影が面白いものとやらが充であると気づいてしまい、律と一緒になって上がりこんでくる。そして、食事中の充を見て笑ってくれた。


「うわ、どうしたの。反抗期?」

「うっせぇ」

「千影、上行こうよ」

「うん、上で待ってよっか」


 充の食事が終わるのを待っているという千影に、一体何の理由で待っている気なのか全く分からなかったけれど腹の方が切実だったから無視して食事に集中した。父からのお咎めはなかったものの母には散々文句を言われ、最後には将来はげても知らないとまで言われたけれど、親父の頭が薄いのでその辺はもう諦めている。それに、はげるとしてもきっと二人揃ってだ。










 食事を終えて部屋に戻ると、入れ違いに律が風呂に入った。千影が帰ってからと言っていたけれど母に下から怒鳴られたのでしぶしぶ入りに行った。だから充はさっきまで律が座っていた場所にジャージに着替えてから腰を下ろした。途端に千影が珍しそうに充の頭に手を伸ばして、切ったばかりの茶髪をわしゃわしゃとかき回す。


「やぁ、本当に茶色いのね」

「やめろよ!」

「なんで?」


 千影の言ったなんでは、手を止める理由ではなく髪を染めた理由。小さい頃から千影だけは双子を見分けていたから不思議だったのだろう。一つ上の姉貴ぶる幼馴染の手を振り払って、充は胡坐をかいたまま自分の足首を掴んだ手を見るために視線を下ろした。必要なんてないけれど片割れがいないことをきょろきょろと部屋を見回して、少し声を落とした。


「クラスにさ、可愛い子いんだよ」

「可愛い子?」

「ん。で、これなら律と間違えねぇかなって」

「……みっちゃん、何。萌えキャラ?」

「はぁ!?」


 結構真面目な話をしてやったのに、その反応はおかしすぎるだろう。思わず充が突っ込むけれど、地影は可愛い可愛いと言って充の頭をかき回した。その仕草が嫌で、充は千影の手を乱暴に振り払うと少し幼馴染から距離をとった。じりじりと近づいてくる千影から逃げるようにじりじりと壁際を移動する。しばらくそんな風に遊んでいたけれど、千影が不意に顔を緩めた。


「なんか、どんどん二人は変わっていくね」

「は?」

「昔は千影ちゃんって言って私の下僕だったのに」

「昔から下僕だった覚えはねぇよ。お前は幼馴染」

「そうだね。私、帰る」

「送ってかねぇぞ」

「いいよ向かいなんだから」


 皮肉交じりに言った言葉に対して千影はにこっと笑った。暗いから玄関くらいまでなら見送ってやろうと思ったのに、なんだか出鼻を挫かれた気分だった。リビングに顔を出して律儀にお邪魔しました、なんて言っている千影の後を着いて回って、玄関まで送って行った。そこからなら千影の家の玄関も見える。だって、道を隔てて向かいなのだから。


「そだ、千影」

「何?」

「明日、一緒に学校行こうな」

「分かった。じゃあ寝坊すんなよ!おやすみ」


 せっかく同じ学校なんだから、と続かなかった言葉を千影は察して、元気に手を振った。おやすみと言って玄関を潜って姿を消したのを確認し、蜜も玄関を閉める。丁度湯上りの律がいて、千影を見送ったと言ったら出てくるまで待っていろと文句を言われた。





×××





 それ以来充の髪は茶色のままだ。初めの三回は美容院に行って馴染みの美容師さんにやってもらっていたが、金もかかるので途中から自分でやるようになった。今は、友達にやってもらっている。自分よりも染めている期間が長いから慣れているので安心だし、何よりもただでやってくれた。
 今回も澄那にお願いしたら、学校の水道でやってくれた。これを教師に見つかったら文句を言われるだろうなと思いながら、廊下で染色セットを広げる。放課後だけれど、ちらほら通る見知った生徒が一言ずつ声をかけていった。


「はい、このままちょっと待っててね」

「おう」

「それにしても、そんな過去が充にあったなんて」


 暇つぶしに初めて髪を染めたときのことを話してやったら、半分笑いながら澄那が言った。そんなにガキくさい理由じゃあないし、笑われる筋合いはない。けれど反論する言葉がなくて不機嫌な顔のまま黙っていると、澄那は全くマイペースにお父さんいい反応だね、と喉で笑った。


「今は?」

「今?」

「だって、兄に間違えられたくないんでしょ?」


 正直、澄那の質問は予想外だった。確かに初めは律と同一視して欲しくなかったから染めたのに、気が付けばそんな劣等感とも自我ともつかない感情は消えている。それが見分けてもらっているからか自立した自我のおかげかは分からない。自分でも意識していなかったことに対して澄那は何か気づいていたのだろうか。そうだったら、この友人はすごいと思う。
 おそらく充が難しい顔をしていたからだろう、澄那が笑ってポンと充の肩に手を置いた。難しいこと言ってごめんね、なんて人を馬鹿にした発言をしてくれるのでせっかく感心したのに振り出しに戻る、だ。


「もうみんな充と兄を見分けられるよ。一言話せばすぐ分かる」

「別に聞いてねぇよ」

「ほら、充はそういうとこ素直で可愛い」


 うるせぇ。充はぶっきらぼうに呟いて、その先を濁すように友人に続きの処理を頼んだ。それから黙り込んでしまった充が少しだけ照れて赤くなったことに気づいたのは澄那だけだったけれど、これ以上からかうと怒られそうなので何も言わなかった。





−END−

充の茶髪デビュー