部活がない日は、大抵みんなで集まって寄り道して帰るのが常だ。運動部ならば部活が休みの日の方が少ないので、ここぞとばかりに制服でゲームセンターはもちろんファミレスでドリンクバーで時間を潰したり本屋で立ち読みしたりとやることには困らない。
 けれど充はその日は帰宅せず、テニスラケットを担いでコートに向かった。部室で着替えを済ませて、当然のようにコートではなくその裏の壁打ち用の壁の前に立つ。普段の練習でここを使う人間はいないけれど、充は割と好きで空き時間に使っている。今日もそのつもりでまずボールを二つ持ってきた。


「おーし、誰もいねぇな」


 周りを確認して、充は綺麗なフォームでボールを真上に放った。そのままガットの真ん中で当てて、壁に向かって打つ。一人で黙々と、壁打ちを始めた。
 壁打ちは律と打つのに似ている。自分と対称だからこそ考えることも同じで、まるで自分を相手にしているようなのは壁と同じだ。ただ向こう側にあるのは、人ではなく壁なだけで。パーン、と響くボールの音。弾き返すガットの音もシューズの軋む音も、何もかも充の好きなものだ。
 しばらく打っていると、充はふと手を止めた。返ってきたボールをラケットで受け止めて、そのままいなしてラケットの上に止める。キョロキョロと辺りを見回したけれど、何もいなかった。


「なんか人の気配……」

「なんだ、充か」

「松木。何してんだよこんなとこで?」


 人の気配がする、と振り返った充が聞いたのは、部活仲間の声だった。制服姿でやって来た松木は充の姿に物珍しそうな顔をしたけれど「別に」とだけ言って笑った。松木ならとうに帰ったと思っていたのに、と汗を拭いながら言うと彼は教室で喋ってたとあっけらかんと言った。帰りにコートから音がしたから寄ってみたと言う。


「休みの日にまでやってんの?」

「あー……練習試合、近いじゃん」


 壁打ちからコートに戻りながら充は言いづらそうにそう呟いた。来週の日曜日、久しぶりに他校と練習試合を行う。公式試合がない今行う練習試合は自然と気合が入るものだけれど、それと休みは別問題だとばかりにみんな休みにはしっかり休む。充だって今まではそうだったけれど、今回はそういうわけには行かなくなった。
 となりで不思議そうな顔をしている松木ではなくラケットの上でポーンと遊ばせたボールを目で追って、必死で平静を装う。それを、松木は鋭く見破った。


「垣之内にいいところ見せたいんだ?」

「……悪ぃかよ」

「いやいや、充かっこいー」

「茶化すな!」


 想い人にいいところを見せたいと思うのは当然のことだと充は思うが、それを人に指摘されると非常に恥かしい。思わず赤くなった顔を隠すように腕で顔を覆って喚くと松木は少し離れて笑いやがった。それも悔しいが、これ以上何かを言われるのも嫌なので何も言わずにコートに立って手持ちのボールでサーブを決めた。


「付き合おうか?」

「いや、いい。一人でやる」

「ふーん?じゃあいいや、がんばってな」

「おう」


 松木はあまりもあっさり踵を返した。もう少し言い寄ってくるかと思ったけれど、さっぱりしすぎて驚きだ。制服姿でコートから出て行く背中の向かう先には楠田がいる。あいつら今日も一緒にいるのか、と少し呆れた。ってことは楠田にもばれているのか。だれも気づかれないと思ったから少し悔しい。
 まぁいいか、と頭を掻いて、充は用具小屋にボールのカゴを取りに行った。スーパーのカートに乗せてボールを持ってくると、全てを使うまでサーブ練習を続けた。










 日が暮れることまでにサーブ練習からスマッシュ練習だとかまでをこなした。一人だからラリーはできないけれど、コースを狙う練習には広いコートは適している。ボールを拾って打ってを自分で何度も繰り返し、汗だくになってそろそろ帰ろうかなとコートにひっくり返って考えているときだった。


「充くん!」

「ん……へ?垣之内!?」


 汗だくでひっくり返っていたのに、外から聞こえてきた声に驚いて正に飛び上がった。あたりを見回せばコートにマネージャーの垣之内優歌が入ってきたところだった。もうとっくに帰っている時間だろうに何でこんなところにいるのだろう。制服姿だから、もしかして残っていたのだろうか。


「よかった、まだやってた……」

「は?垣之内?」

「松木くん、たちに会って、充くんが、自主練、してるって、教えてくれて」


 一体どこから走ってきたのか息を切らして頬を赤くして、優歌はビニール袋を突き出した。中にはおにぎりやスナック菓子が透けて見える。自分が汗臭いことを自覚しているので充は少し優歌と距離をとったけれど、そのことに優歌は気づかなかった。そろそろ帰る気でいたし、充は立ち上がって自分が打ち撒けたボールを拾って片付けた。
 片付け終わって、コートの隅で居場所がなさそうにしている優歌を見つける。汗臭いのを意識して少し距離をとって、優歌に声をかけた。


「俺もう帰るけど、垣之内どうする?」

「え?」

「それ、一緒に食おうぜ」


 せっかく買って来てくれたんだから、と充は言って先に歩き出した。本当は優歌の手を握りたかったけれど、そんなことができるほど心臓が強くできてない。本当は一緒に食べることを誘うので精一杯だというのに。このまま優歌が帰ってしまったらどうしようと緊張しながら待っていると、優歌が背中を追いかけてくる音がした。


「待った垣之内!悪いけどあんま近づかないで」

「え?あの……」

「俺今汗臭いから!だからあんま近づいちゃダメっていうか!」

「あ、そっか……」


 充が必死になって弁解すると、優歌は少し笑って充と距離をとって歩く。本当はもうちょっと近づいて歩きたいけれど汗臭い自分なんて彼女にあんまり近づいてほしくないのでこれで我慢。
 部室にはシャワーがないので体育館のシャワーを浴びに行き、その間優歌を一人にしておくのも忍びないので慌てて帰ってきた。充がグシャグシャのシャツを持って適当に制服を着て戻ってくると、優歌は鞄から取り出した本を読んでいた。戻ってきた充に気づいて閉じたけれど、一体何の本を読んでいたのだろう。


「悪い、待たせた!」

「ううん、私が勝手に来ちゃったんだし。これ差し入れ」

「サンキュ。おにぎりとー、ポテチ」

「充くん好きかなって思って」

「超好き。いっただきー」


 優歌が座ったベンチの隣に腰を下ろして、充はおにぎりの封を切った。大口でおにぎりを口に詰め込みながらポテチの封を開け、充は口を優歌の方に向ける、彼女が手を伸ばすのを見てなんだか満足しておにぎりを頬張った。もぐもぐとしばらく沈黙していたが、おにぎりを一つ飲み込んで手をポテチに伸ばした。


「垣之内、どこにいたん?」

「友達とファミレスにいたら松木君たちが来てね、充くんが自主練してるって教えてくれたの」

「で、来てくれた?」

「……うん。マネージャーだから」


 ただ来てくれたことが嬉しくて、その後ろの台詞なんてなかったことにした。マネージャーだって、少しくらい脈がなければ差し入れを買ってきてくれるなんてない。けれどそれを確かめるほどの勇気はまだない。今回は来てくれただけで十分だ。充がもくもくとおにぎりを食べていると、優歌が充が投げっぱなしにしたシャツを優歌が畳んでいる。それに気づいてぎょっと目を見開いた。


「待った垣之内!それ汗臭いって!」

「いつもやってるから大丈夫だよ。汗臭いのだって頑張った証拠でしょ」


 にこっと笑って優歌は気にせずにシャツを畳んでそれをそっとテーブルの上においた。その間に充はおにぎり三つを食べ終わってしまっていて、なんだか嬉しいような気恥ずかしいような気持ちがして彼女を直視できなかった。顔を逸らして、ゴミの片づけをしている優歌をちらちらっと目の端で見る。


「あのさ」

「うん?」

「もう遅いから、送ってく。あとコンビニ寄ってなんか奢る。これのお礼」

「……うん」


 外を見れば真っ暗で、ぶっきらぼうにそう言って充は勝手に赤くなった。本当は断られると思ったけれど思いもよらずさらっと了承されてしまって正直拍子抜けだ。今だって緊張しているのに、二人で帰るとかものすごく緊張する。千影と一緒の方がだいぶ気楽でいいと思ったけれど、千影なんかより優歌と一緒の方が何倍もいい。なんて幼馴染には怒られるだろうけれどそう思った。










 今日、生徒会の集まりがあったのでそちらに参加した律が家に帰ったのは夕方だった。丁度夕食前で、もう帰ってきていると思った片割れはまだ帰って来ていないようだった。まだ友達とでも遊びまわっているのだろうか。崎沼ではないといいんだが。そう勘ぐりながら、律は夕食に降りていった。食事を済ませてもまだ充は帰ってこなくて、八時を過ぎて母親の堪忍袋の緒が切れた。


「律!充はどこにいるの!?」

「知らない」

「探してきなさい!」


 とんだとばっちりを食った。これは帰ってくる前に何か代償をいただかなくては割に合わないとぶつくさ言いながら律はジャージ姿で家を出た。充がどこにいるかなんて知らない。でも、どこにいるのか予想はつく。なんとなくではあるが、呼んでいるように双子は引き合うのだから。
 ポケットに手を突っ込んで、近くの公園に向かう。小さいころはよく二人で遊んでいた公園。あの頃から友達も多かったけれど結局二人でいたんだよな、と思い出しながら公園に入った。そして、当然のように双子の弟を見つけた。


「「何してんだよ」」


 律が気づいたのと同時に充も気づいたのか、二人の声が重なった。ラケットを握って座り込んだ充が見上げるのと律が近づいて見下ろすのは同時だった。しばし二人は沈黙して黙って充は立ち上がった。ラケットを鞄にしまって、何も言わずに律と並ぶ。どうせ練習試合に向けて自主蓮をしていたんだろうと何となく律には予想がついているが、口に出す気にはならなかった。


「夕飯なに?」

「お袋カンカンだけど」

「うわ、マジか」

「お前汗臭い」


 ぽつりぽつりと話しながら、二人は久しぶりに公園から帰路を歩いた。充の秘密の練習は二人の内緒じゃあないけれど、なんとなく二人で分かち合うものだと思う。だから充も何も言わないし律も言葉にしない。ただいつまでも二人は二人のままで変わらないだろう。二人で揃って、そう思った。





−END−

充と優歌ちゃんはわりとお似合いだと思ってる