授業がそろそろ終わる時間だと時計に視線を移して思いながら、特に何もせずにただぼんやりとしていた。全員授業に出払っていて今は誰もない。ただカツ丼の空の器を捨てに行かなければならないのだけれどそれも面倒で、動くことがかったるくてポケットに手を突っ込んだまま動かないでいたらチャイムが鳴った。


「……アズミ、怒ってっかな」


 一緒に座ろうと約束した大教室の一番後ろ。いや、別に約束ではなくアズミが勝手に言っていただけだ。けれど正直アズミと一緒にいたくないのも事実で、けれど授業には出るべきだったと思う。あの授業出席取るし。たぶんアズミが出席表出して置いてくれるだろうと他力本願な事を思いながら、回転が悪くなってきた頭の為にニコチンを補給する。
 重い手でケースに手を伸ばして一本引き出して銜えた所で、誰かが戻ってきたようでドアが開いた。火を点けてから視線をやると、二年の奈央だった。教科書をいれた大きなバッグを肩に掛けてきょとんとした目で見てくる。


「何?」

「あ、いいえ。高橋先輩だけって珍しいなって思って」


 慌てて首を振った奈央は「となり良いですか?」と聞くと答えを聞く前に座った。煙草の匂い移るかもよとか言おうかとも思ったけれど本人がいいようだから言わないでおいた。灰を灰皿に落として、テーブルの上を片付け始めた奈央をぼんやりみる。このテーブルはみんなが使うから落書きされたメモとかノートとかが散乱している。大半の犯人は立川と俺だな、と煙草を吸いながら手伝う素振りも見せずに思う。


「先輩、授業でなかったんですか?」

「あー、サボり。面倒になった」

「いいなぁ、先輩は」

「何が?」

「サボれて。私馬鹿だから授業でないと全然わかんないですよ」

「残念。馬鹿はもうわかんねぇから授業に出ねぇの」


 奈央は「そんなの嘘ですよぉ、先輩に限って」と笑った。確かに嘘だけど、大半の生徒はそんなものだ。立川だって少年法の授業には出るけれどもう単位の取れないと思われる行政法の授業は完全になかったことにしている。


「ちなみに何の授業だったんですか?」

「商法。どうせ出ても聞いてねえから昼飯優先だって」

「……先輩って、坂口先輩ともう別れたんですよね?」

「うん?」


 片付けを終えて、カツ丼の器もゴミ箱に放り込んでから奈央が腰を下ろした。やや俯いてしまい何となく妙な雰囲気を感じて、けれど話を逸らす必要もないので煙草を銜えたまま黙って続きを待った。テーブルの上で携帯が振動した。取り上げて受信画面をみるとアズミからだったので開けるのをやめてそのままテーブルの上に戻す。
 それを待っていたかのように、奈央がゆっくりと顔を上げた。何となく誰も来ないで欲しいと思うのはどうしてだろう。部室でセックスしている時は誰か来たら面白いとゾクゾクしたのに。


「私、先輩のこと好きです!」

「おー、ありがとさん」

「ひかり先輩とも付き合ってないんですよね?私が彼女じゃ駄目ですか!?」


 確かにひかりは彼女じゃないし、セフレならたくさんいる。今は特に彼女もいない上、アズミが未だしつこく付きまとってくる。軽くいいと言おうと思ったけれど奈央の表情が思いの外泣きそうだったので、思わず返事を躊躇ってしまった。銜えたままの煙草を灰皿の上に置いて、顔を見ずにぽつぽつと呟く程度の音で聞いてみる。


「俺、女友達いっぱいいるよ?」

「……知ってます」

「浮気するかもよ?」

「別にいいです」

「よし、じゃあオッケーの方向でもうちょっと考えさせてくれ」

「はい!」


 グリグリと頭をなでつけながら言うと、奈央はぱっと笑った。その笑顔が夏に咲く向日葵のように見えた。けれどすぐにオーケーが出せないのは、たぶん奈央の純粋さを穢したくないからだ。たぶん、処女だし。女と付き合うのならもうちょっと簡単な相手がいいって言うのが本音だ。後腐れなく別れたいものだ。アズミのようなことにはなりたくないし。
 年下の彼女もちょっといいなと思っていると、授業からどやどやと人が帰ってきた。










 五時くらいまで部室で意味もなく大貧民などをしてすごし、軽く十回前後大貧民になった。なのでやや不機嫌になりながらもビールジョッキを一気に呑むと、アルコールのおかげで急にハイになってきた。男同士の呑みと立川は言っていたけれど、実際は男子部員による呑み会だった。店はいつものところで飲み放題だ。安いので、学生から異常に人気がある居酒屋だ。


「ひかりが言ってたけど、昨日お前ら一発しかしてねぇんだって?珍しいじゃん。何々、インポの気?」

「な訳ねぇだろ。親父が急に帰って来たんだよ」


 言ってから思い出した。急に母親と妹が出来たんだ。母親までは許容して忘れていなかったけれど、妹と言う存在を完全に忘れようとしていた。思い出したら一気に凹んできて、呷ったグラスのおかわりを無言で要求しつつ「うーあー」と意味不明の唸り声を上げてしまった。そもそも、女と遊ぶ時は飯食ってホテル行って何回かセックスする。そうか、昨日からのこのもやもやは一発しかしてねぇからか。
 閃きついでに焼き鳥に手を伸ばし頬張ると、となりから尊敬の眼差しで見られていた。二年のいつも彼女が欲しいと喚いている奴等だ。


「先輩!一つ聞いて良いですか!?」

「おう、何だ」


 「おかわりお持ちしましたー」というバイトの妙に間延びした高い声を聞いてグラスを受け取りながら後輩に問うと、数人で数言言葉を交わした後に一人が律儀に手を上げた。妙に真剣なその顔に思わず立川と顔を見合わせてしまった。こんな呑みの席でマジの質問?


「どうやったら先輩みたいにもてるんですか!」

「それはだなぁ、ホルモンが違うんだ」

「立川先輩には聞いてません!」


 そもそもホルモンてなんだ。内臓か?内蔵が違うって言いたいのか。俺のホルモンは五臓六腑普通の人間と一緒だ。けれど別にもてる自覚もないしテクも持ってない。だから今更聞かれたって困る。助けを求めようとして立川に話を振ろうとしたけれど、奴もにやにやしてこっちを見ていた。面白がりやがってと奥歯を噛んで、考える間にビールを呷ってどうにかアイディアをひねり出す。けれど出てこなかった。


「別に俺、もてると思ってねぇしなー」

「あのなぁ高橋。じゃあ聞くけどお前今まで何人の女と寝た?」


 その話関係ないし、そもそもなんでお前怒ってんだよ。そういおうと思ったけれど二年が真剣な顔をして頷いているから言うのをやめた。ニコチンで記憶を呼び起こして、指折り数えていく。高校のときから考えて…………数えられない。
 指を七本折った所で固まっていると、立川はジョッキをドンとテーブルに叩き付けた。泡が飛んだのもお構いなしに半眼で睨んでくる。


「悩んでる時点でお前は勝ち組だ!」

「なに、俺怒られてんの?褒められてんの?」

「じゃあ訊くけどな、今まで何人と付き合った?」


 完全に酔ってんな、こいつ。そんなに呑めねぇのにガンガン呑むからだ、と煙草を灰皿においてジョッキをりつつ数える。一人二人と顔を思い浮かべながら数えていくけれど、問題に一つぶち当たった。


「延べ人数?最高数?」

「その疑問すらムカつくんだよ!」

「……でも彼女ほしいなー」

「お前続かねぇもんな」


 二年の質問を無視して紫煙を吸い込むと立川もマジな顔になってテーブルに頬杖をついてこっちをじっと見てきた。確かに長く続かない。アズミが一年続きそうだったけれど挫折したし、その前は三ヵ月とか長くて半年。でも女に飽きるのだからしょうがない。新鮮味も楽しみもなくなって感じるのだ。ひかりは「恋愛に向いてないんだよ」と笑っていた。


「お前、理想高いんじゃねぇの?例えば彼女に何してもらいたい?」

「膝枕」

「は?」

「あとあれだ、二日酔いの看病」

「………」


 酔っているからだろう、饒舌になっている。彼女にして欲しいことと言ったら膝枕とか耳掃除とか。一緒に風呂入ったりなんかして「恥ずかしいよ」と照れて赤くなる顔を後ろから抱きしめてやるけれどバスタオルを巻いたまま入ったり。手料理を焦がして不味い料理を一緒に食べたり、誕生日とか記念日とかに小さなケーキで祝ったり。今まで一回もやったことないけど。


「………どんだけ乙女よ、お前」

「やってもらいてーだろぉが。コアラ抱っことか一緒に料理とか」

「そりゃもたねぇよ。そんなことに付き合う女いないって」

「いっそ俺好みの女調教すっか」

「光源氏かお前は」


 やってくれないのならいっそ、と思ったら何でか奈央の顔が過ぎった。けれどすぐにアズミに変わる。アズミは確かに可愛い、けれどワガママなのだ。付き合いきれない。これを言うと周りが「お前がワガママだ」と怒るので言わないけれど、あれは尋常じゃない。それに比べて奈央なら処女だし素直そうだから好みに調教も可能に思えた。


「……今日、奈央に告られた」

「マジで?奈央ちゃんかわいそー」

「どういう意味だよ」

「セックス好きのドリーマーに惚れちゃってってこと」

「別に好きって訳じゃねぇし」

「あのなぁ、そもそも我ボウリングサークルの意味を分かってるのか!?」

「玉ころがしだろ〜?」

「それもあるけど、ボーリング、掘る!それは女の体でも同じこと、それを敢行してるのはお前だけなんだよ、ヤリチンが!!」


 何となく腑に落ちない事を言われた気がしたけれど意外に間違っていないようで後輩たちも雄叫びを上げていた。確かに入った当初そう聞いていたし、ヤリサーという話も聞いた。けれど実際はどうかと言うとただの飲みサーで、でも彼女は出来やすいだろう。サークル内の先輩とほぼ全員と寝た。けれどそれがまさか自分だけだったとは驚きだ。
 言い返そうとしたら、後輩たちから恨みの篭ったコールをされて結局ジョッキ二杯連続で一気させられた。この空騒ぎにも似た空間に溶け込むのは得意だ。乗せられるまま、吐くまで呑み続けた。










 呑み放題が終わってからカラオケに避難して、十一時になると後輩たちは帰ると言い出したので解散になった。けれど克利はそのことを覚えていない。呑みすぎて酔いつぶれ、立川が恨みがましそうにしながらも肩を貸してくれた。


「お前の方が人のこと言えねぇじゃねーか」

「だってひかりに振られるしー」

「もう終電だってのに俺って優しい」

「抱いてやろっか。それとも俺と付き合う?」

「黙れ酔っ払い。おい、泊めろよ?俺もう帰るのかったるいしお前のせいだし」

「一緒に風呂はいろうぜぇ」

「もうマジウザイ!もう黙ってろよ」


 一人暮らしの克利の家に立川はよく世話になっている。彼は実家住まいの上に家が地方にあり、学校まで小一時間かかるらしい。十五分の都内暮らしは便利でいいらしい。立川は慣れたようにエレベータに乗ると克利のポケットから玄関の鍵を引っ張り出した。エレベータを五階で降りて、迷わずTAKAHASHIと銀プレートの表札の部屋で鍵を出して当たり前のように玄関を開けた。鍵は開いたけれど、ドアは開かなかった。


「は?」


 独り暮らしの人間の部屋のチェーンが掛かってるって何事だ。思わず表札を確認したけれどちゃんと見慣れた銀プレートで、一度ドアを閉めてからそういえば親父が帰って来たと言っていたと思い出す。チャイムを押そうと思ったら、人の足音が聞こえてチェーンを外しているようだった。


「お兄ちゃん?お帰り、遅かったね」


 ドアを開けたのは、小柄な少女だった。アルコールで回らない頭を必死に動かして現状を打開しようとしていたけれど得策は浮かばず、とりあえず腕の巨大な荷物を家の中に放り込んだ。いつの間に妹なんか出来たんだろうっていうかもしかして新しい彼女とのマニアックなプレイ?さっきの話を聞いたらありな気がしてきた。


「お母さんもお父さんも寝ちゃってるから静かに入ってくれる?お兄ちゃん大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫。潰れてるだけだから。あ、俺も泊めてね」

「お風呂入れたほうがいい?」

「今入れると多分高橋死んじゃうからやめたげて」


 克利をリビングの床に転がして色々疑問が浮かび上がってきたけれどアルコールのおかげで疑問もなにも明確に浮かばないのでこれは酒が見せる夢なんだと思うことにしてソファに寝転がった。寝転がったと同時に睡魔が襲ってきて、考える間もなく眠ってしまった。





-続-

うちの息子たちはみんな最低だという事実が浮き彫りに!
そして表現が最低だ。