朝目が覚めると、ひどい吐き気と頭痛に見舞われた。ぐらぐらする頭を抑えて辺りを見回して場所を確認すると、慣れた自宅の玄関先だった。飲み屋から返ってきた記憶は全くないけれど自宅にいるということは立川辺りが送ってくれたのだろうか。ポケットから携帯を引っ張り出して時間を確認すると六時を少し過ぎた所だった。
 もう一眠りする為に自室に向かおうと煙草を銜えながらリビングに行くと、立川がソファで眠っていた。人のことを玄関に放り出して自分はソファで優雅に寝ているなんていい度胸じゃねぇか。


「立川くーん、おっはよー」


 メンソールの煙草で頭を少しスッキリさせながらムカついたから寝ている立川の顔を足でぐりぐりと撫で回してみた。立川は不機嫌な声で唸っているけれど起きる気配がない。なんて図太い奴なんだ。
 何となくむなしくなってソファに体を放り出して、紫煙を吐き出す。静かな部屋だ。冷蔵庫のモーター音がしているだけで、他には何の音も聞こえてこない。太陽は出ているようで明るくなってきているけれど、その明るさが逆に眠気を誘った。まだ長い煙草を灰皿に押し付けて、自室に行くのも面倒くさいのでそのままソファに横になる。


「……気持ち悪ぃ」


 二日酔いが原因な事は分かっているし毎回毎回自重して呑もうと呑みすぎたたびに思う。けれどどうして毎回忘れてしまうんだ。その場のテンションに乗せられるのが悪いとは分かっている。分かっているけれど、やめられない。
 ソファに寝転がったはいいけれど眠い割りに眠れず、五分も経たないうちにまた体を起こした。こうなったらシャワーでも浴びて起きてしまうか。その前に寝起きの一服だとさっき消した吸殻に火を点けた。シケモク吸うほど手元の煙草が淋しい訳ではないけれど、まだ長いので勿体ない。
 立川が目を覚まそうとしないし幸せそうな顔がムカつく。こっちがこんなに苦しんでいるのに。煙草で吐き気を誤魔化しながらぼんやりとしていると、突如炊飯器がピーっと鳴った。自分の家に炊飯器があったことを忘れていたのが原因だろうが思わずビクリと肩を竦ませると、パタパタと廊下をスリッパが叩く音がした。煙草が短くなっていくのを見ながら、そういえば自分には家族が出来たのだと思い出した。何度も何度も、つい忘れてしまう。慣れてないのだ、家族という固体に。


「あら、克利くん……帰ってたの」

「あぁ……おはよう」

「おはよう。あの、そちらは?」


 入ってきたのは聡子さんだった。エプロンをつけてこんな早くから主婦は大変だと軽く思いながら煙草を消して立ち上がると、立川に気づいた彼女は聞きづらそうに視線をやった。一人暮らしの習慣で連れ込んでしまったというか勝手に泊り込んだ立川はそんなことも気づかずに寝ている。本当に幸せな奴だ。


「友達。朝、早いね」

「恵とお父さんのお弁当を作らないといけないから」

「そっか。ちょっとシャワー浴びてくる」


 一度立川を蹴っ飛ばして、一度自室に着替えを取りに行くと恵が当たり前のようにベッドで寝ていた。男のベッドで無防備に眠る女ってのはどうなんだろう。アズミもそうだったけれど、彼女は無意識に色気を発して男を誘っていた。けれどこいつは全く色気なんかない。逆に萎える。
 下着だけを取って風呂場に向かい、熱めのお湯に設定して頭から被る。強かに打たれながら、昨日の自分の行動を振り返った。覚えているのは、十時くらいまでだろうか。カラオケに行ったのは覚えている。けれどそのから帰った記憶はないけれど、奈央に告白されたこともアズミがまだ未練を残していることもはっきり覚えている。アズミのことはもう好きじゃないけれど奈央のことは好きになれそうだ。
 体を流して頭を洗い、シャワーを止めた。シャワーだけで熱を取り戻す体がギシギシ軋み、やっぱり板張りの玄関なんかで寝たらいけないと確認する。体を拭いて下着だけを身に着けてリビングに向かうと、リビングから甲高い女の声がした。きっと他の人から見れば気に障る声ではなのだろうけれど、二日酔いの頭には嫌になるほど響く。


「立川、テメェよくも玄関に転がしやがったな」

「お兄ちゃんおはよ……キャー!」


 首にかけたタオルで髪の水気を拭き取りながらソファで寝ていると思われる立川に声を掛けようと思ったら、かき消されるような声で恵が悲鳴を上げた。頭に響く声に思わず眉を寄せて、煩いから無視してソファにどさっと体を下ろすと、ダイニングからオヤジの笑いを含んだ声が聞こえてきた。


「克利。女の子がいるんだからパンツ一丁はないだろ」

「じゃあ見なきゃいいだろ」


 我ながら子供っぽいと思う。そんなの屁理屈だと分かっているが、一々口を出されると反抗したくなってしまう。今まで誰にも干渉されない生活をしていたからだろうか、家族と言うものがとても煩わしい。
 足を伸ばして立川の体を問答無用に叩くと、眠っているくせに不機嫌に眉を寄せて寝返りを打とうとした。ムカつくので濡れたタオルを投げつけてやる。


「……かっちゃんやめてー」

「人んちのソファで熟睡してんじゃねぇよ。人のこと玄関に転がしたくせに」

「頭が割れる。高橋のせいだ」

「どこら辺がだよ。俺二杯呑んだ」

「お前が寝ちまったから俺が最後に代わりに呑んだ」

「記憶にない」

「お前潰れたからだろ!……頭に響く」


 のろのろと起き上がった立川はよほどなのか頭を抱えて細く息を吐き出した。立川は酒に弱い。呑めるけれど二日酔いが酷く、毎回毎回呑んだ翌日は死んだ魚の目をしている。顔色の悪い立川に気を使ってか、聡子さんがコップに水を入れて持ってきた。別にいいのに。出てきたコップを珍しそうに見てそこから聡子さんを辿り、立川はポカンと口を開けた。しっかり家族が存在している家の状況を問いつめられるには時間は必要なかった。










 立川に事情を掻い摘んで説明しながら学校に着き、けれど授業はないので部室に直行した。今日の授業は四限だけだというのに、まだ二限すらはじまっていない。ただ家にいるには聡子さんがいて少し居心地が悪かった。
 手ぶらで部室に行くと、奈央がいた。真面目に教科書なんかを開いている。行ったこっちも勉強していた奈央もまさか誰かに会うとは思っていなかったので思わずお互い見詰め合って言葉が出なかった。


「あれ、奈央ちゃんいたの?早いねー」

「あ、高橋先輩も立川先輩もお早いですね。授業ですか?」


 立川がにかりと笑うので変な空気もとけて、普通にいつもの席に腰を下ろした。何となく決まった席だけれど奈央が隣にいて妙な感じがする。何気なく手元を覗くと物権の授業をまとめていて、えらい真面目な奴だと感心してしまう。去年ノートをまとめた記憶なんてない。あるのはテストの前に手分けしてノートを集めたことくらいだろうか。同じ教授の授業のはずなのに。


「うわ、奈央ちゃん勉強?ありえねぇ」

「今、ちょうど休講になっちゃったんです」

「奈央」

「はい?」

「昨日の返事だけど」


 奈央を呼ぶと、途端に緊張したようにペンを置いて手を膝の上に置いて姿勢を正した。その姿が初々しくておかしくて思わず笑みを漏らすと、奈央がきょとんと首を傾げた。ポケットから煙草を出して火を点けながら奈央の全身を見てみる。幼い顔をしている割に体の凹凸があった。抱いたら良さそうだ。


「マジで俺でいい?」

「先輩がいいです」

「じゃ、よろしく」

「……本当ですか?」

「ほんとほんと」


 奈央が本当に嬉しそうな顔をして笑うから、思わず「嘘」と言ったら奈央が泣きそうな顔をした。だから笑って「冗談。付き合う」と言うとぷくっと頬を膨らませて軽く睨まれた。可愛い女の子らしい反応が新鮮で、思わず奈央の細い首に片腕を回して柔らかそうな頬に唇を寄せた。
 ひかりとはこんなに甘い会話は成立しないし、アズミはそんな冗談言おうものなら何をされるか分からない。何度かセックスした時、冗談で「お前のような女は何人もいる」と言ったら息子を噛み千切られる所だった。真っ赤になっているところも可愛くてしょうがない。自分の言葉に一々可愛らしい反応をされるのはとても楽しい。


「高橋ー。お前飢えすぎ」

「飢えてますよー。だって彼女いなかったし」

「セフレいっぱいいるだろ、ドリーマー。奈央ちゃん気をつけな?コイツ妄想癖あるから」

「ねぇよ!」


 妄想癖じゃなくて願望だ。確かに叶えばいいなとか思っているけれど、そんなに強く思っているわけじゃない。
 固まっている奈央を放して灰の伸びた煙草を灰皿に落とし、半分も吸っていなかったのでその分を取り戻すように深く紫煙を吸い込んだ。そういえば、奈央は煙草の煙は大丈夫だろうか。アズミと付き合っていたときは煙草が駄目だというのでアズミの前だけは吸うのを控えていた。どうせ聞いてもやめる気はないので、あえて聞かなかった。今まで吸っていても傍に寄ってきたし。


「奈央、今夜飯でも食いいく?」

「ごめんなさい、親になにも行ってきてないから……」

「そっか、んじゃまた今度な」


 奈央も都内といえど実家住まいだ。一人暮らしといえど融通は利かないのだろう。一人暮らしは夕食を一人で取るのも空しいので極力誰かと食べに行くようにしていたので空しさはいつも以上だった。煙草を押しつぶしながらどうしようかと思っていたら、立川に「家で食えばいいじゃん」と言われた。そう言えば不本意にも家族と言うものを手にしてしまったのだと、未だ実感が湧かなかった。










 もしかしたら一生そんな実感が湧かないかもしれない。物心ついたときからオヤジと二人で、家庭の味なんてものは食べたことがあまりない。たまに祖父の家に行ったときに祖母の手料理を食べた。あとは弁当だったり惣菜だったりの生活だった。だから温かいご飯と手作りのおかずなんて、初めての経験に近かった。


「……肉じゃが」

「克利くん、肉じゃが嫌いだった?」


 湯気を立てている肉じゃがに思わず呟くと、聡子さんは慌てたように言った。最後に肉じゃがを食べたのなんて、いつだったかアズミに作ってもらったときだ。あの時はこげて不味いものを全て食わされた。
 少し摘んで口に含むと、温かいじゃがいもが口の中でとけておいしかった。やっぱり肉じゃがは……っていうかおかずはこういう味がするものだ。けれどこれは買ってくる惣菜よりも数倍美味しいと思う。もちろんが学食よりも美味しい。


「美味い」

「良かった、たくさん食べてね」

「……克利は母親の味って奴を知らないからな。母さん、頼むよ」

「あら、今からなら私より彼女さんよ。ねぇ?」

「お兄ちゃん彼女いるの!?」

「……味噌汁美味い」


 にぎやかな食事というのにはなれない。いつもなら友達と呑んだり、ひかりと飯食ってそのままホテルに行く。わいわいと騒ぐのは嫌いではないけれど、家族という集団で食事を取る経験は皆無なのだ。だから思わず、誤魔化すように箸を進める。ここのところ連日友人と食事だったのでアルコールがないのは久しぶりだった。


「克利は俺に似て顔がいいからな。彼女の一人や二人いるだろう?」

「二人いたら問題じゃないですか。それに顔がいいのは貴方じゃなくて奥様でしょう?」

「ひどいこと言うなぁ。で、どうなんだ克利!?」

「今は彼女一人。俺のことより心配なのは恵だろ」

「恵ちゃん!彼氏とかいるのかい!?」

「いないよぉ。それよりお兄ちゃんの彼女って可愛い?年下?」


 話題を逸らそうとしたら再び振られ、思わず舌打ちを漏らしそうになった。奈央は意外に気に入っている。あの初心なところが意外に可愛かった。けれど、男としての欲望はそれを堪能していられるかどうか分からない。そういう意味で奈央は都合が悪い。
 妙に質問してくる恵を不機嫌な顔で見やるけれど、怯えたり怯む様子は見せなかった。それどころか出会いとかどこが好きだとか、細かく聞いてくる。半分以上は覚えてないもしくは知らないことなので正直に「知らない」と答えるとその度に不満そうな顔をする。これだから恋愛に夢を見ているガキは手に負えないのだ。恋愛なんて綺麗なもんじゃない。結局体の相性がよければそれでよし。悪ければどこかしらに不具合を生じさせる結果になるのだから。


「これから知ってくからいいんだよ」

「なぁんだ、つまんないの」


 それでも少しだけ、家族と言うものがいいかなと思ってしまった。無条件に隣にい手くれるものを知らなかったからそう思うのかはわからないけれど、何となく安心できた。
 ただ、少し不満そうにけれど何かを企んでいるような笑みを浮かべている恵だけが妙に眼に入って、それにだけ違和感を感じた。





-続-

そんな克利は運動が苦手。