授業が終わって、自分でも驚くべきことだがそのまま真っ直ぐ家に帰った。いつもなら部室でだべっていたりしているので立川からメールが来たが「別に帰るだけ」と短いメールを返した。
 奇妙なほどに恵から大量に来るメールのことは誰にも話していない。聡子さんにももちろん言っていない。否、言ってないのではなくて言えない。言ってはいけないことのように思える。別に自分がもてるとか自惚れているわけではないが、でもこの感覚には覚えがある。そしてそれはできれば当たってほしくない勘だが、こういう類は九割は当ててしまう。当たってしまう。


「……ただいま」

「克利君?お帰りなさい」


 捻ってみたら鍵が開いていなかったので、呟いて靴を脱いだ。今まで「ただいま」なんていう必要なんてなかったので妙に照れくさい。けれどなんとなく家という雰囲気を持った言葉は嫌いじゃない。
 玄関からそのままリビングに行くと、洗濯物を畳んでいた聡子さんが振り返って驚いたような顔をした。自分の家に帰ってきてこんなに驚かれるとは思わなかったが、初めて会ってからこっちずっとこんなまだ明るい時間に朝帰り以外で帰ってきたことがなかったから当たり前かと思いなおした。帰ってきたことを告げたので荷物を自分の部屋に放り込んで煙草だけ持ってリビングに戻った。


「今日は早かったのね」

「昨日帰って来れなかったし。連絡しなくてごめん」

「いいのよ。気づかなかったんでしょう?」

「まぁ。あ、洗濯物なら俺やるし」


 言いながら半分ほど残っている洗濯物に手を伸ばした。今までは洗濯物を畳むのなんて自分しかする人間がいなかったから慣れている。手早く畳みながらテレビに視線を移すと、水戸黄門の再放送をやっていた。聡子さん曰く、洗濯物は男女で分けてやっているらしい。気を使ってくれるのはありがたいが、それは無用だと言うと恵が嫌がるのだと笑った。


「そういや、恵は?」

「学校。でも今日は部活がないから早く帰ってくるんですって」

「あー、帰ってくんのか」

「あの子、お兄ちゃんに懐いてるみたいだから」

「………懐いてんのか」

「懐いてるわよぉ?よろしくね、お兄ちゃん」


 何をよろしくしたいのか、聡子さんは微笑を浮かべた。ただそれが何をお願いされているのか図りかねて曖昧に笑うしかできなかった。
 それからテレビを見ながら洗濯物を畳み、自分とオヤジの分だけだったことに気づいて軽く肩を竦めた。聡子さんが上手く分けてさり気なくしているようだった。別に恵の下着を畳みたい訳ではないが、何となく悔しいような気がする。まぁ畳めと言われても辞退を申し込みたいが。


「ねぇ、ご飯何食べたい?」

「んー、何でもいい」

「困るのよねぇ、毎日毎日」

「じゃああれだ、ロールキャベツ」

「ロールキャベツ?いいわね、そうしましょう」


 洗濯物が畳み終わる頃聡子さんに訊かれ、本当に思いついて頭に浮かんだ単語を答えると彼女は嬉しそうに笑って早速キッチンに立った。そういえば最近自分で料理なんてしてないなと思いながら煙草に火を点けてチャンネルを意味もなく回すが、面白いものはやっておらずとりあえずニュースにしてけれどろくに見ずに紫煙を吹かす。


「ただいまー。お兄ちゃん帰ってきてるの!?」


 急に明るい声がしたと思ったらバタバタと足音が近づいてきた。帰ってきてしまったと思って思わず立ち上がり自室に逃げようかとしたが、リビングの扉の前で鉢合わせてしまった。本当に鼻先数センチ。ただし恵の方が十五センチも低いので、胸の前に顔がある。パッと見上げた顔には驚きと喜びに似た色が入り混じっていて、思わず銜えた煙草を噛み潰すと口の中に苦味が広がった。恵の口が「お兄ちゃん」と動く前にその横を通って自室に向かう。


「お帰り、恵。お弁当箱だしなさいよ」

「お兄ちゃん!」

「恵!」


 母親の声を荒げさせておきながら、恵は全く無視して荷物をリビングに放り出すとパタパタとかけてきた。追いつかれる前に部屋の扉を閉めたけれど、その後に間髪入れずにドアを開けられた。不法侵入もいいところだ。


「お兄ちゃん、どうして昨日帰ってこなかったの!?」

「……勝手に入ってくんなよ」

「ねー、あたしメールも電話もしたのに!」


 ベッドに体を投げ出して全身の力を抜くように肺の奥から紫煙と一緒に息を吐き出す。勝手に入ってきた恵はベッドに背を預けるようにして座り込んでしまい、追い出すのは無理なようだった。制服のスカートから伸びる足は若さゆえのハリがあり、これをひかりあたりが着てくれれば相当興奮するんだろうなと思った。そう思ってから、どうしてひかりなんだと自分にげんなりする。そういう妄想は奈央でするべきだというのに。まだ半分くらいの煙草をサイドテーブルに置いておいた灰皿に押し付けて火を消して、そのまま起き上がらずにいた。


「昨日どこにいたの?」

「ゼミの呑み会。ここ俺の部屋、出てけよ」

「夜、どこに泊まったの?まさか彼女の家!?」


 当たらずしも遠からずな答えを出されてどう答えようかと思案したが名案など出てこないので無視することにした。黙って細めた視線だけを投げかけて早く出て行くように念を送ると、視線に気付いた恵は何故かスカートの裾を押さえて頬を染めた。


「……変なトコみないでよ」


 何かいらない勘違いをしてくれたが、見ていたのは別に変な所ではない。確かにスカートから伸びる足を見ていたが。そういえば昔アズミがこんな仕草でミニスカートを恥ずかしがったことがあったなとふと思い当たった。でもそれはただの演技だと分かったからそのまま簡単に押し倒して抱いた。それこそお互いに望むシチュエーションだった。


「見てねぇよ。つーかお前、俺の携帯に番号入れたのか?」

「ん?この間お兄ちゃんがお風呂入ってるときに入れたよ?」


 それが何か?と全く疑問も罪悪感もないような表情をされて返す言葉が出てこなかった。どうして悪いと思ってないんだ、こいつは。まるでそれが当然のような顔をしているかと思ったら、言葉で「だって妹だもん」と言った。それで全てが通ったら刑法なんていらないだろう。


「ね、ねぇお兄ちゃん……」


 もう会話もするのも馬鹿らしくなって寝転がったままうとうとしていると、遠慮がちというか躊躇いがちというか、声を掛けられた。急に変わった声音に僅かに眉を顰めたがそれだけで、動く気に離れなかったので指の一本も動かさなかった。けれど恵は気にせずに立ち上がった。見えてはいないが、気配と音で分かる。


「お兄ちゃんもやっぱりこういうの好きなの?」

「こういうの?」

「短いスカートとか制服とか」

「………」


 好きか嫌いかと訊かれたら好きだ。短いスカートから除く足はそれだけで興奮するし触りたい。最終的にはそのまま犯したい。制服だってなにか支配欲みたいなものを刺激される。だがしかし、それは恋愛対称の人物がそういう格好をしていたらと言う話で、全ての女子高生がそう見える変態ではないし、妹に欲情する特殊系変態ではもちろんない。
 ニコチンの絶対量が足りないようでイラッときて、起き上がって灰皿から長めの吸殻を一本選んで火を点けながら恵に眇めた視線を送った。正直全然、興奮しない。


「言っただろ、ガキに欲情しねぇって」

「ガキじゃないよ!お兄ちゃんはガキ扱いするけど……」

「俺はDカップからが女だと思ってる」


 自分で言ってから「奈央もそんなにでかくねぇな」とか思った。けどまぁ今は関係ない。もともとシケモクだったので数度吸うともう短くなってしまい、結局灰皿に戻して新しいものを一本引っ張り出すことになる。だったら最初から新しいものを吸えと自分に突っ込みながらケースを叩いて一本出すが、ライターを握る前に目の前に飴が差し出された。


「煙草じゃなくて飴!」

「……ライター返せ」

「体に悪いです!」

「関係ねぇだろ。いいからライター」


 今まで誰かに禁煙を強制されたことはなかった。こういう風にプライベートに土足で踏み込んでくる奴は無性にイライラする。それがアズミと似ているからかどうかは分からないが、ただ無性にイライラした。アズミにだって煙草をやめろと言われたことはないのに。
 睨み付けてもライターを返す素振りは見せず頑固に飴を差し出してくる恵に心底イラついてコンロあたりで火を点けようと立ち上がった瞬間、携帯が無機質な電子音を奏でた。煙草を指に挟んで、恵をもう一睨みしてから乱暴に携帯を手にする。


「何?」

『……克利?私』

「ひかり?」

『ちょっと……ごめん、出てこれないかな』


 電話越しにもひかりの声が泣きそうに震えていてさっきまでのイライラは収まった。収まったけれど今度は逆に同様してしまった。ひかりがこんなに弱っているなんてただ事ではない。この間から様子がおかしいとは思っていたが、しかも他人を頼ってくるなんてどうしたことか。


「いいけど、お前どこにいるんだよ?」

『……克利の家の前』

「はぁ?……ちょっと待ってろ」


 泣きそうながらも「えへ」と笑ったひかりに呆れ半分、短く言って携帯を切った。本当に家の前にいるんだったらいろんな意味で冗談じゃない。吸ってもいない煙草は灰皿に残し、慌て気味に玄関に行く。後ろから恵がついてくるがこの際知ったことではないと玄関のドアを開けると、本当にひかりが立っていた。腫れぼったい目をメイクで上手く隠して彼女は片手を上げて軽く笑った。










 ひかりを追い返す気なんて起きる訳もなく、部屋に入れた。彼女にはそのまま自室に行ってもらい、克利はリビングに顔を出して聡子さんに友達が来たから夕食は後でいいということを軽く告げ冷蔵庫から水だけ持って部屋に戻った。ついてこようとした恵は聡子さんに一喝されてそのままリビングに残った。
 部屋に行くと、ベッドに座って上半身だけを横たえたひかりがいた。机の上にペットボトルの水を置いて、自分は床に腰掛けて今度こそ本当に煙草に火を点けた。


「で、どうしたよ」

「克利と話したかったんだけどさ、部室来なかったから」


 昼前には一緒にいたので、午後に何かあったのか。ひかりの様子からただ事ではないことだけを感じ取りながら黙っていると、ひかりが生み出される紫煙をぼんやりと見ながら僅かに微笑んだ。


「あの子、だれ?」

「オヤジが再婚した相手の子。今ここ四人住んでるから飽和状態だぜ?」

「それでバイト探してたわけか」

「俺のことはどうでもいいんだよ。お前だ、お前」

「あたしさぁ……失恋しちゃったぁ」


 自嘲にも似た笑みをこぼしてひかりは呟いた。それは告白と言うよりも独白に近かった。
 好きになった相手と食事に行ってホテルまで行って。でも好きだも愛してるもなくて。結局遊びだったと知った。彼は誰にも本気にならない。彼が真実心から愛している女は誰もいない。それを見せ付けられ、浮気よりも絶望した。


「ホント、克利と付き合えばラクだったのにね」

「……お互い様だ」

「そうだね。あんた、本気じゃないなら奈央ちゃんも傷つくだけだからね」

「そんな説教垂れに来たのか?」

「んーん」


 ゆっくりと首を振ったひかりに引き寄せられるようにベッドに上がり、ごく自然に彼女に跨った。お互いにこんなことでしか癒されない。そんな性分だ。ラクした恋愛。ラクな性交。そんなラクばかりしてお互いにそれで誤魔化している部分が良く似ている。だからこそ愛し合えない。分かり合うことができて慰めあうことができて傷の舐めあいも出来るけれど、愛し合うことだけはできない。でも今は、躯をあわせることができる。


「一応言っとくけど、人いるから声抑えろよ?」

「人の声がいつもでかいみたいに言わないでよ」

「十分でけぇよ」


 煙草を灰皿で揉み消しながらやっぱりまだ半分くらいしかすえていないのだと意識の半分で認識する。首に絡み付いてくる細腕はいつもよりも力がなくて、片手でひかりのジーンズの前を開けながら口内の煙草の味に自分で妙な違和感を覚えた。半分しか摂取できないニコチンにイライラするし、それを射精で誤魔化す自分が滑稽にすら思えて。ドアの向こうに恵がしゃがんで聞き耳を立てていることを承知でひかりを抱き込んだ。


「そういやお前、バストいくつ?」

「は?」

「いい、触って当てる」


 ひかりのシャツの中をまさぐって、確実にD以上の大きさをもつそれを鷲掴む。この声が、音が聞こえなければいいし聞こえればいい。そんな二律背反のことを思いながら、けれど欲望には勝てずに夢中でひかりを抱いた。お互いに意識をしっかりとこの場に残し、お互いではないものを思いながら。





‐続‐

かっちゃんにサイズ当ての才能はない!