家に戻る道すがら、考えたことがあった。どうやったら自然に振舞えるのだろうか。友達とか先輩とかと一緒に居るときは自然に何の違和感もなく振舞えているのに、あいつだけはどうしても苦手だ。妹なのか女なのか分からない。妹だといいながら女として扱って欲しいような、そんな目をしている。


「ただいまー」

「おかえりなさい。克利くんも一緒ね」


 親父と一緒に帰ってくると、聡子さんがダイニングから顔だけ覗かせた。すぐに親父の食事を用意するのだろうこっちに出てはこない。親父は着替えに行ったけれど俺は特に用もなかったのでリビングに戻った。意味もなくソファに体を沈めてテレビを回しながらライターを掌で持て余す。煙草を吸おうか、吸うまいか。吸いたい訳ではないけれど口が淋しいのは事実で、結局数秒悩んだ末に一本吸うことに決めた。


「克利くん、今恵お風呂入ってるから出たら入っちゃってね」

「あー、うん」


 そういえばそんな時間だと見ていたわけではないテレビを消して立ち上がる。
 煙草は銜えたまま自室に戻って愕然とした。今夜俺、寝るとこねぇじゃん。ひかりの言うとおり好き勝手したから文句言えた義理でも誰を責めることもできないけれどこれはひどい。乱れた布団とグチャグチャで固くなっているシーツ。今夜はベッドを諦めてソファで寝るべきだろうか。


「シーツ換えよ。明日晴れっかな」


 少し長くなった灰をサイドテーブルの灰皿に落として煙草を銜えたまま汚れたシーツを取っ払った。新しいシーツは親父たちの寝室のクローゼットに入っているはずだ。明日晴れたら外に干せるし雨だったら乾燥機を使わないといけないだろう。家族が少なかったおかげでシーツとか布団の類は必要最低限しか揃っておらず、恵たちが来たときに買い足したくらいだ。多分客用のが一組あったはずだが、なかったら季節を無視して夏用のシーツを使うしかない。四月の頭はまだ寒いのに。


「お兄ちゃん、次お風呂入ってってお母さんが」

「聞いた、分かってる」


 結局考え方が主婦だなと長年の一人生活に苦笑して肺深くにまで吸い込んだ紫煙を吐き出すと、外からバタバタと足音がして恵が飛び込んできた。ノックもなしに入って来て、次の瞬間には顔を歪めていた。
 彼女を一瞥して、ひかりの言葉を思い出す。「お兄ちゃん、やってやれば?」と言われても長年一人だったのにいきなり「お兄ちゃんごっこ」とかできない。どうやったら男でどうやったら兄なのか区別がつかない。


「また煙草吸ってる!飴あげるから待ってて」


 こういうときは妹のいる友人に聞くのが一番だろうと簡単に結論を出して、シーツを丸めて抱えた。掛け布団は無事だが怠惰感を顕現したようにだらしなく床に落ちている。それをのろのろと拾い上げてベッドにあげると更に怠惰感を出した。失敗だ。もうそんな雰囲気はしょうがないと諦めて、煙草を消して部屋を出て行こうとしたら恵が駆け戻ってきた。


「はい!お兄ちゃん、飴あげる!」

「……さんきゅ」


 多分世間で言う兄妹ってのは仲のいい女友達みたいな感じで正解だと思う。立川の話では、あいつは姉がいるがパシられたり足蹴にされたりたまに奢ってくれたりしているらしい。だったら友達みたいな感じなんじゃねぇの。
 恵から飴をもらって、とりあえず第一歩として礼を言ってみた。そしたら予想外にも恵はぼっと頬を赤くして走っていってしまった。一体なんだったんだ。あんな反応は高校のときに後輩にやられた以来だ。そう思ってからそういえば恵は高校生なんだと思い出した。


「克利くーん!お風呂!」

「やべ。今入る!」


 リビングから聡子さんが叫んでいる。部屋から叫び返して慌てて浴室に向かった。洗濯機にシーツを放り込んで洗濯の準備をしてから、そういえば洗濯するのは自分ではなく聡子さんだったのだと今更ながら思い出して自分の癖に嫌になって溜め息を吐いた。










 親父たちの部屋にシーツを取りに行ったら客用の布団なんてなかったので、諦めて夏用のシーツを持ってきた。肩に掛けたタオルで頭を拭きながら部屋に戻ると、何故か部屋の前に恵がいた。声をかけるか迷って思わず視線を上に逃がすが、恵の視線に射抜かれて思わず声が出てしまった。


「何やってんだよ」

「お兄ちゃん待ってたの。入っていい?」

「いつも許可とらねぇくせに何言ってんだよ」


 何を殊勝なことを言っているのかと思いながら部屋に入って、ベッドの上にシーツを投げた。変に遠慮している訳ではなくこの部屋の淫靡な残り香に足が竦んでいただけかと自分で入ってから気づいた。あれから時間が経ったのにまだこの部屋にはあの時の陰火が残っている。疼くような甘い、濁った匂いがまだある。それをかき消すためにカーテンを開けて窓を開け、夜の冷たい空気を部屋に入れた。


「入んねぇの?」

「あっ、入る!」


 ポケッとしていたらしい恵に声を掛けると、焦ったように言って入ってきた。いつもベッドに座るくせに今日は場所を選ぶように辺りをきょろっと見回して椅子に座った。そこにいるならありがたいので、その間にベッドメイクをしてしまう。シーツは季節はずれを示すようにひんやりしていた。正直にここで寝たくない。


「お、兄ちゃん……」

「んー?」

「さっきの人、本当に彼女じゃないの?」

「彼女じゃないの。言ってたろ、友達」

「と、友達とも……あの、その……そういう事するの?」


 少し恵が言いよどむので何の事を言っているのかと思ったがそういえばこいつは聞いていたんだと思い出だして、言っている意味を理解した。多分高校生の恋愛と言うのは手を繋いでキスをして、それからセックス。これが正常なのだろう。高校生じゃなくてもきっとそれが正常。けれど残念ながらそんな正常はもう通用しない。爛れているから。


「だってセフレだし」

「お、お兄ちゃんて、彼女さんいるんだよね?」

「いるけど」

「彼女いてもそういうことするの?」

「する」


 悪いと思うが断言。彼女がいようがいまいが関係ない。確かに浮気だったら心が痛いがお互いに遊びで、そういう関係。酒を呑むとか飯食うとかそんな繋がりでセックスする。だから罪悪感とかはない。
 シーツを敷いて上から掛け布団をかけるが寒そうだった。まあ包まってれば温かいか。できればほっかいろとかそういう暖房器具が欲しい所だが、そんなもの使っても逆に暑い気がする。丁度いいものと言ったら……。


「なぁ、今夜一緒に寝る?」

「えっ!?」

「悪い、冗談」


 人が一番楽だと思って戯れ程度に口にすると、予想以上に驚かれた。兄妹ってこんなもんじゃないのか、少し失敗した。失敗を修正しつつ、敷きおわったベッドに腰掛けて煙草に手を伸ばしたが睨まれたのでやめようかと思い、けれど従うのも癪なのでやっぱり煙草に火を点けた。


「お兄ちゃん!煙草!」

「うるせぇなー。そういやあのメガネの男子君は最近どうよ」

「え?どうって?何にもないよ」

「なんだよ、つまんね」

「だからあたし好きな人いるんだってば!」


 そういえば高校の頃ってどんな恋愛してたかな。数年前のことなのに記憶が酷く曖昧だった。でも確かに告白されたから付き合って、手を繋いで一緒にお昼とか食べて一緒に帰って、たまにデートした。慣れてくればキスをして、セックスなんて別れるまでにできればいい方だった気がする。好きな人とか口をきいたとか、そんなことで盛り上がれる時期が羨ましくもあり鬱陶しい。


「……お兄ちゃんさ、好みのタイプとかってないの?」

「可愛いやつ」

「そういうことじゃなくて!もっと内面とか……」


 曖昧なことをきいてくるなと思いながらベッドに寝転がった。煙草の火を見つめながら質問を噛み砕く。意味は分かる。意図も分かる。分かるから答えが分からない。どう答えれば正解なのか不安要素が多すぎる。変な助言を残してくれたひかりにイラッときながら、体を起こして煙草を灰皿に押し付けた。最近本数が増えているのは自覚しているが、こればかりはどうにもならない。


「手が掛からない奴」

「何それ!ねぇ!」

「お前と正反対な感じだろ」


 手の掛からない奴とは長く続いた。それは相手も淡白だからとかお互い本気じゃないからとか、そんなことが理由だろう。逆にしつこい女は面倒くさくなって長くは続かなかった。唯一アズミだけは手がかかってヤキモチ妬きでどうしようもなかったけれど、最も続いた。もしかしたらどうしようもない女の方があっているのかもしれないが、そこには気づかないふりをした。これに気づいてしまえば、恵のことにも気づいてしまうのだから。


「お兄ちゃん、どこ行くの?」

「リビング。お前もう寝れば?」

「まだ早いじゃん!」


 そろそろ十時になるころだった。そろそろ親父が風呂から上がって湯上りのビールでの喰らっているだろうからご相伴に預かりたい。正規の酒が呑める年齢になってから親父と会っていなかったので一緒に呑んだことがなかった。偶には一緒に呑んでもいいかなと思った。
 リビングに行くと、本当に親父が風呂から上がってきた所だった。一歩だけ早くリビングに着いたので先に冷蔵庫からビールを取り出して親父にも放ってやる。


「お、克利気が利くな」

「ついでついで」

「母さん、つまみを作ってくれるか?」

「もう、二人して」


 聡子さんが文句を言いながらも何かを作ろうとしてくれているのを横目で見ながらプルトップを開けて一度冷蔵庫の前で呷った。聡子さんが「克利くん邪魔」と言ってくれたので、冷蔵庫からチーズを出して途中で戸棚からクラッカーを持ってリビングに持って行った。簡易おつまみを作る端から親父が手を出してくるので一向に増えないし口に入らない。


「克利と酒呑むなんて初めてだな」

「親父が帰ってこねぇからだろ。こんな時間に食うとデブるぞ」

「だっておいしそうなんだもん。お兄ちゃんが作るからだよ」

「つまみだっつの」


 減りが早いと思ったら恵が隣から手を出してきていた。向こうで何か作っているのかと思った聡子さんは、何故か缶ビールとグラスだけを持ってきて座ってしまった。もしかしてつまみ作るの俺だけか。確かに仲間内で家呑みすると作るのは決まってしまうから慣れているが、だからってこれは酷い。結局クラッカーだけじゃ足りないと判断して、キッチンに行って冷蔵庫を物色する。


「お兄ちゃん、何作るの?」

「んー……ウィンナー焼くか」


 つまみの定番と言うわけではないが、よく作ることに変わりはない。ウィンナーなら大抵冷蔵庫に入っているし焼き鳥みたいになるからつまみには最適だろう。適度な大きさに切って塩コショウで少し味を付けフライパンに落す。ジュッと少しだけ油がはねた。


「手伝おうか?」

「じゃあこれ焼いてくれ。それから……パンだな」


 食パンをさいの目に小さく切ってミルクと卵、砂糖を溶いた液に放り込む。フレンチトーストの一口サイズのようなものだ。よく漬けて水分を吸まで待ち、その間にウィンナーをフライパンから上げて黒胡椒を削ってかけた。それから油を薄く引きなおして一気にパンをフライパンに放り込んだ。大きな音がするのをお構いなしに菜ばしでかき回し、水分を抜く。


「お兄ちゃん、味見していい?」

「太るぞ」

「一口だけ!ね、お願い」


 くっついてきてすぐ隣で見上げてくる恵に苦笑して、水分が抜けてカリカリになった欠片を選んで摘み上げた。熱いので息を吹きかけて冷まして上を向いて口をあけた恵の口内に放り込んだ。初めは熱そうに顔を暴れさせていたが、次第に落ち着いて意外そうに見上げてくる。


「美味しい」

「何だその意外な顔は」

「別に意外じゃないよぉ」


 ケラケラ笑う恵の頬を抓りあげてからウィンナーと同じ皿にフライパンの上のそれを盛り付けた。フライパンが冷める前に油をキッチンペーパーでふき取ってガス台に戻し、皿を持って戻ると親父たちは乾杯して待っていた。さっき作っておいたチーズとクラッカーのつまみはもうない。テーブルに皿を置いて、またクラッカーのつまみを作る。今回はそんなに減らないだろう。結構な量作ったし。


「克利くん料理上手ね」

「まあやってるし」

「これ美味しいわ」


 いい加減作ったところでやっと呑みかけのビールに手を伸ばしたが、もう少し温くなって炭酸が抜けかけていた。あんまり美味しくないので、となりでつまみだけ摘んでいる恵を見て思わずにやっと笑う。学生のうちからこういう経験も大事だ、うん。


「恵」

「何?」

「一口呑んでみ」


 恵に缶を押し付けたけれど親父も聡子さんも酔いが回っているのか文句は飛んでこなかった。これ幸いと半分くらい恵に呑ませると、すぐに顔を真っ赤にして甘えるように寄りかかってきた。そういえばアズミも酔うと甘えて擦り寄ってきたなと、妙な事を思い出す。
 しばらく放って置いて呑んでいたら、恵は眠ってしまったようだった。安心したように体を預けて寝息を立てている恵を見て親父は笑う。


「お前が呑ましたんだから、部屋に運んでやれよ」

「わーったよ」


 呑みすぎた訳じゃないから意識も足もしっかりしている。そろそろ片付けも始めるべき時間なので立ち上がり、恵を抱き上げて彼女の寝室に運んだ。
 これで兄妹ごっこはできているだろうか。正解が分からないけれどこれは正解ではなくて危ない橋を渡っているんじゃないかと、恵の腕が首に回されて甘えるように首筋に顔を押し付けられてから漸く気づいた。





−続−

かっちゃんいいお嫁さん。