朝方になってレポートが終わった。漸く終わったのが朝日が登るのと同じくらいだったので、それから寝て三限に間に合うように学校に行った。昨日から続く寝不足でヤニがなければ寝てしまうかもしれない。否、確実に眠ってしまうだろう。電車の中では辛うじて我慢できたが、学校に着いて真っ先に向かったのは喫煙スペースだった。


「あらかっちゃん。久しぶり」

「巴先輩……と、彼氏さん?」

「ども」


 ポケットから煙草を出しながら喫煙スペースに入ると、先に巴先輩がいた。男連れだから礼の彼氏さんかと軽く頭を下げる。巴先輩とはゼミが一緒だし飯も行くし仲が良いけれど、その彼氏さんは初めて見た。そういえば、現状から言えば浮気相手と本命彼氏か。ちょっと面白い。


「今日のゼミどうしたの?」

「レポートが終わらなくって寝てたんスよ。朝終わったから眠くて」

「ご苦労様でした。今度は高いもの奢ってくれるって先生行ってたよ」

「そのときは先に連絡ください、腹空かせて行くんで」


 煙草を吸いながら笑うと、巴先輩も笑っていた。しかしその彼氏さんは面白く無さそうに口を噤んでいる。自分の彼女が知らない男と楽しそうにしてたらやっぱりいい気分はしないんだろう。気持ちは少し分かるから、気に触るようなことだけは言うまいと当たり障りのない話を選ぶ。ゼミの話ならばと思っていると、彼は一足先に吸い終わったのか灰皿に煙草を落とした。


「巴、行こうぜ」

「うーん。じゃあね、かっちゃん」


 巴先輩も短くなった煙草を灰皿に入れて、手を振ってくれた。別れ際に向けてくれる笑顔が可愛い。無邪気な先輩だと少し呆れつつ自分の彼女と比較してみる。奈央は確かに顔が可愛い訳じゃない。ひかりと比べると全然普通だし、たぶん男の経験もない。けれど和やかな雰囲気が可愛い。何となく癒される。もしかしたら止荒んでいるから癒しが必要なのかもしれない。
 少し考えながら短くなった煙草を灰皿に押し付けた。どうして奈央と付き合っているとか、そんなことは考えてもしょうがない。


「克利」

「……アズミ」


 まだ授業まで時間があるからともう一本吸おうと出していると、今来たのだろうアズミがにこっと極上の笑顔を浮かべて近づいてきた。付き合っていたときは煙が嫌だと言っていたくせに、躊躇いなく近づいてくる。しかも、今までと同じ笑顔を浮かべて。


「これから授業?ここで吸ってるなんて珍しいね」


 入り口から一番近い喫煙所は日陰だし人通りが多いからあまり使わない。部室に一番近い喫煙スペースは日当り良好で使うのも限られた顔見知りだけだから気も楽だ。こういう風にアズミに会うこともない。よっぽど苦い顔をしていたのだろう、アズミが笑った。


「そんなに警戒しないでよ。今彼女ちゃんには何もしてないじゃない」

「今ってことは前はなんかしてたんだろ?」

「してたかもね。ひかりに上手く潰されちゃったけど」

「お前、いい加減にした方がいいぞ」

「克利が私のものになってくれたらやめてあげる」


 にこりと当たり前のように言ってアズミは腕に絡み付いてきた。それを振り払うが、何だか胸騒ぎのする笑みを浮かべる。この間流されて寝たからだろうか、こちらの方が罪悪感があって強く拒絶できない。自業自得ではあるが、苦しすぎる。


「あ、高橋先輩」

「奈央。昨日はゴメンな、マジで」


 教室移動なのだろうか、奈央が通りかかった。ここの裏の建物で授業なのだろう。時計を見ればまだ授業が始まる十五分も前だった。相変わらず真面目だと感心しながら銜え煙草で奈央に抱きついてみた。


「わっ、先輩?」

「今日こそ埋め合わせするからさ、開いてる?」

「えっと、今日と明日バイトなんです」

「じゃあいつ暇?」

「まだ、わかんないです……」


 抱きしめられているからだろうか少し顔を赤くして奈央が言いよどんだ。明確な日付を言ってくれない。まだ本当に分からないのかもしれないが、もしかして避けられているのだろうか。確かにこの間から様子がおかしいが、ひかりがどうにかしてくれたはずなのに。少し不安になりながら、ぱっと手を離して笑った。


「んじゃまた今度な」

「ごめんなさい……、授業があるから失礼します」

「おー……」


 パタパタと逃げるように去ってしまった奈央を見送って、指の間に挟んでおいた煙草の長くなった灰を灰皿に落とした。この間の休みの誤解は解いたはずなのに、どうして避けられるのだろう。アズミがまた何かしたのかと思ったが、彼女も不思議そうな顔をしていたのでそうではないのだろう。だったら何で。


「克利、避けられてるね」

「うっせ」

「慰めてあげようか?」

「誰のせいだと思ってんだか」


 可愛い彼女に避けられたというのに、別段ショックを受けているわけではない自分がいた。少し気になったくらいで特にショックではない。自然と顔を寄せてきたアズミの唇を受けて腰に腕を回す余裕まであった。自分が流されている自覚も悪いことだという自覚もあるのに、どうしてもそれと行為が直結しなかった。










 もともと奈央とデートのために空けておいた時間だったのだが、何故か呑み会になっていた。ボーリングサークル三年の呑み会だ。名目は『克利レポート終了おめでとう』だが、絶対にあいつらにそんな気はない。ただ騒ぎたいだけだ。


「なー、奈央が俺のこと避けんだけど!」

「何、あんた何やらかしたの?」

「なぁんもしてねーよ」


 アズミのことや来週の不安が募って、グダグダに酔っ払った。酔っ払ってはいるが頭は妙に冷静で冴えていた。けれど自分の口が別の物のように勝手に動いていせ規制が効かない。どうせみんな思い思いに呑んでいるので人の話なんて聞いているようで聞いていないのだろうから問題ないが、今夜帰れなかったらどうしよう。


「折角今日飯食って勢いでホテルまでって思ってたんだぜ!?」

「……がっつきすぎ」

「がっついてねーよ。彼女とヤリたいと思うのって普通だろ」

「だったら何でアズミと寝たのよ。それともあたしとも寝ない?」

「ひかりさぁ、これから俺とえっちなことしよーぜ」


 にたぁっと笑ってグラスを置くと、そのまま隣のひかりを押し倒した。ここが畳み席で本当によかった。下には不機嫌な表情のひかりがいるが、気にしない。尖がった唇に噛み付いて服の中に手を差し入れようとしたら、周りからどやどやと歓声が上がった。


「生本番入りまーす!」

「俺たちもお相伴に預かるぜぇ」

「ちょっと、何考えてんのあんたたち!」


 男子はノリノリだが、女子は避難の表情で近くの男を見やっていた。そんなことをお構いなしに下のひかりを見下ろして服を捲り上げる為に手を掛けると、ひかりがニッコリと笑った。けれど声も目も全く笑っていなかった。


「調子乗るのもいい加減にしなさいよ」


 跨っていたひかりの足が容赦なく、急所にヒットした。思わず呻き声を上げて転げまわっているが周りからは笑い声が聞こえた。男どもは自分で想像しているが、女たちが当たり前だと謗ってくる。ひかりに至っては、見下して鼻で笑いやがった。


「つーか、あんた呑みすぎて勃たないんじゃないの」

「……マジで勃たなくなったらどうしてくれんだよ」

「アズミにでも舐めてもらえば?」


 現状を分かっていてこういう言葉を吐く女はどうだろう。いっそ手篭めにしてやろうかと思うが、それは犯罪なので辛うじて冗談で留まることができる。
 辛うじてテーブルに這い上がってつまみに手を出せば、何故かフルで入っているビール瓶を目の前にドンと置かれた。手の先を辿ってみれば、女子たちが怖い笑みを浮かべて三人で立っていた。その後ろにいる全員が笑っている。こいつら、潰す気だ。


「これを、俺にどうしろと?」

「呑むんでしょ?」

「ぃよっしゃ高橋、イッキ!」


 唐突に始まった一気コールを無視することもできずにふら付く足で立ち上がってビールを一瓶あけてやった。そうしたら満足したのか、またみんな各々の会話に戻って行く。呑み会の席での無礼など、一回一気飲みしたら流されるのだから楽でいい。


「俺、女運ねーな」

「ないわけじゃないの、あんたが下手なの」

「下手ぁ?お前だってヨガってでかい声出してんじゃねーか」

「その話じゃないわよ馬鹿。人を好きになったこと、ないんじゃないの?」

「どうせ俺は欠陥人間だからな」

「人間なんてどこかしらに欠陥があるわよ」


 ひかりにすべてを愚痴ってしまった。奈央に避けられている気がすることも来週一週間、親父たちが家を空けて恵と二人になってしまうことまで言うと、親切にも泊めてくれると言う。特定の男がいない女友達はこういうときにとてもありがたい。


「一週間でしょ?別にいいわよ」

「サンキュー。見返りは体で奉仕すればいっか?」

「炊事洗濯掃除よろしく」

「そっちじゃなくて、性欲処理とか!」

「……あたし、彼氏欲しくなってきた」


 呆れた視線を向けられたが、こういう下ネタは男の性だと思う。きっと女よりも性欲はあからさまに旺盛で、露骨。だから時にデリカシーとかがっついてるとか言われるのだろうが、生理現象だと言い張りたい。今日もこれだ、言い辛いことは下ネタでカバーみたいな。


「だれかおれのよくぼうぬいてー」

「おいおい、こっち高橋潰れてんじゃん。どしたの?」

「最近奈央ちゃんと上手くいってないんだって。勝手に呑んでるだけだから放っておきましょ」

「ひかり冷てぇよ。誰か優しく介抱してやれよ」


 完全に酔っ払って、もう自分でも何を言っているか分からない。テーブルに突っ伏してグラグラするのを押さえようと必死になっているうちに意識が遠のく。何度か体を揺さぶられたけれど起こす気力もなくてそのままでいると、しばらくして運ばれた。運ばれたけれど、店から出る前に完全に意識を失った。来週が来るのが、本当に憂鬱だ。





−続−

酔っ払ってるシーンは視点が取りにくいのです。