食い下がる男子高生と、徹底的に拒絶する女子高生。ガキどもの茶番を見ているのも数分が限界だった。しかも自分が問題の人物だったりしたら尚更だ。この件に当事者として名前が出ているくせに自分は関係ないと結論付けて、何も言わずにその場を離れた。タイムサービスが始まっているのにこんな所にいたら時間が勿体無い。
 恵が追いかけてくるような素振りを見せたが、宮元とかいう男子に捕まって逃げ出せないようだった。内心舌を出して、スーパーに駆け込む。中はタイムサービスでごった返していた。


「あら、克利君。こんな所で会うの久しぶりじゃない?」

「あ、こんちは。うん、買い物結構久しぶりっす」

「どうしたのー」


 声をかけてきたのは同じマンションに住む主婦だった。幼い頃から住んで、しかも家事の一切をやっていれば自然に顔なじみになる。会話をしながらも視線は商品を眺め回し、目的のものはカゴに放り込んでいく。目的が肉だけなので多少手持ち無沙汰になりながら、事情を語った。近所には親父の再婚は友好的に受け入れられている。
 一週間親父が出張なのだと語ったら、彼女は「大変ねぇ」とあまりた大変そうではなく言った。


「でも克利君は昔から一人だったから慣れたものでしょう?」

「まー、一人の方が楽で良いんですけどね。今回はお荷物もいて」

「あぁ、あの……恵ちゃんだったかしら」


 彼女の視線が恵を探してきょろきょろと辺りを見回す。けれど彼女はたぶんスーパーの前で絶賛修羅場中だ。あの勢いならアイツが折れて付き合うかどうかしなければ終わらないだろう。少なくとも肉を買う時間くらいはある。
 そう思った瞬間にその予想は裏切られた。後ろからタックルする勢いで突っ込まれた。どこのガキだと振り返れば、恵がくっ付いていた。あえて胸を押し付けるような体勢にこいつは抵抗がないのだろうか。別に意識している訳ではないが、これがひかりやアズミだったら即喰ってる。


「置いてかないでよ!」

「重い離れろ」

「やーだー」

「随分仲良しねー」


 近所のおばさんはにこやかに言うけれど、こっちはそれどころではない。仲良しでは片付けられない状況を内包しているのだ。いくら仲良しに見えたって、近親相姦はまずい。
 恵を引き離し、多少の妥協だと自分に言い聞かせて腕に絡みつくのは認めてやった。もしかしたらこういう態度が付け込まれて増徴させるのかもしれないが、これ以外状況を打開する方法が思いつかないのも事実だ。
 おばさんと別れて、肉コーナーに向かう。今日使ってしまうし二人分なので適当な肉を持って、そのままレジに向かった。ずっとくっ付いている恵が鬱陶しい。


「お兄ちゃん、デザート買おうよ」

「買わねぇよ。欲しけりゃ自腹」

「えー!お母さんがお金置いてったでしょ?」

「あれは一週間の生活費。お前に渡したら一日でなくなるって俺が持ってる」


 セール時間帯と言うことでレジは混んでいたが、長年の勘で流れの速いレジに並んだので比較的早く会計を済ませられた。店員がベテランで、なおかつ人数がいても客の持っている商品が少ないところに並ぶのがコツだ。なおかつ並んでいる人が主婦だと更に流れは早くなる。
 肉のパックを一つぶら下げて、マンションに戻った。スーパーを出るときに恵は少し警戒するように体を硬くしたけれど、あの少年はいなかった。


「お兄ちゃん今日出かけないんでしょ?」

「今日はな。あ、お前明日弁当持ってくとか言わないよな?」

「作ってくれるの?なら持ってく」

「めんどいから却下。何か買ってけ」

「えー。お兄ちゃんのご飯おいしいのに」


 他愛のない会話と言うのは得意分野かもしれない。先ほどの話は気まずいから話題に触れようともしない。触れたら最後、自爆の可能性だってある。できるだけ他愛のない話を選んでいることなんて簡単に知れる。恵は何度かその話題に触れようと口を開いたが、それを避けて話をずらした。
 マンションについてからは夕食作りの間、会話がなかった。けれどそれはありがたい以外の何物でもない。










 カレーを煮込んでいる間に鍋のコゲが綺麗に取れた。ものすごい集中力を使ったのか、顔を上げれば八時を回っている。じっくり煮込んだなんてもんじゃない。腹減ったなと改めて思い、恵が騒ぎ出さなかったのを不思議に思いながら彼女の姿を探した。キッチンから「飯だぞ」と呼んでも来ないのでサラダの皿を持ってキッチンを出ると、リビングのソファで恵が寝ていた。
 サラダをダイニングテーブルに置き、点けっぱなしのテレビはそのままに呆れて言葉もなく肩を落とす。あどけない寝顔は子供のそれだ。この顔が愛だの恋だのと言うのだ。馬鹿馬鹿しい。誘惑するほどの体ももっていないくせに、何が好きだ。キャミソールから除く胸だって谷間なんてありゃしない。詰まらなそうに顔を歪め、彼女の腰に足を乗せて揺さぶった。


「飯だぞー」

「ん……んん?」

「飯、食わねぇの?」

「食べる。お兄ちゃんおはよう」

「こんなところで寝てんじゃねぇよ」

「ムラムラしたー?」

「百年早ぇ」


 起きてすぐに誘惑するように胸を寄せて谷間を見せてくる恵に呆れつつ踵を返す。あんな浅い谷間をみたところで欲情なんてできない。
 恵はつまらなそうに口を尖らせていたようだが、すぐに立ち上がってダイニングテーブルに駆けていった。寝起きでカレーが食えるなんて大したもんだ。テレビを消そうかとも思ったが、無意味なドラマでも着いていた方がないよりマシだろうと判断してそのままにする。どうしてせめてチャンネルを変えてバラエティにしなかったのか、すぐに後悔した。


「いっただっきまーす」

「…………」

「おーいしい!」

「…………」

「ねー聞いてる?」


 一人言とかと思っていたが、話しかけていたらしい。回答が思い浮かばずにおーとかうーとか曖昧な言葉で濁して黙々とスプーンを口に運ぶ。しばらくは沈黙と陶器の立てる音だけがしていたが、先に食べ終わった恵がぽつりと呟いた。成人男性現役大学生の皿の中身がまだ半分しか減っていないのに今日日の女子高生は化物か。


「さっきの話なんだけどね」


 こういう場合は無視に限る。聞かない態度を示しただけで大抵は「もう良いよ!」と勝手に怒って話をやめてしまうか勝手に話して勝手にスッキリするかのどちらかだ。前者であってもらいたいのだが、そう都合よくは行かないらしい。恵はしっかりと前を見て、言った。


「あたし、お兄ちゃんが好き」


 じゃじゃーんと劇的な音楽が鳴った。自分の頭がこんなに愉快にできているとは思わなかったが、何のことはないテレビから流れてくる音だった。ちらりと視線をそちらに移すと、テレビの中でもなかなか凄い展開になっている。あっちも惚れた腫れたの大問題のようだ。けれどそんなことを見たって自分の目の前の問題は解決しない。
 止まった手を動かして、考える時間を作るために口の中にカレーを頬ばった。薄々分かっていたことだけれど、面と向かって言われるとどう返したものか。そもそもひかりのアドバイスどおりに家族ごっこをしていたって駄目だったじゃないか。ただ、まだ恋に憧れただけの説が残っている。


「お兄ちゃん、彼女さんのこと本当は好きじゃないんでしょ?だから一回別れたんだよね?」

「…………」

「じゃああたしと付き合ってよ」


 どうしてこうも突飛なことを言えるのだろう。ゆっくり租借しながら考えた。確かにアズミと別れたけれど、そこに愛情と言うものが存在していたかどうかは分からない。そもそも、今だって愛しているかと聞かれたら首を縦に振れない。横にも振れない。曖昧で中途半端だ。
 口内のものを水で飲み下して、ようやく口を開く。出てきた声は自分でも驚くほど低く冷たかった。


「俺、ガキ嫌い」

「なんでぇ!?」

「何でも。面倒くせぇもん」

「面倒じゃないよ!あたし尽くすタイプだから!」

「……。つーか俺ら兄妹じゃん」

「血なんて繋がってないもん!」

「戸籍上は兄妹だろ。俺を犯罪者にする気か」

「あたしからお願いしてるんだもん!」


 一言返すたびに剥きになって食って掛かってくる。皿を空にする頃には恵の目には涙が浮いていた。そんなにひどいことを言っているわけではないが、納得できないのだろう。おもちゃ屋の前で駄々を捏ねる子供と一緒だ。
 残った水を飲干して、テーブルに置いておいた煙草に手を伸ばす。けれど手が届く前にひったくられた。返せと睨みつけると、代わりに飴が投げつけられる。


「痛ってぇ……」

「お兄ちゃんの馬鹿!」


 ガタッと席を立って、恵がリビングを飛び出した。足音の方から親父たちの部屋には向かっていない。俺の部屋じゃん、と溜め息を零しながら煙草を取り返しに行くのも気まずいのでしょうがなく飴の包装を解いた。こんなものを自主的に食べるのは相当久しぶりだ。
 二人分の皿をシンクに浸けて洗い物でもしようかとスポンジを泡立てていると、リビングからテレビの音が聞こえてきた。


『お兄ちゃん!好きなの!』

『俺たちは兄妹なんだぞ!?』

『それでも!』


 少し気になって、手を止めてリビングに行く。ソファに座るわけではなくつい立ったまま、ぼんやりとテレビを見ていた。テレビの中の男女が抱き合って泣いている。あいつはこういう展開を期待していたのか。けれどそんなのありえる訳がなく、結局憧れは憧れのままだろう。それを実現してやる気はないし求められても困るだけだ。
 番組が終わったのを切欠にキッチンに戻って洗い物を再開する。途中で恵に部屋を明け渡すように言おうかと思ったけれど、その前に彼女が出てきた。目は泣いていたのか充血し、無言で携帯を差し出す。


「何だよ?」

「……電話、鳴ってた」

「電話?あ、風呂は入っちまえよ」


 受け取りがてら事務連絡。恵は無言で頷いて部屋に戻ってしまった。けれどすぐに移動する足音が聞こえたので風呂場に行ったのだろう。
 洗い物を終えて、漸く自分の部屋に行き、ベッドに腰掛けて煙草を吸いながら電話を掛けなおした。家に電話をかけてくれば良いのに携帯にかけてくるなんてどういうことか知らないが、報告がてら聡子さんの携帯に電話を掛けた。数コールの後、向こう側から声がする。


『もしもし』

「あ、俺。今平気?電話貰ったみたいだったけど」

『あぁ、大丈夫よ。恵、いい子にしてる?』

「あいつの料理できなさ加減マジ半端ねぇのな」


 他愛のない会話から聡子さんの真意を探ろうと思ったが、中々見つからなかった。まさか本当に状況の確認だけがしたかったのだろうか、まさか。しばらく他愛のない会話をしていると、不意に聡子さんが真面目な声を出した。


『克利くん。気づいてるかどうか分からないんだけどね、あの子、貴方に特別な感情を持ってるみたいなの』

「……知ってる」


 早く出て行けと、そういうことか。一人合点し、肺の奥から紫煙を吐き出した。聡子さんも気づいていたのかと少し感情が楽になる。けれどそんな娘と性欲盛んな青年を同じ家に残していくのは凄い。それでも母親だろうか。別に信頼されている訳ではあるまい。


『克利くんに限って間違いはないと思うんだけど……』

「そこは安心して、俺年下に興味ないし彼女とより戻ったし」

『そう……?じゃあ、くれぐれもお願いね』

「あぁ。できるだけ早く家も出てくようにするからって、親父にも言っといて。おやすみ」


 電話を切ると、そのままベッドに倒れこんだ。頭がこんがらがりそうだ。兎に角煙草でも吸って落ち着こうとまだ半分くらいの煙草の火を消して、新しい煙草に火を点ける。その時、着信がなった。また聡子さんかと思ったが、ディスプレイを覗いたらアズミだった。こんなテンションの時にはありがたいと思って、軽快に電話に出た。さっきから電話が繋がらなかったらしく少し怒っていたが、なんだか妙に安心した。





−続−

かっちゃんが不幸を背負ってる……