五分ほどで電話を切った。特に話題がなかったのだ。昔は馬鹿みたいに電話したりメールしたり、よく話題があったものだと思うが思い出してみると別に何という話をしていたわけではない。たぶん、飽きているのだ。恋愛にも、人間にも。
 電話を切ってから三本目の煙草を引っぱり出した。なんだか気分が落ち着かないし思考もまとまらない。何をしていても以前ほど楽しくない。だから煙草で誤魔化してみが、最近は煙草税も上がってバイト代がすっからかんだ。ただでさえ家を出るための資金もためないといけないのに、煙草代で使い尽くすのはいただけない。生活必需品で塩・水と並んで必要なものだから常備はしてあるが、最近はきっちりシケ煙まで吹かしている。
 恵が風呂から上がったのか、バタバタと走ってきた。さっきの事が刹那的に頭を過り苦々しい顔を作って紫煙を吐き出した。煙を逃がそうと窓を開けるために腰を浮かすが、ドアの方が先に開いた。


「お兄ちゃん出たよー、ってまた煙草吸ってる!」

「……うるせぇな」

「体に悪いんだから!」

「つーかお前は下着姿でうろうろしてんじゃねぇよ。襲うぞ」

「責任とってくれるなら!」


 つい癖で発言してから失言だったと煙草を奥歯で噛み潰した。苦々しい味が口いっぱいに広がって眉間に皺を寄せ、ますます苦々しい顔になる。
 まだ大人に成りきれていない少女と女の中間らしい可愛らしい下着姿で誘っているつもりなのか、少し恥ずかしそうに恵は背を丸めた。あんまりな行動に目を眇めて、まだ半分ほどにしかなっていない煙草を灰皿に押し付けて立ち上がった。丁度玄関のチャイムが鳴る。
 部屋を出がてら、視線もくれずに自分で思っていたよりも低い声がでた。


「興味ねぇって言っただろ」


 少し冷たくしすぎただろうか。一瞬だけそう思ったがもう遅かった。振り返る前にドアが閉まり、中からは何の音も聞こえない。数秒そこに留まって、いつものお遊びだと結論付けた。
 ピンポンピンポンしつこくなるチャイムに少し慌て気味に玄関に行って鍵を開けた。こちらがドアノブを捻る前に、鍵の開く音を聞いたからだろう勝手にドアが開いく。目の前に、立川以下数人のサークル仲間が各々スーパーの袋一杯 抱えてにかっと笑っていた。
 思わず、ドアを閉めた。


「ちょっ!閉めんなよ!」

「ンなに酒抱えて何しに来やがった!?」

「たまには家呑みしようぜ!」


 ドアが閉まる前に、立川が足を挟みやがった。セールスマンか、こいつは。人数に物を言わせて玄関をこじ開けて、こっちが文句を言い終わる前に全員で勝手に上がりこんでくる。つい最近までここは家呑みの会場だったり終電がなくなった奴のたまり場だったからこいつらには別に罪悪感とかないのだろうが、あの時とは状況が違う。


「お兄ちゃん、誰?」

「おわー!女の子だ!」


 ちゃんとパジャマを着て出てきた恵に事情を知らない仲間は驚いて顔をあっちこっちに向けている。
 「彼女と同棲!?」「年下だ、犯罪じゃねぇの?」「かっちゃんのロリコーン!」等々。どの口から出てくるのか見極めて縫い付けたいくらいだが、同時に言われたら流石に判別はつかないので睨み付けて黙らせるだけにする。立川は知っているはずなのに、にやにや笑っていた。


「恵ちゃん可愛くなったねー。俺のこと覚えてる?」

「えっと、お兄ちゃんの友達の……」

「立川。立川基樹」

「お前あっち行ってろよ」

「いいじゃん、高橋!女の子いた方が盛り上がるって」

「んじゃあとりあえず乾杯しようぜ!」


 恵を部屋に行かせようとしたが、その前に立川が肩を掴んで座らせていた。しかも、買って来た袋の中から缶ビールを取り出し始めている。恵のどこが女に入るんだとちらりと一瞬だけぺちゃんこの胸に視線を向けるける。視線を感じて上に上げれば、恵が熱っぽい視線でこっちを見ていたから慌てて逸らした。
 半ば強制的にビール缶を持たされた。すでに開いているプルトップにもう逃げられないと悟る。立川が立ち上がって、意気揚々と缶を掲げた。


「俺たちにも彼女ができますようにー、乾杯!!」


 半ば自棄になって缶を半分空けた。半分でやめたのは別に呑みたくなかった訳ではなくこれからつまみを作らされると思ったからだ。けれど珍しく今回はつまみも買ってきてあった。クラッカーやらスルメやらポッキーやらが満載のビニール袋が一つあった。


「そういやさ、坂口とやり直したんだって?」

「何で知ってんだよ」

「坂口本人が言ってたから。まあ、下山より坂口の方が可愛いよな」

「つーか高橋って変な女にばっかモテてねぇ?」

「奈央にだって告られてんぞ、俺」


 失礼な事を言われた。言い返しながらポテトチップスの袋を俗に言うパーティ開けで開けた。でも確かにと納得してしまう自分がいる。アズミは執着と独占欲が強い変な女で、恵は兄に好意を寄せる変な女子高生。けれど今まで関係を持った女はそんなに変な女じゃなかった気がする。そんなに深く関わったこともないが。


「つーか、だったらひかりなんてどうなんだよ。アイツも変な女か?」

「馬鹿!ひかりは俺たちのアイドルなんだよ!」

「お前がなんでひかりとセフレなのかが知りてぇところだ!」


 ひかりは顔もいいし性格もサバサバしているので人気がある。馬が合うという理由で付き合っているので彼女の人気がどれほどのものか把握していなかったが、そういえばいつもずるいと言われている。あいつなら誘えば来るんじゃないかと思うが。
 一缶空けて、自然に二本目に手を伸ばした。周りはすでに三本目を呑んでいるが。


「俺気になってたんだけどさ。いつからお前妹できたの?やっぱ浮気?」

「誰の浮気だ誰の」

「高橋の。実は隠し事かなんじゃないのー?」

「な訳ねぇだろ。親父の再婚相手の連れ子」

「でも血は繋がってないんだろ?恵ちゃんだっけ、こっちおいでよ」


 立川に勧められるままにビール缶を傾けて顔を赤くしている恵が、かけられた声にきょとんと大きな目を更に大きくして首を傾げた。呑みなれぬアルコールのせいだろうが目が充血している。決してこれはさっき泣かしたせいではないと思いながら、空になった缶をビニール袋に詰めて菓子の袋も分別してゴミ袋に入れた。
 立川と一緒に来た恵が、人見知りする子供のように寄り添ってくる。正直逃げたくなった。


「俺、高橋の友達の羽野。よろしく」

「高橋恵です……」

「真っ赤になって可愛いねー。いくつ?ちなみに俺は高橋の一個上」

「十六、です」


 小さな声で言ってから、恵がシャツの裾を掴んできた。世間一般では可愛いのだろう、周りはギャーギャー言っている。けれどこっちには薄ら寒いというか怖ろしいだけだ。女ってのは常に計算高い。泣いていても酔っていても、仮令ヨガっていたとしても常に頭の中は利害で一杯だ。だからこそ、逃げたい。


「ジョシコーセーって種類!?やべ、高橋最高じゃん」

「じゃあお前、俺と代われよ」


 代わって解放してほしい。ビールを煽ってそう言うと、恵が縋るような目で見てきた。そんな目で見るな、心苦しい訳ではないが怖くなってくるじゃないか。逃げるように体を浮かして、ふと気づいた。こいつは女じゃない。さっきまで自分で否定していた。女なんかじゃなくガキなんだと、自分で言っていたにも拘らずどうしてこんなところで女扱いする。
 けれど羽野はどんな意味にとったのか納得したようにしきりに頷いてつまみのスルメに手を伸ばした。


「そうだよな、親の手前酒池肉林の前に生殺しだよな」


 まったく違う解釈をされた。別に親の手前だった方がまだいくらかマシだ。今親がいないその状況にこそ困っているというのに、気楽な奴だ。けれど羽野の言葉に恵は一瞬にして顔を赤くして俯いた。何かが合ったような顔だが、全く持って何もしていない。裸を見ようと下着姿を見ようと体が反応しなかったのがいい証拠だ。
 恵の変化に、聡く気づいてしまった立川が顔を覗き込む。目を合わせまいと恵は視線を逃がしついでにこちらを見た。目が合って、見られても困るので睨み付ける。


「あれ?恵ちゃんどしたの」

「……えっと、あの」

「何、高橋なんかいけない悪戯しちゃった!?」

「するわきゃねぇだろ。お前もさっさと寝ろよ、明日学校だろ」

「まだいいじゃん。かっちゃんおかあさーん」

「誰がお母さんだっ」


 短く叫んで二缶目を空けた。軽く握りつぶして、ゴミ袋に放り込む。ついでに周りの連中が呑み終わった缶も集めて捨てた。こういうところがお母さんといわれる所以であることは自覚しているが、癖だからもうどうしようもない。
 立川が隣に座って、三本目を渡してくれた。つまみのポッキーに手を伸ばしてからそれを受け取る。プシュッと温くなり始めた缶を開けた。


「新しい部屋見つかった?」

「ん?あぁ、まだ」

「高橋引っ越すのかよ?」

「おう。一人の方が何かと楽だしな」

「よかったぁ。俺たちの溜まり場がなくなっちまうかと思った」

「その心配かよ」


 どうせそんなことだろうと思ったが、はっきり言われるとどうも笑ってしまう。周りからそうとられるのは軽くて、何だか楽になった。自分が難しく考えすぎていたのかもしれない。だから、蒼白になった恵の顔に気付かない。どうせ気づいていたとしても、気づかない振りをしただろう事は分かっているが、結局は気づかなかったのだ。


「恵ちゃんて彼氏いる?」

「いないですぅ。でも今日告白されたんですよっ」

「マジで?振っちゃったんだ。高橋良かったなー、妹の貞操は守れてるぞ!」

「関係ねぇよ。俺を何だと思ってんだ」

「理想とか高いんでしょ。好みのタイプはずばり!?」


 急に話を振られたので答えたのに、無視された。羽野が進める話に恵も酔いが回って調子よく答えている。
 全く興味のない会話だったのでビールを煽りながらするめに手を伸ばすと、何故か立川に視線で横を見ろと言われた。つられてそっちの方を見ると、熱い目をした恵に注視されていた。そのまま、口を開く。


「お兄ちゃんがタイプ、かな」

「おーっと!お兄ちゃん感想は!?」

「迷惑」


 思いのほか冷たい声が出た。けれどそれも酒の席の発言だと思われて簡単にスルーされた。こういうとき、酒は良い。全てが冗談だと流されるのは楽以外の何物でもない。恵が悲しそうに目を伏せたが、それすら気にしないで酒を煽った。


「でもさ、恵ちゃん。高橋って相当遊んでるよ?最低の遊び男だよ?」

「……何となく知ってる」

「この間も二股だっけ?あれ、浮気だっけ?高橋、どっちだっけ」

「どっちも違う。飽きただけ」

「ね?悪びれもなく言うんだよ。幻滅しときなって」


 この間って言うのは奈央と別れる前のことだと思うので、アズミと別れた原因だろう。それはただ単に飽きただけだ。あの狂気染みた執着と愛情表現についていけず、もう十分だと思った。結局その許に戻るのだから実際はちょっと違うものが欲しくなった程度だろう。
 やめとけと言ってくれる羽野を少し応援していたのだが、恵ははっきりと首を横に振った。


「んーん、ますます好きになった」

「何で!?」

「あたし、お兄ちゃんが好きだもん」


 恋は盲目、と立川が隣で呟いた。何を知ったような口を叩きやがるんだ、こっちはそれどころじゃないっていうのに。羽野も驚いた顔をしている。
 ぴたっと寄り添ってくる恵の熱が不愉快で、三本目を一気に空けて握りつぶした。煙草を取りに言ってくると呟いて自室に戻って、溜め息を一つ。携帯を確認したが、何の着信もなかった。煙草を引っ張り出して口に銜えながら部屋を出ようとすると、ドアの前で恵と行き当たった。泣きそうな顔をして、赤い顔を僅かに赤くしている。


「お、お兄ちゃん!」

「何だよ。もうすぐ日付変わるし寝ろ。あ、明日俺ら遅いから起こすなよ」

「家でてくの!?」


 火を点けながら部屋を出ようと横をすり抜けようとしたが、恵が退かなかった。進行方向を遮るように一歩横に体をずらす。数度それを繰り返して、いい加減にイライラしてベッドに腰を下ろした。紫煙を吐き出してから恵を見ると、じっとこっちを見ている。


「何で?あたしのせい?」

「なんでお前のせいになるんだよ。別に、狭いし一人の方が勝手がいいから」

「やだ!やだやだ!」


 子供のように首を横に振る恵にイラッとして、煙草を銜えたまま立ち上がると小柄な腰に腕を回して力任せに抱き上げた。短い悲鳴を上げるのを無視してベッドにぶん投げ、「さっさと寝ろ」と一言残して部屋のドアを閉めた。
 リビングに戻って、もやもした気分を吹っ飛ばす為に二本一気に空けた。正気でいたくなかった。そのために、酒を呑んで意識をなくしたかった。けれどどれだけ呑んでも、どこか冷めた意識が失われることはなかった。





−続−

ひかり姉さんのファンにとってかっちゃんは敵です