朝目を覚まして、何よりもまずいらついた。二日酔いが残っていないのは奇跡だが、そもそもそんな量を呑んでいない。けれど奴等はそれほど呑んだ。散らかり放題の部屋と雑魚寝状態の部屋の状況に溜め息のひとつも漏らしたくなって、とりあえずシャワーを浴びた。恵はもう学校に行ったらしく姿は見えない。
 シャワーを浴びて床に転がっている物体を蹴り起こし、煙草を銜えながら掃除を開始する。もそもそと起きだした友人たちをどかしながら、掃除をし、部屋の掃除が終わったのと全員が身支度を整えたのはほぼ同時だった。全員揃って、別に授業があるわけでもないのに学校に向かう。部室で昨夜の延長のように管を巻きながら、ぽつりと羽野が呟いた。


「高橋も苦労するよな」

「は?」

「坂口、もうすぐ来る。あそこ歩いてるから」


 彼が向ける窓の外に視線をやると、本当にアズミの姿があった。なんだか心持ちウキウキしているようだが、何か良いことがあったのだろうか。別れる前を知っている奴等は揃って不思議そうな目で見てくるが、それを全て無視して煙草に手を伸ばした。
 カンカンと階段を上がってくる音がする。無意識に段数を数え、軽快な足音は近づいてきた。ノックなんてお構いなしにドアが開いてアズミが飛び込んで来る。


「克利!」

「……ノックくらいしようぜ」

「今ご両親いないんですって?」


 飛び込んでくるなりアズミはそう言って笑った。ひかりから聞いたの、と目元を僅かに染める。何を求めているかは知らないが、何か裏がありそうで怖かった。家に泊まりに来るとでも言いたいのだろうか、少し躊躇ったあと何かを言おうとしたが、その前に立川が悪事を報告するが如くの声音で笑った。


「坂口ぃ、高橋にゃ今妹って手ごわいのが付いてんだぜ〜?」

「妹?克利いつから妹なんて出来たの?」

「立川ぁ、余計なこと言ってんじゃねぇよ」


 アズミが不審そうな顔をして眉間に皺を寄せた。癖でその皺を伸ばすように細い指を額に当てる。しばらく悩んでいたが、しかしすぐに悪戯っぽく笑って抱きついてきた。腕に絡みつき、甘えるように擦り寄ってくるのは場合によっては可愛い。


「知ってたよ。ひかりが言ってたもの」

「何でお前、そんなにひかりと仲いいんだよ」

「内緒。でも私、そんなの気にしてないわよ。だって、全然タイプじゃないんでしょ?」

「そうだけど……。そういう問題じゃなくね?」

「でもやっぱり未来の妹は一度見ておきたいじゃない。今夜泊まりに行って良い?その妹ちゃんに大人の関係って言うのを見せ付けてやるの」

「残念。バイト」


 その見せつけって奴は一回やったな。そう正直に思ったが口には出さなかった。どうせ泊まりに来たらそんなことになるだろうなと想像はできたのでそれについては言及せず、恵のことも何も言わずに話を逸らした。恵が何と思っていたところで何をやった所でアズミの言ったことは真実だし、彼女に任せれば相手した女は再起不能だ。
 バイトだと言うと、アズミは詰まらなそうに口を尖らせて「それじゃあしょうがないわね」とあっさり引き下がった。一体何の用かと思うほどあっさりと退散してくれる。思わずポカンと見送ってしまったが、それからすぐに明後日は泊まりに行くとメールが入った。特に意識せず、それをしまった。










 一度家に帰って恵の夕食を作ってからバイトに行くと、全員に怪訝そうな顔をされた。特に店長は不可思議そうな顔でこっちを見てくるので引け腰になりながらも一体どうしたのかと尋ねたら、今日はバイトのシフトに入っていないとはっきり言われた。意味が分からなくて一瞬フリーズする。


「はっ?俺いつも通りに出しましたよね?」

「土曜までは入ってた。が、お前の親父さんから連絡入って入院するほどの病気だから一週間休みだと言われた」

「……あのクソ親父」


 たぶん恵が心配だからとかそんなことだろうが、人のバイトの予定を消しやがった。思わず小声で悪態をつくと、店長は苦笑いを浮かべて暇なら入れと言ってくれたのでありがたく従事することにした。準備をしながら、簡単に説明しておく。親父が娘馬鹿なだけであって飛んだとばっちりだ。
 その話をすると、彼は笑って「大変だな」と肩を叩いてくれた。そんなんで元気になれるわけはないが。


「でもま、夜は暇だから」

「まーな。あ、誰か俺にコーヒー淹れて」

「シフト恐慌を作りそうになったかっちゃんが全員分淹れるべきだと思いまーす」


 カウンターに入って、けれど深夜になんてそうそう客も来ないのでだらだらと話し、喉が渇いたので近くにいる新人に淹れてもらおうと思ったら周りが揃えたように手を上げた。言っていることは正しいかもしれないがこっちはとばっちりなので、つい舌打ちしてそれでも全員分のドリンクを失敬した。


「あ、そろそろ宴会時間だ。全員戦闘態勢ー」


 実にだらだらした号令だ。こんなんで戦闘態勢も何もないと思うが、時計を見たら深夜十二時少し前。そろそろ呑み会でオールする奴等がこぞってやってくる時間だ。深夜の唯一のラッシュは、五時辺りにまた会計で込み合う。
 コーヒーを飲みながら喋っていると、外からがやがやと団体がやって来た。これからラッシュの始まりかと腰を上げる。


「やっほー高橋、元気にお仕事してますかー!?」

「……こぞってこないでもらえますか」

「俺ら客だぞ客ー!奉仕しろよぅ」

「酔っ払いマジうぜぇ!」


 一組目は、狙ったかのようにサークルの四年生だった。今日は四年だけの集まりらしくそんなに人数は多くないが酔っ払っている分質が悪い。カウンターですでにグデグデだからカラオケをしに来たと言うよりは寝にきたのだろう。ふてぇ奴等だが、こういう客の方が楽で良い。


「一〇二号室になりますとっとと行ってください」

「高橋後で注文取りに来てねー」

「よーし、呑むぞぉ!」


 まだ呑む気なのかこいつらはと素直に思った。あまり酔っていないような様子の巴先輩が少し気になったが、彼女のその悲しそうな顔はすぐに集団の中に埋もれてしまった。先輩を追い払いながらも巴先輩のとだけは気にかけていると、後ろから圧し掛かられた。同期の古谷だ。


「知り合い?」

「ゼミの先輩たち」

「ふーん。いいよ、行ってきて。何かあったら呼ぶし」


 言っていることは親切に思いがちだが、あの酔っ払い集団を押し付けようと言う魂胆だろう。そうはいくかと思っても全員が一致団結して手なんて振りやがるから、結局は行くしかない感じになっている。まだコップにいっぱい残っているコーヒーを飲干して、一〇二号室に不本意ながら向かった。
 まだ来てすぐだと言うのに、すでに中はひどい乱れようだった。マイク争いが始まっていて、端には何人か寝ている人もいる。無法地帯とはこのことだ。


「注文とりますよー!」

「ビールビール!」

「全員ビールでいいんですね。女性陣もビールでいいですか?」

「かっちゃんのオススメでぇ」


 あちこちから飛び交う注文をさっさと取り、数を計算したがよく分からなくなったのでやめた。入り口に一番近いところに座る巴先輩はまだ何も言っていないが寝ているんだろうかと思って声をかけたら、弱い頬絵を浮かべてくれた。


「巴先輩?」

「かっちゃん……」

「先輩何呑みます?」

「あ、私ウーロンでいいや」

「分かりました」


 絶対に元気がない。力ない声にも緩んだ表情も、いつもしっかりした巴先輩とはかけ離れている。気になりながらもカウンターに戻って女性陣のカクテルとサワーを作る。これは間違えるとえらいことになるので、確認もする。しかし一括ビールの人たちはとても適当だった。どうせ頼むだろうとピッチャーに水を入れて、再び持っていく。カウンターでは戻ってくんなと言われた。客が他に入っている様子もないし、完全に押し付ける気だ。
 部屋に戻ると、ものすごい盛り上がりを見せていた。お待たせしましたなんて言っても聞こえないだろうと判断して、コップをテーブルに置いていく。ついでにピッチャーを置くと、女性陣から賛辞の声が上がった。巴先輩の前にウーロンを置いて、やはり様子が変なことに眉を顰める。


「巴先輩?」

「……かっちゃん、バイト何時まで?」

「七時ですけど……?」

「終わったら、家来てもらっていいかな」

「なんかありました?」


 泣きそうな顔をした巴先輩を見て声をかけても、彼女は理由を語ってはくれなかった。ただ悲しそうな顔で微笑んだだけだった。周りの喧騒など嘘のように、世界が静かに思えた。
 部屋を離れたのは全員が眠ってしまったからで、二時を回った辺りだっただろうか。時間の関係で彼らは五時に出て行ったけれど、そのときも巴先輩は悲しそうな顔をしていた。それがどうしても気になって、七時まで落ち着かなかった。










 七時になって上がると、速攻で着替えて巴先輩のマンションに向かった。エレベータを待つのももどかしく、もうすぐ行くというメールに返ってこない返信を待つ。慣れてしまったわけではないが何度か来た道順は単純なので、迷うことも鳴くすぐに着いた。
 多少息を切らせてインターホンを鳴らすと、少ししてチェーンを外す音がする。


「巴先パ……」


 言葉を発しきる前に、裸足で飛び出してきた巴先輩に抱きつかれた。泣いているのか小刻みに肩が震えている。どうしたの大丈夫なんて言葉は聞きそうにない。時間的に小学生や中学生の通学時間にぶち当たると思い、何も言わずに部屋に入った。
 肩を貸すように部屋に入ると、巴先輩はやっと顔を上げて笑った。けれど泣き腫らした赤い目も疲れ切ったその顔も、笑顔とは程遠い所にある。


「巴先輩、どしたんスか?」

「彼氏に浮気された」


 とても素直に告白された。泣き腫らした目から涙が再び零れることはなく、もう涙も枯れ果てたと言うことだろうか。それでも尚悲しそうな顔で彼女は俯いてベッドに腰掛、隣に座るように促した。


「私が二番目じゃないんだって。よかったよね……」

「良かったって、それ……」


 正直、二の句がつなげなかった。そういう問題じゃないことは彼女が一番分かっているだろう。携帯の電源は落ちているようだ。反応のない携帯から視線を逸らし、そしてゆっくりと首に腕を回してくる。誘うように谷間をちらつかせ、それで尚こちらを追い詰めた。


「だから私も浮気してやろうかなって思ったんだけど、かっちゃん彼女いるもんね」


 怖い彼女とより戻ったんでしょと笑いながらも、彼女の力が弱まることはなかった。自然な流れだと思う。極自然に巴先輩に覆い被さるようにしてベッドに向かっていた。彼女の唇が、蟲惑的に蠢くからか同情を誘っているからかは欲望だけの男には何も分かりはしない。


「ねぇ、慰めてよ」


 その一言が引き金だった。巴先輩が望むのならばと、躊躇いを無くした。たった一回、それだけのことだ。何の問題もない。何より、巴先輩がそれで満足できるなら協力してやるほかない。それが自分にできる唯一のことだ。自分の携帯がなっているのを知っていながら、それを無視してコトに及んだ。
 ただ絡み合ってもつれ合って、欲望を満たして悲しみだけを忘れる為に彼女は腰を振った。現実から逃げる為に、それに合せていただけだと本心は分かっていた。けれど、逃げる以外に生き方を知らなかった。





−続−

勝手に呑んだらダメですよ