女は大抵の場合面倒くさい。処女と寝れば責任を取れとか痛いとか騒ぐだけ騒ぐし、一度寝ただけですぐ怒る。だから浮気はばれないようにするべきだし、寝るなら簡単に別れられる女と、といつだって思っているからひかりみたいなサバサバしている女がセフレとして成立している。
下着だけを身につけて、空だった煙草のケースを握りつぶしてゴミ箱に入れ部屋に取りに行って新しいものをあけた。半分ほど吸ってから、己の過ちに漸く気づいたが、それでもまた過ちのような気はしていなかった。ただ漠然と空しい気持ちではある。
「……お兄ちゃん?」
ソファの上で気を失った恵が、小さく身じろいで掠れた声を上げた。怯えて震えていたくせに口では大丈夫と言い張ってそれでも痛いと泣いた女は、恥ずかしそうに躯を縮めて上にかけられたシャツを引き上げた。
血は繋がっていないが妹だと言うことは分かっていた。好みのタイプともかけ離れているし何よりも子供だ。絶対に抱くことなんてないと思っていたし、処女を相手にしたくないとアズミのときで肝に銘じておいたはずなのに、それでも最中はそんなことが気にならなかった。溜まっていた訳でも飢えていたわけでもないのに、止まらなかった。止まるのが億劫だった。
「あの……っ」
身を起こそうと恵が腕に力を入れたが、途端に顔を歪めてソファに身を沈めた。どこか恥ずかしそうな顔で見てくるのを横目だけで確認して長くなった灰を灰皿に落すと、恵のその顔に物言いたげな色が宿る。しかし唇で音にせずに「何だよ」と訊けば顔を背けてしまうからコミュニケーションなんて取れていないに等しい。
「……飯、食う?」
「いらない。ねぇ」
「なんだよ」
「ありがとう」
一体何がありがとうなのか、染まった頬にそれを訊くことをはばかられた。ありがとうといわれることは何一つしていないし、そもそも掛けられる言葉は罵声であるべきなのだ。己の虚無感を満たすための行為だったのに、罪悪感は募っていない。せめて罵声を浴びせ喚起してほしい。それこそ都合のいい願いだと分かって入るけれど、自分から己を貶められるほど強くはなかった。
「……躯、大丈夫か?」
声を掛けたとたんに赤くなる体にほんの少しだけ笑えた。電気を煌々とつけて容赦も優しさも愛すらもなくただ肉体だけを満たすのは、普段からコミュニケーションの手段だと言っているその言葉にすら合致しない。それだけ弱っていたともいえるし、それだけ自己がないのだ。
確固たる意志もなければ、守るべき誓いもない。ただ惰性的に流されて心地良い思いだけを貪る。まるで虫だ。
「あの……お兄ちゃん」
「ん?」
「大好き」
目元を染めてにこりと微笑まれた。無理している訳でもないその笑顔にどうしてか背筋が粟立つ。性欲の類ではなく純粋に恐怖だった。
いつの間にか短くなっていた煙草を灰皿に押し付けて、逃げるように立ち上がる。時計を見ればもう十時を回っているから出前も何も取る時間ではないがこれから食事を作るのも億劫だ。かといってレトルトもインスタントもそう幾つも置いていないし、昼間カップ麺を作って放置したのでもう食べる気にはなれない。
「俺コンビニ行ってくる。お前なに食う?」
「あたしも行くから待って!」
「動けんのかよ、お前」
「う……、が、頑張るもん」
脱ぎ散らかしたジーンズを穿きながら言うと、恵が赤くなって痛そうに顔を歪めながら躯を起こした。着替えて来ると言い残してリビングを出て行ったが、歩き方がへっぴり腰でどうにもまともに歩けないようだった。昨日から同じ服もなんなので新しい煙草に火を点けて自室に上だけ着替えを取りに行く。
自分本位の人間なんだとはっきりと言われたのはいつだっただろうか。たぶんひかりとそういう関係になって少しした頃で、場所はホテルだったと思う。今思い出したのはきっと、さっきの自分の振る舞いが自分本位のものだったのだと恵の後姿が喚起したからだろう。痛いと泣くのを無視してろくに慣らしもせずに欲望だけで犯した。ひかりなら一発殴られて終わりの態度も、きっと初めての彼女には恐怖だっただろう。そういえば、アズミのときもそうだった。
新しいTシャツを適当に来てリビングに戻り、ひかりに電話を掛けてみた。出なかった。アズミにも掛けて見た。切られた。
二本目の煙草を吸い終わる頃に、恵が着替えて出てきた。歩き方が少しおかしいが、本人が大丈夫だというのでそのまま玄関に向かう。さも当然と絡み付いてきた腕を振り払うことは簡単にできたが、足元が覚束ない彼女を振り払うほど鬼にはなれなかった。
そういえば十一時を過ぎたら恵は補導される時間になるなと、コンビニについてから思った。別に三十分もすれば帰るのだから問題ではないし、五分もあれば往復可能だ。ただ本当に何となく思った。きっと何も考えたくないから同でもいいことばかり浮かぶのだろう。
「でもこんな時間に食べたら太るよね?」
「じゃあ食うのやめれば」
「おなか減ってるもん。あ、アイス食べたい」
腕に絡みつくようにして歩くのはただ体を支えているからだろうか。それとも他に意図があるのかは分らない。ただ今までよりも近くに感じる恵の態度が少し腑に落ちなかった。適当に自分の分を籠に放り込んで、アイスのケースに張り付いてしまった恵を置いてついでに雑誌を眺める。別に見たいわけではないが、なんとなくコンビニにきたら雑誌を見てしまうのは最早癖だ。
「おにーちゃん!」
「……でかい声で呼ぶなっての」
アイスの方から呼ばれ、深夜で誰もいないからまだ良いがこれが日中だったら無視してただろうなと思いながら足を引きずって戻る。途中でレジにいる店員にまるでお疲れ様ですとでも言うような顔を向けられたから曖昧に笑った。
足元に籠を置いて、カップのアイスを二つ見比べてにらめっこしている。どっちがいい、とばかりに二つを見せてきた。
「あたしはダッツの方が食べたいのね?」
「で?」
「でもスーパーカップならおにいちゃんと半分こかなって思って」
「誰がアイス食うなんて言った?」
「じゃあダッツ」
「誰が金出すと思ってんだ」
恵が「お母さんが置いていったお金あるでしょー」と言ったけれど、残念ながらそれは主食分のみでアイスなどのデザート代は含まれない。自分の中での決まりごとで、こういうことはどうしてかやめられそうにない。ちなみに煙草代は煙草代で別になる。
「じゃあ半分食べる?」
「分った分った、食う」
「じゃあこっち」
にこにこと恵は笑って籠にアイスを入れた。適当にお茶を買って、また腕に絡み付いてきた恵を無視してレジに向かう。ついでに煙草を買って、店を出た。煙草を買うときに恵にいつも以上に文句を言われたが、レジの横にあった飴を買い与えたら静かになった。
家に帰ると、時計の針は十一時に近づいていた。なんでこんなに遅くなったんだと思ったら恵が相当アイスの前で悩んでいたのを思い出す。テレビを点けたら、気の抜けるドラマがやっていた。
「洗い物くらいやっとけよ。そのくらいできんだろ?」
「はぁーい」
食べながら文句を言うと、聞いてるんだか聞いてないんだかわからない声で返事をされた。その目はなかなか真剣にテレビを見ていて、つられるように視線をテレビに向けると何とも下らない探偵ドラマがやっていた。普段テレビをあまり見ないからこれがどういう番組なのかはよく分からない。すぐに興味を失ってペットボトルを加えて携帯を確認したが、アズミから連絡はないようだった。
「お兄ちゃん、明日もバイト?」
「明日から三日連続。それが?」
「寂しいなって思って」
「知るか」
言い棄てて煙草に火を点ける。最近本数が増えたと自覚はしているけれど、やめられそうにはなかった。どうして増えたのかその理由すらも分らない。ただ煙草を吸うたびに口の端は痛いけれど、それが気にならないほど煙草が欲しかった。
このまま寝るのも癪だから風呂に入ろうかと立ち上がると、恵が何か言いたそうな顔で見てきた。思わず口に煙草を銜えたまま立ち止まる。
「あのさ、お兄ちゃん」
「何だよ」
「一緒に寝よ?」
「寝言は寝て言え」
「じゃあ一緒にお風呂!」
「人と風呂入るの嫌い」
恵に言葉は一々否定しなければいけない気がした。続いた彼女とも入らないのと言う言葉も即座に否定して、まずバスルームを洗うところから始めるならばやっぱりシャワーだけにしようと思ってすぐにビリングに戻った。恵は膝を抱えてアイスを食べている。
恵の斜め向かいに体を投げ出すと、テレビからじっと視線を外して見て来た。しかし対話が面倒なので無視して天井を仰ぎ、上にたゆたう紫煙をぼんやりと眺めた。天井がだいぶ黄ばんでいる。
「お兄ちゃん……」
「…………」
「また……えっちしてね……」
全部が気のせいだったらいい。自分が犯した愚考も何もかもが気のせいで本当は幸せにアズミといちゃついて家に帰ってもいつも通り一人の生活が待っていたら、それが本当の幸せだと思う。けれど現実はさっき犯した妹が、次を求めて頬を染めているシーンだ。現実を否定するように煙草を押しつぶすと、何も言わずに自室に戻った。シャワーも浴びずに布団に潜って、目が覚めたら現実の生活に戻れることを希求して眠る。現実が今だと知っているのに、それでも世迷い事のように現実は違うのだと自分に言い聞かせた。
きっと巴先輩もこんな気持ちだったのだと、今更のように気づいたところでもう遅い。
アズミと連絡が取れない日々は続いた。ただ逃げるように毎日学校に行ってバイトに顔を出し、バイトもない日はひかりに泊めてもらったけれど話を聞いてくれるわけでもなくセックスする訳でもなく一夜明かした。家に極力帰らないようにしていたが、煙草の本数は増える一方でガンになっても知らないと言われたが、いっそガンにでもなりたい気分だった。本当に患っている人には軽蔑されそうだが、それでもいいと思えるくらい、何もかもから目を逸らしたかった。
土曜日に久しぶりに家に戻ると、恵は目を輝かせて飛びついてきた。
「お帰りなさい!」
「……離せよ」
係わり合いになりたくないと即座に離すが、恵は全く何も聞かずに「ご飯作って」などとせがんできた。コンビニ弁当も飽きたとか言うが、だったら作ればいいと自活生活が長いと思う。恵にはきっと通じない。
適当にありあわせのチャーハンを作って風呂も丁寧に洗い、さっさと自室に引き篭もった。何度連絡しても繋がらない携帯を乱暴に畳んでベッドの上に放る。ベッドの上で跳ねて、勢いあまって携帯が床に落下して衝撃的な音を立てた。大丈夫か精密機械。
拾い上げたと同時に着信を知らせるエンブレムが光だし、アズミかと思って慌てて通話ボタンを押した。押してからこんなに焦っている自分が滑稽に思えた。
『克利くん?』
「なんだ、聡子さんか」
『どうしたの、そんなに慌てて』
「ちょっと……彼女かと思って。何?」
『これから帰るから。恵の世話ありがとうね、それから……』
「分かってる。待ってるから静かに帰ってきてな」
引越しは、と訊かれる前に答えて一方的に電話を切った。聡子さんは恵の母親で、何度か釘を刺されているのにそれを破って恵を抱いた。それは彼女にとって手ひどい裏切りだ。だからきっともうこの家にいられない。ずっと思っていたけれど、あれが明確なきっかけだった。
これからという言葉の意味を深く考えるだけの余裕がこのときは存在していなかったのか、深くまで考えられるほど思考が回っていなかったのか、はっきりとは分らない。
−続−
かっちゃんがあずみちゃんを愛し始めるとは予想外です。