時は陽火(ヨウカ)3年。旧暦で言うところの3205年。第三次世界大戦終結から3年過ぎた今でも、その傷痕は深々と地に根を張っていた。3年の長きに渡って続いた大戦に人も世界も疲弊していて、誰もがこの暗黒の地に光が灯る事など、終わりが来る訳が無いと思っていた。しかし、その荒廃した地に、易々と光は降り注いだのだ。
 日本が秘密裏に開発していた生物兵器が太陽の様な光を地に降らせ、地獄絵図の様に人々は苦しみ、大戦はあっけ無い程簡単に幕を引いたのだ。
 大都市を一瞬にして瓦礫と化す兵器。其れは世界を凍らせた。其の力の前に身動きが取れない世界が次々と降伏を告げ、日本は嘲うかのように世界を手中に収め完全なる統一国家を作り上げた。その国の名を、大倭。
 しかし、戦火で疑心暗鬼になった人の心は恐怖で支配できるものではない。総てを失った人々は政府の抑圧に堪えきれずに暴動を繰り返す。自分がどうなっても良いと言うように。自らの身を掛けて。故に軍は解散されること無く、政治の大きな一端を担っていた。





「いや―――!!!」


 夕方。太陽が沈みかけ空を青から橙にそして次第に藍に変えている時間帯。黄昏。そんな哀愁が漂い人によっては表情に悲しいものが浮かぶ時間、甲高い女の声が家中に響き渡った。直ぐにドタドタと音が其の部屋の前までやってきてドアを勢いよく開け放ち部屋の中に飛び込む。


「如何した、サク!?」

「緋桜(ヒザクラ)無事か!?」


 しかし、叫びは虚しく部屋に木霊しただけだった。部屋の中は驚くほどに衣服が散乱していて、部屋の中央に柔らかい鼈甲色の髪をした女がへたり込んでいた。緋桜と呼ばれたこの女こそ先程の叫び声を挙げた人物で、彼女は困ったような顔をノックもせずに飛び込んで来た紫苑色の髪を持つ男に向けた。彼は共に飛び込んで来た真っ白の毛並みを持つ大きめの動物と何事かと彼女を凝視するが、彼女の形の良い唇から紡がれたのは不機嫌な声だった。


「女の子の部屋にノックもなしで入ってこないでよ」

「なっ!お前の事心配したんだろ!?いきなり叫びだすから!!」

「こんなトコに忍び込む賊なんて居ないわよ!!」


 彼女の声に男が唇の端を引き攣らせて反論すると、彼女は手元のドレスを男に投げ付けて叫んだ。どうやら彼女はご機嫌斜めのようで、手近に在る物を容赦なくぽいぽいと彼に投げ付けていく。彼は其れを片手で器用に叩き落としながらずんずんと彼女に近寄っていく。確かに彼女の言い分通り、最強の防御力を誇る大倭軍人の住居に忍び込むというのだろう。中でもこの部屋は最強を誇る第一部隊、通称紫部隊だ。捕まりに来る様な物だ。しかし、何故自分がこんな理不尽な扱いを受けなければならないのか。一応女である緋桜を心配しただけだというのに。


「お前なぁ!人の好意をもっと暖かく受け取れねーのか!?」

「其れどころじゃないわよ!」

「お、落ち着けお前達……」

「うっさい!」


 余りのくだらない喧嘩に白い生き物、日本狼が仲裁に入るが、彼らはギンと彼を睨みつけて黙らせる。相当頭にきているのかお互いに立ち上がって噛み付きそうな視線で睨み合っている。普段からくだらない喧嘩は日常茶飯事だが、今日は余り時間がない。如何しようかと狼が思案を巡らせていると、小さな足音が聞こえて控えめなノックの後に長い髪を後ろで1つに括っている男が顔を出した。其の顔を見た瞬間彼女の顔が綻ぶ。


「カグヤぁ、筑紫(ツクシ)が邪魔するの!」

「何言ってんだサク!お前が悪いんだろ!!」


 彼女がカグヤと呼んだ男に告げ口をするかのように口を尖らせると、筑紫と呼ばれた男は彼女よりも大きな声を張り上げて彼女を指差した。しかし彼女はベーッと彼に向かって舌を出す。其の光景にカグヤは苦笑を零し、彼らの間で固まっている日本狼に視線を送った。一体何が原因なのか、と聞く様に。すると狼は彼らの間をすり抜けるようにしてカグヤの許に歩み寄り、しゃがれた声で告げる。


「緋桜が急に叫びだしてな。なに、何時もの様に只の喧嘩じゃ」

「そう。…サク」


 カグヤはホッとしたように小さく息を吐き出し、それから眼の前で冷戦を繰り広げている彼らに視線を移す。彼女の名を呼ぶと彼女はやや不満そうに彼を見やって眼の前の男を指差した。男が不満そうに彼女の指を掴んで自分の前から逸らす。彼女は完全に其れを無視して頬を膨らませた。


「筑紫が勝手にあたしの部屋に入ってきたんだもん」

「でも、お前の事心配したんだろ?ほら、喧嘩両成敗で終わり。な?」


 緋桜は不服そうにカグヤを上目遣いに見詰めていたが、やがてちらりと後方で腕を組んでいる筑紫にちらりと視線を送りコクリと頷いた。それから、ぱっと思い出したようにカグヤを見やる。其の深刻そうな視線にカグヤは不審そうに眉を寄せた。


「どうした。サク?」

「カグヤ、如何しよう!?」


 ばっとカグヤの傍を離れて部屋中に散乱した衣服を指す緋桜にカグヤはもちろん筑紫も狼も不思議そうに首を傾げた。確かにこそ泥が入ったような部屋だが、一体何があったというのだろう?そんな3人の疑問を解き明かすかのように、緋桜は切迫した表情で言った。


「紅いドレスがないの!!」


 ……………。途轍もなく如何でも良いことだった。只、紅いドレスがないと言った緋桜に筑紫は呆れた様に彼女を見やり、カグヤは如何答えて良いか解からずに曖昧に微笑んだ。紅いドレスがないからと言って如何だというのだろう。しかし緋桜にとっては重要な事らしく、真剣な目つきでカグヤを見詰めた。


「今日は絶対に赤が良いのに!」

「……あのな、サク。今日は何の日だ?」


 カグヤはその場にしゃがみ込み、俯いたままぽつりと言った。髪が掛かって表情は見えないが付き合いの長い筑紫には解かる。完全に呆れ返っている。この状態から怒り出すのはもう時間の問題だろう。相手が緋桜なら尚の事で。滅多に見れないカグヤのマジギレだが、筑紫は見たいとは思わない。ばれる前にトンズラをここうと筑紫は足音を忍ばせて入り口に向かう。緋桜の一言一言がカグヤの怒りを刺激しそうで気が気ではない。


「今日は……任命式の立食パーティ」

「そんな新しいドレスじゃなくてもいいだろう?」

「でもさ、カグヤ。軍人全員所か軍の政府のお偉いさんも来るんだよ?」

「そうだな。俺は軍服で良いと思うんだが?」

「だからこそお洒落しないと。あたしたちは大倭軍のエースだよ?」


 大倭軍の第一部隊と言うと、他隊から一目も二目も置かれている存在だ。住居も別格だし、あらゆる点で優遇されている。だからこそ、見た目にも気を使わなければいけないと言う紫部隊の紅一点に言われ、もう何を言っても無駄だと思ってカグヤは小さく頷いた。降参の意を示すように立ち上がると踵を返して部屋を出る。


「パーティまで2時間在る。買ってくるなら筑紫、お前付いて行ってやれ」

「はぁ!?何で俺が……解かった。行くぞ、サク」

「やったぁ、カグヤ大好き」


 筑紫はカグヤが自室に消えるのを見届けてから、自分も緋桜に付いて行くために玄関に足を向けた。本当に、彼はお人良し過ぎるのだ。










 煌びやかと言うほどでもないが、それなりに華美な雰囲気を醸し出しているパーティ会場に真っ赤なドレスに身を包んだ若い女が姿を現した。其の後ろにはタキシード姿の男ときっちりスーツを来た男が並んでいる。まるで姫がエスコート付きで現れたような彼らに会場内は大きくざわめくが、更に其の後ろから現れた真っ白な毛並みで深い紫色の瞳を持った大き目の動物に更に大きなざわめきとなり好奇の眼が彼らに送られる。大倭軍各部隊に1頭ずつ与えられた動物は、各隊の部隊色の目を与えられる。紫の眼を持つ日本狼は、彼らの地位を表しているのだ。
 そんな眼を気にもせずに、タキシード姿の男が隣の男に何とはなしに声をかけた。


「珍しいじゃん」

「何がだ?」


 やや着崩したタキシード姿の筑紫に咎めるような視線を送りながら、カグヤは問い返す。いくら私服で、しかも事前に通知が来ているとは言え、此れを仕事だと認識しているカグヤとしては眼の前のお姫様の格好も気になる事ながら隣でだらしなくタキシードを気崩している男はどうにかならないかと思う。しかし自分が何を言っても無駄だという事は経験からわかるので言わないで置く。
 珍しく真面目な声音に何かと思うと、筑紫は表情を変える事無く言った。


「カグヤがサクの我侭聞くの。何時もはドレス買う、なんて言ったら絶対に良いなんて言わないのに」

「…サクだって女の子だからな。しかも若王子の末裔だから」


 そう言ってカグヤは眼の前を胸を張って歩く彼女に微笑んだ。何時もは気付かない間に彼女は強くなった。そう思うと何処か寂しいような嬉しいような感情が涌いてくる。
 『若王子』。嘗てこの国で1、2を争った名家だが、大戦終結間際に一族で命を奪い合い滅んだ。その最後の血を継ぐ彼女は、家が滅んだ今でも色々な者を背負っていて、見ていて痛くなるようなときもあった。だから、少しぐらいの我侭も許してしまう。其れは仕様がない事なのだろうけど。


「あっそ。でもカグヤじゃないとサクは止まらないからな。忘れんなよ」


 茶化すように笑った筑紫にカグヤは微笑み、壁際までやってきた緋桜の隣に並んだ。自分と筑紫と緋桜、それに小川さん。それだけ居れば、何でも出来るような気がしていた。
 その時、会場の明かりが消え舞台上に立っている男にライトが当った。スーツ姿の男は手に持った髪に視線を落としながらもったいぶる様におほんと咳払いを一つした。


『此れより、今年度大倭軍任命式を開始いたします』


 パチパチと疎らな拍手は直ぐに消え、何の感動もないまま男は無機質に文字を読んでいく。


『前年に引き続き第一部隊。杭ノ瀬覚哉、宮守筑紫、若王子緋桜』


 その言葉に、会場の空気が色めき立つ。微かな囁きの中には「またかよ」や「やはり生まれが…」など感動とも蔑みともつかない言葉が混じっていて、カグヤは微かに瞳を歪めた。
 大地部隊隊長杭ノ瀬覚哉。それがカグヤの本名だ。大戦終戦と同時に大倭軍が結成され、それ以来任務成功率100%を誇っている第一部隊の隊長を務めている彼は人前では決して表情を変えない。そんな彼の微かな変化に気付いて隣に居た緋桜は微かに身動ぎしてカグヤを見上げた。


「寒いか?サク」

「んーん。大丈夫」


 直ぐにカグヤが気付いて声を落として問いかけると、緋桜は彼の腕に自身の腕を絡めながら微笑んで首を横に振った。其れを隣で見て筑紫はホッと息を付く。カグヤは敏感なのだ、人の中傷に。自分は気にしていないのに、彼だけが気遣ってくれる。さっきの言葉の半分は自分に向けられたものなのに、傷付いたのは自分ではなくカグヤなのだ。そう思い、筑紫は奥歯を噛み締めた。
 そうしている間にも淡々と文章が読み進められていく。


「カグヤ」

「どうした?」

「悪ぃ」

「俺が勝手にしてることだろ」


 俯いてポツリと呟かれた筑紫の言葉にカグヤは笑みを浮べた。彼だけに向けられている侮蔑ではないのだから。言うならば、『紫』を背負った全員に向けられたものだ。はるか昔から禁忌とされてきた『紫』。その禁忌の色を髪に持った彼は畏怖の眼から逃れられない。其れは『紫』を背負わされた自分たちも同じなのだ。だから彼だけが気にするものではないのだ。そう言ったカグヤに筑紫はハハッと照れたように笑みを零す。


「ホント、お前等大好き」


 言って、筑紫は隣の緋桜の肩に腕を回した。ちょうど終わったのか、舞台の男は持っていた紙を畳んで去っていく。会場に明かりが戻り、もう用はないから帰ろうかとカグヤ達は壁から背を離した。と、前から歩いてきた男を見つけて緋桜の体が強張る。如何した、と聞く前に男が此方に手を振った。


「緋桜さん」

「…………深水(フカミ)博士…」


 其の男は化学長で、瞬間的にカグヤと筑紫は緋桜を護るように視線を男に送る。緋桜は何が怖いのかぎゅっと自分のドレスの裾を握っていて、カグヤはじっと彼を見詰めた。化学部は、兵器の開発から生物までありとあらゆる物を扱っている。各部隊に与えられた動物も、彼らが作り出したものだ。怯えを露にする緋桜に向かって深水は厭らしく唇を引き上げる。


「綺麗になりましたね。本当に」

「…ありがとうございます」

「おいサク!帰んぞ」


 緋桜は唇を噛み締め深水を見上げた。彼が口を開きかけたとき、噛み付くように筑紫がほえた。思いがけない声音に緋桜は弾かれたように彼を見やり、筑紫は有無を言わせずに踵を返すと歩き出した。緋桜は慌てて彼の後を追い、カグヤは彼に小さく会釈するとゆっくりと彼らの後を追った。


「…何してんの、小川さん。置いてくよ?」

「あ、あぁ……」


 足を進めようとしない日本狼の小川さんにカグヤが振り返って声を掛けると、彼は歯切れの悪い返事を返してカグヤの隣に並んだ。其の姿を見送りながら深水がペロリと唇を舐め上げた。


「本当に、彼らは面白そうだ」


 其の声は喧騒に紛れて、誰にも聞こえなかった。





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初めての近未来軍物です。
これから戦闘です。可愛がってください。