数メートル進んだところは曲線を描いていてここからは見えないが、出口になっているだろう。銃声と人の声を聞きながら、緋桜は鳥居の一本に寄りかかって足元を見つめた。細い指は一応は引き金に掛かっているが、力は篭っていない。
普段とは違い元気のない緋桜の姿に、彼女のブーツを白い緒で撫でていた小川さんは微かに紫色の瞳を眇めた。声をかけようか悩んで緋桜を見上げると彼女はにこりと微笑み、彼女が無理していることがありありと見て取れた。
「どうした、緋桜」
「何がぁ?」
「何を考えておる。ワシに言えんのか?」
小川さんが眉を寄せると、緋桜は苦笑に似た笑みを浮かべてその場にゆっくりとしゃがみ込んだ。小さな手のひらを口元で合わせて足元を見つめると、ひらひらと白いものが動いていた。
緋桜の手は、軍人の手ではない。白くて細い手には銃よりもマニュキアがよく似合うし、豆ができたことのないような手はバラでしかケガをしないようなほど儚いようだ。これこそ、白魚のような手と呼ぶべきものだろう。けれど緋桜は今、銃を持っている。
最後の銃声が響いた後、その残響を聞き終わってから緋桜はゆっくりと桜色の唇を動かした。
「……私、この場所知ってる」
「だからどうした?」
石畳を叩く音が二人分、甲高く近づいてくる。カグヤと筑紫は怪我をしていないかなと頭の端で思いながら、緋桜はちろちろ動く白を目で追った。小川さんは日本狼だから、内緒話ができる。緋桜だけではなくみんなそう思っているのだろう。彼は、人間じゃないから。二人分の足音が聞こえなくなったけれど気にせずに緋桜は尻尾を目で追い続けた。
「小さい頃、来たことがある。もうあんまり記憶にないけど、来たことがあるの」
「……そうか」
若王子緋桜は、かつてこの国の名家であった一族の末裔だ。大戦前からこの地域は名家の者のみが近づける場所であり、この場所を訪れることが権力者としての洗礼でもあった。若王子の名を持つのなら訪れた経験があったとしてもおかしくはない。
鳥居の影で緋桜の落とした声を聞いていたカグヤと筑紫は揃って顔を見合わせた。彼女の言わんとしていることが全く分からない。声をかけようかと思ったけれど、緋桜の詰まった息にこちらも息を止めてしまった。
「だから何か、居辛くて」
「何を気に病むんじゃ?」
「二人は知らないのに私だけ知っているって、何か仲間はずれみたいで……」
「バッカじゃねぇの?」
緋桜の声が震えた気がして、筑紫はわざと大声を上げた。もたれかかっていた柱から体を離して緋桜たちのほうに再び歩き出す。後ろからカグヤの咎めるような声が聞こえたけれど、筑紫は無視してポケットに手を突っ込んだまま石畳を叩いた。いつも説教したり慰めたり、話を聞くのは小川さんの役目と何となく決まってしまっていたけれど、今日だけは譲れない。
「なぁに気にしてんだよ」
「何よ、筑紫」
「一回来たことあるからって何だよ。お前があいつらの仲間なのか?」
話を聞かれたばつの悪さか、緋桜が立ち上がって筑紫を睨みつける。この二人が喧嘩するのはいつものことだけれど漂ってきたピリピリしたこの空気にカグヤは慌てて二人の間に割って入ろうとしたが、小川さんの尻尾に阻まれて足を止めた。筑紫は気軽く肩を竦めてポケットから煙草をひっぱりだして器用に口の端で引き出した。
「今は俺たち、仲間だろ?」
火を点けながら筑紫が口の端を引き上げると、緋桜は目を見開いて筑紫を見つめる。
今を生きる人間に、過去なんて関係ない。そもそも紫部隊に回顧するべき過去を持っている人間はいないだろう。今まで過去を話題にしたことはなかったけれど、そう思わされる。過去に何があったかお互い知らないけれど、今はみんな仲間だ。それに間違ったことはない。
緋桜は無意識に涙ぐむと、地面を蹴った。飛び込んでくる小柄な仲間の為に筑紫が腕を軽く広げるが、緋桜は筑紫ではなくカグヤの胸に飛び込んだ。
「ごめんなさい!」
「よしよし、信じてくれるか?」
「俺じゃねぇのかよ!!」
筑紫の叫び声が木霊し、その後数秒沈黙が続く。空の上でカラスが鳴いた。その声に三人は同時に吹き出した。カグヤは飛び込んできた緋桜の背をポンポンと撫で、それを見ていた筑紫は緋桜を挟むようにしてカグヤに抱きついた。重さに一瞬緋桜の顔が歪むが、すぐに楽しそうな声に変わる。年頃の男女が抱きしめあっている様に小川さんは細く息を吐き出した。仲良きことは、良いことだけれど。
「お前達、仕事中じゃろうが」
「「「あ」」」
同じタイミングで呟いた三人に小川さんはまた溜め息を吐いた。三人は数瞬後に横に並ぶとさっきまでの恐怖はどこへ置いてきたのか、仲良く歩き出した。緋桜を真ん中にして右にカグヤ、左に筑紫。いつもと同じ並びだ。
「ここ出てもまたこの気味悪ぃ鳥居続いてんだぜ?」
「……そう」
「いい加減に飽きてくるよな」
コツコツと石畳を叩きながら歩くと、ほんの少し開けた場所に出た。血だらけのその場所で動くものは何もなく、先ほど筑紫たちが行った攻撃がいかに壮絶だったかを思わせた。その場所を挟んでまた鳥居が続いている。今度は躊躇うことなく三人で足を踏み入れた。しかし何か変な感覚はするのか、三人はしっかり手を繋いでいた。
両手を握られて表面上は機嫌がいい緋桜を横目で窺って、カグヤはホルスターを何度か撫でて口を開いた。
「サク、さっきの事だけどな……」
「え?」
「過去があるから今があると思うんだ」
いきなり話しだしたカグヤに緋桜だけでなく筑紫もカグヤの顔を窺った。しかしカグヤはいつも通り穏やかな顔をしているだけで、緋桜は不思議そうに眉を寄せた。その隣で筑紫が上を見上げて紫煙を吐き出す。上は木々で覆われて空は見えなかった。
「過去の経験が今の自分を創る。だから、過去をちゃんと受け止めて生きよう?」
「変なカグヤ。別に過去を拒否してる訳じゃないもん」
緋桜はクスクスとカグヤに笑って顔を上げた。それを横目で見た筑紫は微かに目を眇める。きっと緋桜は口に出したほど簡単に過去を忘れられはしないだろう、それほどに辛い過去を持っていそうだ。ただの勘でしかないけれど、そう思う。気丈に振舞っているような笑みに見える緋桜の姿にいらつきを覚えて筑紫は息を深く吸うと、まだ長かった煙草が目の先で急激に短くなった。
「ところでさ、この先どうなってるかサク知らねぇの?」
「んっとね、……階段があって、それを登ると開けた広場みたいな場所に出る。そこに本堂があった気がする」
思い出すように目を細めてゆっくりと言葉を発する緋桜の横顔を見ながら、筑紫はまだこの先あるのかと深く溜め息を吐き出した。別に仕事だから疲れたとか文句を言う気はないけれど、できれば勘弁してもらいたい。
「なんじゃ筑紫、大きな溜め息を吐きおって」
「だってここヤなんだよ。敵しかいないってのは分かるけど、雰囲気が怖ぇだろ!」
「やっぱりチキンじゃん」
「ンだとぉ!?」
「喧嘩するんじゃない!」
こんなにも子供のように騒がしい奴等がこの国で一番強い大倭軍第一部隊なのかと思うと信じられなくて、目の前をじゃれあいながら仲良く歩く三人の人間に向かって小川さんは大きく溜め息を吐き出して耳を振るわせた。
長い階段をグリコをしながら上がりきると、開けた場所に出た。そこに潜んでいる大量の気配に三人は同時に銃の引き金に手を掛ける。
三人が立っている場所の正面に更に上に続く階段があった。たぶん、それが本堂に続いているのだろう。今まで登ってきた階段も結構な距離を歩き、山の中腹を軽く越えているだろう。
三人は周りの気配に気を配りながら、ゆっくりと足を踏み出した。じゃりっと軍靴が細かい石を踏んだ感触があり、不意に風の音が大きくなった気がした。一瞬視界が塞がれ、三人が再び目を開けると正面の階段の一番下に片腕のない男が立っていた。
「ようこそ、お姫様と騎士諸君」
「リーダー自らのお越しか。ゴールはここで良いようだな」
カグヤが呟くと、その声が聞こえたのか男はさも面白そうに肩を震わせて笑った。耳につくその声にカグヤは不快そうに眉を顰め、ホルスターから銃を抜き出した。簡単にセーフティを外して、男の眉間に狙いを定める。男が一歩ずつゆっくり歩いてくるけれど、カグヤは撃たなかった。
「さぁ、若王子の姫、こちらへ」
「……何で私が行かなきゃなんないのよ」
「我等が主のご命令だからだ。だからここに招待したのだよ」
この男がリーダーではない事実に、カグヤは目を眇めた。こいつを殺さないほうがいいことを頭で理解しながら、銃口は外さない。いつでも殺せるように、カグヤの手は近づいてくる男だけを狙っていた。其れを補うように筑紫の銃口が周りの茂みをゆっくりと眺め廻している。
近づいてくる男に緋桜は二人の手を握り、緋桜は彼を見据えてゆっくりと口を開いた。いつも子供のようによく動く大きなアーモンド形の瞳は、男だけを射竦めていた。
「私が行く必要がどこにある」
「良い眼だ、姫。彼方はこちら側でしょう?」
「私は大倭軍第一部隊、若王子緋桜だ。お前等の側ではない」
緋桜がはっきりと言い放った。その声はいつもとは全く違う、王の気位すら溢れていた。これが、紫部隊のお姫様だ。誰よりも気位が高く、わがままだけれど意志は強い。このために、彼らは騎士となることを決めたのだ。
緋桜が言い終わるのと同時に、筑紫は短くなった煙草をプッと吐き出した。それが引き金になったように一斉に茂みからたくさんの武装した兵士達が飛び出してきた。筑紫は緋桜と繋いでいた手を放して、左手で端から襲い掛かってくる敵を撃ちながら右手でグリップを握った。
「カグヤ、後ろ」
「小川さん伏せ!」
筑紫の言葉とほぼ同時にカグヤは緋桜の手を離して体を捻ると後ろから湧き上がってきた敵を撃ち違えることなく撃ち殺す。緋桜を護るように筑紫は彼女の前にでて両手で両脇から湧き出てくる敵を打ち倒し、カグヤは緋桜に背を向けて正面から階段を登ってくる敵を地に倒していく。弾切れをおこして筑紫が左手を下げた瞬間、緋桜はそこから正面に向かって手にしていたそれを軽く投げた。
耳の横を風を切る音をさせて通過したそれに目を細め、筑紫は息を飲んだ。慌てて緋桜の頭を抱えてその場に伏せる。
「バッ!」
筑紫の声は、大きな爆音にかき消された。振り返ったカグヤはとっさに顔を多い飛んでくる木片やら石を手で避けて、軽く目を眇める。たった一つの爆音の間に筑紫が数度銃を唸らせ、カグヤが顔を階段の下に戻したときには上がってくる敵はもういなくなっていた。代わりに数人の死体が増えている。
完全に自分たち以外の人間の気配がなくなって、三人は顔を見合わせた。してやったとでもいうような良い笑顔の緋桜に、騎士たちは大きく溜め息を漏らす。
「サク……手榴弾ダメって言っただろ?」
「だぁってあの男ムカつくんだもん」
「そんなことで犯人を殺してどうするんじゃ」
「小川さんは頭が固いなぁ」
「でも、あいつ死ななかったら反倭派一斉検挙とかできたよな?」
筑紫が言いながら立ち上がった。この件の事件関係者は全滅だろう。手早く済んだが、それはまずいと思う。一応、軍規では一人は証人を残すように定められている。しかも、神域破壊。これは謹慎とかそんな可愛い問題じゃないだろう。苦笑に似た笑みを浮かべながら筑紫は銃を仕舞い、代わりにポケットから煙草を取り出した。火を点けて、詰まった息を吐き出す。
「でも、手榴弾は犯人のせいにすればいいと思わない?」
「ま、そうだな」
軽く言って笑いながら立ち上がる緋桜に溜め息を吐き出して、カグヤもポケットから煙草を引っ張り出す。火を点けようと思ったがライターを忘れたようで、軽く舌を打ち鳴らしてカグヤは筑紫の首に腕を回してその顔を引き寄せた。
「火、寄越せ」
「ん。見返りは?」
「今夜のデザート」
筑紫から火を貰って、カグヤは心地良さそうに紫煙を肺一杯に吸い込んだ。不機嫌そうに器用に顔を歪めた白い狼が優雅な動きで階段を下りるのに続いて足を踏み出すと、緋桜がカグヤの腕に甘えるように絡み付いて「今夜は海鮮リゾットがいいな」と言ってにこりと笑った。すき焼きじゃないのかと思いながら、三人は並んで登ってきた石段を下り始めた。
-next-
男女三人てドロドロな愛憎を生み出せますが、微妙な関係も生み出せるんですね。