当たり前と言ったら当たり前かもしれないけれど、本部に戻ったらもう日はとっぷり暮れていた。折角約束した海鮮リゾットは当然お預けとなり、紫を与えられた三人と一匹は珍しく軍部の一階にある食堂で夕食をとっていた。各部隊はよく利用する食堂だが、紫部隊は料理自慢がいるために部屋で食事をとっている。軍服姿のままで、紫部隊のお姫様は不機嫌に顔を膨らませていた。


「……海鮮リゾット……」

「今食ってんのは何だよ」

「……カグヤのリゾット食べたかった……」


 ぶつぶつ言いながら一応海鮮リゾットを食べている緋桜に筑紫はイライラとカレーを口に運ぶ。二人の姿を見ながら、カグヤは小さく溜め息を吐いた。帰りのシャトルの中で何度も緋桜に謝って明日作ってあげると言ったにも拘らず今日食べたいのだと言った緋桜は、あれから元気に見える。リゾットを作ってあげられなかったのは残念だけれど、筑紫と口喧嘩できれば十分だろう。
 小川さんの皿にミルクを淹れてあげながら、カグヤは大根の煮物を摘んで半分に割り、中に色が染みていないことに眉を寄せる。


「しょうがないだろう、店は閉まってたんだから」

「だって食堂のご飯美味しくないんだもん」

「緋桜、失礼じゃろう」

「だってぇ……」


 子供のように唇を尖らせる緋桜に苦笑して、カグヤは部屋のキッチンに置いてあった食材を思い描いた。確か小麦粉などはあっただろうし、フルーツの缶詰もあった気がする。生クリームがあったかどうかは定かではないが、そのくらいは筑紫にでも買いに行かせればいいだろう。これで少しは二人の機嫌も直るだろうと思って、カグヤは煮物を口に運ぶ。確かにあまり美味しくなかった。
 任務が終わった辺りから、筑紫の機嫌も良くなかった。彼のこういう不機嫌さは分かりにくいのだが、理由は緋桜のことだろう。傍から見たら変わらないのだがたぶん緋桜にも伝わっているのだろう、彼女の機嫌の悪くなり方がおかしい。


「ほら、後で何か作ってやるから」

「アップルパイがいい」

「……フルーツケーキとかでもいいか?」


 多分、りんごがない。そう思って言うと、緋桜は素直に頷いた。少しごねると思っていたカグヤはほっとして了解の意を示す。下で小川さんが「甘やかすんじゃない」と言っているが、緋桜を甘やかさないで誰を甘やかせばいいというのだろう。筑紫なんて甘やかしても気持ち悪いだけだ。
 カグヤが聞こえない振りをして黙って食事を続けると、第二部隊が歩いてくるのが見えた。


「珍しい、紫じゃない。杭之瀬隊長、おつかれさまです」

「お疲れ様です」


 にっこりと微笑みかけてきた第二部隊にカグヤは軽く頭を下げて、急に黙りこくった二人に視線を移した。さっきまで元気に口喧嘩していたと思ったのだが、やはり彼女たちが来るとしょうがないことなのだろうか。第二部隊、通称青部隊は女性三人で構成されている隊で、フクロウを守護獣にもつ。今も青い目をしたフクロウが隊員の肩に留まってじっと緋桜を見つめていた。青部隊の面々は緋桜が上位部隊にいるからだろうか、仲が悪い。いつもは強気な緋桜なのだが三人相手には勝てないのか、子供のように黙りこくっていることが多かった。
 黒髪を一つに結った坂田淳子が俯いて食事している緋桜を見下ろして、勝ち誇ったように笑ったのをカグヤと筑紫は見た。


「あら、まだいたのね。お嬢様?」

「……食事がまずくなるからあっち行っていただけますか」

「杭之瀬隊長も大変ですね、こんなお荷物のお世話なんて。私が是非代わってお役に立ちたいものを」


 緋桜の呟きにも似た言葉に淳子はひくりと口の端を引きつらせた。しかしどうにか笑みを保ってその顔をカグヤに向ける。けれどカグヤは曖昧に微笑んだだけだった。
 確かに緋桜の戦闘能力は、低い。士官学校を卒業はしたので一般兵ほどには強いが、精鋭の意味を持つ部隊所属になるほど更に言えば第一部隊に籍を置けるほどの力は備えていない。理由は明かされていないが緋桜は紫部隊に籍を置いているのだから、カグヤはそれで十分だと思っている。仲間なのだから、お荷物だと思ったことはないし緋桜がいるからこそ自分たちは頑張れる。そう思っているのは、カグヤだけではないはずだ。


「杭之瀬隊長。映画のチケットをもらったんですけど、お暇でしたら一緒にいかがですか?」

「え、映画ですか……?」


 うしろから小柄な女性が顔を覗かせ、にこりと笑った。唐突な誘いについ聞き返してしまうと、彼女は大きく頷いて期待の篭った目でカグヤを見る。彼女の名は桜井里美。少女のような風貌だが、実は年齢は三十に届くというところだ。とてもそうは見えないが、彼女も数々の修羅場を潜り抜けてきた。
 にこにこと笑っている里美に戸惑いを覚えながら、カグヤは仕事が忙しいという理由で丁寧に頭を下げた。その光景を筑紫と緋桜がじと目で見ているが、気付かないふり。


「俺なんかを誘わずにちゃんと恋人を誘った方がいいですよ?」

「じゃあ私の恋人になる?」

「冗談もほどほどにしないと、周りに誤解されちゃいますよ」


 にこりと誤魔化しでカグヤが微笑むと、彼女は僅かに頬を染めてまだ文句あり気に口元に手をやった。けれど彼女が口を開く前に淳子が時計が刺している数字に顔を引きつらせて「それじゃあ、また」と言って小走りに行ってしまった。翻る軍服を見送って、カグヤは肺の中が空になるほど深く溜め息を吐き出した。


「……なんなんだ、一体」

「もてるねぇ、カグヤ」


 スプーンを銜えたまま筑紫がニヤニヤ笑って言った。その言葉の方に胡乱気な視線を向けると、筑紫はからから笑ってスプーンを置き代わりにポケットから煙草を引っ張り出す。人の不幸を楽しんでいるような筑紫の顔にムカついて、カグヤは煮物の最後の一切れを口に運ぶと箸を置いて手を合わせた。
 筑紫が煙草を吸いながらちらりと緋桜をみると、彼女は深く俯いてふるふる震えている。また今回も来るなと思って目を眇めると、緋桜がスプーンを取り落とした。カラーンと甲高い音がする。


「むっかつくぅ!!」

「サク!落ち着け!」


 緋桜は彼女たちに会うといつもこうだ。子供のように叫んで持っているものを振り回す。それを宥めるのはカグヤではなく筑紫の役目だ。カグヤは顔のつくりが綺麗なうえ人当たりもいいので、もてる。青部隊の女性達にも気に入られているので緋桜はそこがひっかかっているようだ。一方筑紫は髪の色のおかげで整った顔をしているくせに彼女たちからは敬遠されている。紫を身に宿すとは、そういうことなのだ。だからこの場合は緋桜を止めるのは筑紫の役目になっていた。


「何なのよいつも!私だって……!」

「サク、落ち着けって」

「私だってぇ……」


 緋桜の言葉が「強くなりたい」と紡がれるのか「好きでここにいるんじゃない」と続くのか、カグヤも筑紫も分からない。緋桜は言ってはならない言葉のように唇を噛むと膝の上で拳を握り締めた。白くて美しい手は、さらに白くなる。
 その時、館内放送が軽快な音で鳴った。普段この放送に呼び出されることのない紫部隊は特に気にも留めずに各々食器を手に立ち上がったが、放送からは予想外の音が聞こえてきた。


『第一部隊三名、至急軍部長室へお越しください』


 普段自室にいることが多い彼らは呼び出されるときは大体部屋の電話か小川さんについている緊急連絡だけだ。珍しい館内放送に三人は顔を見合わせながら、小川さんに引っ張られて部屋にも戻らず隣の建物の上階にある大倭軍部長室へ向かった。途中緋桜が「……デザート」と呟いたが誰も何もいってやることが出来なかった。










 大倭軍には、部隊所属の兵と地方の大隊に所属している兵の二種類存在する。部隊所属の兵士は特区に建っている軍部の住居施設を与えられ不自由のない生活を送れる。その施設の隣には現役の軍人ではない国の中枢を動かす大臣などの執務スペースになっているビルが立っている。そのビルのある階と軍部住居ビルは繋がっており、紫部隊の面々はそこを通って目的の部屋までやってきた。目の前の『軍部』というプレートに緊張を強いられて、筑紫と緋桜は無意味に軍服を直した。


「なぁんでカグヤはそんなに落ち着いてんだよ」

「いや、慣れてるし」


 ソワソワしている二人にカグヤは苦笑を浮かべてドアをノックする。カグヤは部隊隊長という役柄よくこの部屋を訪れる。任務の報告や依頼を受けるのはカグヤの役目なのだ。
 カグヤがノックするとすぐに中から返事があり、カグヤは特に緊張することなく「失礼します」と言って中に入った。一歩遅れて、二人が心持ち体を寄せ合いながら中に入る。大きな部屋に、筑紫と緋桜は驚いて微かに目を見張った。目の前のガラス張りの大きな窓からは平和な世界が見下ろせる。足元に敷かれた白い絨毯はふわふわと逆に落ち着かない。窓に背を向けるように大きな机で書類を眺めていたらしい若い男が顔を上げてにこりと微笑んだ。


「呼び出して悪かったね、紫部隊諸君」

「今日は何の御用でしょうか?井出元部長」


 まだ年若い男の名を、井出元真白という。歳はカグヤと同程度だろうか、ノンフレームの眼鏡の奥の瞳は優しげに微笑んでいるが、彼の声から温かさは感じられない。天然パーマ気味の柔らかそうな髪を一度撫でて、真白は手元の書類を広げて三人を見据えた。


「まず、任務ご苦労様。一応報告は受けたよ。でもちょっと問題があってね」

「問題といいますと?」

「うん、今回の任務は聖域だったね。そこで何をやらかしたか心当たりは?」


 後ろの二人がピクリと固まったのを感じて、カグヤは一瞬だけ顔を引きつらせた。その変化に真白は気付いただろうかと窺うが、彼の眼は変わらずに微笑んでいた。後ろの二人が緊張でこれ以上ぼろを出さないようにカグヤが一歩進み出る。すると真白は真っ直ぐにカグヤを見上げてにこりと笑った。


「心当たりはあるのかな、杭之瀬隊長」

「俺たちにはありません。テロリストグループの仕業でしょう」


 さっそく手榴弾を投げたことがばれたのかと思いながらもカグヤが内心を表さずに言うと、真白は「そう」と頷いただけでそれ以上何も言わない。彼がこんなことで納得する訳がないのはカグヤが一番分かっているので、それ以上何も言わない。こんなことで騙される相手なら二十八で軍部長などという大層な役職につけない。ただこの話は「大倭軍がやった」と言う事実は残してはいけない。聖域を荒らすことは禁忌だし、本来ならば血すら流すことは許されなかったはずだ。けれど紫部隊は、その場所でたくさんの人の命を奪った。正義の名の下の行為でも、あの場所ではそれが通用しない。


「けれど君達は、あの地でたくさんの血で染めたね」

「そりゃ、仕事ですから」


 真白の言葉に筑紫がつい口を挟んでしまった。言ってからしまったと後悔するが、もう遅い。真白が向けた笑顔に筑紫は背筋にぞくりと何かが走るのを感じた。こんな寒気のする笑顔を見るのは、初めてだ。初めて会ったときから怖い男だと思っていたが、やはりあの感想は間違っていなかったのだと思いなおした。


「聖域に入った瞬間、君たちは軍規ではない規則に縛られていたんだ」

「……結論から仰っていただかないと、パイを焼く時間がなくなってしまうんですけど」


 ちらりと腕時計を確認して、カグヤが当たり前のように告げた。場違いにも程がある言葉に筑紫も緋桜も目を見張るが、当のカグヤ本人はイライラと指で時計の文字盤を叩いている。筑紫は「サクと約束したんで」とまで言ったカグヤの頭をひっぱたいてやりたくなったが、真白の反応は怒るでもなくほんの少し焦ったような顔だった。「それは大変だ」と言って、真白が手元の資料をさっさとまとめる。


「君たちは聖域の禁忌に触れた。その責任がこっちにきていてね、君たちに処分を食らわせないと僕の立つ瀬もなくなる」

「だからそれは犯人のせいだと……」

「杭之瀬隊長。君たちにも責任はあるんだ」


 僅かに強い口調で言って、黙ったカグヤに真白はまとめた書類を手渡した。それを重い腕を持ち上げて受け取って、カグヤは軽く目を瞠る。驚きを顔に貼り付けたまま真白を見ると、彼はほんの少しだけ悲しそうに目を細めて笑った。
 書類にまとめられているのは、第三区のある地下街だった。第三区、旧国名アメリカ合衆国。大戦末期まで戦意を失わず、日本が勝利し世界が大倭に変わっても『自由』を唱えて制圧に抵抗していた。それは今もまだ残っており、別名スラムとさえ呼ばれている。できれば行きたくない地区だ。


「次はここですか?」

「大きなテロ組織が確認されているんだけれど、三区担当の大隊の被害がひどくてね。指揮をお願いしようかと思うんだ」

「一網打尽にでもすれば、上の頭の固い連中も気が済む、と?」

「そうだね。でもパイで首謀者の特定で許してあげる」


 にこりと笑って机に立てた手を組み微笑んだ真白にカグヤは軽く息を吐き出して肩を竦めて見せた。その仕草に真白が眼鏡の向こうで意外そうに目を見開く。カグヤは持っていた書類を覗き込んでくる筑紫と緋桜に渡して踵を返した。


「そこまで首突っ込んで、それで終わりに出来ると思ってるんですか?」

「君ならそういってくれると思っていたよ」

「出発は明日ですか」

「シャトルは準備してある。出発前によってくれるとありがたいね」

「では、失礼します」

「でもパイは食べたいな」


 背中にかかる声に真白にも分かるように溜め息を吐き出して、カグヤは二人の首に腕を回した。驚いている二人を拘束したまま部屋を後にすると、真白のクスクスと噛み殺しきれない笑みが聞こえてくる。その声にイライラして、カグヤは乱暴にドアを閉めた。
 別に危険な任務だということにイライラしているからではない。真白はいつもと変わらずに微笑んでいるけれど、きっと上で何かを言われたのだろう。でなければ、あんなことをしでかした自分たちがお咎めなしで済むとは思えない。分からない顔をして護ってくれる真白に腹が立ったのだと思い当たると今度は逆に面白くなってきて、カグヤは薄く笑みを浮かべる。その時、書類を見ていた緋桜がぽつりと言った。


「でもさ、あの男はなんだったんだろうね」

「上にまだいるみたいだしな」


 井上直樹の言葉を思い出して、カグヤは二人の首から腕を離すとポケットを探って煙草を取り出した。火を点けながら、あの男の言葉を反芻する。狙われているのは緋桜だろうか、ねぐらにしていた聖域、そしてその上にいる人物……。自分たちが思っているよりも大きな事件な気がして、カグヤは紫煙を吸い込みながら目を眇める。けれど今は考えてもしょうがないことなので、今から作ってパイの出来る時間を逆算し始めた。





-next-

井出元真白(いでもと ましろ)

次の指令がでました。
これからカグヤは杏の缶詰を見つけてパイを作り、真白ちゃんのところに持っていきます。