翌朝シャトルに乗って第三区へ発った紫部隊の面々は、時差の関係で早朝に目的地に着いた。シャトルは第三地区軍部シャトル発着場に何の問題もなく到着し、三人と1匹は出迎えたこの地区担当の第三大隊の幹部に伴われて施設内の食堂にいた。


「お待ちしておりました、第一部隊のみなさま」


 やってきて頭を下げた最高責任者にカグヤは箸を止めて頭を下げ、その正面で筑紫と緋桜がきょとんと初老の男性を見た。第三地区軍部の最高責任者である小沢貴房は少将の位を頂く初老の男性だ。白髪が混じっていはいるものの引き締まったからだが彼を若く見せている。顎に生やしたヒゲは厳格さを物語っているが、彼の顔からはそれほどの圧迫を感じない。
 目の前の人物が誰だかわかっていない筑紫と緋桜に下から小川さんが説明する。抑えたしゃがれ声に苦笑を浮かべて、カグヤは箸を置くと敬礼する。


「紫部隊隊長、杭之瀬覚哉です」

「同じく宮守筑紫」

「同じく若王子緋桜」


 カグヤの言葉に続いて、筑紫と緋桜が慌てて敬礼した。すると、小沢少将は柔らかさを含んだ笑みを浮かべて水色のファイルを差し出した。それをカグヤは受け取ってパラパラと中をめくる。文字を追うわけではなく開いていたファイルを不意に筑紫に奪われて、カグヤは半眼で箸を銜えたままファイルを覗く筑紫を睨みつけた。カグヤの隣に小沢少将が腰を下ろし、子供でも見るような優しい視線で彼らを見る。


「筑紫、行儀悪いだろ」

「俺もう食い終わったもん」


 顔も上げずに筑紫は言って、箸の代わりにポケットから煙草を引っ張り出した。器用に口の端で一本引き出して火を点ける。カグヤは「全く……」と溜め息混じりに呟いて再び箸を取ると先程よりも急いで手を動かした。その様子を見ていた小沢少将は特に表情を変えずにテーブルの上で手を組んだ。


「お食事したまま聞いて頂きたいのですが、任務の事で」


 そう前置きした少将のために、カグヤはわざと食事のスピードを落とした。緋桜の手も止まっている。小沢少将は一度三人を見回すと、顔から笑みを廃してゆっくりと口を開いた。
 第3区に蔓延る一大組織がある。トップの名もどれほどの勢力を有しているのかも分からず、しかし大隊は大きな損害を負った。分かっているのはとある地下街に本拠地があるらしい事。しかし彼らは巧みに捜査から逃れ、隠れてこちらに傷を負わせた。そのうちに考えたくない可能性も上がってきて、今ではこの任務に関係する事件は第三軍部の中でも幹部でしか知らないものになってしまった。
 話を聞いて、ファイルをめくっていた筑紫は深く紫煙を吐き出した。白い濁りが消えるのを待って、肩を竦めて笑う。


「それで俺たちって訳か」

「指揮なんかじゃないじゃん、部長の嘘吐き!」

「サク。罰任務なんだからしょうがないだろう?」

「でも、そのおかげで当分カグヤのご飯食べられないんだよ?」


 仲の良い紫部隊の会話がずれていくのはいつもの事だ。いつもと変わらない光景を小沢少将は若干ポカンとしているように見えなくもない。それを机の下から見て、小川さんが一言吼えた。鋭く「ワン!」と言われて音をかき消され、三人が一斉に口を噤んで身を小さくした。


「お前らは子供ではないんじゃ、人の話を真面目に聞かんか」

「「「……はい、ごめんなさい」」」


 一斉に黙った彼らの姿と守護獣の姿を見比べて、少将は驚いた。普通、守護獣はこんなに人間に干渉してこない。それは隊員の側が嫌うからだ。けれどこの部隊は対等に、それこそ獣だと思わないほどに接している。彼らは特別なのだろうかとも思って、彼は顔を険しくする。小沢少将の変化に気付いていないのか、カグヤと緋桜は同時に箸を置いて手を合わせた。すると筑紫がファイルを閉じて短くなった煙草をテーブルの中央に据えつけてある灰皿で消した。


「腹ごしらえもすんだし、行くか」


 無言でガタンと立ち上がった紫部隊の面々に、小沢少将は寒気を感じた。迷いのない眼は、任務に真剣な証だ。けれど彼には、彼らが違う所を見ているように見えたのだ。










 私服に着替えて三人で歩きながら、カグヤはちらりと隣の緋桜に視線をやった。今の緋桜はいつもの軍服ではなく淡い桜色のワンピースにカーディガンを羽織った姿だった。普段から露出度が気になっていたが、今日は妙にそれが気にかかってカグヤは気が気ではない。あんな細いピンヒールを履いて、いざとなったらどうする気なんだ。
 敵をおびき出す為と怪しまれず潜入する為に、彼らは私服に着替えた。もちろん守護獣である小川さんは留守番で無線係をしている。紫部隊の三人は緋桜の右隣にカグヤが、左隣に筑紫がそれぞれ並んでいる。


「……サク」

「何?カグヤすっごい怖い顔してない?」


 カグヤの真面目な声に緋桜がきょとんと首を傾げた。筑紫も常と違い真剣そのもののカグヤの声に首を傾げ顔を覗き込んだ。カグヤは真面目腐った顔で僅かに緋桜から視線を逸らし、一度唾を飲み込んでから口を開いた。


「スカート、短すぎないか?」

「短くないよ。いっつも心配しすぎ」

「やーい、ムッツリスケベー」


 緋桜の不機嫌な声の後に筑紫の笑い声が聞こえてカグヤは二人から見えない位置で右の拳を握り締めた。人が心配しているのになんて事を言うんだこいつらは。緋桜は女の子なんだから当然だろうとカグヤは思っているが、実際膝より少し短いくらいのスカートに文句をつければ誰もが呆れる。しかも今は小川さんがいないので誰も止める者はなかった。
 一しきり笑った後、筑紫はサングラスを少し引き上げて空を見上げた。高いビル街から一本道を外れるだけでスラムは存在し、そこの壁にはどこにでも同じ落書きがあるように思えた。倉庫の壁にも、トンネルにも「FREEDOM AND PEACE」と書かれている。今はもう使われていない英語は、テロリスト達が好んで使う言語だ。


「自由と平和って、俺たちだってその為に命掛けてるっつーの」

「でもあいつらには俺たちは敵なんだ」

「………でも、この国は少し歪んでるよ」

「どこら辺が?俺は大戦前より断然良いと思うけど」


 緋桜の独り言のような声に筑紫が不思議そうに首を傾げる。二人のやりとりを聞きながら、カグヤは顔を歪めた。緋桜と筑紫の間には僅かな違いがある。もちろんカグヤと筑紫の間にも、緋桜の間にも。いままで育ってきた環境が全く違うのだから当たり前かもしれないけれど、カグヤはこの問題はそう簡単に解決する任務じゃない事を悟った。今の世界を正しいとするか、反倭派の言うとおりこの世界は間違っているのか。それは分からないけれど、ただ平和になれば良い。その思いは、反倭派も大倭派も同じはずだ。


「くだらない事言ってないで、集中しろよ」

「わぁってるって」


 話を中断させようと、言いながらカグヤはかぶっている帽子を僅かに持ち上げた。それと同時に気配が生まれ、三人に緊張が走る。けれど表向きはできるだけ普通を装って気付かないふりをして歩く。倉庫の間からガラの悪そうな男が五人ほど連れ立って現れた。


「お兄ちゃんたちー。可愛い女の子連れてこんなトコ危ないんじゃなぁい?」

「ご心配なく」

「通行料、貰える?女の子可愛いから渡してくれたら通してあげるけど」

「……ここは公道のはずですが」

「分かってないなぁ。ここは俺たちエントドッグの縄張りなんだよ!」


 そう言って男はシャツを捲くると太い二の腕をむき出しにした。「FREEDOM AND PEACE」というロゴの入ったタトゥが眼に飛び込んできて、筑紫は内心口角を引き上げる。けれど何も言わずにフード越しに頭を掻いた。禁忌の色をしている髪を見せると無関係な人間に襲われたり遠巻きに見られたりと任務に支障が出るので、私服のときはフードや帽子で隠している。
 二人よりも一歩前に出て、カグヤは軽く頭を下げた。


「仲間に入れてもらえませんか。俺たち、ずっと何か行動したかったんです!」


 カグヤの言葉に男達は驚いた顔をして顔を見合わせた。カグヤはカフェで難しそうな本でも読んでいそうなほど真面目な格好をしている。その人間からそんな言葉が飛び出してくるとは思わなかったのだろう。彼らは無言で顔を見合わせるとそれから筑紫と緋桜を見て、重々しく頷いた。


「いいだろう。ただし、ボスのところに連れて行くだけだぞ」

「はい、ありがとうございます!」


 彼らが後ろを向いた瞬間、三人は顔を見合わせて口の端を引き上げた。思った以上に任務は順調だ。一体どこで大隊の兵はしくじって怪我を負ったかわからない。順調に行くのはこれから何かあるのだろうかと勘ぐって、カグヤは顔を引き締めると歩き出した彼らについて行った。










 スラムの奥にある廃ビルと言うには少し綺麗な建物に連れて行かれて、三人は神経を研ぎ澄ませた。もしかしたら正体がばれていて後ろからバキュンなんてありそうな話だ。けれどそういう訳ではないらしく、すんなり上階の部屋に通された。古ぼけたドアを叩いて男が一礼してから入りカグヤたちを促した。三人も無言で入る。正面のソファでトランプタワーを作っている男は興味無さそうに三人を見て、再びトランプに意識を集中し始めた。


「関谷さん。うちに入りたいって奴を三人お連れしました」

「ごくろうさん。何か良い身なりしてるけど、本気か?」

「はい、本気です!」


 すかさずカグヤは答えた。主に受け答えはカグヤの役目で、筑紫はばれないように部屋の中や相手の男を観察している。関谷と呼ばれた男は「ふーん」と気のない返事を返しただけで、こちらを見向きもしない。相当に強い相手だろうとカグヤは微かに目を眇めた。たぶん、大隊の被害の大半はこいつがだしたのだろう。関谷は崩れてしまったトランプタワーに「あーあ」と呟いてソファにふんぞり返って漸く三人をまじまじと見た。



「俺たちの組織は反倭派のデカイ組織の傘下だ。上の命で薬も女も売るし、人もバラす。分かってるのか?」

「……ちょっと質問なんですけど、良いスか」


 言葉に詰まったカグヤの代わりに筑紫が軽く手を上げた。筑紫の格好はもとから軽く見えるので、この場所にはよく溶け込んでいる。だから相手は警戒していないのだろう、口元が楽しそうに歪んでいる。関谷の沈黙を肯定と取って、筑紫はサングラス越しに天井を見上げた。


「この上にアンタの上司とかもいるんスか?」

「なぜ俺がトップだと思わない」

「だってこのビルまだでかいし、エレベーターは十一階まで通ってるみたいだった。けどここ二階だし、普通は最上階に一番偉い人っているじゃん」

「ただの馬鹿では無さそうだな」

「こう見えても第一帝国大生なんで」


 口から真っ赤な嘘を吐き出して、筑紫は笑った。大倭国に設立されている大学は多数あるが、もっとも優秀なのは帝国大学だ。各地区の番号を付けられた大学は各地区に一つだけしかない。その事実に関谷は胡散臭そうに筑紫を見た。だから慌てて筑紫は手を横に振って「インフォーマーって奴です!」と主張する。将来を国の中枢で働く証明のような帝国大の名では疑わない方が無理があるのだ。
 関谷は考えるように目を閉じて黙って、すぐに目を開いた。


「確かに俺はチームの中で二番目なだけだな。よし、お前等合格だ。今度付き合ってやるから刺青入れろよ」

「ところで、ボスのお名前は何と言うのですか?」


 カグヤの質問にシャツの袖を捲くって刺青を披露しようとしていた関谷は表情を険しくした。けれどカグヤは表情を変えることをせずににこりと微笑む。隣では筑紫と緋桜がはらはらしたような表情を浮かべているが、それが演技だという事は分かっている。


「やはり自分の属する組織のトップの名くらいは存じておきませんと」

「残念ながら教えられないな。ちなみに、俺の名も本名じゃない」


 表情を和らげた関谷に「そうですか」と答え、カグヤはゆっくりと頭を下げた。
 これで、一応の任務は完了した。怪しまれずに敵のアジトの様子を探り、幹部の姿を確認する。まだ甘い気はするがこれで十分だろう。彼らは大隊が使い物にならないほどの手傷を負わせられるほどの手練には見えないが、目の前の男は食えない気がした。普通の交渉ではこちらの身が危なくなる。
 三人は踵を返してスラムの町を後にした。





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小沢貴房(おざわ たかふさ)

この後、夕食の材料をスーパーでお買い物です。