日が落ちる前にスーパーの袋を片手に軍部に戻り、食堂の調理場を借りて緋桜ご所望の海鮮リゾットを作った。いつものように三人と一匹で食べ、寝床として宛がわれた部屋の一つ据え置かれたベッドの上で三人と一匹は背を向け合っていた。宛がわれた部屋は三つあり、各部屋がベッドと簡素なバスルームしかない小さな部屋だった。緋桜は「天下の紫部隊なんだからビップルームでも準備するべきよ」とぶつくさ文句を言っていたが、カグヤと筑紫は聞こえない振りをして煙草を吹かしていた。


「あれがマジで本拠地だと思うか?」


 サイドテーブルに置いてある灰皿に長くなった灰を落としながら筑紫が問うと、髪を梳かしている緋桜が肩越しにきょとんとしたのが分かった。筑紫の隣でカグヤは考えるように後ろに手をついて体を逸らす。
 昼間出向いて調査した裏ストリートの廃ビルでは本部と言うには小さすぎるだろう。けれどあの関谷とか名乗った男の上にまだ人間がいることは確かだろう。出向く前は疑問だったものが、形を伴って謎になってきた。やはり大きいグループなのだろう、多分トップはかなりの大物だ。そしてもしかすると、その大物は捕まえに行けば別の首が絞まるところにいるかもしれない。真白の「犯人の特定だけで許す」と言う言葉はあながち間違っていなかったかもしれない。
 カグヤは紫煙を吐き出しながら井出元軍部長の笑みを思い浮かべた。あの笑顔の裏でどんな真実を掴み、どこまで黙っているのだろう。いつも食えない笑みだと思っていたが、思い浮かべると何だかムカついてくる。


「……もしかしたら、相手はもっとでっかい獲物かもしれないな」

「もっと、って……ロブスターくらい?」

「伊勢海老くらいかな」

「比較対象がわかんねぇよ」


 背を逸らしたついでに煙草を銜えたまま首も逸らすと、振り返った緋桜が不思議そうに聞いてきた。カグヤは微笑して返すが、本人にも獲物の大きさは漠然としか分かっていない。ただの言葉遊びだ。それを自覚しているからカグヤは体を起こしてそのまま前かがみになった。膝に腕をついて体を支えると、赤い火種が視線の先に灯っている。


「お前ら、もうちょっと真面目に話し合いをせんか。作戦は明日じゃろうが」

「明日の作戦って言ったって、下から突っ込んでくだけでしょ?」

「……もっと綿密な作戦を立てられんのか、お前らは……」


 小川さんの呆れたような声でも、三人は曖昧に笑うしかなかった。明日は当初の予定通りあの建物に襲撃をかけて一斉検挙する予定だと小沢少将にも伝えてあるし、初めからその予定だった。小川さんにも緋桜にも伝えていないが、カグヤには懸念している事があった。それを明日の作戦前に伝えようとは思っているが、中々タイミングが掴めない。筑紫はファイルを見て僅かに顔を強張らせたので、知っているはずだ。
 その時、コンコンと控えめなノックの音がした。まず初めに小川さんが顔をもたげ、不機嫌そうに微かに目を眇める。部屋の中から反応がなかったからだろうか、恐る恐る軍服姿の男が顔を出した。


「失礼します、第三大隊副隊長の富士一徳少佐であります。第一部隊の皆様はお揃いでしょうか?」

「ごくろうさまです」


 カグヤは腰を浮かして言いながら、筑紫が差し出してきた灰皿で短くなった煙草を揉み消した。中に招き入れようにも部屋は大きなベッドと窓際に小さなテーブルしかない。どうしようかと逡巡したが、どうしようもないので小さなテーブルの椅子に促した。彼が遠慮がちに入ってくるのと同時に、筑紫とカグヤはベッドの上をテーブルがある窓側へと移動する。
 富士少佐は、三十を超えたところだろう中年の男性だった。ごく普通の容姿をしていて、これと言って特に目につくところもなかった。年齢と階級とを比べるといささか優秀そうに見えるが、立場上大佐の位を有している紫部隊の面々には驚くことではない。ただ、少佐の若者のような茶髪だけは目をひいた。


「明日の作戦のことで窺ったのですが……」


 富士少佐は窺うようにそう言って、黙ってしまう。カグヤと筑紫は定位置のように緋桜の隣に腰掛けると、思わずお互いに顔を見合わせてしまった。いつもの癖でついうっかり三人だけで動くと思っていたのだが、今回は大隊も一緒に行動するのだ。深々と溜め息を吐いて面倒だと体全身で主張している男二人に富士少佐は「えぇ!?」と大きく目を見開いて何がどうなったのか全く分からず二人を交互に見、緋桜は両隣の男の背をそっと撫でた。


「だから部長は指揮って言ったんじゃないの?」

「……俺、サクみたいに何も考えないでいたい……」

「人の事ノー天気みたいに言わないでよ !」


 あからさまに項垂れた筑紫に緋桜は不満気に顔を歪めてバンバンと筑紫の背を叩いた。筑紫は「いててて!」と騒ぎ始め、いつものじゃれあいが始まる。緋桜と筑紫の喧嘩なんてなれたことなので、兄弟喧嘩くらいにしかカグヤは思っていない。いつものように放っておく事にして、無造作に足を組んで戸惑っている富士少佐に向き直った。いい加減になったら小川さんが止めてくれるだろう。しかし現在の小川さんには止める気がないらしく、カグヤの話に意識を向けている。ちらりとそちらを窺えば、「何を言い出す気だ」という疑念の瞳と目があった。


「作戦開始は明日の正午。調べでは幹部の会議があるとか」

「はい、お渡ししたファイルにあるとおりです。それで、我々はどうすれば?」

「裏ストリートの出口に網をかけていてください。それだけで結構です」


 一瞬沈黙が走った。言い争いをしていた筑紫と緋桜も黙ってしまったので、妙な間が生まれている。あのまま喧嘩しててくれれば良かったのにと内心思っていると、数秒置いて「えぇ!?」と大げさな声が飛んできた。まぁそうだろうと予想の範疇だったので、カグヤは煩そうに眉を顰めただけだった。その顔を見てしまった小川さんが物言いたげに口元を曲げるが、それに気付いてカグヤが小言を言われる前ににこりと微笑むので何も言えなくなってしまう。
 筑紫は珍しく投げやりなカグヤの姿に誰にも気付かれないように目を眇めたが、隣にいた緋桜は簡単に気付いてその顔を覗き込んだ。視線が絡み合って筑紫がにやりと笑うので、緋桜は開きかけていた唇を閉じる。


「俺たちはただ上を目指します。誰一人逃がさない、入れない。お願いします」

「はぁ。しかしそれだけでは……」

「そんなに大勢一緒に来られても迷惑なだけ。そう言いたいの、分かんねぇか?」


 特に理由を話そうとしないカグヤの代わりに筑紫が短くなりすぎた煙草を灰皿に押し付けながら言った。一瞬目を見開いた富士少佐だが、筑紫の鋭い眼光に何も言えずに俯き、小さく「失礼します」と言うとそそくさと部屋を出て行ってしまった。部屋を出た瞬間に「呪われた子の癖に」とか悪態を吐くだろうけれど、筑紫の知ったこっちゃない。
 男が出て行ってからすぐ、カグヤがそのままベッドに上体を横たえた。つられて緋桜も倒れこみ、ついでなので筑紫も寝転がる。天井を見上げながら、カグヤが不機嫌に呟いた。


「お前が悪者にならなくたって良かったんだ」

「お前な、俺に感謝しろよ。悪役は俺なんだから」

「……誰がするか」


 ぼそっと呟いて、カグヤは手探りで煙草を引っ張り出した。寝転がったまま火を点けるとベッドから降りた小川さんが咳払いするが気付かない振りをして煙草を吸う。緋桜の向こう隣でも同じ事をしているのか、ライターを擦るジッと言う音の後に筑紫の息を吐く音が聞こえてきた。
 一度紫煙を深く吸い込んでから、カグヤは昇っていく紫煙を見ながら隣の緋桜を見ずに神妙な声を出した。


「まだ可能性の話なんだけどな、この任務、かなりでかいぞ」

「……知ってるよ」

「そうか。……知ってたのか!?」

「カグヤまで私の事能天気だと思ってたの?やんなっちゃう」


 大げさに溜め息を吐いて、緋桜は体を持ち上げた。そのままカグヤの上に馬乗りになり、顔を近づけた。銜えたままの煙草の匂いが濃くなって不機嫌に顔を逸らすと、カグヤは苦笑して左手で煙草を挟んで腕を伸ばす。


「じゃあ言うけど、大隊そのものが反逆者かもしれない」


 カグヤはあえて反逆者と言う言葉を使った。第三地区までの急な任務、大隊の損傷。真白から伝えられた甘すぎる指示。初めから繋がらないことはたくさんあった。渡されたファイルに書かれた報告書には、些細ながらもひっかっかることがしっかりと明記されていた。そして何より、昼間の調査。他所者を簡単に幹部の元に通し、しかも仲間にもしてやるという快諾。これがもし筑紫だけならばあるいは疑うことはなかったかもしれない。けれどあの場所にはカグヤがいた。真面目腐った格好の青年のことを信じる馬鹿はそうそういない。それが大倭軍大隊を手玉に取る男なら、尚のこと。


「最悪の場合、あのチーム潰しても戻ってきた瞬間にこっちが蜂の巣ってことも考えられる」

「……その場合のことも考えてるんでしょ?」

「まぁな。そこで会った頭を殺さずに捕まえて脱出、とか」


 真面目な顔をしている緋桜に向かってカグヤは笑って見せた。すると僅かに緋桜も笑みを浮かべて「適当すぎるよ」と言ってカグヤの上から転がり降りる。再び煙草を口元に持っていきながら、カグヤは曖昧でもそれしかないことを伝えるかどうか迷っていた。実際に大隊が反逆者だったら逃げる術などない。けれど、カグヤは小沢少将が怪しいと睨んでいた。あの男ならば怪しまれずに大隊を操りデータの改竄をやれるだろう。
 長くなった灰を見ながら煙草を吹かしていると、不意に筑紫が起き上がった。銜え煙草のまま大きく伸びをして、放り出してある上着を拾い上げるといつものようにニカリと笑う。けれどその笑みはいつもとは違いやや真剣みを帯びていた。


「わかんねぇのにゴチャゴチャ悩んでねぇで寝ようぜ」

「そうだな。じゃあ小川さん、サクをよろしく」


 それ以上の疑問を出すことなく、筑紫と緋桜はそれぞれ部屋に向かった。小川さんは緋桜の部屋で寝るだろう、いつものことだ。多分部屋の順も緋桜を間に挟むようになるだろう。それが、いつものポジションだ。緋桜は女の子で、守られるためにいるのだと全員が無意識に自覚しているので、今夜もそのつもりでいた。










 ベッドでスースーと緋桜が規則的な寝息を立てているのを聞きながら小川さんは暗がりの中で人の気配を濃く感じて目を眇めた。ゆっくりと体を起こし、しなやかなラインを利用してベッドのドア側から窓側に移動する。
 緋桜の腕時計の秒針が一時を刻んだ瞬間、ガシャンとけたたましい音を立てて窓ガラスが割れて黒尽くめの男たちが土足で部屋に乱入してきた。同時に小川さんも鋭く吼えるが、その声は硝子の割れる音にかき消されて緋桜の耳に届いたのかどうか分からない。
 入ってきた男達は銃を構えて緋桜の寝ているベッドに銃口を向けていた。とっさに小川さんは男達に当身を食らわせようと地面を蹴り、同時に緋桜の名を呼んだ。


「緋桜!」


 プシュッとサイレンサー機能のついた銃口から弾が飛び出した。けれど同時に緋桜の体を隠していた布団がバサッと楯代わりに宙に広げられ、布団の向こうで緋桜がベッドから転がり降りて銃を構えていた。いくら守られるといっても緋桜とて紫部隊の一員だ。足手まといになる気はない。
 男たちが動揺している隙に、緋桜は少し顔を出して威嚇程度に数発撃った。ほとんどは装飾や割れた硝子に向かって飛んだが一発が命中したのか男の呻き声が聞こえる。騒ぎに気付いた大隊兵たちが駆けつけてくるだろうか、自分たちの分を片付けたカグヤか筑紫が飛び込んでくるか。緋桜の予想では後者だった。彼女の中に、前者と言う回答は零コンマ三程度しか存在していない。緋桜にとってすでに第三大隊は敵だった。


「緋桜、怪我は無いか!?」

「見て分かるとおりピンピンしてる」


 ベッドに背を預けた格好のままその向こうの男達に意識を向けると、彼らもこちらを警戒しているのか攻撃しては来なかった。じりじりと、忍耐勝負だ。もともと気が短い緋桜がもう数発打ち込んでやろうかと思ったとき、聞いたことのない男の朗々とした声がした。


「若王子の姫。貴女に危害を加える気はない」

「今撃ってきたくせに何言ってんの。そもそも寝てる女の子の部屋に窓壊して侵入すんのは危害じゃないって?」

「我々の目的は貴女を招待することだ。信じてくれ」


 胡散臭そうな顔をしていた緋桜は、男の言葉に僅かに顔を歪めた。先日の任務でも、あの男は同じことを言っていた。自分を招待だとか主人の命令だとか。やはりあの任務はここに繋がっていたのかあるいは、『若王子の姫』は反倭派にとって何かしら利があるのか……。
 考えても現状が良くなる訳ではないようなので、緋桜は思考を怒りに切り替えた。だいたい、助けに来るのが遅い!


「悪いようにはしない。ジェネラルのご命令だ」

「……大将、ね」


 突然、鍵をかけておいたはずの扉が何の前触れもなく蹴破られた。こんなことをするのは筑紫くらいだけれどももしかしたら敵である大隊の人間かもしれないので、緋桜は銃を構えたがしかしやはり入って来たのは筑紫だった。そのすぐ後ろからカグヤも銃を構えたまま入ってくる。
 侵入者達は任務続行が無理だと判断したのだろう、早々に背を向けて壊した窓から退却して行った。その後姿を筑紫が撃とうとしたが、カグヤの指示でチッと舌打ちして引き金を引かずにくるくると回した。その時になってやっと、大隊兵が駆けつけてきた。


「どうなさいました!?ご無事ですか!」

「遅い駆けつけご苦労さん」


 ドアのところで鉢合わせして筑紫が不機嫌全開で軽く睨みやると、彼らは簡単に敬礼して逃げるように去って行ってしまった。その後姿に舌を出して、筑紫がカグヤの部屋に向かう。
 緋桜の部屋はガラス片や銃痕で寝られたものではないが、カグヤの部屋は全く綺麗なものだった。ちなみに筑紫の部屋は大量の血飛沫が上がっているらしい。夜の襲撃を予想していたカグヤは窓ガラスをはじめから外しておき、さらにベッドの上で煙草を吸いながら待っていたそうだ。同じく予想していた筑紫はしかし何も対策せずに派手に部屋を壊した挙句、ご丁寧にも一人一人体のどこかしらに銃弾を打ち込んだらしい。


「これで決定したな。少なくとも大隊幹部だ」

「一晩がかりの任務かよ。やってらんねぇな」

「そう言いながらお前はご丁寧に証拠集めてるだろ」

「血が渇かんうちに摂取しておくんじゃぞ」

「へいへい」


 小川さんに鋭い双眸を向けられて、筑紫は軽く返事をして踵を返した。襲撃犯の血を摂取して本部に回せば、簡単に犯人に当たる。それがもし軍内のものであれば尚更だ。さっさと取りに行けとばかりの小川さんの視線に追いやられて、筑紫は逃げるように部屋を出て行く。それを哀れそうに見送り、カグヤはベッドに腰を下ろしてちょいちょいと小川さんを手招く。それを見ながら緋桜はベッドに寝転がった。


「小川さん、軍部長室に緊急通信。『スキャーブに目星がついた。送る情報の分析をお願いします』」

「……お疲れ様。無事な帰還と有力な情報を願っているよ」


 カグヤがひどく真剣な声で告げると、小川さんの口からノイズ交じりの若い声が返って来た。小川さんの声帯には通信機能がついている。それを利用しての通信だった。これは電波を利用しているのではないので、盗聴される心配もなかった。
 カグヤの『スキャーブ』という言葉に緋桜が「裏切り者……」とその意味を口の中で唱える。裏切り者とは、初めはその組織に忠誠を誓っているものに対して使う言葉ではないだろうか。果たして犯人は初めから軍に、ひいては国に忠誠を誓っていたのだろうか。それをカグヤに問いかけると、一時でも組織に属しているとその組織に忠誠を誓ったことになるんだよと頭を撫でながら優しい声で言われた。


「明日の方がシンドイことになる。ここにいるから安心して寝た方がいい」


 優しく頭を撫でられて、緋桜はとろとろと瞼を落とした。カグヤの手はひどく安心するから、先ほどまで緋桜の心に留まっていた侵入者の言葉が胸からするすると抜けていった。忘れる訳ではないけれど、それを胸の奥に押しやってまるで母親に守護されている幼子のように眠りについた。





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富士一徳(ふじ いっとく)

カグヤが完全にお母さん。
紫部隊が勝手に動こうとも周りに引き戻す要因があるので、これはこれで楽です。