朝食代わりの握り飯を食べながら、唯一無事だったカグヤの部屋で持参した大き目のトランクを紐解いた。ちなみに昨夜はカグヤのベッドを緋桜が我が物顔で占領したので、カグヤは小さなテーブルとセットの椅子で寝た。筑紫はあの血だらけの部屋で普通に寝ていた。


「つかさ、ビルって下から階段だろ?」

「エレベーターなんて乗ったら即死だと思え」


 見た目からして今日の標的になっているビルは十一階建だと書類上はなっている。渡された資料にもそう書いてあったし、エレベーターは十一階までを表示していた。筑紫はトランクからベレッタを慣れた手つきでつかみ出した。それを左手で遊ばせながらうんざりした顔をする。自身の武器を選びながらカグヤは端目で筑紫の様子を窺って僅かに目を細めた。


「十二階建とかやってらんねぇし」


 嫌そうな顔をしながらも更に警棒を手にする筑紫に笑みが浮かぶ。彼は任務の前に文句を言うのが癖のようなものだから放っておいてかまわない。そう思ってカグヤはトランクの中からデザートイーグルを二挺取り出す。
 書類上十一階と表記されていてもあの建物は十二階だと紫部隊は予想している。もともとあの建物自体が非合法の組織の為に建てられたビルであり、何かしら細工があると思ったほうがいいだろう。そして今は反倭派の連中が使っている。表記されていない部屋があっておかしいことはない。それどころか、その方が都合がいい。


「何カグヤ、デザートイーグル?」

「使い慣れた物が一番だろう」

「室内戦でそんなバケモン使って俺らに当てんなよ」

「お前が注意して行動しろ」


 世界でもトップクラスの性能を持つこの銃をカグヤは愛用しているが、筑紫に言わせるとキチガイらしい。そもそもデザートイーグルは一挺が二キロ弱あり、片手で打つのは難しい。それをカグヤは細身でありながら簡単にこなしている。一方筑紫の愛用銃はS&Wだ。小型だが精度も威力も相当高いだが、カグヤに言わせるとリボルバーは危なっかしいそうだ。今日選んだベレッタは銃弾数も多く、打つのに衝撃が小さい。特筆することがない代わりに利き手ではない方で持っても不安はない。


「いい加減にせんか。時間じゃ、行くぞ」


 少し怒っているような小川さんの声に三人は同時に背筋を伸ばしてホルスターに銃を突っ込んだ。考えてもしょうがない。結局自分たちは戦うしか能がないのだから。戦う事にしか存在意義を見出せないでいるのだから。戦いの中に見えてくる答えを目指して、紫部隊は一晩の宿であり悪意の渦巻く第三地区軍部から出て行った。










 任務に支障のない第三大隊を全て裏通りを塞ぐようにメインストリートに配置させた。この時点で小沢少将の姿は見られなかった。やはり彼が裏切り者なのだろうかと僅かに思いながら、三人と一匹は本部に通達して寄越してもらったヘリに乗った。本来は下からせめて行こうと思ったのだが、多分作戦はばれているので幹部は最上階にいるだろう。もしかしたら二階かもしれないが。このことを知っているのは真白だけだろうから、もし第三大隊の幹部が関わっていても知る由もなかった。


「三十分後に戻ってくる、上げてくれ」


 恐らくは第三大隊がみなグルになっている。全員とは言わないが、少なくとも幹部はもう腐っているだろう。このまま路地から出たら射殺されるのがオチだ。またヘリで上がろうと本部のパイロットに言って、筑紫、緋桜、カグヤの順で降りていく。小川さんは梯子を使わずに飛び降りた。まず筑紫が縄梯子を揺すって反動で最上階のガラス窓を突き破った。


「紫部隊参上!」

「なっ!?」


 硝子の上に降り立つと足の下でペキペキと硬質の音がした。筑紫はすぐに銃を構えて、緋桜とカグヤが降りてくるのを待つ。その間に部屋の中を見回して、面白そうに口の端を歪めた。部屋にいたのは幹部だったようで、昨日会った関谷という名の男がいた。それともう一人、昨日見たばかりの人物も。彼は心底驚いたようでアホみたいに口を大きく開けて降り立った紫部隊を見て呆然と呟いた。


「なぜ…下から突っ込むといっていたではないか!」

「そんな馬鹿みてぇなことするかっつーの」


 べっと舌を出して筑紫は鼻で笑った。そして関谷に視線を移すとさも面白そうに笑っている。それが何となく気に食わなくなって、筑紫はホルスターを撫で回した。左手は警棒を遊ばせていて、臨戦体勢に入る。筑紫より一歩彼らに近づいて、カグヤは黒光りする銃口を敵に向けた。銃口とカグヤの瞳に寒気を覚えて、彼がみっともなく「ひぃ…」と悲鳴を上げるが掠れて声にならなかった。
 予想以上に室内には人数がいないので、カグヤは拍子抜けして一発腰を抜かして座り込んでしまった軍服の男の足元に銃弾を打ち込んだ。痺れるような反動の後、軍服姿の彼は失神する。


「たかだか一発掠ったくらいでみっともないですよ、富士一徳少佐?」


 カグヤが薄く笑みを吐く。失神した富士少佐とカグヤを交互に見て、関谷は何気ない動作で懐から銃を取り出しながら足で失神者の頭を蹴っ飛ばした。衝撃で意識を取り戻した少佐は自分に向いている銃口に怯えて真っ青になって後ずさる。


「ようこそ、大倭軍諸君。しかも色持ちか」


 銃口を向けられているにも関わらず悠然と微笑んで両腕を広げた関谷に筑紫とカグヤは体を緊張させる。二人の一歩後ろで、緋桜はただ黙って目の前で起こる劇を睨みつけていた。
 関谷は緋桜に笑みを送るとその表情を一転させて小川さんを見た。瞬間小川さんが不快に感じたのか唸りだす。数秒にらみ合った後、関谷はふっと表情を和らげると肩を竦めて笑った。


「君たちの噂は兼々窺っているよ。そのみっともない男から」

「お前、よくも私にそんな口が!」

「メジャージェネラルは黙ってくれ。私はジェネラル直々にお言葉を賜った」


 メジャージェネラルとは今は使われていない言葉で少将のことを指す。このチームはやはり英語という言語を多用するらしい。カグヤと筑紫がトリガーに指を掛けたまま待っていると、関谷は一歩足を踏み出した。


「取引をしないか」

「……取引?」

「覚哉、応じるつもりか!?」


 ピクリと眉を上げたカグヤに小川さんが声を荒げた。筑紫も緋桜も黙っている。彼らは交渉ごとがカグヤの担当だとしっかり分かっているのだ。そして、彼の決定に絶対の信頼を寄せている。小川さんを無視して注意深く視線をめぐらせるカグヤに関谷は面白そうに肩を震わせた。


「話が分かるな。若王子の姫を渡せ、君たちが欲しがってる情報を提供しよう」

「例えば?」

「このメジャージェネラルを縛って渡す」


 関谷の言葉の後に一瞬の沈黙が落ちた。けれどそれを打ち破ったのはカグヤの放った一発の銃弾だった。関谷の頬を掠って後ろの花瓶に当たり、甲高い音を立てて粉々に砕け散る。それを皮切りに筑紫が右手に持っていた銃を左手に持ち替えた。僅かに目を細めて連続して打つ。けれどその全てが外れることなく彼らの足元や体を掠った。カグヤも援護のようにわざと爆音を轟かせて装飾物に当てている。


「バーカ。うちの色気担当を渡すかっつーの」


 内心発している弾数を数えて、残り五発になったところで筑紫は面白そうに口の端を引き上げた。一発は富士少佐の膝に。一発は関谷の右手に。そしてもう一発、関谷の左手にも打ち込んだ。精神的苦痛と身体能力の制限。二つの意味を持つこの行動を筑紫は無意識に行っている。
 みっともない悲鳴を上げた富士少佐に近づいて、筑紫は無造作に彼の手を踏んだ。新に走った痛みにみっともない悲鳴を上げるが、筑紫は鬱陶しそうに目を眇めて更にグリグリと踏み潰しただけだった。弾の残っている銃を遊ばせながら右手をポケットに突っ込んで無意識に煙草を探す。


「なぁんでサク狙ってんの?」

「……誰がいうか…ぎぁぁああ!」


 答えないと分かると筑紫は無表情に彼のわき腹に穴を開ける。男の不快な悲鳴に筑紫はつまらなそうに溜め息を吐き出して銃口で頭を小突いた。発砲したてで熱い銃口に少佐が更に悲鳴を上げるが無視して蹴っ飛ばした。


「訊いてんじゃねぇよ。命令してんの」


 わき腹を蹴ったのでブーツにべったりと血がついて、筑紫は不快そうに眉を寄せると汚れていない富士少佐のズボンにブーツをなすりつけた。更に筑紫がしゃがみこんで彼の額に銃口を押し付けてにやりと笑む。問い詰めようと口を開いた時、いきなり後ろから襟首を掴まれて危うく筑紫はバランスを崩した。
 文句を言おうと尻餅をついたまま顔を上げると、真剣な顔をしたカグヤがホルスターを撫でながら軽くドアの方を指す。上階の異変に気づいたのだろう、ドアの向こうから叫び声に近い声が聞こえてきた。


「関谷さん!メイジャー!?」

「ご無事ですか!?」


 ドアを破ろうとぶつかっているのだろう妙に規則的にドアが軋んでいる。カグヤと筑紫とはお互い頷くと緋桜を振り返った。すると彼女は花のような笑みを浮かべて軍服の後ろのポーチから手榴弾を取り出す。ドアが軋む数瞬前にカグヤは両手で銃を抜いて引き金を引いた。鉄製のドアは穴を開けていくが、人間の悲鳴は銃声にかき消されて聞こえてこなかった。全てを撃ち切って音が止んだ瞬間に緋桜が手榴弾を投げ込む。ドカンと大きな爆音がして、爆風に緋桜が小さく悲鳴を上げた。爆煙が収まる頃には筑紫が警棒を構えてドアのあった隣の壁に身を潜めていた。


「さて、邪魔も消えた」

「……さすが、禁忌の色持ち」

「俺の銃はいささか質問するには不便でね。あまり余計な事は言わない方が身のためだ」


 関谷の言葉にピクリと瞼を震わせたカグヤが珍しく抑えるような声音で言って見せ付けるように銃口を彼の頬に押し当てた。すると関谷は脂汗を掻きながらも変わらずに笑った。始めて会ったときと変わらない、底を読ませない笑みだった。その笑みにイラついて、カグヤはゴリッと彼の米神に銃口を押し付けなおす。


「お前等のトップは誰だ」

「………」

「答えるか死ぬか、どっちか選ばせてやる」

「……通称、マーシャル。それ以外は知らない」

「使えない奴だな」

「言っただろ。うちは傘下組織だって」


 苦しげな呼吸をしている関谷の顔を覗き込んで、カグヤは僅かに目を眇めた。彼の瞳がぼんやりしているのが簡単に見て取れる。出血のしすぎだろうか、どっちみちこのままでは長くは生きられない。カグヤは顔を上げ、入り口で戦っている筑紫を見た。今手が離せないようなので銃を一挺ホルスターに収めて緋桜を手招いた。すると彼女は心得ているようにポーチからロープを引っ張り出してカグヤに手渡した。それを「ありがとう」と優しく言ってカグヤは無造作にまず富士少佐を縛り始めた。


「ま、待ってくれ!話す、話すよ!全部小沢少将が悪いんだ!!」

「……あとは本部で聞いてやる」

「全部小沢少将が悪いんだ!」


 縛られる事に恐怖したのか軍部にスキャーブとして捕まる事を恐れたのか分からないがいきなり叫びだした男に緋桜はピアノ線を指で弄びながら目を眇めた。狂ってしまったのだろうか、自分がした事の罪深さに気づいて。けれどこの場合どこに罪があるのだろう。すこし、分からない。


「緋桜?どうしたんじゃ」

「え、ううん。何でもない、カグヤ終わった?縛るよ」

「あぁ。……今すぐこいつの口塞ぎたいな」

「やだカグヤ、筑紫みたいなこと言って」

「それは最悪の失言だったな。ごめんごめん」

「こぉら!必死で戦ってる俺になんつーこと言うんだ!」


 ピアノ線を富士少佐の指に巻きながら緋桜が笑い、関谷をロープで縛りながらカグヤが笑う。何だか和やかな雰囲気が漂っているようだけれど、筑紫にとっては笑える状況ではなかった。何せ次から次へと下から敵が現れるのだ。終わる気がしない。ありがたい事に入り口が狭いので一人ずつ相手しているが、いい加減に疲れた。けれど残りの二人は何だか楽そうでムカつく。敵を警棒で殴り倒しながら筑紫はイラつきを吐き出すように叫び声を上げる。


「小川さんビームとか出ねぇのかよ!?」

「出るわけがなかろうが!」


 けれどその言葉は一喝されて淡い希望が消え去った。じゃあこの後二階分ほどいる敵は自分が倒すのか。考えただけで嫌になる。溜め息を吐きながらも無造作に敵を倒していると、後ろから珍しくカグヤの笑みを含んだ声がする。元々カグヤは自覚はないだろうが任務になると人を見下した魔王のような笑みを浮かべる事があるので驚きはしないが、ちょっと心臓がドキドキする。


「指、動かすと千切れるぞ?」


 正直、この声には筑紫さえも背筋を冷やした。カグヤの「行くぞ」という声がしたので左手で応戦しながら右手で銃を抜く。少しずつ後退しながらも室内に敵を入れない。
 筑紫の様子を端目で窺いながら、カグヤは窓の外に縄梯子が下りてきているのを見た。縛られている二人を見ると富士少佐は失血からだろう顔色が悪く、震え始めている。一人では立てないだろう様子に舌を打ち鳴らして乱暴に彼を抱え上げるとヘリに向かう。


「小川さん、先に乗ってて」

「離せ覚哉!」


 小川さんが振り返った瞬間富士少佐の首筋がキラリと光った。反射的に小川さんが叫びながらカグヤに当身を食らわせる。咄嗟のことに富士少佐が腕の中をすり抜け、カグヤさえ窓の外に投げ出されるところだった。どうにか踏みとどまって文句を言おうと振り返ると、数メートルしたで爆音が聞こえた。慌ててカグヤが窓の下を覗き込むと、あったはずの富士少佐の体は無く代わりにコンクリートの地面に赤黒い染みと白い物体が飛散っていた。
 爆音に反応して窓に張り付いた緋桜が深いそうに眉を寄せてきゅっとカグヤの軍服を掴む。カグヤがその手に自分の手を重ねようとした時、関谷が笑い出した。


「残念だったね、紫部隊諸君!真実は霧の向こうだ」

「まだあんたが残ってるじゃない」

「お別れだ。あぁ、ヒントをあげようか『ダスティ・ルーン』。では、またいずこかの地で、誇り高き若王子の姫」


 反射的にカグヤは緋桜の腰を掴んで縄梯子に飛び移った。少し離れた所から筑紫の「ゲッ」と小さな呻き声が聞こえてくる。
 瞬間、閃光が広がって視界を焼いた。爆発音とは違うけれど巨大な音に窓ガラスがビリビリ痺れ、耐え切れずに亀裂が入って割れる。関谷から煙が上がると同時に筑紫が飛び出してきた。掴るところもない窓から飛び出した筑紫にカグヤが舌を打ち鳴らしながら緋桜の腰にあった手を伸ばすと、当たり前のように手を伸ばされた。


「うわ、あっぶねぇ」

「無茶すんな、馬鹿」

「馬鹿ってなんだよ。無茶させたくせに」


 三人で縄梯子に捕まりながら、呆然と室内の様子を見ていた。もくもくと上がる煙の向こうは全く見えないけれど爆弾ではないようなので関谷は死んではいないだろう。折角の大物かもしれない人物を逃がした上に、首謀者のスキャーブには死なれる。しかも意味の取りかねる言葉を残して。そして気になる言葉は『ダスティ・ルーン』。どこの言葉かも意味も分からない。けれどきっと自分たちの運命を変える言葉になることを、三人は漠然と思った。


「……どうやって部長に言い訳しようか」

「言い訳せずにありのままを伝えんか」

「伝えられる訳ねぇじゃん」


 梯子を上がりながら緋桜がぽつりと呟いた言葉を小川さんが呆れ混じりに返す。それを心底疲れたように筑紫が更に返した。
 いつものように無駄な掛け合いをしながらヘリに乗り込むと、それを見計らったようにビルが下から倒壊し始めた。凄まじい音を立てながら見事に真下に崩れていくビルを呆然と見て、カグヤはふとある可能性に行き当たった。周到に用意された仕掛け、爆薬。初めは偽でも作戦を知っていたからだと思っていた。けれど、これは違う。ビルの爆破までは想定しないはずだ。作戦を知って、勝つつもりでいたのだから。これがあの関谷という男なのだと気づいて、カグヤは背筋を震わせた。


「やだ筑紫。怪我だらけじゃん」

「あー、マジだ。うわ、いてぇ」

「馬鹿じゃん。気づかなかったの?……カグヤ?」


 引っかかる言葉が多すぎて、カグヤは頭の中を整理しながら無意識に緋桜の頭を撫でた。不思議そうに見上げてくる緋桜に薄く笑んで「何でもない」と言うと彼女は不審そうな顔をしながらも気にした様子は無かった。反倭派の目的なのか彼らが必要としていたのかはまだ推測の域を出ないが、どちらにしろ緋桜は狙われている。もしかしたらこの日のために彼女は紫部隊の仲間になったんじゃないかという気すらした。
 考えていると眠気に襲われ、カグヤは重くなった腕を持ち上げて腕時計を確認する。時間はそう遅くはなっていないし疲れからだろうけれどこのまま特区に戻るにも時間は相当かかる。することもないので本能に従って仮眠をとることにした。二人にも声をかけようと思って唇を割るけれど、二人は既に仲良さそうにお互いの肩に寄り添って眠っていた。カグヤは薄く微笑んで彼らに積んである毛布をかけてやって、自分も毛布にくるまった。眠ろうと思ったのに、さっきの言葉が頭にこびりついていつまでも眠る事はできなかった。





-next-

か、カグヤが黒くなった……!