そろそろ昼食の支度をカグヤが思って、起こしついでに緋桜の部屋に昼食の希望を聞きに行った。筑紫はまだ寝ている。緋桜も昨夜遅くまでクローゼットの整理をしていたようで十時を過ぎても起きてこなかったのでカグヤはありがたく洗濯と掃除に精を出した。
女の子の部屋なので一応ノックをするが返事はなく、代わりに小川さんがドアを開けてくれた。紫部隊の住居のバルコニーには小川さんの部屋と称した犬小屋が置いてある。他部隊も同じようなもので守護獣は大抵の場合そこかリビングで眠るらしいが、小川さんは緋桜の部屋で睡眠を取っている。もともと睡眠の必要ないように守護獣は作られているので実質は護衛代わりだ。それに他の野郎の部屋では小川さんも落ち着かないらしい。
「サク、もう昼になるぞ。そろそろ起きろ」
「……あと二時間」
「それはちょっと……」
あと二時間てどんなに眠いんだ。緋桜の可愛らしいというか驚きのお願いに無理無理とばかりにカグヤが部屋のカーテンを開けた。差し込んだ柔らかい日差しに緋桜は布団にもぐりこむが、小川さんがベッドに飛び乗ると掛け布団を引っぺがした。
「いい加減にせんか!」
「やーん、小川さんが怒ったぁ」
「サクが起きれば小川さんだって怒らない。小川さん、ついでに筑紫もやってきて」
緋桜の「ホットケーキ食べる」というのに頷きながらカグヤが言うと、小川さんが楽しそうに純白の尻尾を振りながら緋桜の部屋を出て行った。筑紫を起こす手間が省けたので、カグヤは昼食のホットケーキを作りにキッチンに戻る。そういえば昨夜作ったパイが半分以上残っている。これは今日のデザートだなとラップをかけて冷蔵庫に入れながら考える。
ホットケーキの粉を取り出したところで、不吉なことに電話が鳴った。
「……ま、時期だろうな」
前回の任務が終わって一週間ほど立っている。いくら長期任務だったとはいえそろそろ任務が入る時期だろうと思ってはいたし、昨日真白と話したときも任務があるだろう話をされた。
電話に出てみるとやはり軍部からで、任務が割り当てられたと告げられた。詳細はいつものように軍部長室で、とのことだが急ぎではないようだ。電話中に小川さんのけたたましい鳴き声が聞こえて、電話の向こうに怪訝な声を出された。この電話を使うのは、軍部長秘書なのでこちらの現状が分かっていない。
食事をしてから行くと言って、カグヤは電話を切った。すぐに顔を洗ったけれどパジャマ姿の緋桜がまだぼんやりした顔で現れて、カグヤが電話を握っているのに気づいて顔を歪ませる。
「……お仕事?」
「あぁ。ホットケーキに乗せるジャム、何がいい?」
「マーマレード。小川さん、すごい吠えてたね」
緋桜がダイニングの椅子に腰掛けてテレビを点けて、つまらなそうにチャンネルを回している。それを見てカグヤはキッチンに戻った。
料理を開始してすぐに、顔色の悪い筑紫が下着姿で入って来て緋桜は嫌そうに目を眇めた。キッチンにいるカグヤもそれに気づいて、叱責する。けれど筑紫はただソファに沈み込んだ。
「筑紫!みっともない格好してるな!」
「……頭痛ぇ……」
「自業自得じゃ、莫迦者。そもそも自己管理も仕事のうちじゃというのにお前ときたら……」
「小川さん、マジストップ。マジ反省してますごめんなさい」
アルコールで枯れた低く呟く声で言って、筑紫は辛そうに眉を寄せる。小川さんの説教はグチグチ長いので確かに堪えるだろう。少しだけ筑紫が気の毒になったのでカグヤは説教してやろうかと思ったけれどやめた。小川さんに説教されれば二日酔いの状態なら通常の五倍くらいの威力があるのでなかったことにしてやろう。
「筑紫、食い終わったら任務だから着替えて来い」
「俺飯いらねぇ。気持ち悪い、今食ったらぜってぇ吐く」
「少しくらい食え。おかゆでも作ってやるから」
キッチンから顔を出してカグヤが言うと、筑紫はカグヤを見て少し感動したように目を潤ませていた。充血した目が労しいが、これもすべてアルコールのおかげだから同情の余地はない。筑紫のありがたそうな目を見て苦笑し、緋桜にも着替えてくるように促してカグヤはホットケーキの種を熱したフライパンに落とした。
昼食を済ませ洗い物もこなして洗濯物すら取り込んでから、紫部隊の三人と一匹は軍部長室に向かった。行きがてら小川さんはずっと文句を言っていたけれど、電話で急ぎの任務ではないと言われたから家事を済ませてきたのだ。どうせ急いで行こうとも出発は明日の朝になるのだから問題はない。筑紫が二日酔いのおかげで夕食の下ごしらえまで出来たカグヤは上機嫌だ。
軍部長室の前で一度格好を確かめて、カグヤは丁寧に扉を叩いた。返事を待たずに重い扉を開けると、真白が机に突っ伏して静かに肩を上下させていた。
「何、真白ちゃん寝てんの?」
「私たちも帰ろうよ」
スヤスヤと幼い顔で眠っている真白の元にツカツカと歩み寄り、カグヤは机にバンと手を突いた。大きな音をさせたのに真白は起きる気配がなく、カグヤはすっと目を眇めると真白の柔らかい色の髪をぐしゃぐしゃとかき回した。後ろで「カグヤ!?」と驚いている筑紫と緋桜を無視して耳元で「井出元部長!」と叫ぶと、真白は不機嫌に眉を寄せて体を縮めた。
「……覚哉うるさい……」
「おはようございます、井出元部長」
真白が漏らした声にカグヤが苛立たしげに硬質な声を被せた。数秒唸っていた真白だが、段々頭がハッキリしてきたのだろう並んだ紫部隊三人をゆっくりと順番にみてから初めて気づいたようにぱちくりと瞬いた。その動作が思ったよりも可愛らしく、筑紫が思わず「真白ちゃん可愛い」と呟くとカグヤに蹴られた。
「なんだかみっともない所を見られてしまったね。ごくろうさま、紫諸君」
「こちらこそ遅くなり、お待たせしてしまったようで」
「構わないよ。急ぎじゃないって言ったのはこちらだしね」
にっこりといつもよりも完璧な笑みで微笑んで彼らを手招き、真白は資料を三人に配った。ペラペラとめくっている彼らに、簡単に任務の説明をするからと自身でも資料をめくりながら口を開いた。
「第一区でテロリストが村を一つ占領している。彼らはジャスティスと名乗っている」
旧名称オセアニア。アジア大陸・第一区。第一区は他の区よりも広く、駐屯している第一大隊では対処がおいつかないこともある。今回もそんな事件だろうと思っていたけれど、テロリストグループが名を持っているのならば別だ。大きな任務。
「ちょっと厄介な場所なんだけど、君たちの腕を勝手のこと。気を悪くしないで欲しい」
「別にどこだって行きますよ、俺たちゃ軍人だから。んで、どこっスか?」
「第一区第五分地西インド村」
静かな真白の声に、さっきまで笑っていた筑紫が僅かに表情を硬直させた。第一区は広いため、更に六つの分地に分けている。第五分地は旧名称ではインド辺りを指し、その大半がインド村だ。昔は仏教の盛んな国だったが、大戦後は神教のみで『神』以外の信仰を禁止された為とても閉鎖的になっている。内々で未だに仏教信仰を続けているのではないかと噂され何人もの部隊が潜入、調査を試みたけれど失敗に終わっている。ただ、怖ろしい所だという結果にしかならなかった。
それを筑紫の表情の意味が分からない。筑紫はどんなに危険な所でもその危機に心を弾ませ、自ら飛び込んでいく人間だ。窮地とか、そういう単語が大好きな類の人間に恐怖を抱かせる地とはどんなだろうか。
「もちろん、紫全員、今までよりも危険な目にあうだろう。ね、宮守君?」
「……でしょうね」
真白の常と変わらぬ真白の全てを見抜くような視線に筑紫はややおいてへらりと笑った。真白もにこりと微笑み返し、二人の間に妙な時間が流れる。
インド村の現状も意味も分からぬ緋桜がカグヤの袖を引いて首を傾げるけれど、カグヤとて詳しく知りはしなかった。ただインド村の信仰する仏教はだれもが極楽浄土に行けるとされている。ある種狂った考えなのかもしれないけれど、宗教なんてどこも多少はイカレテいる。
「ま、何とかなります。てか俺たちが何とかしなきゃ、でしょ」
な、とばかりに筑紫がにかりと笑うから、カグヤも緋桜も笑みを浮かべて頷いた。天下の大倭軍紫部隊といえば最強部隊だ。それが負けたとあったらこの世界で彼らジャスティスに対抗するすべはなくなってしまう。それこそ、戦車や核爆弾、細菌兵器を持ちいらなければならない。
ペラペラと渡された資料に目を通していると、ふとおかしなことに気づいてカグヤは目を留めた。
「……村が占拠されて、犯人からの要求でないのならどうして占領がばれた?」
「え?」
「あ」
返ってきた答えはそれぞれで、カグヤは資料から目を離さずに説明の為に口元で呟く。閉鎖的な土地で村が一つ占拠されたということは、情報が外に漏れるわけでもない。村人は助けを求められないしかといって犯人たちが何かを要求する為にではない。近隣からも気づかれにくい村をどうして狙った?なぜそれが事件に発展する?はじめから、分からない事だらけだ。
考えるように資料に再び目を通していると、筑紫も緋桜も合点したように資料に目を通し始めた。それを見た真白がクスクス笑うので、何がおかしいのかと三人同時に顔を上げた。
「何か?」
「それについては、説明し忘れていたけど第一大隊からの報告なんだ」
「第一大隊?」
それを聴いた瞬間、正直また裏切りかと三人揃って目を眇めた。けれどそれを先制するように真白が目を伏せて軽く首を横振る。「元々はこっちからの指示なんだけど」と真白が苦笑しながら続けた。
「第五分地に偵察をお願いしてね。そうして返ってきた報告は、インド村の占領だったってわけ」
「何で第五分地に偵察なんてしようとしたんスか?」
「あぁ、定期的に状況把握してないと怖いでしょう?あんな秘密主義のところ」
訊いたのは筑紫のくせに、後悔するくらい寒気を感じた。前回会ったときの背筋の悪寒を思い出す。普段はにこにこと微笑んで優しい顔をしているのにたまに見せる冷たい顔。それを見てカグヤはどう思っているのだろうと筑紫はちらりとカグヤを見るが、彼の表情は変わらずに真面目なものだった。
「今分かっていることは少ない、その資料だけだしね」
「でも、ま。やるっきゃないっしょ」
「筑紫、言葉遣いを正しくせい」
「俺ら紫に敵はないっス。ちゃっちゃとキレーに倒して帰ってきます!」
「期待しているよ」
真っ直ぐな真白の目で見回され、三人はピッと背筋を伸ばした。資料を左の脇に軽く挟んで、ゆっくりと右手で敬礼する。それを見て真白が満足そうに頷き、静かに口を開いた。
「武運を、紫部隊諸君」
軽く頷くと、紫部隊の三人と一匹は回れ右して部長室を後にした。どんな任務のときも同じ掛け合い、同じ行動。まるでそれは、忠誠を確認する儀式のようだった。
結局出発は明日の朝と言うことにして、部屋に戻った三人はリビングで気まずい空気の中にいた。実際気まずいのは多分緋桜だけで、カグヤはキッチンで夕食を作っているし小川さんは我関せずの体で尻尾を振りながら臥せっている。筑紫が無言でソファに座っているので、緋桜は手持ち無沙汰にテレビのチャンネルを変えながらドキドキしていた。会話が見つからないのだから。
「か、カグヤ。今日の夕食カレー?」
「カレー。変更は聞かないからな」
「別に文句はありません。でもシーフードだとうれしいな」
「残念、夏野菜カレーだ」
カグヤと話しながらちらりと筑紫に視線を移すけれど、いつもなら話に入って来て文句の一つも言う筑紫は黙ったきりだった。ぼんやりしているのでも何かに怯えているのでもない。表情はいつもと変らないのだけれど、雰囲気が張り詰めていた。緊張感が出ているとでも言うのだろうか、それがひどく緋桜を圧迫した。
「何をむくれとるんじゃ、筑紫」
「……別に」
「みっともない。さっき自分で切った啖呵はどうした」
「うるせぇよ、小川さん」
むすっと不機嫌に吐き出した筑紫は、苛立ち紛れに煙草に火を点けた。煩いくらいに明るい筑紫からは想像もできない表情に、二日酔いのせいで顰められたのだと分かっていても傍にいたくなくて、緋桜は逃げるようにダイニングに移動した。
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真白ちゃんは起こすと絶対に「あと二日」とか言ってくれます。