一晩たったら筑紫の機嫌も二日酔いも良くなったのか、いつもの筑紫に戻っていた。けれどどこか落ち着かないのが見て取れて、小川さんは何度か筑紫の名を呼んで話しをしようとしたけれど筑紫は全てをへらりと笑って交わしていた。
カグヤも緋桜も筑紫の機嫌が良くなったことに多少安心していて、本来ならば第一大隊基地に行くのが筋だろうに無茶を言って第五分地に向かっていた。本部勤務のパイロットなので色々と融通もきく。けれど小川さんはそれが気に召さないのかずっと小言を漏らしていてカグヤは溜め息を一つ吐き出すと短くなった煙草を揉み消した。
「小川さん、そんなに文句言われたら仕事しにくいんだけど」
「筑紫はともかくお前が直に現地に飛ぶとはありえんと思っとったんじゃ」
「俺はともかくってなんだよ」
「まぁ筑紫はともかく、しょうがないじゃん。急な任務で冷蔵庫のパイ腐りそうだし」
微笑んでカグヤが言った。作ったパイは筑紫が食べると思ったら二日酔いで食べなかったので半分余っている。早く切り上げて帰らなければ残念なことになりかねないのだ。そういえば冷蔵庫の中にはナマモノも入っているので、冷蔵庫全体が残念なことになりかねない。
これは大変だとカグヤは腰のポーチを確認した。本日所有しているのはサブマシンガンのウージーだ。カートリッジを確認して、重量のあるそれを抱える。緋桜最大威力を誇るはバズーカ砲、筑紫は重いのが嫌だといってベレッタを二挺、いつものように携帯している。ただしいろいろな所に武器を仕込んでいる辺り場慣れしているといっていいだろう。
「紫部隊の皆様、第五分地より一キロメートル圏内でございます」
「あぁ、ありがとう。行くぞ」
パイロットがシャトルを下ろした。場所は軍所有の緊急発着地だ。周りに何もなく、もしものとき用に設けたシステムだが意外に活用の道はあったようだ。
三人と一匹はヘリから降りて、インド村がある方へと歩いていく。カグヤと筑紫は特に辛くはないが、緋桜は普段と違い重量の重い武器を所持している為自然と歩みが遅くなってしまう。緋桜に合わせて歩きながら、筑紫はポケットから煙草を引っ張り出した。火を点けながら前に向かって眉を顰める。
「筑紫、何持ってるの?」
「ベレッタ二挺にコルトガバメント三挺、ナイフ四丁と警棒」
「……歩く武器庫じゃん」
「いいだろ、別に」
筑紫の装備が過剰だと言う気はない。それほど占領という事件は危険を伴うのだから。けれど筑紫の対応はやはりおかしかった。いつもならば一つおどけるくらいして見せるのに今日はそんな素振りがない。それどころか不機嫌に呟くだけで。どうしたのだろうか、分かりかねて質問すら許されない気がする。
「……ごめんな」
「は?」
「ンでもねぇよ」
筑紫の言葉が唐突で思わず聞き返すと、筑紫は不機嫌に吐き捨てて紫煙を吸い込んだ。一体何を謝っているのか分からないし真実筑紫が謝る必要があるかは分からないけれど、謝っている筑紫には何かちゃんとした理由があるのだろうし普段謝らない筑紫が誤っていると言う事を尊重してやらなければ。そう思って、言及することをやめた。
十数分歩いた所で、インド村が見えてきた。占領されている世は思えないほど静かな雰囲気で、子供の笑い声すら風に乗って聞こえてくる。今まで見てきた占領の地といえばそこの住人は息を殺して生活し、犯人たちが闊歩していた。けれどここは全く違うようだ。
銃を抱えなおして歩いていくと、村人だろう一枚の布を巻いたような女性を見つけた。普通は軍服を見れば助けを求めるだろうと思いカグヤが足を止めると、その女性はこちらに気づいたのか大きく目を見開いて固まった。
「む、紫の……!」
紫といえば紫部隊の代名詞であり、正義の象徴だった。けれど女性はそう言って唇を震わせ、荷物を放り出して村に駆け込んでしまった。一体どういうことか分からないけれど、あの女性は三人をではなく確かに筑紫を見ていた。多分紫とは筑紫の髪を指していたのだろう。根元から深い紫色をした髪はとても珍しい『呪われた』色だ。
駆け戻っていく女性を止めることも出来ずにポカンと見送っていると、隣で筑紫が短くなった煙草を吐き出した。
「……くそったれ」
苦々しく煙草と一緒に吐き出した筑紫の言葉の意味は全く分からず思わず緋桜と顔を見合わせると緋桜も首を傾げ、けれど怖ろしかったのかカグヤの袖を指の先で摘んだ。いくら現状が分からなくてもあんなにも少ない資料で分かることはこれ以上ない。危険を承知で、三人は村に向かって足を進める。
「気を抜く出ないぞ」
「分かってるよぉ、小川さんは心配性なんだから」
「お前等の心配をせんで誰の心配をするんじゃ」
「小川さん、あんまり心配すると円形ハゲが出来るからほどほどにしとけば?」
「……カグヤって結構酷いこと言うよね」
いつもならば真っ先に会話に混じってくる筑紫が混じってこないのもおかしいと思いながら、カグヤは突っ込んだらいけない気がして黙っていた。
村の入り口につくと、向こう側から村人と思われる人が何人も駆けて来た。一瞬助けを求めに来たのかと思ったけれど彼らの様子からそれはないと判断し、手に持っているものに慌てて近くの物陰に飛び込んだ。同時に銃声が鼓膜を激しく揺らし、カグヤは緋桜の頭を抱え込んで軽く息を吐き出した。
「何だってんだ、一体」
「だから、危険だって言ったろ。真白ちゃんが」
「撃ち返すなよ」
銃を抜いて既に臨戦態勢に入っている筑紫の声からはほんの少し悔しさに似たものがにじみ出ていた。合間に数発撃ち返していると、カグヤが冷静に告げた。撃って来ているのは村人だ。どんな理由があろうとも民間人に手を出す訳には行かない。
「つーか、この村何で時代錯誤感があるんだよ」
「拒否したんだそうだ。ここは神のご加護がなんとかって言ってたそうだが、訳がわからないよな」
「……変ってねぇなぁ」
筑紫の声が痛みを含んで少しだけ響いたから、カグヤは緋桜を離して思わず筑紫を見つめた。緋桜も不思議そうな顔をしていて、思わず筑紫は吹き出しかけた。ここも自分も、変っていないものは一つじゃない。
筑紫が銃を降ろしてカグヤの肩に寄りかかって口を開こうとすると、その声を潰すように村人の叫び声が聞こえた。
「帰ってくれ!俺たちの村を奪うな!」
「俺たちは、助けに来たんだ!」
「来るな!!」
カグヤが声を張り上げてここにきた目的を伝えようとするが、相手は懇願するように「来るな」と繰り返して叫んだ。これ以上近づいたらまた攻撃されそうで動く訳にも行かず、一体どうしたらいいのか初めての状況に三人揃って戸惑わざるを得ない。
一番早く現状を理解して行動したのは、筑紫だった。ポケットから煙草を引っ張り出して最後の一本を銜えて抜き出し、火を点けて一服。妙に落ち着いている態度に小川さんが「筑紫」と嗜めるけれど、筑紫は視線を向けただけで何も言わずに空を仰いだ。空は平和そうな薄い雲が浮かんでいるのに、今ぶち当たっている現象は平和とは程遠い。
「どうせこんなコトだと思った」
「何じゃ、何か知っておるのか」
「紫はココじゃ殺人鬼の色だぜ?」
「ここでは?」
「なんか宗教の色。信心ってのは怖いもんだよな」
「だから真白ちゃんも危険って言ったんだね」
「井出元部長に大丈夫だと言い切ったのはお前なんだから、しっかりしろよ」
「……そうだな」
頷いたけれど筑紫にはどうするべきか浮かぶ訳もなくただ紫煙を吐き出していた。どうせ紫部隊はみな破壊神扱いされるだろうし、包囲戦は三人だけでは遂行できない。ただテロリストの制圧と言ってもどれが敵だか分からないこの状況ではどうするべきか分からずに、現状が分かっただけでも良かったとヘリに戻ることにした。
第一地区軍部で昼食を済ませようとして、緋桜は不機嫌に顔を歪めてカグヤはしまったとばかりに口元をひきつらせた。第一区軍部ではもてなしのつもりだろうか本場のカレーを出してくれた。任務地のインド村はもともとカレーで有名な土地だったので、良かれと思ったのだろう。けれど昨夜の夕食がカレーだった緋桜は不満そうだった。
「何膨れてんだよサクは。いいじゃん、カレー。本場のはカグヤのより美味いって」
「筑紫は食べてないからでしょ。昨日もカレーだったのに!」
「サク、残念なお知らせだが……まだ残ってるんだ、カレー」
「えぇー」
筑紫の分と取っておいたカレーは思いの外残ってしまった。日持ちもするし丁度いいと思っていたけれどこれはきついかもしれない。昨日の夕食カレー、今日の昼、夜カレーは流石に芸がないと思う。
任務中に夕食の心配を始めてしまったカグヤを嗜め、小川さんはカレーを食べながらも言い争いをしている筑紫と緋桜を一喝した。
「任務中じゃぞ、お前たち!」
「……はぁい」
「筑紫、お前は何か知っておるんじゃろう」
紫部隊といえど特別な待遇はいらないと言ったので本当に食堂で三人でテーブルを一つ占領しているだけだった。確かに周りからは見られている感じもするけれど、無視してしまえば特に気にならない。全員見られることになれた人間だ、何のことはない。
「……。お、カレー美味い」
「筑紫」
「……昔の話」
カレーを食べる手を止めて筑紫が呟いた。何となく彼の声が辛そうに響いたから、カグヤも緋桜も極力くだらない世間話を聞くように食べる手を止めなかった。ただ、筑紫の手だけが止まり小川さんは真剣な表情をしている。
たまに、真面目な小川さんが疎ましく思うときがある。人の傷を抉ることでも躊躇わないのは、彼が人間ではなく科学技術で生まれた生物だからだろうと思う。だから責められたものではないし軍人には当然のものかもしれないけれど、ひどく苦しかった。
「大戦のとき、俺ここで殲滅作戦に参加したんだ」
ポツポツと話す筑紫の声は、いつも明るくおどけている彼からは想像もできないものだった。
この地はもともと紫は尊い色だと言われていた土地だった。その紫を身に宿した人間が現れれば彼らは当然神の具現だと祭り上げる。筑紫も歓迎され、内部に潜り込むことに成功した。それすらが作戦だったけれど、彼らは純粋に筑紫が大戦を終わらせこの世に幸福を運んできた神だと信じていたようだった。けれどそれも軍の作戦で、筑紫は彼らの代表者の命を奪いこの土地に乱戦を生んだ。それが原因でここの人間にとって紫は尊い色から破壊の色になった。当たり前かもしれないけれど、大戦の残忍さは未だ彼らの中に根付いている。
「直接の犯人は俺、かもな」
「でも作戦でしょ?しょうがないじゃない」
「そんな理屈、こいつらには通用しないんだ」
「……つまり、全員が反逆罪と見ていいな」
沈んでいる緋桜と筑紫のテンションを上げる為に、カグヤは極力明るい声で言った。その言葉を耳にした筑紫と緋桜はポカンとカグヤを見るので、カグヤは手を合わせて「ごちそうさまでした」と呟いて笑って見せた。
この国は神以外の信仰を禁止している。その中で紫を信仰しているということは罪なのだ。小川さんが尻尾を揺らしただけで、二人は動こうとしなかった。
「そう思って全員縛って捕まえて引き渡せばいい」
「……そっか」
戦いにくいこともないけれど、無駄な殺生を行いたくはない。弾も勿体ないし、人口を減らすのも良くないことだろう。一応真白に確認を取ろうと小川さんに通信をお願いして見る。真白は寝ていたのか、返ってきた声はぼんやりしていた。
「井出元部長。分地全部が反逆者の可能性が」
「じゃあ全部殺しちゃえばいいよ。その方が楽でしょう」
「……人口が減っても構わないので?」
「高が知れてる人口なんていらないよ」
帰ってきた予想以上に厳しい言葉に、三人は思わず顔を見合わせた。確かにどこまで洗脳が聞いているかは分からないからその方が安全だとは思う。けれどそれでは過去と同じ過ちを繰り返すことになってしまう。きっと現場にいる人間よりも机に向かっている人間の方が知らないことが多いのだ。相手は同じ人間だということも分かっていないのかもしれない。
けれど命令に逆らうことは軍人には許されない。三人はゆっくりと食事を終わらせると、第一大隊の最高司令官である中将に作戦を伝えに行ってから再び現地に戻った。
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筑紫の過去が明らかに!