大倭には神がいる。世界を統一し、唯一人間を支配する権利を有する。その名を『現神』と呼ばれ、普段は神居におり一般人は近づけもしないので姿を認めた者は数えるほどしかいない。公式に面会する為には数々の手続きをこなし、軍人を完全配置してようやく叶う。
 大戦の後に祭り上げられた神は戦勝国の人間として戦っていた者にとっては、そう尊い存在と認識できない。戦火に怯え、早期解決を望んでいた大半の人間には戦争を終わらせる光を与えた存在だろう。けれど戦火の只中にいた彼らには尊いものと言うよりはただ担ぎ上げられた人形くらいにしか思えなかった。たとえ口に出していなくても、そう思っている人間は少なくないはずだ。


「……眠い」

「早く寝ろって言ったのにどうせ起きてたんだろ?」

「だってドラマの続き見たかったんだもん」


 面会は十一時からだというのに朝七時に起きて八時に集合をかけられた。いつものように三人と一匹で軍部長室に行くと、青部隊と紅部隊の隊長が各部隊獣と共にすでに中にいた。青部隊隊長の坂田淳子は黒いポニーテールを振って振り返りにっこりと微笑り、対して紅部隊隊長の速水英士は軽く手を上げる。目が合ってしまい、緋桜は反射的にカグヤではなく筑紫の軍服を掴んで少し背中に隠れるように体を小さくした。それを見た坂田はふっと口の端を引き上げたが、緋桜は目を逸らして俯いている。


「杭之瀬隊長、今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ。大変ですけど頑張りましょう」


 第二部隊と正式には呼称される青部隊は女性ばかりで、カグヤのことを気に入っている。カグヤの容姿や人当たりのよさもあるだろう。反面、緋桜のことが気に喰わないのか何かと突っかかってくる。それを庇うのは、同じく彼女たちに疎まれている筑紫だった。逆に第三であるの紅部隊の隊長は筑紫と親しく、緋桜にも気さくに話しかけてくる。


「よっす。姫元気?」

「……元気、です」

「お前まだ半分寝てるだろ」

「ちゃんと起きてる。ご飯も食べたもん」


 緋桜の方はと言うとあまり得意ではない。人見知りする方だし、お嬢様育ちの為男性と付き合う術をよく知らない。カグヤと筑紫にだけ、緋桜は心の底から許している。
 筑紫は緋桜の手を振り払う訳ではなく笑ってポンポンと頭を撫でた。カグヤとは違うけれど安心する仕草だ。まだ眠くて話に加わるでもなくそもそも話しに加わる気もなく、緋桜はぼんやりと左右に揺れる小川さんの尻尾を見ていた。


「若王子さん。くれぐれも足を引っ張らないようにね」

「……自分のトコの隊員に言ったらどうですか」


 プンと顔を逸らして、緋桜はまた何か見るものを探した。視線の先にカグヤの靴を見てゆっくりと顔を上げていくと困ったような表情と目が合った。どこか淋しそうな顔に緋桜は僅かに首を傾げて、筑紫の袖を離してつつ、とカグヤに歩み寄って彼の腕を取った。


「カグヤ?」

「ん?」

「……何でもない」

「仕事が終わったら美味しいもん作ってやるからな」


 くしゃくしゃと髪をなでられて体を竦める。大きな手にかき回されると背中までくすぐったくなって思わず笑って体を捩った拍子に坂田と目が合ってしまった。ギンと睨まれて蛇に睨まれた蛙よろしく怯えて目を逸らすと彼女が勝ち誇ったように笑ったようで鼻から漏れた嘲笑が聞こえた。カグヤの手は、緋桜の頭から離れない。


「お嬢様は東宮の君のお守りがお似合いじゃないかしら」


 坂田の意地の悪い捨て台詞にも取れる言葉に緋桜はそうと分かっていながら硬直した。頭の上の手も心なしか力が入っている。東宮とは古くに使っていた今では意味は分からないが神の子供を指す呼称であり、今は十六歳になったばかりの少女がついている。
 緋桜はかつて名門の跡取りであったことからこの手の話には鋭く、不必要にナイーブな時がある。繊細は言い換えれば脆さになる。シャボン玉のような脆さを守るのは、周りの男たちだということを目の前の人間は知らない。


「悪いな、うちのサクは子守できるタイプじゃねぇから。我儘だし」

「わ、筑紫ちょっと!苦しい!」

「俺にまでくっつくな。鬱陶しい」

「うわ、カグヤまでひでぇ」


 口元に緩く笑みを浮かべ、けれど決して笑ってはいない瞳で筑紫は坂田を見やった。緋桜を後ろから抱きしめる形でついでに緋桜がくっついているカグヤにも抱きつくとカグヤが嫌そうに顔を歪めた。けれど蹴ることもしないので本当に嫌がっているわけではない。二人してただ緋桜が傷つかないようにそっと、そっと守っている。
 緋桜が苦しそうに呻いた。


「仲がいいのは結構だけどね、そろそろ始めてもいいかな」


 それまでニコニコ雑談を聞いていた真白だが、そろそろ我慢の限界だったらしい。集合から十五分して漸く最終打ち合わせが行われるようで、集まった人間はカグヤを覗いてビクリと体を緊張させた。何かを言いかけて真白に先を越された坂田が緋桜を睨みつけるが、上手く筑紫とカグヤの間でその視線を避けることができた。
 話は昨日聞いたこととほぼ同様で、青が移動中の警護を、赤が面会場所の警護を行う。紫は真白と共に行動し、面会に立ち会うことになっている。おかげで軍服もパリッとしている。軍施設の一角にコインランドリーがありクリーニングもあるのに紫部隊の軍服はクリーニングではなくカグヤが夜手で洗った。なにか拘りがあるらしく、緋桜も筑紫も知らないが肌触りは抜群にいい。


「では先に青は神居から紫宸の宮を、赤は紫宸の宮を。紫は僕と一緒にね」


 再確認して、全員で軽く頷いた。正直面倒くさいし興味はないけれど、これも仕事。そんな軽い気持ちしかもっていなかったけれど、実際その時間になり打ち合わせをすると俄然やる気になってきた。筑紫は口笛を吹きたいような気持ちになってポケットの上から中のダガーナイフの輪郭をなぞる。
 先に部屋を出て行ったのは、赤と青の部隊長だった。各々肩に守護獣である蛇と梟を乗せている。バタンと扉が閉まって時計を見ても、まだ八時半だった。


「さて、紫部隊諸君」

「……なんでしょーか」

「仲がよくて羨ましいね」


 にっこりと笑った真白に思わずゾクッとして筑紫は背筋を伸ばした。何でこんなに真白ちゃん怒ってんの。思わず突っ込みたくなったけれどどうにか飲み込んで隣を見ると、緋桜も同じように驚いていて目が合った。カグヤだけがただ険しい表情をしている。
 真白は三人の顔を順繰りに見て、それから真剣な顔をして抽斗から一枚の紙を取り出した。


「大変なことになったよ。犯行声明だ」

「犯行声明?」

「『神』との面会を襲うんだって」


 真白の翳した紙には、『“神”との面会はCrazyに彩られている。ドカンと一発いかせてもらう。貴兄にとめることができるか、武運を祈らせてもらう』と達筆な筆で書かれていて筑紫は読むのに難儀した。緋桜が小さな声で呼んでくれなかったら意味は分からなかっただろう。内容を理解して、どうして古風に和紙を使っているくせに英語が混じっているのか疑問だった。どうせテロリストだろう。今英語を使う人間なんて高が知れている。


「……『神』相手にすごいですね」

「うん。凄いからこそあってはならないんだよ。この国では『神』は神聖不可侵だ」

「俺らはそんな風に思えないけど」

「それは君だからだよ」


 戦勝国の純日本人の庶民に対しては戦いを終わらした神として、敗戦国の人間たちからも早期に終了の狼煙を掲げた神として畏敬の念を一身に受けている。いや、その名称に受けているといってもいいだろう。だから本来どれだけテロリストが抵抗したとしても『神』には手を出さないものなのだ。なのに今回はここに宣言されている。


「信仰心の欠片もないよ」

「……見つける前に狩れと?」

「いいや、本当にいるかどうかも分からないしね。警戒だけは怠らないように」

「じゃあどーすればいいんスか?マジで警戒だけ?」

「ただ、実際に起これば絶対に仕留めてね。仕留め損なったら僕が君たちを仕留めるよ」


 この目は本気だ……。筑紫は真白の目に冗談が一遍たりとも混じっていないことに背筋を震えさせた。これは本当に殺り損なったらこっちが殺される。気を入れ直さなければと肩に力を入れてもう一度と計を見ると、まだ九時にもなっていなかった。これからどうすんだよと思わず思ってしまうくらい間が持たないかもしれない。
 どうすりゃいいんだと筑紫が思わず一歩下がったとき、カグヤが苦笑して肩から力を抜いた。


「今回は三部隊の合同ですから、そんなに心配することもないでしょう」

「本当にそう思ってる?杭之瀬隊長」

「いいえ?」


 そこ否定しちゃうんだ。カグヤの笑顔で騙されかけたが、何か重大なことをこいつは表した。けれど真白は予想していたことのように笑って紙をコーヒーカップの上に翳した。何をする気なのかと思っていると、カグヤがおもむろにポケットからライターを取り出して、犯行声明に手軽区火を点けた。 燃えるそれを筑紫も緋桜も呆気にとられてみていた。ただその向こうの真白の顔が狂気を映したように炎に照らされていた。


「もしものときは俺が『神』を守って退避。サクは後方の援助と頼むな」

「俺は?」

「頭を叩け」

「了解」


 さっさと指示を並べたカグヤに頷きながら筑紫は呆れた。自分で三部隊合同だって言ったくせに誰も信用しないで自分たちで解決しようと考える。ただ、彼が自分たちを信じてくれていることだけが漠然と嬉しい。
 これから二時間ばかりどうやって時間を潰そうか、今筑紫が気になることはそれだけに絞られた。










 どうにか四人で二時間の時間を潰した。主にカグヤが話していただけだけれど、何となく疲れてしまった。ようやく神居に付く頃にはもうへとへとだった。メンタルが疲弊すると体がだるくなるのはどうしてだろうか。思わずこれから『現神』がでてくるというのに体の力を抜いていたら、膝下の人体の中で上位で柔らかい部分を噛まれた。思わず叫び声を上げたくなるが、それはどうにか我慢できた。


「しゃんとせい!」

「分かったから噛むなよ!痛ぇ」


 噛んだ張本人の小川さんはしらっと視線を逸らしてすまし顔だ。唾を吐き出したくなって口の端を引きつらせ、どうにか堪える。ちらりと筑紫と逆の入り口横に立っている緋桜を見ると、少しだけ顔を強張らせていた。カグヤは真白の後ろに控えるように立っている。あとは神が来るのを待つだけだった。


「サク」

「なぁに?」

「帰ったらアプリコットのタルト作ってやるからな」

「本当?アプリコット大好き」


 ちらりとカグヤが緋桜を見て言ったのは、その表情が気になったからだろうか。大切な大切な紫部隊のお姫様に暗い顔は似合わない。だからってお菓子で釣るのはどうかと思うが、筑紫はあえてつっこまなかった。
 人が近づいてきた気配がして、紫に象徴される三人は姿勢を正して視線を下げた。神と目を合わせるのは失礼なことだから避けなければならない。別に興味もないから顔を見る気も起きなくて視線を下げていると人が数人入ってきた。その靴の数は四つ。女性のものが一つと、あとはボディーガードだろうか。だとしたら女性のものは例の東宮か。


「緋桜様?」


 靴が止まったと思ったら、女性と言うよりは少女のそれのような声がした。思わず顔を上げてしまうと、そばかすだらけの色気も何もない少女が緋桜をみてきょとんとしている。位置的には正面から見えないが、横顔は筑紫にも見える。正直に可愛いとは思えなかった。


「……東宮様、気軽にお声をかけませんよう……」

「若王子の緋桜お姉様でしょ?お久しぶりです!」


 緋桜は戦前の大貴族の跡取として生まれた女だ。当然神に祭り上げられた人間との交流があって当然だろう。彼女の声からは苦々しいものが走っている。けれど正直筑紫には緋桜の方が優雅だし言葉遣いにも気品がある。やはり祭り上げられた人間の娘は凡人だ。世間では尊い血だと言われているけれど、けれど。実際に見てはそうは思えなかった。


「これ、若王子の姫君がお困りじゃ。席に着きなさい」

「……はい、お父様」


 父親に促され、少女はとぼとぼと席に促されて席に着いた。それからは誰の声も聞こえない。ただ『現神』と呼ばれる男と真白が重い雰囲気で話をしていた。
 ちらりと状況を確認すれば、東宮の少女はちらちらと緋桜を見ていて、緋桜はそれを避けるように視線を落としている。もう少し視線を巡らせると、普通にどこにでもいそうなオッサンが座っている。あれが『現神』か。その横には白人と黒人のボディガードが控えている。それの正面にいるカグヤが睨んでいるように見えるのは気のせいだろう。カグヤはそう簡単に人に笑顔以外を向けないはずだ。


「現神様におかれましては、ご健勝のようでお慶び申し上げます」

「……あぁ」

「未だ世界は混乱に満ちております。気をしっかりとお持ちになりますよう」

「……あぁ」

「我々は全力で貴方様に協力を致しますので、ご安心ください」


 言葉尻を捕らえるとただ気を使って掛けているだけの言葉だが、真白が笑顔で言っているのであればそれには裏があるのだろう。混乱に満ちた世界に必要な軍の存在を見せ付けて、守るからと見返りを無言のうちに要求している。短い問答のあいだに抜け目がないことだ。だからこそ議会でも軍が主導権を得ているのだろう。相手は「あぁ」しか言っていないのによく会話が成立している。


「良きに計らえ」


 神が発したのはその一言だけだった。ただそれだけを言うと真白は畏まって頭を深く下げ、すると『現神』はゆったりと立ち上がった。入ってきたときとは逆の、筑紫が立つ方を回って唯一の出口に向かう。どうやらあの犯行声明はただの脅しだったようで、少し安心した。
 しずしずと歩く男の隣にボディガードが二人と東宮。深く頭を下げたまま筑紫が腕時計を確認すると面会時間は五分と少しで、あの二時間はなんだったのかと馬鹿らしくなった。


「でしゃばるな、軍人風情が」


 耳元で聞こえた言葉に「は?」と思って顔を上げてしまうと、白人のほうが口の端を上げて少し蔑むように真白を見ていた。カグヤの腕がピクリと動いたのを見て筑紫は思わず体を強張らせたがカグヤもどうにか堪えたようだった。守られるべき現神は数歩先に行っている。


「ただのボディガード風情が知った風な口をきくもんじゃない」

「なんだと!?」


 真白の強気の呟きを聞き取ったのは白人ではなく黒人の方だった。声を荒げ、座っている真白の胸倉を掴み上げる。僅かに体を持ち上げられて真白が苦しそうな顔をした。止めなければと筑紫の頭が動くよりも先に動いたのはカグヤだった。筑紫が認識する前に躊躇いなく男の顔面を力いっぱい殴りつけ、男を吹っ飛ばした。狭い部屋の一メートル程度向こうの壁に男は巨体を強かに打ちつけて呻く。筑紫の静止の声と小川さんが吠えたのとどちらが早かっただろうか。ただそれよりも小さいはずのカグヤの低い声が耳に通った。


「その手を離せ、Black man」


 もう離れてるなんて冗談は吐き出せない雰囲気だった。生きている英語はテロリストが好んで使うかスラングかの二拓でしかない。罵られた黒人だけでなくその空間にいた真白を覗く全員が驚きで状況を見守るしかできなかった。まさかこの場所でそんな卑語が飛び出すとは思わなかった。
 黒人を指すその言葉にはいくつもの意味が込められている。ただ単に人種が違うというだけでなく、『Black』の部分に犯人を表すクロの意味を含んでいる。逆に『White man』というのは無知を暗に揶揄している。カグヤの口から出てくるとは思わなかった流暢なスラングに時間すらも止まったようだった。紫部隊は護衛に来ているだけで、だれを守っているのかもはや分からない。


「速水隊長、そこにいるね?現神をお送りして」


 真白だけが言葉をいつもよりも少し硬い声音で吐き出した。中の状況をりかいしていないはずの速水はそれでも声の硬さと雰囲気で察したのかきびきびと移動の準備を始めた。青部隊員の奥が入って来て、無表情を顔に貼り付けて倒れているボディガードを担ぎ上げて出て行く。
 残った紫部隊と真白だけでも、変な沈黙があった。


「帰ろうか、紫部隊諸君」


 雰囲気を変えたかったのかただ帰りたかったのか分からないが、真白がにっこりと微笑んで立ち上がった。俯いたまま黙っているカグヤは心配だけれども近づきたくもない。緋桜もそう思っているのかカグヤではなく筑紫のところに迷うことなくやってきた。小川さんだけがカグヤの元にゆったりと歩み寄りグダグダと説教を開始している。
 帰りながら筑紫は煙草を吸ったが、カグヤはそれすらもしないでただ黙っていた。





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