「君たちは“真澄の鏡”って知っているかな」


 朝っぱらから軍部長室にではなく裏の飛行場に召集をかけられた。大きな窓の外には数台のシャトルが出発を待つようにエンジン音を轟かせて待機している。これはもしかしなくても遠出命令だろうか。昨日夜中まで居座っていたというのに。カグヤが眠さも含めて無意識のうちに眉間に皺を寄せると、それを即座に見破って真白は笑ってみせた。


「いきなりで悪いんだけどね、君たちにはこれから北区に飛んでもらいたい」

「北区っつーと北極スか?」

「そうそう、アイスランド島。そこでちょっと困ったことがおきててね。まあ詳細はシャトルの中で読んで。はい、これ資料」


 分厚い資料をどこから出したのかいい笑顔で渡すので、思わずカグヤが受け取った。どうせ拒絶できる立場ではないが。アイスランド島と聞いた筑紫の顔色がいつもよりも悪い気がするのは気のせいだろうか、青ざめている。けれどカグヤは別に意に介さなかった。


「では紫部隊諸君、武運を」


 急に鋭くなったその声に自然背筋がピッと伸びる。さっきまで醸していたほやっとしていた雰囲気はどこへ消えたのか今は軍人の顔で真白は敬礼しており、こちらも敬礼で返してた。
数秒見詰め合っても掛ける言葉を見つけられず、シャトルの搭乗口に向かうことにした。


「眠い。眠くて死ぬ」

「夜更かししておるからじゃ。覚哉もじゃぞ」

「何で俺も」

「せめて中で煙草吸いたい。そしたら起きてられると思う」

「右に同じ」


 カグヤは文句を言われたことに不満そうだが、筑紫から見れば当たり前だ。むしろお前こそ何言ってんの。筑紫なんて、カグヤが気になって眠れなかったというのに。
 小川さんの小言を聞くのが嫌だから話を切り上げたかったのか、カグヤは不必要なほど分厚い資料をめくった。場所はアイスランド島にある洞窟で、その中にテロリストが潜伏しているらしい。規模は大きくないけれど、何か大きなものを作っているような行動が目立つ。大戦終了後から生態系が乱れ、戦前では思いつかないような驚くべき事象が増えているから放っておけないと判断したようだ。


「“真澄の鏡”って何?」

「昔教科書で読んだけど……詳しいことは覚えてない」


 資料をめくっても真澄の鏡に関しての記述が見つけられない。そうするとまるで暗号のように思えてくるから不思議だ。人間は知らない言葉に意味を見つけられないらしい。確かに聞き覚えはあるが、それ以上の情報が脳には残っていないようだ。


「“真澄の鏡”って古典でしょ? 真実が曇りなく見える鏡ってやつ」

「古典? 無理、俺専門外」

「お前、専門なんだよ」

「体育。で、どんな話?」


   筑紫は緋桜にその“真澄の鏡”とやらの説明をさせた。さすがに名門出身は知識が深い。別に筑紫が勉強が昔から嫌いだったとかカグヤが古典は子守唄にしか聞こえないとかでは決してない。緋桜の知識が豊富なんだと二人は思うことにした。緋桜は少し呆れたようにだが説明をしてくれて、その説明に感謝を示す為にカグヤと筑紫はまだ半分も吸っていない煙草を押し付けて消した。


「“真澄の鏡”っていうのは、己の全てを曝け出し見せる鏡って言われてるの。その昔殺戮の限りを尽くした悪の軍団がそれを見て改心したって話あるでしょ?」

「あったっけ?」

「あるの!」


 むっと唇をゆがめながらも、緋桜は子供に聞かせる寝物語のように話し出した。
 昔、人のものを奪ったり反抗する人間を殺したりした悪逆非道な悪者集団がいた。彼らはある日、村の宝である真澄の鏡≠手に入れようと洞窟に向かった。そこで鏡を見つけたが、鏡に映った己の姿に恐れおののき、戻ってからは誠実に暮らしたそうだ。子供に語るには人に優しくしなさいという類の寓話だが、もしかしたらその殺戮の限りを尽くした者たちが見たのは世界だったのではないだろうか。血まみれで阿鼻叫喚の世界に肝を冷やしただけ。まるで人が数年前にあの世界を見て、争う世界の愚かさに気がついたのと同じに。


「その悪者って何か俺たちみたいだな」


 軍部なんて聞こえは良いが、大義を背負ったただの殺戮集団に違いない。けれど大義を背負ったものがこの世界は勝つ。勝てば官軍、とはよく言ったものだ。もしかしたら、自分たちの方が悪いかもしれないのに。少なくともこの歪な世界では、正解なんて知らない。
 シャトルに乗り込みながら、その鏡を見て一体何が映るのだろうとふと考えた。何も映らなければいい。汚い世界は見たくない。










 アイスランド島には生憎シャトルの発着場がないため、高度二千メートルから飛び降りた。特区の季節は春だが、北区に季節なんて単語は存在しない。当てはめるとしたら常に冬であり、肌を切るような気温に小川さん以外が思わず悲鳴を上げた。
 降り立った場所は見事に目的地だったらしく、洞窟の入り口だった。いかにもな雰囲気で何か出るんじゃないかとすら思える。さっき昔語りを思い出したばかりだから尚更、亡霊の類と遭遇しそうだ。


「行かないの?」

「……。……行くか」

「……だな。中のがたぶん温かいだろうし」

「チキン」

「違げーよ!慎重派って言え」


 洞窟の前でしばし佇んでいたが、寒い寒いと口の中で呟き続づける筑紫がポケットに手を突っ込んで身を竦ませたまま、やけくそになって足早にブラックホールのようにぽっかりと口を空けた黒い穴に入って行ってしまった。滲んだ背を見失う前にカグヤは緋桜と小川さんと一緒に進む。
 外からは真っ暗に見えた内部もどこからか光が入り込んでいるのか暗いというほどではなかった。確かに薄暗くはあるが、僅かな光が周りの壁に反射してさほど不便には感じない。鉱石か何かなのか反射している壁の素材を確かめるよう手で触れると、それは氷だった。


「氷穴だな。さすが氷の国」

「さむっ! 息白い!」

「そんなに寒くないじゃない」


 息は白いが肌はそう寒さを訴えないのだが、ポケットから抜いた手で口を覆って暖を取っている筑紫に氷のように冷たい視線を向けて緋桜が呟く。女性の軍服はショート丈のスカートなのだが、下に履いているスパッツは強固な防寒装備なのだろうか。そんなわけはない。

「お前ホントに寒くないわけ?」

「寒くない」

「お前が寒がりすぎじゃないか?」

「俺は寒いのと暑いのはだめなんだよ」


 じゃあ一体何がいいんだ。暑さ寒さを除けば残った季節は限りなく少ない。そういえば、筑紫の部屋はいつも空調が完璧に効いているし、リビングでも気温に気を使ったことはない。
 ポケットに再び手を突っ込んで「寒いと感覚鈍るじゃねぇか」とぶつぶつ言い続ける筑紫の後ろを歩きながら周りを見廻すけれど、ここがテロリストの研究室だとは信じられない。どちらかというと未知の生物とかがいそうだ。実在の疑わしい“真澄の鏡”と言いだんだん資料の信憑性が失われるが、初めからあまり信用していなかったので特にダメージはない。


「なぁ、分かれ道」


 ぴたりと足を止めた先は三つに分かれていた。どこの道もぱっくりと魔物が口を開けたようだ。これが研究室に続いているのか黄泉の国に続いているのかはたまた出口なのかは知らないが、どこかを選ばなければならないのは確かなようだ。


「一人一本、丁度いいじゃん」


 にぃと笑った筑紫の雰囲気はさっきまでとはガラリと変わっていた。奇異な紫暗の瞳は血に飢えた獣のように光り、獲物を求めている。ピンと張り詰めたのは彼が彼なりに集中し緊張感を高めたからだろう。こっちまで気圧されそうなほどの重圧。やっと高まったまるで、殺戮兵器のそれ。
 それが初めから決まっていたかのように筑紫が躊躇いなく正面の穴に足を向けるので、珍しいこともあるものだとカグヤと緋桜は顔を見合わせた。


「珍しいね、筑紫が一人で行けるなんて」

「うるせーよ!」


 歩きながら声が飛んできた。既に消えてしまった筑紫に笑って、残された二人と一匹は残された二本の道をどうやって進もうか。緋桜と小川さんがセットなのは当たり前だが、少し緋桜が心配だ。


「サク、一緒に行くか?」

「私、左に行く」

「は!?」

「どうせカグヤが怖いだけでしょ。行こ、小川さん」


 さらりと言ってくれた緋桜に予想外だとカグヤが目を見開くと、彼女は珍しく悪戯が成功した子供のように笑って足を左の道に向ける。ここで緋桜を呼び止めても更に不名誉な感想を抱かれるだけなので、カグヤはぎこちない笑みのまま手を振る。不思議そうな顔をした緋桜が歳相応に可愛らしい仕草で首を傾げ、銃器が入っている腰のホルスターに触れながら小川さんと一緒に穴の中に消えて行った。
 小川さんの揺れる尻尾が余韻を残して消えるのを見送って、カグヤは残りの道に一人で進んだ。代わり映えのしない道を一人で歩くと余計な事を考えてしまうのはどうしてだろう。幽霊的なものが出てきそうとか、家族はどうしているだろうか、とか。


「……あークソ、真白のせいだ」


 歩きながら珍しく悪態を吐いた。口汚い言葉を吐きながら、浮かんだ感情を押し殺すように落ち着かない指でポケットから煙草を引っ張り出す。火を吐けて紫煙を吸い込み、気を落ち着けて深く息を吐き出した。
 忘れよう、気にしないでいようと思っていたのに、昨日の真白の台詞で思い出してしまった。自分が軍に身を売った理由。弟妹を残して一人戦争に参加した理由も、給金の使い方も。確認しても減っていない金を見ても落ち込まないようにしていたのに、思い出して一人になったらこんなにも堪えるのか。いつもの緋桜と筑紫の大騒ぎに助けられていたのかと少し実感した。


「しかも行き止まりって」


 しばらく歩いていると、行き止まった。三方の壁は氷で覆われているので自分の姿がいくつか見える。カグヤに提示された選択肢は二つで、正面を問答無用でぶち壊して進むか戻って緋桜を追いかける。現実的には後者なので、踵を返した。


「……お兄ちゃん」

「お兄ちゃん」


 背後から囁くように聞こえてた声に振り返るが、当然自分の青ざめた顔が少し歪んで映っているだけだ。軍服に身を包んだ、軍人が一人立っているだけ。けれど聞こえた声は確かに妹の声だったのに。紫煙と一緒に息を細く吐き出して、やっと妙な雰囲気に気がついた。空気が、澱んでいる。


「置いていかないでお兄ちゃん!」

「お節介!」

「弱虫!」


   次第に大きくなる声は幻と言うにはやけにはっきりと聞こえた。まるで、妹たちの言葉を代弁しているような叫びに音の出所を探ろうと視線を彷徨わせるが、自分の姿しか見えない。否、自分の姿が段々歪み、自身が映っているはずなのに氷の表面には背が低い、しかも少女が映っている。最近姿を見ていないけれど俤がある、妹だろう。その隣には弟の姿もある。みんな元気そうでよかった。良かったけれど、目が虚ろだ。


「一人で行っちゃったくせに!」

「私たちのことなんて、放って置いて」

「俺は……っ」


 言葉の続きが出てこなかった。一体自分は何を言いたかったのか分からない。父と母が死に、祖父も死んだ。両親の訃報を聞いて感情に任せて志願し、大戦が終わって帰ってきたらすぐに祖父が反倭派の手によって殺された。そしてまた軍に立ち戻った。弟妹を、守るために。


「覚哉」

「じーちゃん!」


 正面に映ったのは、数年前に死んだ祖父だった。両親は世界中を飛び回る写真家で家にいないことが多かったからカグヤは祖父に育てられたようなものだ。その祖父を亡くし、悲しむ間もなく戦いに身を投じている。だからまだ、彼がいないなんて信じられない部分が僅かにあった。思わず大声を上げると、ピシピシと壁に亀裂が入った。大音量で弟妹の恨み言のような言葉が木霊する。自分は間違っていたのだろうか。間違ってしまったのだろうか。縋るように祖父の姿を見ても、彼は無表情だった。


「じいちゃん……ッ」


 床が、抜けた。咄嗟のことで反射的にホルスターから銃を抜き去って下に連打して僅かな力を慰め程度に得て反対の手を割れた床に伸ばして片手でぶら下がる。すぐに邪魔になる銃を躊躇いなく捨てて、反動で上がろうと思ったが、その前に唯一の手に衝撃が走った。痛いというよりも熱い感触。


「咲……!」

「馬鹿兄貴」


 グリッと手を踏みにじるのは、妹だった。うっすら涙を浮かべた顔に付く二つの目からはけれど感情は感じられない。やはり、自分はお節介なことをしたのだろうか。ギリギリと足で踏みつけられて、溜まらずにカグヤは舌を打ち鳴らすと煙草を吐き捨てて手を離した。最後の抵抗に手榴弾を引っ張り出してピンを抜き上に放り投げると、こちらまで爆風で加速した。
 落下しながら思い出す。郡に戻ったのは生活の安定を図るだけじゃなくて、もしかしたら死にたかったのかもしれない。そして何よりあの日誓ったのは、祖父の仇をとるのだと。祖父を殺した反倭派のテロリストをこの手で殺してやるのだと、歪んだ信念だった。





−next−

そろそろ彼らの過去を詳らかにしたいです。