任務から帰ってくると、それからしばらく療養と言う名の休暇が与えられた。緋桜は守られたし筑紫が一番大怪我だったが体質のおかげで折れた骨もすぐにくっつき今では一番休暇を謳歌している。おかげで細かな傷が多いカグヤが一番の大怪我になった。骨折もなにも無いのだが、包丁が握れないようでここ数日食堂のお世話になっている。


「美味しいもの食べたいね」

「カグヤ早く手ぇ治ればいいな」

「食堂不味いもん。美味しいケーキが食べたい」

「買ってくれば?」


 リビングの大画面でゲームをしながら、筑紫が視線を逸らしもせずに言った。一緒に見ていた緋桜は本当に食べたかったのか、少し考えた後部屋に戻る。給金も入ったばかりだから本当に買いに行くのだろう。女は出かけるまで時間が掛かるのだと緋桜を見て痛感している筑紫は何も言わずにゲームを進めた。
 カグヤは最近部屋に引き篭もっていることが多いけれど、今は軍部長室に出かけている。長く帰ってこないということはプライベートの話でもしているのだろう。


「なー小川さん」

「何じゃ」

「この間カグヤに来た手紙って何が書いてあったか知ってる?」

「……お前には関係のないことじゃよ」


 随分前からカグヤに定期的に手紙が来ていることは知っていたけれど、その内容までは知らない。ただ、その手紙を読んでカグヤがひどく悲しそうな顔をしていたのは気になっていた。小川さんなら知っているのではないかと思って聞いてみたが、知っていたようだ。しかし教える気がないということか。
 確かに個人のことには口を出さないのが良策あるだろうし必要以上の干渉は鬱陶しいだけだと心得ているが、相手はカグヤだ。仲間のことなら知っていたいと思うのはおかしいだろうか。ただ筑紫には分からない感傷であろうが、聞いて見たい。


「小川さん、知ってんだ」

「筑紫!鎌かけよったか!」

「別に。教えてくんない方が悪いんだろ」

「筑紫、お前は!」


 小川さんは知っているのに自分は知らないというのに腹が立ったから、ゲームを止めてテーブルの上の煙草を乱暴に掴んで一本引っ張り出した。丁度戻ってきた緋桜が出かけるのだというので、一緒に小川さんも追い出す。玄関まで見送って、リビングに戻らずにカグヤの私室に忍び入った。
 綺麗に掃除され、整理整頓された部屋は妙に生活観がない。筑紫の汚い部屋とは全く違い、緋桜の物の多い部屋とも違う。人が住んでいる気配があまりしない。


「お邪魔しまーす……」


 部屋に勝手に入って一度ぐるりと見回すと、いつも塵一つ落ちていないような雰囲気を持っているくせに珍しく少し埃っぽかった。たぶん怪我で思うように掃除ができないのだろう。机の上には空き缶が灰皿代わりになって二本並んでいる。変なところで大雑把だ。
 空き缶くらいしか乗っていない机の上に、一通のはがきが乗っていた。差出人は杭之瀬咲。聞いた事の無い名だが、奥さんとかだったらどうしよう。そんな話は聞いたことは無いがもしかしたらということはある。見ては悪いと思いながらも、そのために入ったのでその封筒から一枚の手紙をそっと抜き出す。緊張しながら、手紙を開いた。


「余計なことはしないで……?」


 たった一枚の紙に書かれたのは、細い筆跡で“余計なことはしないでください”というとても簡略なものだった。余計なこととは一体何か分からないけれど、その書面からは冷たい雰囲気が伝わってきた。もしかして、この間真白と話していたことと関係があるのだろうかとふと思いつき、そっと封筒に手紙を戻した。


「余計なこと、な」


 ポケットに手を突っ込んで、部屋から出た。その瞬間に玄関が開く音がして、思わず肩を竦める。私室と玄関はリビングを挟んでいるので慌ててリビングに戻ると、姦しい声がしないと思ったらやはり緋桜ではなくカグヤだった。朝まで巻いていた包帯が取れている。


「お、おかえり」

「あぁ。お前だけか?」

「サクなら小川さんと買い物行った」


 ばれるんじゃないかとドキドキしながらまたコントローラーを持つと、手が微細に震えていた。いつもならばこれなら操作に支障をきたすと心配する所だが、今日は珍しく有名な恋愛シュミレーションをやっているので特に問題はない。別にこれは筑紫の趣味ではなく、友人の速水から借りたものだ。
 カグヤが向かいのソファに座るので、筑紫は言葉も無くただ黙ってゲームを続けていた。フルボイスでとても居た堪れなかったので、早く緋桜が帰ってくることをひたすら祈った。


「包帯、取れたんだな」

「ん?あぁ。今夜はサクの好きなもの作ってやろうと思ってな」

「俺、カラアゲ喰いたい」


 ゲームしながら言うと、カグヤは薄く笑って「カラアゲな」と言った。作ってくれる気のようで、立ち上がるとさっそく冷蔵庫の中の確認を始める。任務続きの上カグヤが料理できなかったのでろくな物が入っていないのではないかと心配していたが、戻ってきたカグヤは買い物に行く必要はないと言い切った。うちの台所の番人は主婦の鑑だ。


「病院行って来たん?」

「軍部長室に行った後にな」

「……サクの話?それとも俺の?」


 先日の任務では隠していたことも隠されていたことも全てが不慮の事故と言うには悪意のあるやり方で露見してしまった。緋桜に何かあるだろうとは思っていたので特に驚きもしないが、筑紫は完全に周りに隠していたので相当驚いただろう。おどけて言うけれど、カグヤは深刻な顔で首を横に振って煙草に手を伸ばした。
 紫煙を一度吐き出して、けれど話を変える気はないのかテレビの画面を見ながら呟く。


「サクはやっぱり俺たちに預けられたんだな」

「……そりゃすげー預かりモンだな」

「お前は……」

「俺は平気」


 カグヤが言葉に出し切る前に筑紫は少し強めの口調で言い切った。緋桜と一緒に生活していくのには今までどおり何の不便も無い。実際緋桜の正体には何となく気づいていたし、あとは自分の気の持ちようだった。気にするなら緋桜だが、彼女も特に何かを気にしているようにも見えずいつも通り変わらずに接してくれている。
 だからカグヤが心配するようなことが無いのだということを示わらないともう一度言うと、今度こそカグヤが安心したように肩を落とした。










 夕方になって大荷物で帰ってきた緋桜が客を連れてきた。夕食の準備をしようとしてエプロンを片手にキッチンに入ろうとしていたカグヤがそれを聞いてお茶の準備をしようとするが、緋桜の表情は曖昧に困惑している。


「誰、客って」

「門の前にいたんだけどね、それが……」

「覚哉、座れ。妹御じゃ」


 言いづらそうな緋桜の代わりにかただ空気が読めなかっただけか小川さんがはっきりとした口調で言い放った。緋桜の後ろにはショートカットの女性が立っていて、小川さんは彼女を促してソファに座らせた。彼女の姿を見て、カグヤは僅かに唇を振るわせる。これがカグヤの秘密かと筑紫は緋桜に目配せしてそっとリビングから出て行く。


「咲……」


 これが手紙の主かと納得しながらリビングを出てしかしドアの陰に身を隠して廊下に二人でしゃがみ込んだ。小川さんは中にいるので真白に連絡を取ることも出来ずにただ室内の音を聞き取ろうと壁に耳をつけた。壁一枚挟んでぎこちない雰囲気を醸しているが、こちらは全くそんなものは無くいつも通りだ。


「元気、だったか?」

「…………」

「唯とか、大きくなったんだろうな」

「……もう、やめてよ」


 ぎこちない空気を回復させようとカグヤが親戚のおじさんみたいなことを言っている。思わず緋桜と顔を見合わせるが、笑っている場合ではないので慌ててにやけかけて顔を引き締めた。唯とはカグヤの妹の名だろう。カグヤは五人兄弟の長男だったはずだ。
 咲とか言う女性の言葉に室内の空気が凍りついた。カグヤは完全に固まっている。けれど心のどこかで分かっていたのだろう、ひどく緩慢に強張った表情を溶かして諦めにも似た苦笑を浮かべた。


「やめられない」

「兄貴面しないでよ!私たちがなんて言われてるか……どんな目で見られてるか分からないくせに!」

「……ごめん」

「お節介なのよ!もう私たちに関わらないで!」

「ごめん……。でもな、咲。やめないから」

「……っ!?」

「お前たちがなんて言おうと、自己満足だろうとやめない。それが俺がお前たちに唯一できることだ」

「やめてよっ!」

「咲……!」


 静かなカグヤの声に女性は悲鳴のような声をあげ、リビングを飛び出してしまった。追いかけようと腰を浮かしたカグヤは、しかしその後姿を淋しく見送る。玄関がバタンと閉まった音がしてから、やっとカグヤは緊張が解けたようにソファに腰を落として大きく息を吐き出した。手が煙草を探して彷徨っている。
 妙な空気のなかで小川さんの尻尾も心なしか元気が無いようだ。緋桜と揃って入っていくと、カグヤは僅かに目を開けただけで手で顔を覆ってしまった。相当参っているらしいが、何も知らない筑紫には何も出来ない。もしかしたらあの妹と緋桜を彼は重ねていたのではないかと、ふとそう思った。


「か、カグヤ」

「…………」

「私、炊き込みご飯食べたいなー……なんて」

「……そうだな、飯作らないとな」


 小さく呟いて、カグヤが火を点けただけで吸っていない煙草を灰皿に押し付けて立ち上がった。何かを考えているようでその後姿からは魂ここにあらず見たいな、強いて言えば抜け殻のような後姿だ。何を考え込んでも掛ける言葉が見つからず、筑紫は不意にテレビを点けた。夕方のニュースがやっている。特区の、ここから極近い住宅街でのテロが起きたようでその中継がやっている。特区を守る近衛大隊が出て行ったようだ。


「サク、ちょっと」

「何?」

「俺軍部長室行ってくるけど、お前どうする?」

「……カグヤ独りにしておくのもあれだから、待ってる」

「そか」


 緋桜に声を掛けてから、筑紫はカグヤに「ちょっと出てくる」と叫んで私服のパーカのままで煙草だけ持って部屋を出た。そのまま、決して通いなれた訳ではない道を通って軍部長室に向かう。きっと小川さんがついて来たら文句を言う格好だけれど、今日は上司と部下の関係ではないので多めに見てもらえるはずだ。










 軍部長室の前で深呼吸をして、大きな扉をノックした。しばらく待っていると中から「はい?」と返事が聞こえたので名前を名乗って入った。真白は何か忙しかったのか、机の上に資料の山が出来ている。
 筑紫のラフな格好に僅かに目を眇めたけれど、何も言わずに肩を竦めて笑うと何かを察して黙っていてくれた。


「ちょっとカグヤのことで話があんですけど、いいっスか?」

「それはプライベートな話?それともパブリックな話?」

「分かってるくせに。超プライベート」


 筑紫の言葉に真白は薄く笑って書類を端に退けた。そこに近づいて、机に座るような格好になりながら筑紫は極力声を落として真白に近づいた。この光景を他の人間に見られたらとても問題になるだろうけれど、真白がきっと人払いしてくれるだろうと信じている。あまり時間をかけてカグヤに怪しまれても良くないので、単刀直入に話を進める。


「さっき咲とか言う女が来た」

「咲が?珍しい」

「カグヤの妹?アイツん家どうなってんの」


 妹と言う質問には真白は頷いたけれど、それ以上の質問には困ったように眉を寄せてしまった。しばらく考えているあいだ、筑紫は無意識にイライラしてポケットのライターを指先で弄り回す。確かにカグヤの個人の問題だけれど、もうそれだけでは済ませない。あんな話を聞いてしまったら仲間として気にしてしまう。先ほどあった事を簡単に説明すると、真白は僅かに眉を寄せて「大まかにだよ」と前置きして話してくれた。


「覚哉の両親は早くに亡くなってね、祖父に引き取られた。けどその祖父も大戦直後のゴタゴタで反倭派に殺された。覚哉は四人の弟妹を育てる為に軍に残って仕送りしてる」

「それで……」


 余計なこととは仕送りで、軍人の兄が嫌で仕様がないのだろう。軍人なんて、言い方を代えれば殺人集団に他ならない。けれどカグヤに仕送りしてもらって特区に住んでいるのなら感謝こそすれそんなに拒絶する理由は無いのではないだろうか。特区に住んでいる人間は大抵が大倭派であり軍人は英雄のはずだ。


「覚哉に対する罪悪感もあると思うけどね、もともとカグヤの両親もじいさまも反倭派に近いところがあったから」

「軍人なんて大倭派の代名詞だもんな」

「特に色持ちだからね」


 カグヤが面倒見がいい理由とか妙に硬いところとか、全部に納得がいって筑紫は机から降りた。目を伏せた真白に微笑を送ってポケットに手を突っ込み、部屋から出ようと掛ける言葉も見つけられずに踵を返す。そろそろカグヤがつまみ食いできそうなものを作り終わるはずだと目論んだけれど、部屋から出る前に別の扉から軍服姿の青年が二人飛び込んできた。一度筑紫の姿に目を見開くが、すぐに見なかったことにして報告を始める。


「住宅街立て籠もり、近衛大隊では手に負えません!」

「高々住宅街の一軒でしょ?何してるの、だらしない」

「それが、相手も手ごわく人質もおりまして……」

「そんなこと言っても出られる部隊は今いないよ」


 各部隊が各地に散ってしまっている今、特区には紫しか駐屯している色持ちはいない。けれどまだ怪我が治りきっていないので真白は出す気がないらしい。真白はカグヤの怪我が治ったことを知らないし、筑紫の体についてもまだ大事を取らせたいようだ。けれど青年の表情からは切羽詰ったものが感じられる。


「俺ら出ますよ?」

「まだ怪我が治ってないでしょう」

「カグヤ包帯取れましたし、俺はこのとおりピンピンしてます」

「……じゃあ任せるよ」


 静かに真白が目を閉じた。本当はもう少し休ませたかったのだろう。カグヤの包帯が取れたといっても大きな怪我が塞がっただけでまだ大立ち回りは禁物なはずだ。けれど背に腹は代えられないと思ったのだろう、目を開けた瞬間には上官の顔になっていた。


「宮守君、さっさと着替えてきて。こっちに寄る必要はないからそのまま現場へ」

「はっ」

「状況は守護獣に随時送る。現場は?」


 テキパキと指示するを筑紫は敬礼で聞いた。小川さんの通信機能は便利なので、急な現場は資料ではなく小川さんの口頭説明になる。さっき見たニュースの現場かと軽く考えていると、控えている青年がはっきりとした口調で答えた。


「特区住宅区三、杭之瀬家です」


 真白と筑紫が同時に色を失って固まった。同じ苗字の他人であるはずもない事を分かりながらその僅かな可能性に賭け、筑紫は礼もそこそこに踵を返して駆け出した。





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筑紫は内臓のダメージがまだ残ってるはずなのに。