朝から軍部長室に呼び出されたカグヤは、朝食を済ませて一通り掃除を終えてから軍部長室に向かった。任務の連絡なのは分かっているけれど、連日働きづめでもういい加減に休みが欲しいという無言の訴えのつもりだ。再度連絡がないことからそんなに急ぎじゃあない仕事だと判断した。


「お呼びですか、井出元軍部長」

「遅かったね、杭ノ瀬隊長」

「なんだか急にトイレを念入りに掃除したくなって」


 少しとげとげした真白の声に、しかしカグヤはしれっと答えた。幼馴染なのだから二人きりのときにこんな堅苦しい言葉を使わなくてもいいと思うけれど、誰が聞いているかわからないから内容はどうあれ口調だけはこのままでいる。二人が親しいとばれる訳にはいかないという配慮だが、カグヤとしては会話の内容から自然に知れてしまうような気がした。
 反抗程度に冷たく即答すると、怒るかと思った真白は意外にも苦笑を浮かべた。


「まあ、いいや。そんなに急ぎの仕事じゃないし」

「だと思ってました」

「分かってても遅く来ないでよ。待ちくたびれた」

「その間に遊んでたんでしょう」

「遊んでたって、僕が?僕は真面目に仕事してました」


 どうせ待っていると言いながら寝ていたり寝ていなかったりなんだろうとカグヤは指摘するけれど、それを真白はにこりと軽やかな笑みで避ける。けれど彼の頬にはくっきりと下に敷いていたと思われ紙のあとがついていた。真白も疲れているんだから気を利かせたんだということにして、カグヤはそれで、と切り出した。


「任務は?」

「あぁ、ちょっと五区の方に飛んでもらえる?」

「五区」

「ちょっとした視察にね。一週間くらいゆっくりしてくるといいよ」


 大事じゃあないから、と真白は言ってくれたけれど、カグヤは言葉を失ってしまった。真白がそんな優しいことを言ってくれるわけがないから、何か陰謀があるはずだ。けれど一緒に渡された資料を捲っても大物の名前は載っていない。それどころか本当に特に大きな事件ではないようだった。
 絶句していると、真白は心外そうに唇を尖らせて指先で机を叩いた。


「疑ってるね。五区にオアシスと呼ばれる場所があって、そこが独立云々の騒ぎがあるんだ。それをどうにかしてきて欲しいだけ」

「それ、だけ……?」

「うん、そう。だからゆっくりしてきていいって言ってるでしょ」


 こんな仕事紫なら一日で終わるでしょ、いつも頑張ってくれてるからご褒美だよ。真白の口から出てくるとは思えない優しい言葉が次々と飛び出し、カグヤはやっぱりこれは夢なんじゃあないかと思った。思わず自分の頬を抓ってみたけれど痛いだけで夢から覚めなかった。きっと明日は台風が来るに違いない。その前に特区から離れようと、カグヤは頭を下げて部屋に戻った。










 第五区の巨大砂漠にあるといわれるオアシス。ただし現在までに確認はされていない幻の楽園。何人もの調査団が戦前から何度も調査を繰り返しているけれどその片鱗すら見つからなかった。だから地元地域を含めて幻想とされてきた。真白もあるわけはないと思って紫部隊を送り出したのだろう。この辺は発展していないけれどバカンスにはちょうどいい。


「暑い!日に焼ける!!」

「騒ぐなサク、余計に暑い!」


 ちょうどいいと思ったけれど、それはシャトルの中での幻影だったようだ。降り立った五区は砂漠が多く乾燥していて、気温が非常に高い上に湿度が低い。降り立った瞬間から緋桜は肥えにならない悲鳴を上げ、暑さと寒さに弱いと自己申告している筑紫は嫌な顔になって低く唸る。この状況はバカンスじゃあないなとカグヤは思った。
 ヘリで砂漠上空を旋回して戻って来ようかと軽く考えていたけれど、実際に五区について大隊に問い合わせてみたら砂漠上空は電波がひどくヘリが飛べないと言われた。おかげで軍用車を借りてカグヤは久しぶりにハンドルを握った。


「ねぇカグヤ、どのくらいで抜けられるの?」

「ん?明日の朝には……」

「そんなに!?」


 ホロが付いているジープだけれど差し込む日差しに緋桜は文句をポンポンと零す。確かに暑い間にこうも文句を言われると苛っと来るけれど、今緋桜に黙られるとカグヤがめいってしまう。後ろに筑紫と一緒に座らせれば一緒に騒いでいるかと思ったけれど、筑紫の声は聞こえなかった。一瞬だけ後ろを見ると、すでにグロッキーに筑紫は車に揺られている。


「筑紫、生きてるか?」

「……かろうじて」

「だらしないなぁ」

「…………うるせぇ」


 緋桜の言葉にも筑紫は言い返さずに小さく呟いただけだった。カグヤはハドルを握りながら煙草を吸っているけれど、筑紫は煙草を出そうともしない。こんなに弱っている筑紫を見たことがなくてカグヤは少し気を使ってライターを後ろに放ってやったけれど、暑いという分からない理由で投げ返された。
 視界はずっと砂漠が続き、オアシスなんてありそうにない。カグヤは緋桜にちゃんと外見ててくれよと頼んで紫煙を吐き出した。


「もうないよ、日焼けしちゃうから帰ろうよぉ」

「うーん……そうだな。筑紫もこのままだと死にそうだし、帰るか」

「何を言うておるんじゃ。せめて横断せい」

「だって小川さん、筑紫放っておいたら死んじゃうよ?」

「そう簡単に死ぬたまか」

「……小川さん、ひでぇ……」


 カグヤももう帰ろうかと思うけれど、唯一小川さんが賛成してくれなかった。確かに正論ではあるんだけれど、そんな理屈を通り越して真白に偽ってでも正直帰りたく思う。緋桜がいい理由があると筑紫を引き合いに出したのに小川さんはそれを一蹴してくれた。筑紫の呻き声が更に小さくなったような気がした。


「でもそろそろ帰らないと、日が暮れるぞ」

「砂漠って冷えるんでしょ?防寒対策してないよ」

「今から引き返しても日が暮れるまでには戻れんぞ」

「……筑紫本当に死ぬんじゃあないの」

「……かもな」

「……殺すな……」


 小川さんの非情な台詞に、カグヤも緋桜も本気でやばいと思った。砂漠での気温差は激しいから、今は五十度近い気温でも夜になるとマイナスになることが多い。しかもそろそろ車を走らせ始めて三時間あまり、日が傾き始めているから沈むまでには二時間ほどかかるだろうか。
 時間から考えて戻る方がまだ建設的だろうと判断して、カグヤは小川さんの文句を聞き流してハンドルを切った。


「覚哉!」

「ないって、小川さん。こんな仕事は休みの口実だって!」

「それでも全うするのが色持ちの指名じゃ!」

「そんなんで仲間殺せるか!」


 短くなった煙草を車の灰皿に押し付けて、カグヤはアクセルを踏み込む。文句を言ってくる小川さんに珍しく反抗しすると後ろで緋桜が悲鳴のような声を出した。まず小川さんに戻ることを納得させてからと思って緋桜を無視して小川さんに「仲間と仕事どっちが大事だ、明日出直す」と声を荒く言って煙草に火をつけた。
 苛立ちを散らすように紫煙を吐き出すと、後ろから髪を引っ張られる。一瞬ハンドルを取られて車の半分が浮き、慌てて立て直してから振り返った。


「何だよサク?」

「あそこ!竜巻!」


 身を乗り出した緋桜が指差した方を見れば、あまり遠くないところに竜巻があった。完全にこちらに向かってきているそれはこの車では進行方向的にも逃れられそうにない。立ち向かうか逃げるかの二択を瞬間的にカグヤは判断してハンドルを切った。場所が分からなくなるよりは紫らしく正面から正々堂々勝負した方がいい。どうにか避けられることを願って、だが。


「カグヤ!どこ行く気!?」

「サク、しっかり掴まってろよ」


 久しぶりの運転だけれど、以前は結構好きで運転していた。その頃の勘も戻ってきたことからの判断だったが、竜巻に近づくに従ってカグヤは自分の判断を後悔した。三十六計逃げるにしかずとはよく言ったものだと昔の人に感心する。遠くから見ていたらそんなに大きくないと思ったのだけれど、近づいてみたらものすごく広かった。これを避けるのはほぼ不可能だ。


「筑紫、死ぬなよ!」


 自分が原因で死んだら寝覚めが悪いと思わずカグヤの口から不吉な言葉が漏れる。いつもならば何某かの言葉が返ってくるが、今日は呻き声しか返ってこなかったから本当にやばいなとカグヤは思った。
 竜巻に突っ込んだ途端に車体がふわりと浮いた。浮遊感を感じた瞬間にカグヤはハンドルから手を離してシートベルトをはずし、緋桜に手を伸ばす。彼女が極力衝撃を受けないように自分の体で抱きしめながら視線を移すと、体調が悪そうにしながらも受身を取ろうとている筑紫に睨まれた。










 寒くなって目を覚ました瞬間、カグヤは跳ね起きた。何が起こったのか頭の中で竜巻から思い起こしながら自然に腰のホルスターに手を伸ばす。けれど当然だがそこに銃はない。運転する邪魔になるからとホルスターごと自分で取ったんだった。覚醒したカグヤの視界に広がったのは、綺麗な木目の壁だった。ぐるりと囲まれ、天井は大きな草で屋根ができている。


「ここは……」

「カグヤ、目ぇ覚めた?」

「筑紫」


 かけられた声を探せば筑紫で、最後に見たときは幽霊のような顔をしていたくせにだいぶ元気になったようだ。微かに鼻につく匂いは筑紫の煙草か。更に部屋を見回すと緋桜がまだ気を失っていて、揺り起こそうかと思ったところを筑紫に止められた。緋桜の隣には小川さんも気絶しているが、こっちは起こすとうるさそうだからやめておこう。


「気失ってるだけだから平気だって。夜だし寝かしとけよ」

「……ここは?」

「オアシス」


 にやりと筑紫が笑った。筑紫の話では、竜巻に吹っ飛ばされてこの近くに落下したらしい。その時点で緋桜もカグヤも気を失っていたが、グロッキーだった筑紫は薄ぼんやりと記憶があるそうだ。けれど夜の気温に筑紫は動けず、そうしているうちにやってきた人間が三人と一匹を運んでここに寝かせた。ここはなぜか寒暖の差がなく筑紫の体調もすぐによくなってここで二人が目覚めるのを待っていた。


「今は午後七時ってとこ。あ、これ」


 辺りを見回すカグヤに向かって筑紫は指先で小さな機械を弾き飛ばした。それを受け取ったカグヤは少しいぶかしみながらもそれを耳に装着した。そうして目を眇める。何か言いたそうなカグヤに苦笑を浮かべ、筑紫は紫煙を吐き出して窓の外を見上げる。昇っていく紫煙はすぐに霧散する。ここにはあまりふさわしくないように思えた。


「さすが幻のオアシスだと思わねぇ?」

「……言葉が通じないのか」


 もともと大倭に統一されてから言語も統一されたから翻訳機なんて必要がないはずだった。一応持ってきた翻訳機がこんなところで役に立つとは思わず筑紫も正直驚いた。けれどさすがに未開のオアシスは言語統一もなされていなかったようだ。筑紫が先に言語収集して翻訳機を使えるようにしてくれたらしい。
 珍しく役に立つなとカグヤが茶化して煙草を出したら、ライターを投げつけられた。キャッチはしたけれど、一体いつの間に取ったんだか。


「一人で見て回ったけど、たぶんここの人たちは何も知らない」

「何も?」

「大戦も、その後の世界も」

「……さすが幻、だな」


 紫煙を吐き出して窓から外を見ると、砂漠の真ん中とは思えない緑が豊な土地だった。きちんと整備されているわけではないようで家屋も木を組んだだけのようなものだが食べ物も完全に自給自足が可能のようだ。太陽の光を反射しているのは湖だろうか。なんだかここにいる自分たちが異分子だ。


「俺たちはここにいちゃいけないな」

「そもそもここを探すなんてのが間違ってたんだ」


 空に視線を移すと満天の星空がそこにはあった。大戦が終わってからこんな空を見たことはなく、大戦の最中は空を見上げる余裕も勇気もなく、結局こんな空を見たのは幼い頃以来だったろう。自分たちの世界からかけ離れた場所に来たんだということを実感して、カグヤはまだ半分しか吸っていない煙草を消した。この空に紫煙は似合わない。
 そのとき、緋桜と小川さんが同時に起きた。緋桜はきょとんと辺りを見回した後カグヤと筑紫の姿を見つけてにこりと無防備に笑い、小川さんは難しい顔をした。


「ここはどこじゃ?」

「オアシス」

「小川さん、軍部長室に繋いでくれ」

「カグヤ!?」


 今までの会話はどこに行くんだと声を荒げる筑紫を一睨みしてカグヤは小川さんの前に膝をついた。真白に連絡を取ったところで今すぐは何もしないはずだ。それに何も連絡しない方が心配になるんじゃないだろうか。そう思うのは幼馴染だからかもしれないけれど、一応無事なのだと安心させておきたい。
 けれど小川さんの口からはいつまでたっても真白の声は出てこなかった。代わりに小川さんのざらついた声がする。


「連絡がとれん」

「え?」

「原因は分からんが、通じん」

「……まさに幻、だな」


 外部と連絡が取れない理由は分からないけれど、通じないものは通じない。ここから脱出するしかないなとカグヤは諦めて、その場に大の字に寝転がった。その顔を緋桜が覗き込んできて「バカンス?」ときらきらした顔で訊いてくるので、筑紫を指差して説明してもらうように促した。





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 小川さんが役立たず