そろそろカグヤが夕食の準備をしようかとキッチンに立ったのは、午後五時を回ったあたりだった。任務から帰ってきて約一時間、どうにか洗濯物を片付けられた。緋桜はリビングでマニキュアを塗っていて、その向かいのソファで筑紫がゲームをやっている。リビングから聞こえてくる筑紫の声は悲鳴のような怒号のような。
 カグヤは米を研いで炊飯器をセットし、今日のおかずは何にしようかと冷蔵庫と相談しながら考え始める。鮭があるからこれでも焼くか。冷蔵庫から鮭を取り出してグリルに乗せて、火をつけた瞬間に電気が落ちた。


「ギャー!!?」

「筑紫うるさい!」


 幸い冬ではないので外はそんなに暗くない。暗闇になることなく、少し薄暗くなった程度だ。けれどリビングから筑紫の悲鳴と緋桜の怒った声が聞こえてくる。逆ならば分かるけれどどうしてそうなった、とカグヤが顔を覗かせると筑紫がコントローラーを持って固まっていた。


「データが……もうすぐでラスボスが……」

「ちょっとぉ、ブレーカー上げてきてよ」

「せっかくエンディング……」

「カグヤ、電気ー!」


 どうやらエンディング間近のゲームだったようで、筑紫の落ち込み具合が半端ない。それを緋桜が苛々と膝を抱えてみていて、早くブレーカーを上げて明かりを取り戻せと文句を言う。普段これくらいではブレーカーが落ちるわけがないのに、と思いながらカグヤは手を拭いてキッチンを出た。リビングを横切って洗面所の壁に設置してあるブレーカーを上げる。大倭軍の建物だといっても一部屋一部屋は電気を区切っている。その半数以上が落ちると大本のブレーカーが落ちる仕組みらしい。
 カグヤがブレーカーを上げた瞬間、今度は電話が鳴った。外からの回線も繋がるけれど三人に連絡を取る人間はいないから、もっぱら鳴れば仕事に結びついている。タイミング的にもしかしたら今ブレーカーを落としたからかな、と思ったけれど、カグヤが受話器をとっても向こうからは砂嵐しか聞こえなかった。途端にまたブレーカーが落ちる。


「何、どうしたの?」

「さぁな。もう一回ブレーカーを上げてくる」


 突如落ちたブレーカーに首を傾げながらカグヤはもう一度ブレーカーを上げた。けれど手を離した瞬間にはそれは下に戻っている。これは大本が落ちているな、と思った瞬間にカグヤは血の引いた音を聞いた。さっき炊飯器をセットしたばかりじゃあなかったか。米を炊こうとしている最中にブレーカーが落ちたんじゃなかったか。その事実に悲鳴を上げたくなった。米を炊いている間に電気が落ちるなんてことは今までなかったので気づかなかった。
 思わず悲鳴を上げたくなったけれどどうにか我慢して、カグヤは早足でリビングに戻ると緋桜の隣でひらひらと尾を振って優雅にしている小川さんの前にしゃがみこんだ。手がローテーブルの上においてある筑紫の煙草を探り当てて一本失敬して気を落ち着かせるために火を点ける。それを見て小川さんが迷惑そうな顔をしたけれど、そんなことを気にしていられるほどカグヤも冷静でいられない。


「小川さん、真白に……井出元軍部長に繋いで!」

「何じゃい、停電くらいで手を煩わせる気か」

「停電ぐらいじゃない!今夜の米の味がかかってるんだ!」


 停電なんて放っておけばそのうちなおるという小川さんの鼻先に銜えた煙草を突きつけるように顔を近づけて、カグヤはすごんだ。それに気おされてか小川さんはしぶしぶ通信を繋ぐ。けれど向こうから聞こえるのは砂嵐の乱れた音だけだった。しばらく待っても電気はつかないし電波の回復もしない。これでは食事も作れない。
 カグヤは小川さんの鼻先に紫煙を吐き出すと、エプロンを外してまだ半分も減っていない煙草を灰皿に押し付けた。


「直接行ってくる」

「待ってカグヤ、私も行く」

「筑紫はどうする?」

「……俺も行く。んでもって文句言う」


 まだ復活していないようだけれど、もしかしたらデータがマザーに残っているかもしれない。大倭軍の住居ではすべてがマザーコンピュータにバックアップをとってあるはずだ。まさかゲームのデータまで取っておいてはいないだろうしそもそも米はデータで美味しくなることはない。けれど、筑紫は僅かな期待を込めてぐっと力を入れると煙草をポケットに捻りこんで立ち上がった。小川さんが億劫そうに身体を起こして着いてくる気なので勝手にさせることにして、カグヤもエプロンを脱ぎ捨てて軍部長室へと向かった。










 軍部長室に行ったけれどデータ管理課に行ったと言われて、最終的に走るようにして管理課に転がり込んだ。何をして遊んでいるのかと文句を言おうと思ったけれど、入った瞬間室内のピリッとした空気に言葉は喉から出てこなかった。派手に入ったので中にいた十名近い視線が突き刺さり、三人は場違いに息を呑む羽目になった。後から遅れた入ってきた小川さんがやれやれと顔を顰めて溜息を吐く音が、機械の音だけをさせている室内に大きく響いた。


「紫部隊諸君、血相変えてどうしたの?」

「いや、停電で……何かあったんですか?」


 何かあったなんて訊かなくても分かったけれど、カグヤはそれを義務と思って質問した。部屋の壁一面に設置された巨大モニターは普段ではありえない青一色が発光していて、その中に赤字が流れてきてこの建物の電気系統を奪ったと表示しては消えていった。明らかにテロだ。管理課も難しい顔をして巨大なコンピュータを弄っているけれど一向に事態は解決しそうになかった。
 彼らの作業を腕を組んで見ていた真白が、本当にどうしたのと砕けた笑顔を見せたから、カグヤは顔を寄せて本当の理由を話した。こうしている間にも米はどんどん水を吸っているはずだ。


「これ解決したら僕もご飯食べに行っていい?」

「いいけど、ありあわせだぞ」

「別にいいよ」


 解決したら、と言いながら真白がいい笑顔を向けてくるので、カグヤは一瞬逃げ出したくなった。今日は出前でいいじゃあないか。そんな台詞が頭にぱっと浮かぶ。その間にもマザー画面には赤い文字で警告やら何やらが流れ出している。どうもこれはサイバーテロらしいと教えてくれた。
 悪質なウイルスのような状態だろうとそれなりに解釈して、きっと彼らが対処してくれるのだろうと思いカグヤは踵を返したけれど、その瞬間には真白にシャツを掴まれていた。そうして、いい笑顔を向けられる。


「紫部隊諸君」

「……はい?」

「緊急事態。お仕事」

「いや、俺たちさっき帰ってきたばっかりで」

「お腹減ったから僕、機嫌悪いんだ」


 にっこりと笑ってカグヤのシャツを掴んだ真白の手の強さは、本気だった。それに従兄弟のカグヤでさえ恐怖を覚えて思わず仲間二人に視線を向けたけれど、どちらも同時に首を縦に振って逆らうなと主張していた。あまり大変な仕事ではなかったから疲れているか、無謀かといわれればそんなことはないから働けといわれれば働けるけれど、カグヤは炊飯器の中の米を思って気が気ではなかった。


「でも、米が……」

「これ解決しないと電気つかないけど」

「何をすればいいんですか?」

「カグヤ変わり身早いって」


 後ろから筑紫が完全にやる気のない声をかけてくるけれどまったく聞こえないふりをしてカグヤは真白に微笑みかけた。顔は笑顔でもその目は笑っていない。米をおいしく炊くために、自分でとっとと終わらせてくるという意気込みをものすごく感じられた。それは後ろにいた筑紫にも緋桜にも分かった。


「横杉課長!」

「はい。紫部隊の方に協力していただければ、すぐに解決できましょう。ささ、こちらへ」

「はい」


 真白の声に管理課の課長が飛んできて、三人と一匹を奥の部屋に案内した。小さな部屋は薄暗く、何となく嫌な雰囲気がして緋桜がカグヤの後ろに隠れるようにして一歩後退した。部屋の奥の壁には何かの機械がびっしり並んでいて一定リズムで赤や緑の点滅をしている。中央を照らすようにライトがあり、その下には円状に棺おけが五つばかり並んでいる。蓋が開閉可能で中央から観音開きになっているようだ。不思議で、壁を張っている無数の配線が更に不気味だった。


「こちらへどうぞ」

「……あの、ここは?」

「どうぞ、この中へ。ささ、遠慮なさらずに」

「いやあの!俺たち何すればいいんスか!?」


 理由も話さずに棺桶を進められてもはいはいと入れるわけがない。言葉を濁すカグヤの代わりに筑紫が声を荒げると、彼はそれを知らなかったのかと驚きの表情をしたが一瞬後にはとりあえず中にどうぞと言って無理矢理に三人を棺桶に押し込んだ。まさかこんなに若いうちに棺桶に入る羽目に入るとは思っていなかった。まだ生きているのに。


「皆様にはこれから、マザーの中に入ってもらいます」

「棺桶の意味は!?」

「意識だけ行ってもらうわけですから、肉体の保管場所です。まぁ、バーチャルリアリティみたいなものです」

「棺桶じゃなくても良かったよな!?もうちょっとSF的なもので良かったよな!」

「そこは我々のセンスです。相手も挑発してきてますし、中では縦横無尽に動けるはずです」


 こちらからもサポートはします、と言った課長の言葉を信じるしか今はない。いくら実践投入されていなくてもまぁ大丈夫だろうと三人は棺桶に横になった。途端に蓋が迫ってきて閉められる。完全に密室になったけれど、声を出してみたらちゃんと聞こえた。


「では、御武運を」


 管理課長の声が聞こえたと思ったら耳元でバチバチバチッと火花が散るような音がした。目の前はもとから暗かったけれど一瞬だけ白くなり、その後に急に意識が後ろから引っ張れれているような感覚を覚えた。まるで上空から飛び降りたような感覚に襲われ、身体を浮遊感が包み込む。急激な吐き気がこみ上げてきて、次の瞬間には空中に放り出されていた。










 飛んでいると思ったのは一瞬で、まず筑紫がドサッと地面に落ちた。もろに顔面を強打して痛みに顔を歪めたら、その上にものすごい質量のものが降ってきた。しかも、二回連続で。


「ぐふっ」

「何をやっておるんじゃ」


 すぐ隣からは小川さんの呆れたような声が聞こえて筑紫が再度打ち付けた顔を持ち上げて振り返ると、背中に二人乗っかっていた。緋桜が「お尻打った」とか文句を行っているけれど、こちとら顔面を二回強打だ。そんな些細なことはどうでもいいので、筑紫は背中の二人を振り落とすべく身体を芋虫のように捻った。


「重い!退け!」

「バーチャルでも重さって感じるんだね」

「感じてる!重いから退けっつってるだろーが!!」


 ごろごろ転がると、緋桜が悲鳴を上げて降りた。カグヤも立ち上がって優雅に辺りを見回している。早く立てと言われたけれど、誰のせいでこうなっているのか訊いてやりたい。擦り剥いたようでひりひりする鼻の頭を触ってみたけれど血は出てなかった。これならすぐに傷も消えるだろう。
 服についた土を払って、筑紫は辺りを見回した。どうやら森のようで、視界は一周しても木しかなかった。


「すごいねー」

「仮想空間のくせにリアルだな」

「だからバーチャルなんだろ。これからどうすんの?」


 どちらに進もうにも見渡す限り光景は一緒だ。こちらに来る前に聞いた話では、相手も乗り込んでくることを期待していたらしいから適当に進んでいけば会えるんじゃあないだろうか。サポートするとか言っていたくせになんの助言もないので、三人は勝手に動くことにしてみた。そのとき、ぴょこんと一匹の巨大な団子虫が現れる。思わず筑紫は腰の銃にを伸ばした。


「キャー!」

「って俺なんで銃持ってんの!?」

「私たちが装備しました。皆さんちゃんと軍服でしょう?」

「団子虫が喋った!」


 丸まってきたから分からないけれど、恐らく伸びたら二メートルくらいあるんじゃなかろうかと思われる団子虫が、流暢な日本語でそう答えてくれた。丸まっていても百七十くらいあるものだから緋桜よりも大きい。小川さんなんて簡単に潰されそうだ。
 団子虫に言われて自分の服装を見れば、私服だったはずなのにちゃんと軍服に着替えていた。もしかして、と悪い方向に考えてポケットを漁るけれど、ちゃんと煙草も入っていた。良かった。


「データ管理課の者です。この姿でナビゲートさせていただきます」

「どうしてあえてそんな虫を……」

「こちらです!」

「あっ、はい……」


 こちらの話が聞こえているのか聞こえていないのか、巨大団子虫はごろごろと転がって前に進み始めた。目が回らないのかなーとか思ったけれど、たぶんただのキャラクターだから大丈夫だろう。三人で並んで団子虫の後ろを歩き、前を行く小川さんと巨大虫を見比べた。


「なんつーか……な」

「そうだな……」


 一瞬、目の前がぶれた。まるでビデオの手振れのように一瞬だけぐらりと揺れて三人揃ってバランスを崩す。足を止めることで踏ん張って倒れはしなかったけれど、目の前にいたはずの巨大団子虫はいなくなっていた。小川さんは気づいていないのか真っ直ぐ歩いている。鬱蒼としているものだから、その雰囲気とあいまってものすごく君が悪い。思わず男二人の足も止まった。


「チキン」

「うるっせぇぞサク!怖いもんは怖い!」

「何をしているんじゃ、お前らは」

「小川さん!だってそいつ!!」


 小川さんが不審そうに眉を寄せたような表情で振り返るので、筑紫は目を剥いて小川さんの隣のそいつがいたはずを指差した。けれど小川さんはその指の先を見ただけで胡乱気な目を再び筑紫に向ける。その眼が更に尽くしの恐怖を煽った。


「何を言っておるんじゃ、筑紫」

「小川さんの隣にいた団子虫!あれいないんだけど!?」

「団子虫?なんじゃ、それは」

「へ?」

「何って……」


 そんなものは初めからいなかったという小川さんに、三人は思わず顔を見合わせた。まさかあれは三人にだけに見えていた幻、もしくは幽霊的なものではないだろうか。完全に引き返したくなって筑紫とカグヤは踵を返しかけたけれどそれは緋桜に服を掴んで止められて、しかも小川さんはさっさと進んでしまっている。


「置いていくぞ」

「そうだ、米!」


 米をおいしく炊く、が目標のカグヤはそれを思い出して怖いとかもうそんなものすべて吹っ飛ばしてざくざくと前へ進んだ。小川さんさえも追い越すと後ろから筑紫がかけて寄ってくる。カグヤはポケットから煙草を取り出して片手で火を点け、紫煙を吐き出した。急に開けた視界の向こうに、信じられないものが見える。
 後ろから追いかけてきた緋桜が、悲鳴とも感嘆ともつかない声を上げる。


「お菓子の家だぁ」


 木々の開けた場所にあったのは、見るからに絵本にいるようなお菓子の家が鎮座していた。更に後ろからやってきた筑紫も驚きと甘い匂いに顔を歪め、小川さんは不可解な顔をして足を止めた三人を見上げた。





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カグヤはどんだけ米にこだわるの