データ管理課の部屋の中央にある巨大モニターの右半分には紫部隊の三人と一匹の後姿が映し出されている。彼らは鬱蒼とした森の中を歩いている。その左半分は真っ白な画面しか映っていない。右が勝手に送りつけられる画面で左は元々の映像を映してる画面だけれど、その左の画面にも白だけではなくところどころに黒いもやが浮いている。それが何であるのか、真白は聞く気が起きない。
「ダメか!」
見つめていた右の画面がもやっとして一度真っ白になった。次の瞬間に移っていたのは、左画面よりも更に真っ白なただの空間だった。どこかがバグったのかとも思ったけれど詳しいことは分からない。ただ課長の横杉が薄くなった頭を抱えたから予定外のこともしくはまずいことが起きたのだろう。
一人彼らの背中を見るように部屋の壁に背をついて画面を見ていた真白は不満そうに眉間に皺を寄せた。
「繋ぎなおせ!」
「直せません!」
「課長!別空間が構成されたようでアクセス不能です!」
モニターに接続された機械を五人の人間がガタガタと忙しなく操作して、頻繁にピーともビーともつかない耳障りな声が室内に響き渡る。マザーとは別の電源がこの部屋だけついたからいいようなものの、建物全体に電気は供給されていない。この電気だってなくなるのは時間の問題だ。
くるりと横杉が振り返り真白に状況を手短に説明するけれど、眉間の皺は取れそうにない。それを意識的に揉み解すけれどどうにも表情は固いままだった。お腹も減ったからしょうがないかもしれないけれど。
「こちらからのアクセスが防がれてます。こちらから状況を見ることすら……」
「守護獣は使えてるんだから、そっちにアクセスしてみたらいいのでは?」
「すぐにやってみます!」
小川さんに限らず、色持ちの守護獣は人工的に作られ脳にはAIが埋め込まれている。自我を持ってはいるけれど彼らは基本的にこちらの操作で動かすことができる。人工知能なんていえば聞こえはいいけれど、半分は動きを制圧されているようなものだ。現在小川さんまでもがマザーの中に飛ぶことができ、かつ紫部隊と共に行動を共にしているというのならば彼の中に飛べば問題はない。もしかしたら初めからそうすべきだったのかもしれないけれど、真白はその辺には関わっていないし関わる気もない。
「成功です!」
「こっちの声は通じる?」
「はい」
「じゃあマイク貸して。ここからは僕が指示を出す」
白かった右の画面に、小川さんの視線と思われる低さで再び緑が映った。目の端に黒い軍服が二人分映っている。それが誰のものかはわからない。小川さんの行動権もこちらに移っているはずだから、それは必要に応じて管理課の人間が動かしてくれるだろう。ただ真白が手で視線を上げるように示すと視線が上がって筑紫の紫の頭とカグヤの長髪が見えた。彼らの視線の先を追いかけると、まるで絵本の中のようにぽっかりと開いた広場にお菓子の家が見えた。
お菓子の家に犯人もしくはその代理人がいるとは思えない。嬉しそうに駆けて行ってしまった緋桜を止めるのも可哀想かもしれないので、筑紫もカグヤも思わず彼女を見送ってしまった。けれど大丈夫の根拠なんてどこにもなく、むしろものすごい罠っぽい。こんな子供っぽい罠を用意しておくのもどうかと思うけれど、かかる方もどうかしているんだから。だから結局、筑紫が緋桜の後を追った。
「それにしても、いい天気だな」
木がなくなったことで真っ青な空から日光がぽかぽかと降ってくる。絶好の洗濯日和だ、と一人ごちてカグヤはさくっと草を踏んだ。進んだ道がこっちにつながりここに障害がある以上、これを突破しなければ先に進むことはできない。敵の目的がサイバーテロなのだとしたら、乗り込んだこちらに対して一直線の道を用意してくれるだろう。そしてその間に倒せない障壁を用意しておく。
「俺的には魔女を倒して突破だと思うんだけど、小川さんどう思う?」
「……ずいぶん余裕があるようだね」
「まっ……井出元部長!?」
世間話程度に一緒に歩く小川さんに声をかけながらポケットの煙草を探していたカグヤは、返ってきたしわがれた声ではなく少しノイズの混じった真白の声だった。呼びなれた名前が飛び出してきたけれど、かろうじて理性が周りに人がいることを慮って言い直す。真白はアクセス不能になったので小川さんにアクセスすることでこちらと通信を可能にしたと説明し、のんびりとしている紫部隊の行動にいくつか文句をつけた。
まっ先にお菓子の家に飛び込んだ緋桜は楽しそうに窓から顔を出してここは飴だとかあっちはビスケットだとか言っているし、筑紫は中に顔を入れただけで壁を蹴って削ってみている。なんだこのピクニック気分はといいたくなるのは無理もないかもしれない。
「カグヤ!誰もいない!」
「あんまり荒らすと魔女に喰われるから気をつけるんだぞ。筑紫は何やってんだ」
「穴でも開けたら壊れねぇかと思って。中もお菓子だらけで無理、甘い」
「水がチョコレートだ!」
楽しそうに室内を探検する緋桜は、蛇口を捻ってみて水の変わりにチョコレートが流れてきたと言ってはしゃいだ声を上げた。たしかに外にいても甘い匂いが漂ってきて、正直中に入りたくなくなった。そもそもこんな家ではバランスの取れた食事ができるわけがない。
中の散策は緋桜に頼んで、筑紫とカグヤは外でのんびりしていることにした。あんな甘いところにいられるわけがないと煙草を銜えて草の上に腰を下ろす。寝転がれば空は青いし風は心地いいし、昼寝するには丁度いい。うとうととカグヤが目を閉じようとしたとき、上空に急に影ができた。
「ゥグッ!何す……」
「こんなところでのろのろして、僕を餓死させる気?」
「別に俺の食事にこだわらなくても……」
「こだわらなくてもこれ片付かないとご飯食べられないよ」
降ってきたのは小川さんで、それが上手く鳩尾に落ちたものだからカグヤは盛大にむせこんだ。思わず身体を捻ってくの字に折ると、背中から尽くしが擦ってくれたようだった。珍しく優しいけれど、次にかけられた声は優しさなんて微塵もありはしない。
「何やってんの、お前ら」
「井出元部長がこの空気を気に召さないそうだ」
「は?真白ちゃん!?」
筑紫は小川さんの中身に気づいていなかったようで、驚いてじっと日本狼を見つめた。その紫色の瞳は、けれど彼らの違いを映さない。しばらく見詰め合っていたが、先に飽きたのは小川さんの方だった。この場合は真白と言った方がいいかもしれないけれど、すぐに飽きて顔を逸らすとトコトコとお菓子の家に向かっていく。
丁度そのとき、窓から緋桜がひょこっと顔を出した。口の端にチョコレートがついているから恐らく何かを飲んでいたのか食べていたのか。どっちにしろ家の壁やらを食べていたのならば注意したほうがいいかもしれない。
「カグヤ、筑紫!下にいく階段見つけた!」
「階段?」
何かあるな、とお互いに顔を見合わせると同時に立ち上がった。いつの間にか短くなった煙草はそこに吐き出して、少し先に行った小川さんを追い抜いてお菓子の家に近づいたけれど入り口の直前で甘い匂いに対して逃げたくなった。二人して足を止めると今日は真白のくせに、後ろから小川さんの膝かっくんを受けた。
「何止まってるの。さっさと行きなよ」
ガクっと膝が折れた反動で、結局中に入ってしまった。甘ったるい匂いに顔を歪めて緋桜を探すと、キッチンの床収納の如く流しの床に扉のようなものがあり確かに下に向かって階段が伸びていた。ここはこんなに明るいのに下は完全にジメジメした地下道を思わせる暗さをしている。せり出してくる空気も心なしかジメジメしている。けれど、お菓子の家なんかよりもこっちの方が断然好みだ。
「中に入れば一発解決、みたいな?」
「それか一発でゲームオーバー」
「上等!」
「えー。中、汚なそう」
「いいからいいから」
筑紫は楽しそうにポケットに手を突っ込んで階段に足をかけた。カグヤが次に緋桜の背を押し、最後に階段に足をかける。コツコツと途端に三人分の足音が響く。小川さんは獣なので足音を立てていない。ずいぶん下まであるようで、その石段は長かった。
数えてみたら百十三段の段階段を降りきると地下水道のように広くジメジメして、そして薄暗い。ポーチの中から懐中電灯を取り出して辺りを見回すけれど、そのその空間は地下水道というよりも廃屋のようだった。ただ真っ直ぐに廊下が続いていて、突き当りがかろうじて見えた。扉というよりも鉄格子がはめられているそれはまるで魔物でも飼っているようだった。進む道はそちらしかないので、三人と1匹の足はそちらへと向かう。
「なんかカビくさい」
「このステージのクリアがここの殺菌とかだったらどうする?」
「カグヤに任せる!」
「そんなわけあるか。さしずめアレを倒すんだろ」
「……君たち、いつもこんなに緩い会話してるの?」
ジメジメしているしろくに手入れがされていないのか埃は積もり放題だ。これを掃除したらここから解放されるなんてありえないとは分かっているけれど筑紫は口に出さずに入られなかった。正面の巨大な鉄格子なんてでっかい魔物的なものが住んでいるに決まっている。さっきまでやっていたゲームもそれだし、なんだか想像させてしまうのかもしれない。
「あれ。中身、井出元さんなの?」
「そうそう。今日は小川さん一味違うぞ」
「団子虫が使えなくなったそうだ。指示をくれるからいつもみたいに文句を言わないようにな」
「団子虫より全然こっちでいいです……」
「いつもだって文句言ってねぇだろ!」
いつものように三人で会話をしながらコツコツと足音を響かせる。ピチャンピチャンと響いているのは水が滴っているのだろうか、本当に地下洞窟のようだ。これも演出かな、と思った瞬間にカグヤの足が止まった。隣を歩いていた筑紫と緋桜が数歩先で足を止めてカグヤを見て首を傾げた。
「カグヤ、どうしたの?」
「これって、仮想なんだよな」
「だな。だから?」
「サーバーは相手に取られてて、変更とかって向こうの勝手好き放題」
「だから私たちが倒しに行くんだよね?」
「そーそ。返してくれる気があんのはどうかは別としてだけどな」
「ということは、相手の気分で幽霊の類が出てくる可能性って、あるよな」
カグヤが口元を引きつらせて呟いて緋桜と筑紫を順に見ると、筑紫の顔は見る見る青くなって緋桜はさも詰まらなそうに顔を歪めた。言葉を失った筑紫はギギッと音がするほどぎこちない動きで正面を向くと、ものすごい勢いで廊下を疾走し鉄格子に向かった。その背中を緋桜が「チキン」と呟いて見送る。カグヤは追うかどうか一瞬悩んだけれど、一人で追うよりも緋桜と小川さんといることを選んだ。
「カグヤ!サク!」
しばらく黙って進んでいると、筑紫の焦った声が聞こえた。まさか本当に出たんじゃあないかと思って踵を返したくなったけれど、その途端に後ろから小川さんが唸り声を上げた。中身は真白の癖に。けれど次の瞬間にはそんな気はなくなって駆け出していた。
「子供!監禁されてる!」
奥に捕まっている子供を助け出すだなんてわけの分からないクリア条件だと思いながら、もう五十メートルほどになっていた距離をカグヤは全力で走った。緋桜を置いてきてしまったけれどこの距離ならば特に問題ないだろう。
駆け寄って格子の中を覗き込むと、ぐったりとした子供が五人ほど横たわっている。筑紫がガチャガチャ鉄格子の扉を弄っているけれど、こんなのでは埒が明かない。カグヤは躊躇なくホルスターから銃を抜くと鍵を打ち抜いてこじ開けた。キンキンとぶつかった音が響いて、一度兆弾した弾はどこかの光を反射する。
「開いた!」
「珍しく乱暴じゃん」
「いいから救出!」
銃を仕舞いながらカグヤも格子を潜って中に入った。ぐったりしている子供は意識がまったくない。五人いるから筑紫が二人で自分が三人だと速攻計算して、カグヤは筑紫に二人を担がせた。カグヤは一人を肩に担ぐと、残りの二人を両腕で抱える。さっさと出ようとしたときにようやく小川さんと緋桜が追いついた。それをみて一人は小川さんに任せていいかと思った瞬間、水滴が目の前に落ちてきた。
「覚哉!下!」
その変化に最初に気づいたのは真白だった。視線が近かったこともあるだろうけれど、水滴が落ちた地面が抉れている。まるで水滴が削ったようだけれど、こんな小さなものがそんなに力を有しているわけはない。小川さんが顔を近づけて匂いを嗅ぎ、次の瞬間には顔を顰めて数歩後ずさった。
「濃硫酸だ」
「な、なにぃ!?」
「降って来てる!」
上からポタリポタリと降ってくる液体に、三人は声にならない悲鳴を上げた。まず脱出を図ったのは小川さんで、四本足でものすごく俊敏に逃げていった。それを追って緋桜も駆け出す。ぽたぽた落ちてくるそれは時間がたつごとに量を増し、筑紫の頭に落ちたのか筑紫が悲鳴を上げて走り出した。けれど両手に子供を抱えているので通常よりも遅い。
「イヤー!服が溶ける!」
「サク、それはオイシイ!」
「溶けろ馬鹿!」
結構緊迫した雰囲気の割には交わしている会話は通常通りの気の抜けたもので、三人で廊下を疾走した。小川さんの姿はもう出てしまったのか見えない。
もう奪取で階段を上がるけれど、量が増えすぎて素敵を避けることはできそうにない。階段を上がってまた甘い空間に帰ってきた時には筑紫の顔には幾つもの傷ができていて、カグヤもところどころ溶けている。特に緋桜は何かに狙われたように軍服に穴が開きかろうじて必要な部分が隠れているような状況だった。
「オイシイけど、これはないよな……」
「絶対犯人殺してやるんだから!」
「サク、これ着とけ」
まだマシな自分の軍服を緋桜の肩にかけた瞬間、ズズッと変な音がした。ぱらぱらと何かが降ってくるから何かがおかしいと顔を上げると、一体何が原因か分からないけれど家が崩れようとしていた。カグヤは気を失っている五人の子供を庇って、筑紫は緋桜を構って降ってくるその衝撃に耐えようと身体を固くした。
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筑紫は脱いだらすごいんです!