水中に引き込まれるとは思ってなかったから、それ用の装備は何も持っていない。僅かな希望を込めてポートの中を漁るけれど普通の銃弾とナイフくらいしか入っていない。通常装備すぎて泣けてきたけれど、カグヤは諦めずにまず足に絡み付いてくる河童の頭にかかとを落として皿を割った。


  ごぼっ


 口を開けば空気が漏れて、バーチャルだというのに息は苦しくなった。結局仮想だ何だと言っていたところで体験している脳が実体験だと認識すればそれは実体験になってしまう。与えられる衝撃がリアルだろうがなんだろうが関係ないのかもしれない。口から水泡をいくつか零し、カグヤは近くでもがいている緋桜の腰に腕を回して引き寄せた。そのまま上に上がろうと水をかくけれど、どうしたって河童の方が早かった。
 筑紫の場所と小川さんを探して、まず筑紫が河童の群れに襲われているのを発見する。助けに行けそうにないので自力で逃げおおせてくれることを期待して、小川さんの白い毛皮を探す。目を凝らしても見つからないから一緒に落ちてこなかったようで少し安心した。


「んっ!」


 苦しそうに顔を歪めていた緋桜が、真下を指差した。そちらに視線をやると、今まさに筑紫が河童と素手で戦っていた。さっきと同じ光景だと顔を上げると彼女の顔はそんなことでは計れないくらいに青くなっていて、再び視線を戻す。その間にもカグヤは襲ってくる河童の頭を足で攻撃しながらポーチからナイフを取り出して応戦する。
 じっと目を凝らしていると、筑紫の周りがなにやら赤く濁っている。それが筑紫の血なのか倒した河童の血なのか分からない。もともと筑紫は容赦なく生物を殺していくから、河童の血の確立の方が高いのだが。


「んーん!」


 一瞬筑紫の方に気が行っていたのか、カグヤは自分の足元に気づかなかった。ガシッと足をつかまれて、上がれない。両足を固定されてしまったために蹴りでどうにかなる訳もなく、もがきながら聞き手に構えたナイフを手のひらの中で回して逆手に持ち替えた。それを思い切り河童の皿につきたてた瞬間、緋桜が腕の中からすり抜ける。反射的に捕まえるために手が伸びたけれど、緋桜の長い髪に指先が絡んだだけですり抜けた。ごぼりと、彼女の口から空気の玉が立ち上る。


「ゴボッ」


 緋桜の名前を叫ぼうとしたけれどカグヤの口から漏れたのは緋桜と同じ水泡だった。慌てて自分の口元を押さえるけれど出て行った酸素は帰ってこない。水を吸い込むのを押さえ込みながら緋桜を目で追えば、河童に腕を取られてもがいていたところだった。手を伸ばして、けれど届かない。
 カグヤの指先から緋桜が更に遠くへ行った刹那、彼女の腕に絡みつく河童を見慣れた軍靴が蹴り飛ばした。血の帯を水の中に描いて、筑紫が笑っている。緋桜が安堵の表情を浮かべた瞬間に彼の右手の指先から水を染める赤に気づいて表情を険しくした。そんな緋桜を気遣ってか筑紫は二カッと笑顔を浮かべて緋桜の身体を自由になって近づいたカグヤに押し付けた。彼女のポーチに遠慮なく手を突っ込んで、そこから手榴弾を取り出す。


「ん」


 筑紫が目で上を示し、その意図を読んで緋桜を抱え込むようにして身体を丸めた。目の端で筑紫が手榴弾のピンを口で引き抜くのが見える。ピッと放ったそれは水中のため放物線ではなく緩い直線を描いて河童の群れに進んでいった。
 音がしたわけではない。変わりに目を焼く閃光が水中を覆った。次にやってきた大きな衝撃に息が詰まって、肺の中の空気が一気に口外に溢れ出す。どうにか緋桜を護るように固定したまま水圧で川から押し出された。真上に打ち上げられたらまた下に戻るのかと思ったけれど、重力と爆風に逆らえずに辛うじて受身だけ取ると、落ちたのは地面だった。衝撃に多少内臓を打ちつけながらも大した外傷はないようだった。


「ゲホ……オエッ」

「筑紫!」


 すぐ近くに落ちた筑紫の呻き声が聞こえて、まず反応したのは緋桜だった。自分だって少し水を吐き出しながらすぐに体を折る筑紫に近づいた。カグヤも寄ってきた小川さんに背を摩ってもらって肺の中の水をすべて吐き出して、よろよろと身体を起こして筑紫を見る。水びたしになった彼の皮膚には擦り傷で血が滲んでいた。


「筑紫、手!カグヤ、筑紫の手が!」

「サクうるせぇ。何だよ、指の一本や二本」

「手がどうした?」


 カグヤも身体を起こしてのろのろと筑紫に近づいた。妙に整えられた地面を黒く濡らして座っている彼はさっと右手を隠したけれど、緋桜がそれを引っ張り出してカグヤの前に晒す。筑紫の指は、右手の中指の第一関節までが失われていた。そこから新しい血がどんどん垂れて腕まで汚していた。筑紫は緋桜の手を鬱陶しそうに振りほどくと、ポーチの中からびしょ濡れのさらしを引っ張り出すと適当な長さに口で切って指に巻きつけようとした。けれどその前に緋桜が涙目になってそれを取り上げると、ぎゅっと絞ってから巻き始める。


「あんがと」

「うるさい、馬鹿」

「泣きそうなくせにー」


 子供のような表情で筑紫の指をに晒しを巻きつけた緋桜は、ぱっと離れてカグヤに隠れた。それに筑紫は笑い声を上げたけれど、すぐに顔を引き締めた。背後に何だか嫌な気配がしたのはカグヤも同じで、できれば気づきたくも振り向きたくもなかった。どうやらここはコロシアムのようだった。むき出しの地面は周りよりも低く、それを取り囲むように客席が設えてある。さしずめ、処刑場というところだろう。ピリッとした緊張感にカグヤと筑紫の手が自然にポーチに動いた。


「まさかここまで生き残れるとは思わなかった」


 お菓子の家のあたりで聞いた声だ。それが今度は直接聞こえて、カグヤも筑紫も銃を構えて立ち上がった。緋桜を守るのはいつだって男二人の役目なのだ。けれど今日は武器という武器に不安が残る。水を被るくらいでは問題ないだろうけれど水に使ってしまったのでどこに不具合が生じるか分からない。
 それを見越しているからか、声の男は高らかに笑った。同時にぼこぼこっと嫌な音がする。筑紫と背中合わせに辺りを見回せば、地面から何体もの人間らしきものが這い上がってきたところだった。


「何だこれ!幽霊の類じゃねぇよな!?」

「残念だ、ただの土塊だよ。ゴーレムみたいなものだ」

「じゃあ倒せんな!」


 ゴーレムというよりは全身タイツの人間のようなイメージをカグヤは持った。もしくは幼い頃に見ていた戦隊物の大量にいる雑魚キャラクター。筑紫は躊躇いもなく構えた銃の引き金を引いたバン、といつもよりも湿った音がする。その銃弾は土塊の額を射抜き、それはぼろっと崩れて地面に同化する。けれど次の瞬間には同じ形のものが再びもぞもぞと構成されていた。


「筑紫!右手使うなよ!」

「今そんなこと言ってる場合じゃなくね!?」

「言ってる場合だろ」


 さっき巻いた晒しにはすでに血の色に染まっている。握れば水滴すら落ちそうなそれを筑紫は笑い飛ばした。そして右手にも同様に銃を構える。確かに中指ならばそんなに支障がないかもしれないけれど、支障がないのは無事というわけではない。けれど彼の不敵な笑みは壊れなかった。


「俺思うんだけどさぁ。オタク、これゲーム感覚っしょ」

「それがどうした」

「つーことはさ、これゲームと同じだよな」


 そう言って筑紫は銃を乱射した。バババっと連続した音が地響きのように響いて、土煙が舞う。おかげで傍にいる人の姿すら見えないけれど、筑紫が銃弾を入れ替えている音は異質の金属音で聞き取れた。カグヤは小川さんの目に任せようかと思ったけれど、物理的な障害では役に立たないからと口に出す前にやめる。
 しばらくして土ぼこりが晴れ、カグヤが目にしたのは倍の数になった土塊の群れだった。思わず筑紫を怒鳴りつける。


「何してくれてんだお前!?」

「俺のせいじゃねぇよ!ここが土だから終わんねぇんだよ。元凶倒さねぇとだめ。サクも、手榴弾投げるなよ」

「うっ……投げないわよ!」

「その手にしてるもんはなんだよ」


 ちらりと筑紫が緋桜の方を振り返る。彼女の手には手榴弾が握られていた。呆れた声でつっこんで、筑紫がポケットから煙草を漁りだす。水でぐちゃぐちゃだろうと思ったそれは、なぜか新品同様に綺麗だった。火を点けて、ゆっくりと紫煙を燻らせる。それからにかっと笑って銃を高く持ち上げた。


「俺思ったんだけどさ。ゲームの中って、主人公が斬られても死なないじゃん。だから俺も死なないんじゃねぇかな」

「馬鹿か!そんなことできるか!」

「そのとおり!お望みならば試してやろう」


 筑紫の言うことは一理ある。けれど頭で理解していても撃たれた瞬間に死んだと認識してしまう。それを理性が抑えることはできないはずだ。筑紫はけろりと笑ってけれど、人間のできる芸当じゃあない。
 男も高笑いを浮かべて客席に控えている銃撃隊に合図をした。途端に十近い銃口が向けられる。それが何を狙っているのか分からずカグヤは緋桜を庇った。瞬間、顔のすぐ横を銀色の弾丸が通り過ぎた。ピリッと頬を掠ったそれの行方を目で吸うテンポ遅れて追う。その延長線上に真っ白い毛並みの狼が倒れていた。見事に額を打ち抜かれ、見開かれた紫色の瞳の間に黒い穴が開いていた。


「小川さん!」


 ぐらりと傾いだ身体を受け止めようとカグヤが腰をかがめるけれど、彼が腕の中に倒れこんでくる前にその身体がサラリと砂が風に浚われるように崩れた。耳からサラサラと失われている彼は生物というよりもその形の砂人形だったようだった。彼の姿が消えるまでの時間は十秒にも満たなかった。緋桜の悲鳴もすべてかき消して、小川さんは姿を消した。手の中に一粒も小川さんは残っていない。


「な?分かっていても死んでしまうよ」

「俺をこいつらと一緒にすんなよ。勇者は俺一人で十分だ、こいつらに手ぇ出すなよ」

「筑紫……!」

「いいから、任せとけって」


 筑紫は歯を見せて笑うと、いつの間にか短くなった煙草を吐き出して靴で踏み消した。そして、観客席の一番高いところに現れた長身の男に銃口を合わせる。一斉に観客席の銃撃隊の銃口が筑紫を捕らえた。けれど彼は悠々と銃を構えたまま下ろさない。カグヤが援護に入ろうとしたけれど、伏せてろと筑紫に低く唸られた。


「無駄なことを」

「実際傷ついてないんだし、考えれば分かることだろ」

「なら試してみるがいい。撃てぇぇ!」


 バババババっと、それこそ酷い音がした。地面が抉れ、土埃が舞う。その銃口が筑紫を狙っていたものだと知っていたからカグヤは緋桜を庇って姿勢を低く筑紫から離れた。音が収まって顔を上げれば、立ち上がった土煙を丁度風が吹き飛ばしている。地面には穴が開いてところどころ銀弾が光っている。そのほぼ中心で、筑紫が血まみれになって立っていた。


「筑紫!」

「だから言ったろ」


 筑紫は苦痛に顔を歪めるではなく、余裕に口の端を浮かべて引き金を絞った。真っ直ぐに純銀の銃弾が飛び出して男の胸を貫通した様が、見えるわけないのにカグヤには見えた気がした。男が倒れる音がしたのと筑紫が斃れ込んだのは、ほぼ同時だった。緋桜とカグヤが一緒になって駆け寄ると、筑紫は疲れた顔でポケットから煙草を引っ張り出そうとしている。


「痛ってぇ……」

「当たり前じゃない!馬鹿!」

「でも死んでねぇもん。不死身の男」


 煙草に火を点けて、筑紫が重そうに右手でピースを作って掲げた。その瞬間、ドンッと大きな音がして背景がすべて変わった。今まであったコロシアムも土もすべて消えて上も下も右も上も分からないくらい真っ白でしかない。筑紫が寝転がっているのか起きているのか、紫煙が立ち上っているのかもわからない。
 突如響いたのは、倒れたはずの男の声。


「クリアなんてあると思うな!みんなここで死ぬんだ!」


 辺りを見回していたカグヤは、自分の指先を見てハッとした。先ほどの小川さんと同じにまるで砂のように指先がさらさらと崩れていく。緋桜も筑紫も同様に、少し薄くなったような色味で自分たちの指先を見つめていた。管理課の人間が見ているんだと分かっていて声を張っても、反応はない。小川さんが死んでしまったのだからこちらにアクセスすることができないのかもしれない。


「やだ!どうしよう!」

「管理課!聞こえてんのかコラ!」

「こ、米が!」

「米の前に命の心配してよ!」


 米が炊けない、と顔を青くしたカグヤに筑紫も緋桜も思わず突っ込んだ。けれど身体が崩れるのは止まらない。ここで本当にお陀仏なら、煙草の一本でも吸うかとカグヤはポケットを探ったけれど筑紫のと違い水でぐしゃぐしゃになっていた。それを握りつぶしたらぐちゅっと音がして緋桜と一緒に一気にパニックに陥った。










 小川さんが撃たれた瞬間に、管理課はどよめいた。先ほどから見ていて紫の行動は常軌を逸しているというか一般の規格を超えている。真白が小川さんの口を借りて喋っていたおかげか撃たれても小川さんの精神は死なないし撃たれのは真白ではないからログアウトできた。けれど、あの三人はそういうわけには行かない。
 そのとき、ピーッと甲高い電子音が響いた。この音は外部からの通信だ。それを急いでつなげてもらって、真白はさっきまでつけていたインカムを外すと画面に食いつくように近づいた。ぱっと映った画面には、青部隊が涼しい顔をして映っている。


「テロリスト、確保しました」

「ご、ご苦労様」

「軍部長。お顔の色が悪いようですが、どうなさいました?」

「いや、なんでもない。できるだけ早く帰ってきてくれ」

「了解!」


 ピッと通信が切れた音がした瞬間、バババババッと銃の音がする。モニタ画面に目を向けると、画面いっぱいに土埃が待っていた。状況を確認すれば、宮守筑紫が撃たれたと大きすぎる声で告げてくれる。ゲーム内と言えども精神の死は肉体の死を招く。そのまま脳が死んだと認識したら帰ってこれない可能性がある。真白は血の気が引く音を聞きながら叫んだ。


「強制ログアウト!」

「は、はい!」


 自分がカグヤを引き込んだから、急な任務に出してしまったから。最悪の事態を想定して真白は唇を強く噛んだ。彼の弟妹に一体なんて告げればいいのだろう。まだ仲たがいしたままの咲と仲直りして欲しかったのにな。早速後悔の渦に飲まれそうになって、真白はよろよろと近くの椅子に倒れるように腰を下ろした。
 ぼんやりと管理課の人間がマザーが返ってきただの再構築だのをしているのを見ていると、隣の部屋から突如ゴンッと盛大な音がした。ついでバタバタと三つの足音が聞こえる。


「誰だ棺桶の蓋閉めた奴!?」

「米を出しておくの忘れてた!」

「頭打ったぁ」


 隣室から駆け込んできたのは、額を赤くした三人だった。おそらくは起き上がったときにぶつけたのだろうけれど、そのあ赤みが痛々しい。緋桜だけが額を気にしているけれど後の男二人はそれどころではないのか、思い思いのことを叫んでいる。あそこまで大変な思いをしてよくそんなことを考えられるもんだ。


「おつかれさま、紫部隊諸君」

「あ、真白ちゃん!無事だった!?」

「おかげさまで」

「井出元軍部長、青部隊から通信です!」


 真白が心底ほっとした表情を浮かべて三人を見る。筑紫が一番に真白に声をかけたけれど、カグヤの方が心配そうな表情をしているのは簡単に分かった。ほぼ同時に鳴った機械音に再び画面に視線を移すと、青部隊からの応援の要請だった。あちらの現場を片付けるのを手伝って欲しいと言う。適当に管理課から数人を選ぶように横杉にいい、真白はにっこりと笑って不審そうな顔をしている紫部隊を見た。


「なんで青の奴らが……」

「紫部隊諸君、囮ご苦労さま」

「囮……?」

「青部隊にお願いしたんだけど、気を逸らさないと難しそうだったから。助かったよ、ありがとう」

「そんなんで俺たち死ぬ思いしたのかよ!?」


 正直に話せば、筑紫が一言吠えた。怒りのぶつけ場所がないのか何か言いたそうに口を開閉させたけれど、結局何も言わずに管理課を出て行ってしまった。それを緋桜が追い、カグヤだけが残る。彼に小川さんが目を覚まさないことと少し預かることを伝えると、カグヤはにっこりと笑って真白の肩を叩いた。


「お前の飯はないと思え」

「……覚哉まで怒ってる」


 さすがに怒るとは思っていたけれど、こんなに怒るとは思っていなかったので真白は苦笑して早足に部屋を出て行った従兄弟を見送った。それでも少ししたら夕食をご馳走になる気でいる。そのときに、今回見せたイリュージョンのような筑紫の作戦と彼の体質にことについて話してこよう。





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筑紫はやればできる子だし!