休日だというのに、朝一番に部屋の電話が鳴った。先日急に降ってきた仕事を死ぬ思いでこなしてしまったため急遽休日になったので筑紫も緋桜も全力で休んでやると言わんばかりに昼過ぎまで眠っているつもりでいた。筑紫だけは失われたデータを復旧するとか言って明け方までゲームをしていたが。カグヤだけがいつもの時間に起きて洗濯や掃除を開始して、小川さんはそれに付き合ってくれた。
 けれど鳴った電話に、筑紫と緋桜のために朝食を作ろうかどうしようかと悩んでいたカグヤは意識を反らして受話器をとった。どうせ電話の主は、真白だろう。


「はい」

「覚哉。ちょっと時間ある?」

「何だ?」


 てっきり軍部長からの電話かと思ったけれど、受話器の向こうはカグヤを覚哉と呼んだ。真白がこういう呼び方をするときはプライベートなときだけだからそのつもりでカグヤも声を落とした。壁に背を預けてテーブルの上の煙草に手を伸ばすけれど届くわけがない。小川さんが取ってくれる訳もないので諦めた。


「宮守君と若王子さんは起きてる?」

「まだだけど、何の用だよ」

「速攻で起こして僕のところまで来てくれる?ちゃんと二人揃ってね」


 真白が筑紫と緋桜に用があるなんて珍しい、とカグヤが訊くけれど彼ははっきりとした答えは返してこなかった。電話だから言いにくいのかカグヤに言いたくないことなのか分からないけれど、とりあえず了承の返事はしておく。しかし今から起こすのでは相当時間がかかるだろう。二時間は見たほうがいいかもしれない。先に小川さんに緋桜を起こしに行ってもらい、カグヤは時計を見た。まだ十時前だから二人して素直に起きるとは思えない。


「もちろん覚哉も一緒だから、一人だけサボらないでよ」

「……そうか」


 当然のように真白がカグヤもいることを示すから、心のうちを読まれたのかと思った。動揺を隠すために呼吸を深く吐き出してから平静な声を出した。緋桜の部屋から小川さんの鳴き声が聞こえてきて、電話の向こうで真白がクスクス笑いながら「小川源五郎座衛門も検査の日だよ」と告げる。ということは、今日は誰もこの部屋からいなくなるようだ。
 昼過ぎに行くと真白に伝えると、彼は二人に食事を与えないように言われた。その意味が分からなかったけれどじゃあ帰ってきてから食事にしようかと夕食の献立を考えながら電話を切った。


「今夜はすき焼きだな」


 食事を与えなければ機嫌が悪くなるだろうからと二人の好物に決めて、煙草を片手に筑紫を起こしにいく。どうせ起こしても目が覚めるまでに時間がかかるからその間に仕込みでもしておくか、と思い二人のことを小川さんに任せてカグヤは買い物に出かけた。










 真白に呼ばれて軍部長室に行くと、少し不機嫌な彼に出かけるよと言われた。小川さんは一人でさっさと検査に行ってしまったからもういない。どこに行くのかと空腹の二人がぐったりとしているのを横目になぜかカグヤが車を出させられて軍病院に向かった。こんなことなら初めからここに集合にすればいいのに。


「二人には検査をしてもらう」


 はっきりと病院の受付で何かを伝えてから真白は二人に言い放った。筑紫の身体は全快しているし緋桜も怪我を負っていない。だから検査をする必要はないと三人が三人とも思っていた。けれど二人は朝昼と食べてないからか物言いたげな顔で沈黙しただけだった。そのおかげでカグヤが文句を言わされることになった。


「検査の必要なんてないだろ?二人とも健康体なわけだし」

「健康体だけどね、彼らは特異で生物兵器なんだ。どんな身体かちゃんと知っておきたいんだ」

「そんなの軍のデータベースに情報があるだろう」

「そんなもの信用できないよ。僕は僕が見たものしか信じない。そんなわけで、こちら」


 真白がにっこりと笑って、ふらりと現れた医師を指差した。なんだか汚らしい格好をした中年の男性医師がそこにいた。へらりと笑ったその男は緋桜と筑紫をまじまじと見ると何か楽しそうな顔をする。緋桜を見つめられるのを良しとしない騎士二人が反射的に彼女を隠すように男と緋桜の間に身体を滑らせた。それを見て真白も笑うけれど、男二人にとっては緋桜は大切なお姫様だ。


「変人医師の夏村歳夫さん。腕だけは信頼できるから安心して」

「腕だけはって……」

「どうも〜。よろぴく」


 あぁ、うん。変な人だ。紫部隊三人揃ってそう思った。なんでも彼は真白が信頼できる人間であり、多少変人であるけれど好奇心でできていると言ってもいいくらい知的欲求が強い。馬鹿と天才は紙一重を体現しているらしい。女性に対する興味は人並みにあるけれど、緋桜に対するものは通常のそれではなく生物兵器という滅多に見ることのできない体質の方らしい。若干どころかものすごい不安を覚え、筑紫と緋桜がカグヤを見るけれど、見られたって何もできない。


「あ、覚哉も人間ドッグやっとく?」

「いや、いい」

「カグヤずりぃ!俺たちばっかり命の危険に晒しやがって!!」

「筑紫、緋桜のことちゃんと見てろよ」

「完全にバックれる気か!!」


 なんと言ってもカグヤはこんな怪しげな人間に身体を任せようと思わない。それに今日は保護者としてきたのだから受ける必要がない。これ以上とばっちりを受けないように顔を逸らすと、そこが会話の切れ目になったからか夏村とか言う医師は楽しそうに手を打って緋桜と筑紫の背中を押して彼の研究室に連れ込もうとした。反射的に二人が視線を向けてくるけれど心を鬼にして、手を振って見送ってやる。相手は資格のある軍医なんだから死にはしないはずだし、何かあったら逃げてこれるだろう。


「それじゃ覚哉、僕らはお茶でもしようか」

「いいな、久しぶりに」

「それで僕に内緒の話、あるよね?」


 最後に真白がにっこりと、軍部長の顔で笑った。プライベートだと自分で言っておきながらここでその顔をするのか。思わず苦虫を噛み潰したような顔をしてカグヤは舌を打ち鳴らす。どうせ真白が言うのだからカマかけということもないだろう。それにしても一体どこからばれたんだ、とカグヤの手が煙草に伸びた。ばれないように報告には細心の注意を払っていたし、筑紫も気を使っていたはずだ。内緒の話なんて一つしかないけれど、カグヤは決定的なことを言われるまで黙っていることに決めた。
 二階のラウンジまで二人で歩いて、カグヤのために喫煙席に落ち着いた。昼過ぎなので軽食を頼み、まず真白が切り出したのは二人の身体のことだった。


「軍部に資料があることは確かなんだけど、どこに敵がいるか分からないからね」

「敵?」

「最近、なんだか内部がきな臭くて敵わないよ。なんでも接触してくるテロリストは宮守君の体質を知っているらしいじゃない」

「……あぁ」

「一つも報告してくれなかったね、覚哉」


 小さなサンドイッチをつまみながら、真白はカグヤの顔を見ない。淡々とした中に多少の怒りを感じてカグヤは煙草に火を点けた。まさかそんなことを言われるとは思わなかった。否、言われる覚悟自体はしていたけれどこんなところで、こんなタイミングだとは思わなかった。確かに筑紫の件にしても緋桜の件にしても隠していた。ただ相手が特異体質だという話はしたし、緋桜のことに関しては黙っていようと話がついていた。それなのに、今更蒸し返されるようなタイミングで話が出てくるとは思わなかったから少し警戒した。真白に警戒するなんておかしいと思ったのは、その後だ。


「筑紫の体質については、報告の必要がないと思った。あいつの身体については周知だっただろう」

「そっか。じゃあ、若王子さんについては?」

「それは……」


 思わず口から言葉が続かず、それを誤魔化すようにカグヤは煙草に口をつけた。時間を稼いでいるけれど、どんな言いわけも見つからなかった。結局深く吸い込んだ紫煙を吐き出しながら筑紫に内心で謝って、真実を伝えるしかなさそうだ。引き寄せた灰皿に灰を落とす手が、震えている。


「相手の意図が分からなかったから、大まかなことが分かったからの報告でいいと……」

「へぇ、そうなんだ。僕は逐一報告してって言ってるのにね」

「……悪かった」

「そう思ってるなら全部話して」


 真白の少し冷たい目に晒されて、カグヤは煙草を灰皿に押し付けた。コーヒーに口をつけてから、聖域での任務から語りだした。彼らの言う組織のリーダーと、関谷という男。そして彼らが口にするジェネラル。そのすべてがまだバラバラに点在している状態を真白がどう繋げるつもりか分からないけれど、カグヤは結局観念するしかなかった。










 研究室に入れられてもう助けも来ない。筑紫と緋桜は恐怖を感じて手を取り合った。寄り添うようにして部屋の中を見回すけれど、特に怪しい機械はない。研究室という感じではなく事務室のような印象を受ける。けれど決定的に変なのは、壁一面に設置してある本棚の中のホルマリン漬けだろうか。何が漬けてあるのか分からないくらい小さな肉片が浮かんでいる。


「さて、まず二人はこれに着替えてもらおうかな」

「……ここで?」

「私は奥で準備してるから、気にしないで」


 身体を隠すような空間もないところでは、さすがに一緒に着替えられない。そう言ったのに彼は何を勘違いしているのか自分は見ないと宣言した。じゃあ筑紫はどうすればいいんだと言いたくなったけれどその前に彼はもういなくなっている。検査着のワンピースのようなシャツを胸元で握って、緋桜はじっと筑紫を見ていた。


「俺あの男見張ってるから!とっとと着替えちまえ!」

「うん」


 何を心配していたのか緋桜は大きく頷くと筑紫に背を向けていそいそと着替え始める。宣言どおりに奥の部屋の方を向いて着替えたけれど、これで振り返ってガン見でもしてたらどうするんだと緋桜の無防備さに驚いたりしてみた。筑紫も検査着に袖を通して、二人で着替え終わったので奥を覗いてみる。変な機会がたくさん置かれた手術室のようなところで男はコンピューターを弄っていた。
 二人に気づいたのかへらりとした笑みを浮かべて手招くので、おずおずと二人で近づく。とたんに男の手が緋桜の肩を掴んで近くの椅子に座らせた。


「まずは生物兵器の君だ!血液を少しもらうよ。あぁ、あと肉片も」


 驚いて固まっている緋桜の手を取って彼は手早く採血の準備をするとなんの宣言もなく緋桜の細い腕に注射針を刺した。驚いて目を見開いた緋桜がその顔のまま筑紫を振り返るけれどどうしてやることもできない。ただ痛くはないのか何も文句は言わなかった。その代わりのように男がまくし立てるように手元も見ずに喋りだす。


「君のデータは一応あるんだけど管轄が深水だから詳しいデータが手元にないんだ。できれば詳しく泊まりで検査とか……」

「良いわけねぇだろ!」

「だってこんな興味深い身体になんて滅多にお目にかかれるものじゃあないのに!」

「うちは今夜すき焼きなんだよ!いいからとっとと終わらせろ!」


 血液を取り終わって手早く処置をしながら、男は残念そうに肩を落とした。妙に器用な奴だと筑紫は思うけれど緋桜の方が怯えてしまっている。その緋桜の顎を掴んで、今度は口内の粘膜を取りながら楽しそうに笑いつつ話を続ける。それはあまり聞きたくない話題だった。
 緋桜の体は菌の保全に使われているらしい。つまり、それが「生物兵器」として使用されるには彼女の血液からその菌を採取して加工しなければならない。そういう意味で緋桜は生物兵器なのであって、やはり直接の加害者ではない。戦前に作られたその菌は実験の段階で散布された分がある。確認実験のようなもので純粋な日本人体に有害な影響はないとされていた。実際それで死んだ人間はいないらしい。けれど影響は出た。それが筑紫だ。


「そして宮守筑紫君、君だ!」

「……あんだよ」

「人は死なない。けれど生成途中の人は作り変えられる!」


 その影響で筑紫の体質は人間のそれではなくなった。以前見えた鱗を持つ人間のように、特異体質は外見的特長が見られる。筑紫の場合髪がそれだった。
 男は興奮した様子で筑紫から数本の髪をブチブチと抜き取った。痛いと文句を言う前に男の大きすぎる「すばらしい」という声にかき消される。一体何が素晴らしいのかは分からないけれど、素晴らしいと思うなら大事に扱って欲しい。次に男は筑紫を座らせると緋桜と同様に血液を取った。本当に痛くなくて驚いた。


「君は覚えてるかな。昔ここで君を検査したのは俺なんだよね」

「へぇ〜……って、は?」

「だから君のデータはたくさんあるし俺の頭の中にもある。でも今回も詳しく検査させてね」

「……この変態」


 にやりと笑った男に対して苦々しい顔を作った。吐き出すような声でそう言って、自分の腕から注射針が抜けるのを見送る。これからすることにはもう予想がついているので、筑紫は振り返って緋桜を顎でしゃくった。意味が分かっていない緋桜を手で払う。


「俺まだかかるし、お前終わったんだろ。こんなとこいると頭おかしくなっちまうから先にカグヤんとこ行っとけよ」

「筑紫?」

「すき焼きまでには終わるだろうから、先に始めんじゃねぇぞ」


 にかっと緋桜に笑いかけて、彼女が部屋から出るのを待つ。この部屋を出て着替え始めた音を聞いて筑紫はやっと表情を崩した。無理した笑顔は消え去って、不機嫌な顔になる。これから何をされるかは分かっているから、自主的に中心におかれている手術台にあがる。始まる前に煙草を吸おうと思ったら、結果が変わる可能性があると取り上げられた。
 緋桜が研究室から出て行った音がしてから、やっと夏村はいやらしく歪めた唇を隠しもせずに筑紫を見た。反吐を吐きたい衝動に駆られながら、筑紫は大人しく手術台に寝転がる。大丈夫、すき焼きには間に合うのだから。





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あーあ、ばれちゃった