本当は一人で行きたかった体育館に流れ的に龍巳と共に来て、聖は多少居心地悪い思いを味わっていた。体育館に集合した入部希望の一年生は見覚えのある奴もいて、無意識にイライラする。見目麗しい聖の事、多少見られるのはいつもの事だが、隣にいる龍巳は関東を取り仕切る九条院組の後継者で見目も良い。視線がいつも以上なので、いつも以上にイラつく。
 イライラしながら聖が集団から外れて立っていると、思ったとおり「角倉」とか「愛人の子」とか胸糞悪い単語が聞こえてくる。


「ひっじりぃぃ!バスケ部入部おめでとー!!」

「うわっ!?」


 いきなり後ろから抱きしめられて、聖は声を上げて目を見開いた。ふわりと体が浮き、慌てて背後を見ると茶髪が見えるから犯人は男子バスケ部二年レギュラーの大沢海人その人だろう。そう思っていたら正面に二宮庄司がにやにやして立っている。聖が本能で危険を察知してこの場から逃れようとした瞬間、前からも抱きついてきた。


「相変わらずちっちゃいなぁ!」

「悪かったな、昨日今日で背なんか伸びねぇし」


 百七十前後の身長を有している先輩たちに見下ろされて、聖は不機嫌にそう言って体を捻った。百六十センチない聖は色も白く女のような顔立ちをしているので先輩たちの格好の玩具だ。
 不機嫌に、しかしどこか無邪気に感じる聖の姿に龍巳は微かに目を眇める。背後に意識を移せば、聖と有名なレギュラー陣の触れ合いに驚きと軽蔑の入り混じった声が聞こえた。「角倉は先輩ですらも買収する」とか「人が違うようだ」とか、この言葉に聖は傷つけられるだろうか。
 聖とレギュラー二人の姿を見ていた龍巳は、不意に鳴ったホイッスルの音に意識をそちらに移した。そこにはほんの少し呆れたような顔で、ユニフォーム姿で次期キャプテンの真土直治が立っていた。


「海人も庄司もいい加減にストップ。集合!」


 尊敬すべき先輩の声に、集まっていた一年は適当に直治の前に集まる。聖はまだ庄司に抱きつかれたまま強制的に連れて行かれ、龍巳はできるだけ外側で集合する。レギュラー陣の元に連れて行かれる聖を目で追いながら、ふと龍巳は視界の端に映った長身に目をやった。こいつは確か、現日銀総裁の一人息子だっただろうか。


「庄司、聖を離す」

「……へーい」


 にっこりと微笑まれて、庄司はぱっと聖を解放した。無事に着地した聖は恨みがましそうな目で庄司を見たが文句は直治の笑顔にかき消され、聖は口の中で舌を打ち鳴らすとポケットに手を突っ込んで無意識に龍巳のほうに歩き出す。
 一年全員がこの人には逆らったらいけないと感じている中、ずっと前から知っていた聖は舌でも出したい気分になって、龍巳を見て苦笑した。やはり何となく、こういう姿を見られるのが気恥ずかしい。


「二年レギュラーの真土直治です」

「エースの大沢貴人でっす!」

「二宮庄司っス!」

「松林護です」


 2年レギュラーが自己紹介をしている中、聖が「あれ、亮悟先輩いないじゃん」と呟いた。初めて見ると言っていいレギュラー陣に龍巳は目を細める。眼鏡をかけて優しげな笑みを浮かべている真土直治。茶髪が目立つ長身の大沢貴人。襟足の長い黒髪の二宮庄司。この中で一番真面目そうに見える松林護。そして今はいないがもう一人、龍巳が名前だけは知っている宍原亮悟。レベルの高いバスケ部のレギュラーを努める彼らは一般の部員からは憧れの的だ。
 興味無さそうに聞いていた聖は、ふと龍巳の隣にいる長身に気づいた。


「北畠じゃん」

「ども」


 聖の意外そうな顔に、北畠と呼ばれた少年が軽く頭を下げた。二人の間に挟まれて龍巳が意外そうな顔をすると、聖が小声で「初等部んときクラス一緒だった」と呟いた。まぁ角倉と銀行総裁の家柄なら同じクラスになるだろうと龍巳は納得するが、聖がこんなに素直に人に話しかけるのを初めて見たと出逢ってから短いがそう思う。


「心境の変化か?」

「……そうかもな」


 小声で尋ねると、思いがけず返事が返ってきた。次いで苦笑したような横顔がほんの少しだけ優しく微笑んだ。
 何があったのかと訊きたくなって、しかし訊いてはまずいかと思いなおして開きかけた口を閉じた。しかしやはり気になってダメ元で訊こうと口を開き直した時、次期キャプテンがにこやかに解散を告げた。話を全く聞いていなかったらしい聖はきょとんとして散っていく周りを見ている。


「聖はこっち、僕の話を聞いてなかった罰だよ」

「え、は?」


 訳が分からずにレギュラー陣を見回している聖を無視して、龍巳は言われたと通りにランニングを始めた。今日はバスケ部以外体育館を使わないようで、バスケコートが4面入るかというほどの広い体育館に自分たちしかいない。一年はアップで館内をマラソンだ。自分たちがいたのは体育館の入り口から程近い場所だが、奥のコートでは他の二、三年生が練習している。


「久しぶりに試合するよ。ちょうど亮悟が休みでさ」

「道理で暑苦しくないと思った」

「言ったな聖ぃ?亮悟に言いつけるからな!」

「それは勘弁!」


 楽しそうに先輩たちと言葉を交わす聖をランニングしながら見て、龍巳は目を眇めた。教室では見せない姿。きっと無邪気にすら見えるあの姿が彼の本当の姿なのだろう。いつか自分は、彼からあの顔を向けられる事があるのだろうか。なんとなく、それを望んでいる自分に気付く。はじめは何となく気になって声を掛けただけなのに。
 見ていると、直治先輩が練習している三年のレギュラーに声をかけて試合をするようだった。あの小柄な聖があのメンバーに入ると子供のようだ。それでもなぜか、彼は目立っていた。


「九条院龍巳、だろ?」

「おたくは…、北畠晃だったか?」


 走りながら声を掛けられて、龍巳は眉を顰めた。坊ちゃんに話しかけられることには慣れていないし、目的も分からない。無意識のその表情にも長身の彼は別段表情を変えることもなく、龍巳を見下ろした。
 その間にレギュラー陣は整列して、ホイッスルが鳴った。


「何の用だ?」

「特に。ただ、角倉と仲が良さそうだから」

「そういう訳でもない。お前こそ、親しそうだが」

「別に、たまに話すくらいだ」


 「誰とでもだろう」と続いた晃の声に、龍巳は目を眇めた。本当に、聖は友達がいなかったのだろう。それは九条院組の跡取りとして大事に、それこそ兄にウザイ位過保護にされ組員にもてはやされて何一つ不自由を知らずに生きてきた龍巳には想像も出来ない事だったけれど、それほど家名というものは重いのだと思い知らされる。
 そう思って視線を聖に移すと、コートの中で長身の先輩たちに劣ることなくボールをキープしていた。たまに、海人先輩の怒鳴り声が聞こえてくる。


「聖、まぁた独りプレー!」

「知るか!」


 前を二人に塞がれて、聖は背後も見ずにバウンドでパスを出す。そこにいた庄司先輩がボールを取り、そのまま聖たちの横をすり抜けた。見る間に庄司先輩から海人先輩にボールが渡り、ザンと軽い音がしてネットを通過した。それを見ていた全員が、華麗なプレーに目を奪われる。


「……上手いな」

「あぁ。あと、生き生きしてる」

「そうだな」


 走りながら聖のプレーを見て龍巳が呟くと、北畠が同意した。楽しそうにプレーする聖を見て、何か分からないけれど妙に胸を締め付けられる想いがした。










 ランニングの後簡単な準備体操と柔軟をして、各ポジションの練習をした。その頃には聖も合流していたが、やはり彼が抜きん出て上手かった。
 竜田学園のバスケ部は、入部した時点でチームを組む。何か事情がない限り引退まで共に戦うチームメイトが決まるのだ。チームワークが必要な種目で全国常連の学校だからもしかしたら当たり前だと思っていたが、龍巳はなぜか聖がこのまま二年レギュラー陣と同じチームに鳴ると思っていた。
 部活が終了する三十分ほど前集められた一年は、笑顔がトレードマークの真土直治がファイルを捲っているのを緊張した面持ちで見つめていた。並んだレギュラー陣は緊張感もなく座り込んでいるが、直治だけが涼しい顔をして微笑んでいる。


「では、一年生のチームを分けます」


 その言葉に一年は皆息を飲んで直治のファイルを見つめる中、聖だけがやはり興味無さそうに特に乱れていない髪を手で梳いた。それを端目で見た龍巳が注意するように彼を肘で突くが、聖は一瞬龍巳に視線を向けただけですぐにまた視線をぼんやりとどこかの虚空に戻した。


「角倉聖」

「はい?」

「北畠晃」

「はい」

「九条院龍巳」

「はい」

「浜崎葵」

「はい!」

「前原寿季」

「はーい」

「以上五名」


 呼名された名に五人全員で顔を見合わせて、ぎこちなく笑った。その間に他の生徒達が名前を呼ばれてどんどんチームが出来ていく。何となくチームになった五人が集まって、居心地が悪いので自己紹介を始める。
 女のように奇麗な顔をした角倉聖。長身であまり感情の見えない表情をする北畠晃。生まれつきなのか強面で表情に乏しい九条院龍巳。やや体が弱そうで、小柄な浜崎葵。底抜けの明るさで多分恐れを知らない前原寿季。同じチームになった彼らは、特に表情を変えることなく飛び込んできた声に視線を移した。


「いきなり悪いんだけどさ、マネージャー紹介」

「勝春先輩」


 突然割り込んできた声は、バスケ部部長の湊勝春の声だった。ちょうど全員の名前を読み上げ終わった直治が振り返ると、彼は人の良さそうな笑顔で一人の少女を引っ張り込んだ。驚いた顔をしている少女の顔に聖と龍巳の目が軽く見開かれる。


「今日からマネージャーの舞依だ」

「ちょっとお兄ちゃん!」

「オレの妹だから、よろしくな!」

「私やるなんて一言も……」

「お兄ちゃんは舞依の応援でバスケしたかったの!舞依に試合終わったらタオルとか渡して欲しいの!!」


 言うだけ言ってさっさと「シャワー浴びよー」とか言って行ってしまった部長に直治はポカンとしていたが、すぐに眼鏡を指で直すとにこりと微笑んで舞依の肩を抱き寄せた。


「マネージャーだって。良かったね」


 当事者の意見を完全に無視した。直治の気性を知っている聖は特に驚かないが、周りは驚いているようだった。ふと聖は正面に立っている少女と目が合って反射的ににこりと笑んだ。この辺が幼い頃の教育の賜物といえるだろう。その笑みに舞依の頬がほんの少し上気する。


「今日の部活はここまで。お疲れ様でした」


 「お疲れ様でした!」と頭を下げて何となく5人で体育館を出て行こうとしたら困ったような顔をしている舞依が、ちょこちょこと寄ってきた。聖は微かに首を傾げてさっき教室で作った笑みを浮かべる。それを遠くで二年レギュラーが見ているが、完全無視だ。


「湊さん?」

「あの、そういう訳だから……よろしく」

「うん、よろしく」


 にこりと微笑むと、舞依がぺこりと頭を下げて小走りに駆けて行ってしまった。彼女の行為に微かに首を傾げたが、聖は何かを考える前に頭の上からのしかかられた。ずしっとした重さの後に、頭の上から二人分の声が聞こえた。周りで騒ぐ声が聞こえるので、上に乗っているのは海人先輩と庄司先輩だろう。というか、こんなことするのはこの二人しかいない。


「聖くぅ〜ん?彼女?」

「な訳ないでしょ」

「だよな。聖ってば年上好きだもんな」

「人聞きが悪い事言わないでください」


 さらっとあしらって、聖は二人の乗せたまま歩き出した。遠巻きにさっき出逢ったチームメイトたちが見ているが、そんなものは無視に限る。ずるずると歩きながら聖はほんの少し変わった生活に光が射した気がして、微かに口の端に笑みを浮かべた。





-続-

真土直治(まずち なおはる)
大沢海人(おおさわ かいと)
二宮庄司(のみのや しょうじ)
前原寿季(まえはら としき)
松林護(まつやばし まもる)
前原寿季(まえはら としき)

キャラが多いな!とりあえず、仲間に出会いました。