昨日初めて会った角倉聖という少年はとても奇麗だと、前原寿季は思った。女の子みたいに小柄で可愛い顔をしているのに、その瞳だけが強い光を持ったように輝いていた。
一緒に食事をして分かったことは、先輩たちと一緒にいたときとは態度が違うこと。けれどそれはいい意味じゃなくて、ただ人見知りしているようなそんな感じ。電話をしていた相手は多分彼女で、その人の前でも態度は違った。何となく気恥ずかしくなるような、そんな奴だと寿季は思う。
「あ、聖!龍巳!」
授業を終えて部活に行こうとしたら聖と龍巳の姿を見つけて、寿季は声をかけて手をあげた。二人は同時に振り返り、面倒くさそうにほんの少しだけ瞳を歪める。しかし先に行く気はないようで足を止め、寿季は小走りに彼らに駆け寄った。
「おっはよ、部活?」
「もう午後だから、こんにちは」
聖の肩に腕を回して、寿季はニカッと笑った。その顔に聖が溜め息を吐き出す。
教室に、というか学校にいるときの聖もやはりどこか違った色を見せる。親切に微笑んでみたかと思ったら、心底面倒くさそうな顔をする。どれが本当か分からないけれど、きっとどれも本当の聖なんだと寿季は思う。
「昨日結局どうした?あの電話彼女っしょ?」
「彼女じゃないって。飯食って寝ただけ」
「だからこの体のどこに入るんだって」
聖は、小さい。身長は百六十ないし、女みたいに華奢な体をしている。昨日着替えた時にちらりと見たけれど、多少筋肉はついているけれど服を着たら女の子と言われても納得してしまう。長い髪がそれに拍車を駆けているのかもしれないけれど、とても護ってやりたいと思う。
殴られるのを覚悟で寿季はきゅっと聖を抱きしめた。しかし予想外に拳は飛んでこない。
「明日家庭科あるじゃん。何やんの?」
「聞いてなかったのか?」
「メールしてた」
それどころか、盛大に無視された。聖にとって抱きつかれるなんて日常茶飯事で特に気にしていないだけなのだが、それを知らない寿季はともかくぎゅうぎゅう聖を抱きしめた。小柄と言っても身長は寿季とそう変わらないのだけれど、細い分小さく見える。
ふと、寿季は聖の胸元に光るチョーカーを見つけた。本来アクセサリーは校則で禁止されている。からかい混じりに寿季はそれを指で引っ掛けた。
「どしたの?これ」
「別に」
「校則違反ですよぉ?」
興味無さそうな聖の答えに寿季が「チクるよ」と言うニュアンスで言葉を発すると、聖は心底面倒くさそうに舌を打ち鳴らして寿季の指からチョーカーを外し、自分の指で絡めた。
光を浴びて何色にも輝く、中心の六角形の石。それが聖のように見えて、寿季は笑みを漏らすと聖を覗き込んだ。たくさんの色を持つそれはどこで手に入れたのだろう。その石に近づくことで、聖に近づくような錯覚すら覚える。
「昨日貰ったんだよ。水晶だって」
「だからそれはガキの持つもんじゃない」
「だって『聖のために折角買ったんだからちゃんと使って?』とか言われたら着けない訳にはいかないじゃん」
「どんな生活をしてるんだお前は」
この石のようにまだ知らない聖がたくさん潜んでいるのだろう。きっと今まで『角倉』の人間だということでたくさん苦しんできたのだろう。それは噂に聞いただけでも理解できる。一色ずつ光に透かして色を知るように、角倉聖という人間に近づきたい。素直に寿季は、そう思った。
部活終了後、バスケ部二年レギュラーの宍原亮悟は聖にちらりと視線を移して溜め息を吐いた。
昨日は体調が悪くて部活に出ることは出来なかったがチームメイトたちに聞いたところ相変わらず可愛い奴だったらしい。そんなどうでもいい情報よりも亮悟が気にしているのは、聖のあの態度。自分たちと接しているときとは全く違うぶっきら棒な態度が妙に気になった。
「聖」
「何スか?」
正門のところで一人立っていた聖に声をかけると、聖がきょとんと不思議そうに首を傾げた。いつもの聖だと思って内心ほっとして、亮悟は聖の隣に並んで壁に体重を預けた。空を見上げると星がキラキラと輝いている。ちらりと携帯を弄っている聖に視線を移して、亮悟はキリキリと胃が痛むのを感じた。
「チームメイトと上手くいってる?」
「まぁそれなりに。亮悟先輩、帰らねぇの?」
「海人待ち。今部室で説教喰らってるから」
苦笑して答えると、聖は興味無さそうに「ふーん」と鼻を鳴らしてポケットに携帯を仕舞って空を見上げた。
奇麗な聖の横顔を見ながら、亮悟はふと聖の胸元に光るチョーカーを見つけた。外灯の光を受けて光っているそれは、聖が動くと色を変える。聖が自分たちに懐いたのにも時間が掛かったと、亮悟は思い返した。初めは、ポツポツと単語だけを話すくらいだった。そして今、構えば予想以上の反応を返してくれる。きっとチームメイトたちに対する今の聖は、あの頃と同じ状態なのだろう。
「でもお兄ちゃんは聖ちゃんが心配なんだよ」
「……亮悟先輩、頭の方も危ないんじゃねぇの」
「可愛くないな、本当に」
溜め息混じりに吐き出して、亮悟は聖の髪をかき回した。
本当に素直になったと思う。初めは狂犬のようだったのに子供のように表情をくるくる変えて女のように奇麗な顔で笑う。ただひとつ気になるのは、あの頃から瞳だけは変わらない。意志の強い、絶対に周りに流されることのない瞳。その瞳には、魅力がある。
「頭乱れる!」
「部活やった後にそういう事言わないの。……可愛くなったね」
呆れたようにまた聖の頭をかき回してから悪戯に微笑んで言うと、聖が胡散臭いものでも見るようにこちらを見上げてきた。なんて顔をするんだと思って聖の頭を叩くと、聖が「何だよ」と噛み付いてくる。その反応が可愛くなったって言ってるんだよ、と言おうとしたが、言葉にする前に車のクラクションが聞こえて聖が顔をあげた。
「迎え来たからまた明日。亮悟先輩、庄司先輩」
「たまには家にも帰るんだよ」
荷物を持って手を振った聖に手を振り返して、亮悟は小さく溜め息を漏らした。多分聖は入学式から一週間、家に帰っていないだろう。徹底した『角倉』嫌いだとは思うが、ただの十二歳の子供に何が出来るか分かっているのだろうか。
「ま、しょうがねぇんじゃん?」
「庄司がいることもばれちゃってたね」
「ホント、勘良いよな」
正門の裏から現れた庄司は苦笑を浮かべて亮悟の隣に背中を預けた。
聖は変わった。けどまだ何かに怯えた顔をたまにする。今聖がどんな状態にいるか知っているからこそ掛ける言葉が見つからないが、知らなかったといってもかける言葉はないだろう。それほどに、角倉聖という少年は他人の力を求めていない。
「それはそれで淋しいよな」
「頼って欲しいよね」
『角倉』の家が嫌いな聖は、家に帰ろうとしない。あの顔だからそこらへんで女引っ掛けて家に転がり込んで夜を明かしていることがしばしばで、それに飽きると今度は海人の家に転がり込む。たまに庄司の家にもやってくるが、基本的には海人の家に行っている。
「海人には良く懐いてるけどな」
「役得だよね」
「心配して欲しくないのに傍にいて欲しいんだろ?困ったちゃんだな」
「可愛いじゃない、それはそれで」
今まで一年間、みんなで弟のように見守ってきた。聖という人間に引かれたというのもあるけれど、たまに見せた守護を求める顔に目を離せなくなったから。ほんの少しずつだけれど変わり始めている聖にほんの少し淋しさを覚えるけれど、まだ傍で見ている必要はあると、思う。
聖がどう変わっていくのか、それを見守ってやりたいと、素直に思った。
食後のコーヒーを口に運びながら、この部屋の主である谷町みどりは目の前でぼーっとしている聖を見て微笑んだ。
聖と出逢ったのは、一年半くらい前だろうか。雨の中で傘も差さず歩いていた彼に声をかけた。それから聖とは良く会うようになった。まだたった十二歳の子供相手に何をしているのかとたまに我に返るが、そんな事実を吹き飛ばすくらい、聖という少年は魅力を持っている。
「ねぇ、聖?」
「……え、何?」
一年半、ずっと見ていた。ずっとというのはおこがましいかもしれないけれど、ずっと。初めは人形のように笑う子だったけれど、段々あどけなく笑うようになったことは知っている。
今もそう、と思ってみどりは聖のコーヒーに勝手に角砂糖を入れた。いつも聖はコーヒーには何も入れない。これは初めから。ぼんやりしていた聖に笑顔を向けると、聖は曖昧な微笑を浮かべて自分の髪に指を絡ませた。
「もしかして、昨日の事怒ってるの?」
「昨日?何で?」
「みどりさん仕事だったんでしょ?」と聖は微笑んで、コーヒーを口に運んだ。黒い液体を嚥下してから、その甘味に眉を寄せる。
優しい子だと、みどりは知っている。たくさんの女性と関係を持っていることも、それが聖の精一杯の努力だということも。誰も彼もが聖に幻想を抱いてたくさんの要求をするのだろう。女の自分が嫉妬できるほど奇麗な顔をしている聖の持ち物には統一性があまりない。買い与えられたものを持っている、そんな感じだから。
「何か欲しいものある?ボーナス入ったし、買ってあげようかな」
「どしたの、いきなり。別に良いよ、欲しいもんないし」
「聖の好きなものって何かしら」
微笑んで問いかけると、聖は曖昧に微笑んだ。聖が物事を誤魔化そうとするときの癖。奇麗な顔で微笑んで、全てをなかったことにしようとする。
みどりは苦笑を浮かべると、もう1つ聖のカップに角砂糖を落とした。聖が「甘いのやだ」と呟くけれど「もう遅いわ」と言ってスプーンで混ぜる。多分聖は、演じている。相手が望む人間を演じて、自分の居場所を確保している。だから『好きなもの』という自分を主張する質問にも答えない。主張して今まで演じた『自分』を失うことを恐れているから。
「私は聖が好きよ?」
「……うん」
甘いコーヒーが嫌だというのは、演技の中に隠した本心。その証拠に紅茶には砂糖を入れて飲むけれど、何を飲むか訊いた時は必ずと言って良いほどコーヒーと答える。演じた中に本物の自分を混ぜて、どこまでが安全か測っている。
聖がコーヒーを置いたタイミングで、みどりはそっと聖の頬に手を伸ばした。そっと頬を手のひらで包むと、壊れそうなほどに柔らかい。男の子とは思えないけれど、自分はこの少年の男の部分を知っている。
「いい加減に、私の前で笑わないで?」
「俺の顔、嫌い?」
「聖を見せて?」
「……うん」
そんな悲しそうな顔で、全てを諦めている道化のような顔で笑わないで。貼り付けた偽物の笑顔で笑わないで。
そっと顔を近づけると、聖は戸惑った後に小さく頷いた。その顔が悲しくてそれでいて今まで見たどの表情よりも美しくて、みどりは立ち上がると背後に回りふわりと聖を抱きしめた。聖の体にも心にもついた傷は、その分だけ彼を違う色に輝かせるのだろう。いま流れそうになっている、涙のように。
「ねぇ、一緒にお風呂入ろうか」
「いいけど、明日も仕事でしょ?大丈夫?」
「大人の女を舐めちゃだめよ。聖の方こそ明日の心配をなさい」
出来ることならこのまま彼の成長を止めてしまいたい。誰かが聖の魅力に気付く前に自分の物にしてしまいたい。けれどそれは無理な願いで、聖は日々違う色で光人々を魅了するだろう。だからただ今だけ、聖が自分を見てくれているときだけは聖の輝きを自分の中に閉じ込めておきたい。
みどりは泣きそうになっているのを悟られないように聖を後ろから抱きしめてそう思った。
-続-
インターバル的に周りから見てみました。
胃弱キャラが増えてしまいました、大丈夫かな。