コートで聖が感覚を慣らすようにボールをついている姿を見て、直治は腕を組んだまま薄く微笑んだ。聖はたまに恨みがましそうな目でこちらをみてくるが気付かないふりをして微笑んでやると、子供のように顔を逸らす。直治にとって聖は可愛い玩具だ。亮悟のように本気で聖を心配している訳でもないし、海人のように心から見守っている訳ではない。けれど、聖がこのままでいたら面白くないとは思っている。


「半面だから、ゴールは片側だけ使うんだよ?三分以内にケリがつくと嬉しいな」


 直治が笑うと、聖が軽く頷いてボールを投げてきた。それを庄司が受けて、にやにや笑んだままコートに行く。
 時間無制限で、先にゴールを奪った方が勝ちという至極簡単なルールだ。聖はよく二年レギュラーと遊んでいたからこのゲームのこつは掴んでいるから有利かもしれないけれど、直治が勝手にルールを付け足した。「楽しませて」と、聖にとって面倒くさいことこの上ない指令を守る気があるのかないのか、聖は薄く微笑んでいた。
 庄司が向かい合っている2人を見比べて、真上にボールを放った。


「……聖には、不利なんじゃないかな」

「でも聖って強いよな」


 すぐ隣で成り行きを黙ってみていた聖のチームメイト達の呟きが聞こえて、海人は思わず吹き出しそうになった。まだ聖を理解していないながらも必死で知ろうとしていることが簡単に見て取れて思わず目を細め、海人は隣で不安そうに聖を見ている亮悟の首に腕を回して1年を見るように促す。すると、亮悟も安心したように顔を綻ばせた。
 小柄な聖に対し、敦は体が大きい。百六十五は超えているだろう身長と十二歳とは思えないがっちりした体は、聖と比べると全てが勝っているように見える。実際コートの中の聖も、相手の体格に苦戦しているようだった。


「一年坊もまだまだだな」

「もうちょっとすればいいチームになると思うけどね」


 初めのボールを当たり前のように敦に取られ、聖はどうにか彼にシュートを打たせないことだけで必死のように見えた。何となく変な雰囲気なので大声をあげて応援することもできず誰もが黙っているので声を潜め、海人と亮悟は顔を寄せ合わせる。すると後ろから庄司が顔を出し、にかりと笑う。


「この勝負、どうみる?」

「聖が面倒くさがったらあと数秒だろ」

「でも直治に言われたから、頑張るかもよ」


 聖が勝つことを前提として試合の行方を見ているチームメイトに少し離れた所にいる直治は薄く笑みを浮かべた。聖が負ける訳がないことは二年も一緒に遊んでやっていた自分たちが一番分かっている。けれどこの勝負をさせたのは手っ取り早く事を済ませたかったのと、これ以上聖が暴言を受けないようにしたかったからだ。なんだかんだと理由をつけても、結局は聖が好きなのだ。それはみな、変わらない。
 直治の隣にしゃがみ込んでいた護は直治の僅かな変化ににやりと笑って顔を上げた。視線に気付いた直治と目が合ったのですっとぼけて視線を聖に移すと、無言で蹴られた。照れ隠しなのだろうとまた笑い、護は聖を目で追いながら背後の一年生の声に意識を集中させた。


「……大丈夫かな」

「凱歌が聞こえる、澄んだ赤ワイン」

「まぁた葵は訳の分からないことを……」


 不安そうな声の後に、淡々とした声が場違いに聞こえる。その言葉に護は危うく吹き出しかけたけれど、どうにか堪えた。何のことを言っているのかいまいちどこか全く分からないけれど、凱歌は勝利の歌。ならば澄んだ赤ワインとは勝利を示すルビーのことだろうか。聖にはあの赤がよく似合う。ずいぶんと個性的なチームになるだろうという気がして、護は隣でただ黙っている直治の足を小突いた。けれど、何も返ってこない。
 つまらないと思いながらコートに視線を移すと、聖が悔しそうに顔を歪めてどうにか相手の動きについて行っていた。迫真の演技といえば聞こえがいいが、護としてはしらけるばかりだ。これを強要したのは直治だろうと思って顔を上げると、ストップウォッチを持っている直治は楽しそうに微笑んだ。


「二分五十秒」


 直治の声が響いた瞬間、後手後手に回って奇麗な顔を悔しそうな色に染めていた聖がその顔を一転させてキラリと目を光らせた。その光はまるで野生生物のようで、護にすら寒気を抱かせる。二年レギュラー以外は気付いていないだろうが、聖はさっきまで手を抜いていた。直治が三分というリミットを設けたので、聖はその分魅せる時間と言うものを取らざるを得なくなった。すべて、この時のために。
 時間を聞いて勝負をかけたのだろう敦が聖を引き剥がしにかかった。けれど聖はにやりと口の端を楽しそうに歪めただけで簡単に相手の懐にもぐりこむと、こともなげにボールを奪った。驚いて大きく目を見開く敦から距離を取れば、敦は殴らんばかりの勢いで突進してくる。奇麗なフォームでボールをゴールに向かって放り、突進してきた敦を僅かに体を傾けて避けた。ボールがゴールネットを潜った瞬間に、直治の持っていたストップウォッチは三分を刻んだ。


「はい、終了」


 尚も襲い掛かろうとしてくる敦と聖の間にさっと海人と庄司が割って入り、爽やかに笑顔を見せた。その笑顔に敦は足を折り、体育館に膝を付く。負けたという事実が彼に襲い掛かり顔を上げることも出来なくなっている彼に気を使うことなく、聖は髪を解くと微笑んでいる直治を下から覗き込んだ。


「楽しめました?」

「全然。もうちょっと頭を使って欲しいな、あんな展開簡単に予想がつく」


 しれっと言った直治の言葉に聖はむっと唇を尖らせた。こっちはけっこう必死でやってるというのに何てことを言うんだ、と思うが言っても更に何か言われるので何も言わずにチームメイトの方に足を進める。自然に彼らの元へ行こうと思える自分に、聖はほんの少しだけ笑みを浮かべた。
 流れてもいない汗を拭って合流すると、寿季が待ちきれないとばかりに飛びついてきた。鬱陶しいので抱きつかれる前に彼の両手をまとめて捻りあげると、寿季は観念したように呻いた。


「ご、ごめんなさい……」

「俺があんな野郎に負けるわけねぇじゃん」

「見てて冷や冷やしたけどな」

「演技派だな」


 掛けられる言葉に自分が自然に返していることに気付いて、聖はなぜだか安堵の息を吐き出した。彼らと出会って気が付けば一月近く経っているが、いつの間にか何の気兼ねもなく接している。緊張する訳でもない、自然体でいることができている。今まで先輩たちにだけ見せていた表情を浮かべていることにふとしたとき気付いていた。まだぎこちないながらも、ちゃんと笑えてる。


「ひ、聖くん!」


 その時、息を切らせた舞依が駆け込んできた。マネージャーになったと言っても何故かレギュラー専属のような存在になっているので1年生とはあまり交流がなかった。聖と龍巳は教室でも会っているので特に驚くことではなかったが、寿季や他の1年生は驚いて目を見開いている。けれどそんなことを気にしていないかのように、舞依は肩で息をしながら体育館の外を指差した。なんだろうと視線を移すと、白衣を着た男性が立っていた。聖は見覚えのある姿だが他の人間には当然なく、みな一様に驚いている。


「聖、あの人って高等部の……」

「すんませんけど、俺中抜けで」


 庄司は知っていたのか、聖に顔を寄せて囁いた。けれど聖はそれどころではなく、男性から視線を逸らすことなく呟いて足を進めた。彼は聖が向かってくるのを確認すると、その場から踵を返した。










 男性の名を、真坂光定という。高等部で物理の教師をしている彼は、バスケ部の顧問も務めている。見た目は三十近いが、実際は二十六の新任教師だ。そして聖の従兄に当たる人物。聖にとってこの人物とはあまり交友がないため畏怖や嫌悪を抱くよりも、不思議な感じを受ける。今聖は、高等部の専用体育館の部室で何故かお茶を飲んでいた。


「災難だったな」


 光定の言葉に聖は微かに体を強張らせた。まだ数えるほどしか会っていないが、そのたびにこの人間は自分にとって怯える必要のない人間だと思ってきた。けれど二人きりになるとそれでもどうすればいいか分からず、聖は何を言っていいか分からずにお茶を啜る。高等部のバスケ部の専用体育館と中等部の専用体育館は隣接しており、その関係でここに呼ばれたのは分かるのだが、呼ばれた理由自体は分からない。曖昧に頷くと、光定が薄く笑った。


「相変わらずお前は、ハチャメチャだな」

「……何の御用ですか?」

「相変わらず固いな。まぁいい、澄春殿から話は聞いた。自分の始末は自分で付けろ、こちらからは干渉しない。もちろん、助けも期待するな」

「そんなことを言う為に呼んだんですか?」

「いや。けれど、俺はお前の協力者にはなれる」


 その言葉に聖は僅かに目を眇めた。兄から話を聞いたにも拘らずそう申し出る意味を図れずに黙っていると、光定は薄く笑む。その笑みを見て、聖はいぶかしげに顔を歪ませた。言葉の真意が読めないし、彼にメリットがあるとは思えない。聖がカップを置いた時、ふわりと頭の上に熱を感じた。それが光定の手だと気付いた時には、頭をかき混ぜられていた。


「何、ただの暇つぶしだ」

「……なら、いいんですけど」

「もう少しガキらしく笑っとけ。可愛げがないぞ」

「別にいらないです、そんなもん」


 素っ気なく言いながらも聖は光定の手を振り払うことができなかった。頭を撫でてもらうのは、あまり好きではない。今までたくさんの人と接してきたけれど、頭を撫でる人は稀だったから慣れていないだけかもしれないけれど、本当は恐れているのかもしれない。頭を撫でるという行為は大人が子供にするものだから、子供でいられない自分はふとした拍子に負けてしまうかもしれない恐怖がいつも背の裏側にいるとことを知っている。心地いい手を知っているとしたら、亮悟の手くらいだろうか。
 ほんの少し聖は微笑んで、光定を真っ直ぐ見た。少しふけて見える顔は、面白いものを見ているように笑っている。


「バスケはお前が決めたのか?」

「そうですけど」

「澄春殿はスポーツが嫌いなのに、よく許したな」

「……初めて知った」


 バスケは聖が小さい頃から続けているスポーツだ。初めは、母の幼馴染の男性から教わった。初めは1人でしていた遊びは小学校では友達とやるものになった。角倉に引き取られて全ての生活に監視がつくようになって行動の一つ一つに文句を付けられたがバスケだけは咎められなかった。先輩たちに出会うまで再びバスケは一人でやるものになっていたが、彼らと会ってからはコミュニケーションの手段になっていた。バスケだけ咎められなかったのはなぜかと疑問は残るけれど、今更考えてやる気はない。ただ、兄があの時浮かべた笑顔が気になった。


「部活中なんで、帰ります」

「あぁ。逃げたくなったらいつでも来い」

「俺、逃げません」


 そう言葉を荒く言って立ち上がったけれど、聖はなぜ自分がこんなにこの言葉を意識したのか分からなかった。光定を見ればさも楽しそうに微笑んでいる。その顔になぜかムカついて、聖はポケットに手を突っ込んで部屋を出て行く。なぜだか全てがどうにかなると、そんな気がした。










 体育館に戻ると、待ち構えていたように寿季が笑顔で出迎えてくれた。けれど練習中だったので後ろから思い切りボールをぶつけられる。温かいこの空間は自分を当たり前のように受け入れてくれるのだと思ったら自然と笑みが浮かんできて、聖はにこりと微笑むと彼らに合流した。
 それから部活終了するまで、聖は偽りではなく笑っていた。


「なぁ、もうすぐゴールデンウィークじゃん。みんなでどっか遊び行かね?」


 部活が終わり、着替えをしているときだった。部室にはシャワー室がついているが上級生優先なので、一年生は必然的に最後まで残ることになる。聖たちが汗を流し終わったころには部室にいるのは聖たちと敦たちのチームだけだった。居心地が悪いような微妙な雰囲気のなかで、寿季がものともせずに口を開いたのだ。唐突な言葉に誰も頷けなかった。


「遊びにって、どこに?」

「どっか。遊園地とかさ」

「部活じゃねぇの?」

「あー、そっか……。でも一日くらい!」

「そうだな、いいかもな。なぁ、聖?」

「………なんで俺にふるんだよ」


 晃と龍巳が会話に参加しているのを聞きながら着替えていた聖はいきなり話をふられてつい呟いた。けれどみんなで遊びに行くというのも良いかもしれないとも思う。葵はどうするのだろうかと思って隣を窺うと、会話に混じる気がないのは無言でボタンを留めている。回答は期待できないと思って、聖は軽く頷いた。


「まぁ、いいけど」

「よし!じゃあどこ行く?葵も行くだろ?」

「……姫の行くところならば花束を持って」

「ちょっと待て、姫って俺か?」


 じっと見つめてくる葵の言葉が明らかに自分を向いているので、聖は低い声をかける。けれど葵は僅かに微笑んだだけで何も言わなかった。その笑みが見下しているように見えたのは、聖の気のせいだろうか。寿季はもう葵の不思議発言に慣れてきたのか「確かに聖って姫みてぇ」と言いながら学ランを羽織った。ボタンを留めながら、不機嫌になっている聖ににこっと笑いかける。


「遊園地とかでもいいんだけど、俺買い物行きたい。つーかセレブな買い物行ってみたい」

「は?」

「聖の持ち物ってセンスいいじゃん、まぁ高いんだろうけど。一緒に買い物したら楽しそうじゃね?」


 確かに聖の持ち物は学生の持つものとしては高価なものが多い。けれどこれは聖が選んだものではなく、彼女たちが買い与えてくれるものだ。選んだのは聖自身だけれど、選んだといえない選び方しかしていない。そうは思うが、買い物に行っていないのも自由に遊んでいないのも事実なので、それはそれで楽しそうだ。
 聖が「いいんじゃん」と言うと、龍巳も晃も了承の意を示すように軽く頷いていた。話がまとまったからだろうか、さっさと寿季が別の話題を見つけてくる。


「そう言えばさ、今日の試合!聖すごかったよなぁ」

「秒殺しなかったのは聖の優しさかな?」


 確かに、と言い出したチームメイトたちに聖は曖昧に微笑んで学ランを羽織って髪に指を通した。そこに簡単に負けた相手がいるじゃんか、と思って口を噤んでいるのだが、彼らは承知の上らしく口元を楽しそうに歪めている。「口だけ」とか「筋肉馬鹿」とかわざと聞こえるように言っている寿季と葵は、とっても楽しそうだ。


「帰ろう!いつまでもいたら馬鹿が移る!!」


 突然敦の怒りの篭った声が響いた。その声に驚いたのは彼のチームメイトだけで、寿季と葵はしてやったりとばかりに笑っているし、龍巳と晃は肩を竦めただけ。聖だけが呆れたように溜め息を吐き出した。彼のチームメイトは慌てて荷物をまとめて部室を出て行き、敦はバンと乱暴にドアを閉めた。ドアにかき消された音が沈黙を呼び、変な緊張を含んだその空気に五人は一斉に吹き出した。


「馬鹿はお前だっつーの!」

「絶対聖、恨まれたな」

「逆恨みじゃねぇか」


 寿季と晃、龍巳が肩を震わせながら話しているのを聞きながら聖がケータイの着信を調べると、驚くべきことに五十件を超える着信があった。しかも、同じ人物から。一日煩かったなとは思ったけれど、と聖が溜め息を吐き出すとそれに気付いた寿季が聖のケータイを覗き込んで声を上げた。


「げ!何これ」

「昨日捕まえたお姉さん。しつこすぎ」

「だからお前はどんな生活してんだよ」


 再び鳴り出した携帯に聖が溜め息を吐くと、寿季が呆れたような声で呟いた。今日は行く所がちゃんとあるので、彼女の世話になる気はない。そもそもたった一日相手をしただけでしつこいなと聖は多少イラつきながら、電話に出ることなく切った。





-続-

聖さんは味方を手に入れた。