竜田学園中等部男子バスケ部専用体育館は、白熱していた。数日前実家に帰ったときは不覚にも寝てしまいいきなり世話係を名乗った伊藤優一について聞くことができなかった。あれからまた帰る気をなくし、全てが面倒くさくなって聖は女性の部屋を転々として日曜日を迎えた。バスケ部内のレギュラー決めの試合の日だ。


「聖、次の試合向井たちのチームだって」

「……マジ?」


 1年から3年までの各学年で一チームだけがレギュラーになれる。一度決まったレギュラーは滅多な事で変わらないし、練習場所から設備まで全てが一般部員とは全く異なったものになるのだ。そのため皆がまるで命でも懸けるような様で戦っている。レギュラー決めの試合は二度目からは勝ち抜き戦になる。つまり、現役レギュラーに勝てればいいのだ。簡単なようで容易に行かないことなので、一年生にとってここが正念場だ。
 そんな緊張感が漂っているのに、聖は悠々とサンドイッチを摘んでいた。ぼんやりとしていた聖が声を掛けてくれた寿季を見ると、彼は珍しく緊張したような顔をしていた。


「俺たち全勝、あいつらも全勝。実質決勝っぽい」

「ふーん。あいつって強いんだ」

「……聖が桁違いなんだって」


 呆れたように寿季が呟いて、聖の隣に座った。試合は残す所3試合。これまで全勝しているが、全てが危うい勝利だった。聖だけの実力ならば簡単に相手を凌駕しているが、如何せんチームワークが良くないらしくここぞと言うときに詰めが甘い。聖の実力に周りが見合っていないのだと自覚している分、寿季は自分が足を引っ張っているのだと自己嫌悪に陥っていた。


「そろそろ昼飯の時間」

「今食ってるそれは何なのさ」


 サンドイッチの袋を丸めながら聖がしれっと言い放ったので、寿季は溜め息混じりに呟いた。聖は何も言わない。足手まといだともヘタクソだとも。だから余計にここにいていいのかと疑問に思う。
 聖がゴミをコンビニの袋に放り込むのを見ながら寿季が溜め息をつくと、不意に聖が顔を逸らして呟いた。


「俺、お前等のことちゃんと仲間だと思ってるから」

「聖……。やばい、惚れそう」


 聖は今までそんなことを一言も言ってくれなかったから。漸く意思疎通が出来るようになったのかと思うと同時に、あんなに奇麗な顔で告げられた告白に心臓が弾けるかと思った。寿季が僅かに頬を赤らめると聖は目を眇めて寿季を見、肩で息を吐き出してコンビニおにぎりの封を切った。


「聖くん、ちょっと」

「ん、何?」


 おにぎりを口に含んだ時に後ろから声を掛けられて、聖はそのまま振り返った。少し遠慮がちな舞依の姿に僅かに首を傾げると、舞依は申し訳無さそうに体育館の入り口の方を示した。いつも専体には一般生の立ち入りは禁止だが、今日は抽選での観戦を許されている。どうせ理由はくだらない事だろうけれど、聖にとってそれはどうでもいい。問題は、入り口に立っているクラスメイト2人だ。
  茜とさくらはどうやって抽選を突破したのか本当の運かは分からないけれど、にこにこ笑って立っていた。二人で立っているところに聖は嫌なものを感じるが、拒絶も出来そうになかった。彼女たちに頼まれたのだろう舞依が本当にすまなそうな顔で立っている。舞依の言いたいことを察して、聖は小走りに彼女たちの許へ行き微笑みかけた。


「どうしたの?」


 大方彼女たちに頼まれて断れなかったのだろうと聖が思って何も気づかない振りをして声を掛けると、彼女たちもにっこりと笑って二人同時に紙袋を差し出した。大方予想していた事ではあるが、聖はどうしようかと思案する。今日が試合なのだと話したら、昨夜泊めてくれたモモカさんが弁当を作ってくれると言った。弁当箱を返すのが面倒くさいから断ったけれど、女子は大抵こういうことを考えるのだろう。
 どうしようかとわざと困った顔をして思案していると、天の助けか悪魔の使いか二年レギュラー陣が目聡く見つけて集まってきた。


「なぁに〜?聖もてもてじゃん」

「うるさいあっちいけ」

「うわ、先輩に向かって言うか!?」


 茶化すだけ茶化したい先輩たちの方も見ずに言うけれど、背中では確実に彼らの表情が読み取れる。聖は無視して二人から紙袋を受け取ると、にっこりと微笑んでみせた。彼女たちはどちらが受け取ってもらえるかとかを考えていたかもしれないけれど、聖にしてみればどちらも変らない女の子だ。それはいい意味でも、悪い意味でも。


「ありがとう。これで午後も頑張れる」

「あ、手作りだから…美味しくないかもしれないよ」

「でも、気持ちが篭ってるんでしょ?ありがと」

「残してもいいから、ね」

「残さないよ。ごめん、みんなが呼んでるから」


 にっこりと微笑みだけを残して、聖はさっさと彼女たちに背を向けた。歩きながら紙袋の中を覗くと、女の子らしいかわいいお弁当箱が入っている。彼女たちも名門の令嬢だ。自分で料理なんてしたことがないに決まっている。けれど弁当を作ってきてくれたのは、聖に対して本気だからじゃない。これが、オママゴトの感情だから。恋愛ごっこがしたいから。聖はそう思う。だから、重くない。
 スタスタと嬉しそうにもしないで歩く聖を見て2年レギュラー陣は目を瞬かせて、けれど心配したのは一瞬ですぐに茶化し始めた。


「いいねぇ、聖。手作り弁当」

「別に」

「俺、聖がちゃんと同世代の子と会話できることに安心した」

「亮悟先輩、俺のことなんだと思ってんの」

「聖、その弁当何が入ってるか分からないからちゃんと毒見してから食べるんだよ?」

「直治、それ言いすぎ」


 女の子可哀相じゃんと海人が笑い、けれど直治はしれっとして聖の頭を撫でた。驚いて聖が彼を見上げるけれど、彼の顔からは何の感情も感じ取れなかった。
 なんとなくそれが悔しくて聖がふんと鼻を鳴らして顔を逸らしたとき、背中に視線を感じた。条件反射のように険しい瞳でその先を追い、相手が美鈴だったことに安堵と聊かの違和感を感じて聖は僅かに首を傾げた。同じく気づいた海人に弁当入りの紙袋を2つ押し付けて、聖は美鈴の元に向かった。


「応援、きてくれたの?」

「う、うん……」


 遠くから「聖の本命?」「いやいや、聖は年上好きだろ」「でも走って行ったよな」と下世話な声が聞こえてきて聖は僅かに奇麗な顔を歪めたが、美鈴はそれに気づかなかった。
 ほんの少し頬を赤らめて紙袋を差し出した美鈴に、聖はやばいなと思った。この大きさは手作りではなく家のシェフか何かに作らせたのだろう。手作り弁当の方が心が篭っていると錯覚しがちだが、聖にとっては手作りよりもそちらの方が重かった。だから受け取る手がぎこちない。けれどさっき2人から受け取ってしまった手前、断る訳にも行かない。受け取って礼を言うと、美鈴が頬を赤くして俯いた。


「試合…頑張ってね」

「ありがとう」


 一言礼を言って、聖はさっと彼女に背を向けた。食べられないとか、そういう事を言うつもりは無い。けれど、重いのだ。聖にとって本気の恋とか愛とか、そんなものは信じるに値しない。最近漸く友情の存在は信じ始めていたけれど、それだけだった。まだ、信頼はできない。もしかしたら聖は信頼自体が一生できないことなのかもしれない。
 小走りで先輩から預けた袋を受け取って、そのまま何となくチームメイトたちの固まっているところに足を向けた。輪の中に空いた一人分の場所に体を滑り込ませると、四人の視線をもろに感じる。


「何だ?その紙袋」

「弁当。今もらった」

「…白雪の林檎」

「お願いだから葵は分かるように話してよ」


 また訳の分からないこと言って!と憤慨する寿季をよそに、聖は悠々と二人から貰った弁当を開けてみた。茜から貰ったのはレモンのハチミツ漬けだった。手作りだといっていたから少し身構えていたが、これは失敗することが滅多にないから安心して食べられるだろう。さくらの弁当は本当に手作りで、色が若干黒かった。けれど食べられない訳では無さそうだ。
 葵の言った言葉には、察しがついている。少し緊張して、聖は美鈴に貰った弁当箱を開けた。中には綺麗に高価そうな食品が並んでいる。まるで白雪姫に出てくる毒林檎のようだ。見た目は綺麗でも、命取りになりかねない毒が仕込まれている。この意味が聖個人に対しての毒か『角倉』に対しての毒か分からないけれど、蝕むことには変わりなかった。


「虎穴にいらずんば虎児を得ず」


 そう呟いて、聖は美鈴の弁当に箸を入れた。毒があったとしても何かの思惑があったとしても、自分が乗ってみなければ意味が無い。どうなろうと、犠牲になるのは聖だけだからどうなったって構わない。
 聖の呟きに寿季は首を傾げたが、葵はただジッと聖を見つめていた。


「おい、食いすぎて動けなくなるなよ」

「大丈夫だって。それより次の試合何時?」

「一時」


 龍巳の答えを聞いて聖は小さく頷いて、さくらのくれたこげて黒くなった卵焼きをつついてほろ苦さに僅かに顔を歪めた。










 一年全員が緊張と興奮をないまぜにしたような表情でその試合を見ていた。聖のチームと敦のチームは1年の中で最も上手い。今日の試合の成績も同じくらいで、誰もがどちらがレギュラーになってもおかしくないと思っていた。
 コートの中で微妙な攻防を繰り広げている彼らを黙って見ていた二年レギュラー陣は、不快そうに目を眇めた。


「何か、動き悪いな」

「そこそこ上手いんだけどな」

「そこそこってだけだろ」


 不快を声に乗せて海人が呟くと、それに庄司と護が応じる。確かに試合運びは上手いし技術もある。けれどそれは普通から見てのことであり、竜田学園バスケ部のレギュラーから見ればただのお遊びに他ならない。一年だからと許容できなくは無いが、見慣れた聖ですらあの動きではレベルが低いとしか言えない。


「聖も動き悪いよな。遠慮してんの?」

「聖はそんな可愛い性格してないって」

「そーそ。つーかさっきから直治何見てんの?」


 ファイルをめくりながら壁にもたれかかっている直治に護が首を傾げて覗こうとするが、直治が「何でもないよ」とにこりと怖ろしい笑みを浮かべたのでそれ以上動く事ができずにすごすごと引き下がった。其の間にも試合は一進一退で、中々点が入らない。これでは一年レギュラーなんて決めない方がいいんじゃないかと彼らに思わせるほど、その試合は妙なものだった。


「お、頂上決戦か?」

「…勝春先輩」


 急に現れた部長に直治が小さく呟いてさっとファイルを閉じた。けれど彼は目聡くそれを見つけ、直治が何か言う前にひょいと取り上げるとパラパラとめくって少しだけ目を細めた。じっとファイルを見つめていたが、それを海人に押し付けると勝春はコートに視線を移した。目の前では、晃がシュートした所だった。


「お前等、今年の一年どう思う?」

「どうって……」


 レベルが低い、と言おうとして、ファイルをめくった海人は言葉を切った。ファイルには今日の試合結果が記されていた。敦のチームは順調に得点を重ねているけれど、聖達のチームは一試合目から今までずっと数点差という厳しさで辛うじて勝利を収めている。いくら調子が上がらなかったと理由をつけても、この結果は滅多にない。聖が無意識に実力を制御する癖があることは知っているけれど、それがチームの勝利にこんなにも影響するとは思えなかった。


「何だこれ!?ありえねぇって!」

「一応、聖たちには弱いチームから当ててるんだよね。ちょっとづつ調子が上がってるんじゃないの?」

「でも二試合目、三番目だぞ」


 聖達のチームには直治からの贈り物か試練か、弱い順に当たるようにしてあった。試合をするほどに疲労は溜まるから初めに雑魚を片付けると考えると考えるのか相手の強さを倍増させる為に仕組まれたと考えるのは聖の自由だが、今は気付くことなく戦っている。けれど、何のお遊びか三番目に強いと思われるチームを二試合目に当てた。一試合目は調子が出ていなかったと言い訳できる。けれど相手は弱小チームだ。そこに一点差でしか勝てなかったのに、第二試合では四点差で勝っている。何かが、おかしかった。
 庄司と亮悟が一体どうしたんだと騒いでいるのを聞きながら、海人は目を細めた。でも確かに、ありえないことはない。


「なんだよ、海人。一人で分かった顔しやがって」

「んー?や、聖ってさ、無意識に実力抑えて相手と同レベルで動くだろ?」

「だな。相手ってか俺たちに合わせてる節もあるけど」

「じゃあもし、五人が同じ性格だったら?」


 海人の言葉に、レギュラー陣が言葉を失った。それを見て勝春だけが薄く笑んでいる。
 ありえないことじゃない。聖の性格上相手と同レベルでギリギリの戦いを楽しむとか苦しむ相手の表情が楽しいとか、理由は色々考えられる。彼らがそれと同様だったらば試合の展開も想像がつく。お互いがお互いに牽制し合い、けれど決して負けはしない。だから今も、得点差が三点以上付かないのだろうか。


「ま、お前等とは正反対のチームになるな」


 カラカラと笑って、勝春は壁から背を離した。「舞依ー」と妹の名前を呼んでタオルを要求する。
 それを見送って、二年レギュラーは顔を見合わせた。彼らは性格上絶対の力を持って試合を制する。相手に絶対の力の差を与えて勝利するから、百点差をつけることもしばしばある。それと正反対の、追い越せそうで追い越せない絶妙な力。考えただけでも寒気がした。


「そーだ、あとでお前等あいつ等と試合してみ」


 振り返って言った勝春に、レギュラー陣はそろって顔を見合わせてしまった。聖の実力は知っている。けれどあのチームと試合したら精神的にきつい物があるだろう。五人揃ってやだなーと表情に出して黙ってしまった時、試合終了のホイッスルが鳴った。










 夕方近く、二年レギュラーと敦のチームに三点差で勝利して一年レギュラーになった聖たちのチームは試合をした。
 お互いに数試合をこなして体力を消耗しているとはいえ、試合になればそんなものお互い様で集中力でどうにか補える。二年レギュラーは試合の中で後輩レギュラーの性格を完全に把握した。思ったとおり、ほぼ全員が力を加減する癖をつけている。そのくせ二年レギュラーにぴったりと付いてきているのだから寒気がする。
 互いに礼をして、体力を使い果たしたのか十人揃ってその場に倒れこんでしまった。


「あー…一年の癖に生意気」

「このくらいで息切れてんなんて、歳じゃん?」

「聖…お前あとで覚えとけよ……」

「もう忘れた」


 息を整えながら言葉を交わしていると、上から三年レギュラー陣が覗き込んできた。十人揃って体を起こそうとするが、もう限界なのか思うように力が入らなかった。けれど分かっているのだろう、三年はカラカラ笑っただけだった。


「一年、レギュラーおめでとう。頑張れよ」

「二年は防衛おめでとさん」


 それだけ言って去って行ってしまった3年を見て、海人は目を閉じた。あの言葉に込められているたくさんの意味を汲み取って、これからは自分たちが頑張らなきゃならないのだと改めて思った。





-続-

レギュラーになりました。
敦たち出ないですね。