昨日のレギュラー決めの試合の白熱具合が嘘のようだと寿季は思った。あんなに熱戦を繰り広げたというのに、あの興奮なんて無かったかのように仲間がみんな沈黙している。ありえない。


「でも何がありえないって来週がテストってことだと思う」


 端を銜えたままそう結論を出すと、黙々と食事をしていた仲間達が一斉に顔を上げて怪訝そうな顔を向けてきた。一番近くにいる聖に抱きつくと、鬱陶しそうな顔をして聖がパックのミルクティに手を伸ばした。


「俺は集まって飯食ってるこの状況がありえないと思う」

「いいじゃん、楽しいじゃん」

「何で俺の周りに集まるんだよ」

「聖が好きだから」

「……ウザ」


 ここはC組の聖と龍巳の机の周りであり、初めは聖と龍巳、誠の三人だけだった。けれど何故か寿季と晃と葵が現れていつの間にか小さな机を囲んでいた。集まった割には会話するではなく晃も葵も教科書を開いている。だったら一緒に食う必要無いじゃんと聖は思うのだが、確かにこの空間は心地よかった。ただ、一人だけ喋っている寿季が正直鬱陶しい。


「折角レギュラーになったのになぁ」

「すればいいじゃん、バスケ」

「勉強しよーよ」


 鬱陶しいながらも会話してやっていることが聖にとって驚くことだった。彼に対して鬱陶しいという感情を抱いたことも数ヶ月前だったらありえなかったけれど、今は億劫ながらも会話するのは嫌じゃない。ただ、したくないと言ったり勉強しなきゃと言う矛盾した内容はどうかと思う。


「そう言えばさ、聖って首席で入ったんでしょ?」

「へー」


 竜田学園はエスカレーター式の学校だから上に上がるのに入試があるわけではない。けれど確認テストの意味やクラス分けの意味でテストを実施する。結果は入学式の日に張り出されていて人だかりができるのだが、聖は興味がないし人ごみに自ら突っ込んでいく趣味も無いので見ていない。
 「特に興味ない」と正直に言うと、寿季が驚いたように聖の顔をマジマジと見た。次いで僅かに顔を赤らめる。その視線に不快なものを感じて聖は僅かに目を眇めるとパックのストローを銜えた。


「聖、びじーん」

「マジでウザイ」

「聖って自分のこと興味ないね」

「別に」


 葵の言葉に聖は小さく呟いて最後のサンドイッチを口の中に放り込んだ。確かに興味はない。興味が持てない。テストで首席を取ったのだって誰の為でもなく自分の為だ。兄に何も言われないように解答欄を埋めただけ。頑張ったのかと言われれば頑張っていない、努力もしていない。ただ自分の身を守るために手を抜かなかっただけ、弱虫の自己保全だっただけ。自分自身に興味はないけれど、守ることだけは忘れない弱虫。本当に、質が悪いと思う。


「聖、勉強教えて?」

「面倒臭い。家庭教師でも雇えば?」


 聖はとって誰かに言葉で伝えるのはひどく億劫な作業だと思う。自分のことを分かってもらうことなんて出来ないだろうし、それを諦めている。だから言葉を紡ぐのがひどく億劫なのだ。誰も心の奥底まで理解してくれるとは思えないから。
 けれどこんな風に話せるのならば少しだけなら言葉を紡ぐ作業をしても、良いかもしれない。










 聖自身ですら自分の中身を理解していない。女性たちに見せる顔がある。先輩達に見せる顔がある。教師に見せるお綺麗な顔がある。クラスメイトに見せる顔も角倉の家で見せる顔もある。どれが本物の自分が聖自身判断つかない。これが仮面のようなもので並べ立てて指を指して確認できればどれだけ楽だろうと思うけれど、それは実質不可能だ。こういうときは本職と何気ない話に混ぜて聞くのが一番早いと分かっているから、携帯で麗子という文字を探して今夜の寝床にメールをしてみる。


「……お前さ、偶にはまともに授業受けろよ」

「ちゃんと座ってるだろ」


 後ろから龍巳に溜め息混じりに言われ、聖は振り返りもせずに答えた。龍巳が「そこが問題じゃないだろ」と言ったけれどそれは聞こえない振りをして着信を知らせた携帯のメール画面を開く。麗子から今夜は本命の恋人と約束があるからという断りのメールだった。本命じゃしょうがないなと聖は僅かに目元を緩めた。
 聖は絶対に本気の女性と関わらない。遊びだと分かりきっている女性と関係を持ちたがる。無意識のうちに心を手にするのを恐れたのだろうと過去麗子が言ったけれど、聖はそれが少し間違っていると思う。心を手にするのが怖いんじゃなくて、心を渡すのが怖いのだろう。誰かに本気になることをひどく恐れている。だから彼女たちにだって何も晒さない。彼女たちの欲望を読み取ってそれを具現化している。そしてそれでいいと思っている。


「角倉、答えを言ってみろ」


 僅かにイライラした声で教師に言われて、聖は顔を上げた。ペンを握っていない上にずっと俯いて携帯を弄っていたからだろうか。教科書は一応開いているが数学をやっているのに机上には英語がある。さっき机から引っ張り出したら偶然英語だったのだ。本来は道徳の授業と称してマナーなどを学んでいるが、テストが近いので学生の要望で補講の授業が展開されている。
 教科書に目を落としても無意味だと百も承知なので、聖は黒板を見て目を細めた。書いてある問題に目を通し、にっこり微笑んでみせる。


「三」

「………正解だ」


 心底悔しそうな教師に追い討ちのように笑って軽く頷く。それを見てから聖はまた携帯に視線を落とした。テスト前だし家に帰るのも選択肢の一つではあるけれど、どうもその気になれなくて今夜はどうしようかと思う。昨日は試合を見に来ていた美月に家に帰ってレギュラーの報告をさせられたから、家に帰る必要はない。ここの所適当に引っ掛けた女性とホテルで一夜を過ごすことが多かったので、久しぶりにみどりの家にお邪魔したい。けれど彼女は最近忙しいらしい。
 みどりにメールを送信したすぐ後に、海人からメールが来た。庄司からも来た。いっぺんに送ってくるとは何事だと思ってメールを開くと、海人のメールには「2:30」、庄司のメールには「専体」と書かれている。多分、今日の二時三十分にバスケ部の専用体育館に集合と言うことだろう。テスト期間は部活は出来ないけれど、専体は開いている。レギュラーは清潔な部室を有しているのでこの時期は悠々と勉強だろうと何だろうと出来るのだ。


「……メンド……」


 小さく呟いて、聖はケータイを閉じた。バスケをやるのかお節介にも勉強を見てやるとか言うのか分からないけれど、とても面倒くさいとだけ思った。










 二時半を余裕で過ぎて体育館に行くと、二年レギュラー全員で本来はミーティングの時に使う大きな机に向かって勉強していた。一人悠々と直治だけが文庫サイズの本を開いているが、彼はいつものことなので気づかないふりをして聖は開けたドアを閉めようとした。けれど少し音を立ててしまい、四人が一斉に顔を上げる。


「遅ぇ!」

「学食にいた。何してんの?」

「見てわかんない?勉強」


 慣れない勉強で相当イライラしているんだろう海人と庄司が今にも暴れだしそうだ。聖の問に答えたのは直治だが、彼は勉強していない。聖が荷物を放り出して亮悟が手招くので隣に座ると、何故か全員が手を止めた。一体何なんだと聖が溜め息を吐き出すと亮悟は真剣な目で聖を見た。


「聖、最近どこにいる?」

「?学校来てるけど」

「そう言うことじゃなくて、どこで寝てんのかって聞いてんの」


 困惑を浮かべた亮悟に代わって庄司がどこか冷めた声音で言った。吐き出すようなその言い方に聖はうんざりしながらそういう事かと納得した。彼らが家に帰っていないことを良く思っていないこともたくさんの女性と関係を持っているのを非難していることも知っている。けれど聖は自分が悪いとは思っていない。だから彼らとこの話をするのは避けてきたのだけれど、今日は逃がしてもらえないようだ。どうにか逃げ口をひねり出さないとと聖は軽く唇を噛んだ。


「……最近は、ラブホ」

「別にお前の生活に口出す気はねぇんだけどさ、いい加減にしろよ?」

「何でンなこと言われねぇとなんねぇのか分かねぇんだけど」


 イライラと聖は言ってポケットに手を突っ込んだまま口を噤んだ。その態度に庄司が真っ先に口を開いたが、それを護が無言で圧し留める。亮悟が気を落ち着かせるためにかゆっくりと数度深く息を吸い、口を開いた。


「今まではそれで聖がバランスを取ってたから何も言わなかったけどね、今は違うでしょう?」

「………」

「チームメイトもいる。自分が悪い事をしてるって自覚、でてきた?」

「………」


 優しい亮悟の声音にも聖は身じろぎすらせずにただ机の一点だけを見つめていた。そこに何があったわけでもないけれど、動けなくなった。庄司が「黙ってんじゃねぇ」と叫ぶけれど、続く罵倒は直治に塞がれた。
 聖は悪い事をしている自覚なんて無い。誰も傷つかないようなやり方で、心の安寧を計っている。傷つくとしたら、聖の心。


「売春は犯罪なんだよ」

「………別に金貰ってねぇもん」

「後で傷つくのは聖だよ?」

「………」


 そんな事は知っている。きっと誰よりも深く傷ついて独りで泣くようなオチが待っている。けれどそれは初めから知っているし上等だと思う。もしかしたら今だって傷つくことを期待しているのかもしれない。それで世界にも絶望して、全てを失ってしまいたい。どこかでそう願っていることを知っていた。それだけ自分は、矛盾している。


「僕たちは聖が心配なんだ。それだけは分かって」

「………」

「甘ぇよ、亮悟!こいつ一発くらい殴らねぇと分かんねーよ!」

「庄司、お前聖に勝てる気でいんの?」


 今まで黙っていた海人が呟いて庄司を静めた。聖が喧嘩が強いことは誰もが知っていたし、坊ちゃん育ちの彼らには天地がひっくり返ろうと勝てはしない。それだけ、彼らと聖の間には埋まることの無い差がある。その事実に庄司は息を飲んで舌を打ち鳴らし、そっぽを向いた。海人が一つ溜め息を吐いて聖を見る。


「別に聖が何しようと勝手だけどさ、お前が傷ついて心配する奴も傷つく奴もいるんだってちゃんと知っとけよ」

「……いらねぇよ、そんなもん」

「もう遅いっつーの」


 海人が笑って体を起こすと、聖の頭をわしゃわしゃとかき回した。いつもなら嫌がる行為だが聖は黙って俯いていた。
 本当はほんの少し自覚はあった。チームメイトと距離が縮まるほど息苦しい気がしていたのは、誰かに心を移していたから。今まで恐れていたことなのに、近づいてきた彼らを拒めなかった。拒みたくなかった。いつかの日の為に投げ出すには、必死になりすぎているのだろう。誤魔化しながら、戻れない所まできてしまった。


「……帰る」

「どこに」

「…………家」

「よし、じゃあその前にバスケしよーぜ」

「庄司は勉強しないと補習にでもなったって知らないよ」


 丁度みどりからも断りのメールが来ていたことだし良いだろうと思って聖はやっと肩の力を抜いた。背もたれに体重を預けると妙に体が軽くなった気がしたけれど、心が軽くなったのだと認めるのはいやだった。


「な、聖。勉強教えてやろうか」

「いらない。直治先輩、バスケしよーよ」

「そうだね、バカは亮悟に任せて久しぶりに苛めようかな」

「待て直治!お前がいないとどうにもならない!」


 我関せずの体で本を読んでいた直治は、テスト勉強を見てやるよりも聖とバスケでもしていた方が有意義だと判断したのかただ庄司と海人を苛めるのが楽しいと判断したのか分からないけれど本を置いた。追いすがりそうな庄司と海人を視線すら送らずにボールだけを持って部室を出、聖は笑いながらその後に続いた。





-続-

龍巳さんタレ目希望。