テスト期間にある遠足は教師のテストの採点の負担を減らすものだろう。園は貸し切り状態で警備員が多くいるくせに教員の数は目に見えて少ない上に、大学部の人間が代わりを務めている。聖達の班の保護者も大学部の人間だった。そこそこ綺麗な顔をした女だが、聖はさして興味もなく欠伸を噛み殺した。昨日は大人しく家に帰ったが、興奮した様子の美月に付き合わされて眠れなかった。おかげで鼠王国に詳しくなったと思う。


「ねぇ、何から乗る?」

「私あれがいい!」


 入園開始からはしゃぎ始めた茜とさくらに聖はついてくのも億劫でゆったりと足を進めた。龍巳もそのつもりらしく聖の隣を並んで歩き、一歩下がって誠と優一がいる。聖はちらりと視線を後ろに流し、けれど気づかれる前に戻してポケットの中に突っ込んだ手で無意識にライターを転がした。今日は私服で良いらしいので、聖は和柄の細身のパンツにぶかぶかの袖のないパーカーシャツ。アームウォーマーで腕を隠し、チョーカが首元に首輪のようにかかっている。朝、一目見て少女達は悲鳴を上げた。


「顔の怪我、奇麗になったな」

「ん、ちょっと殴られただけだし」


 問われたことを返して、聖は龍巳の格好を見た。細身のパンツの再度には龍の刺繍が入っていて、上は柄シャツ。どこからどう見てもお家家業が窺える。それを羨ましいとは思わなかったけれど、敬遠したくもなかった。何か大切なものがあることは羨ましいと素直に思った。


「そういえばさ、練習試合するんだって。俺たちのデビュー戦?」

「そうか。楽しみだな」

「そうかよ。じゃあもうちょっと楽しそうに言えよ」


 他愛のない会話が心地いい。言わなくても分かる感情が嬉しくて、聖は僅かに目を細めた。ポケットの中でライターを転がしながら細く息を吐き出して空を見上げる。今日は憎いほどの青空で、何故かあの雨の日を思い出した。今日は晴れているのに、いつの日も聖の思い出の中では雨が降っている。


「ねぇ、みんなで写真撮ろうよ!」

「写真?どこで?」

「まずは入り口でしょう!」


 女ってこういうテーマパーク好きだよな、と聖はただ感心したが、龍巳と誠はあからさまに嫌そうな顔をした。ちらりと窺えば優一の表情は変らない。話しかけてもこないけれど、どういうことだろうか。もう少しコンタクトがないとこちらも行動できないのだが。
 そういえば、以前一緒にここに来たのは誰だっただろうか。たぶん、モモカさんだ。子供のようにはしゃいでいた彼女とももう逢えないだろう。会う気もない。
 聖が考えながら、茜が呼ぶところに歩いていく。園のメイン広場の写真スポットに並ばされて、警備員に混じって歩いているカメラマンを呼び止めて写真と撮ってもらった。聖は中心に立たされ、両隣に茜とさくらがいる。なんとなく嫌な予感がして、聖は引きつった笑みを浮かべて軽く唇を噛んだ。別れたのは正解だと思っている。けれど、淋しいと感じている。そして今、正直に言ってすべてが億劫に感じている。


「あとで二人で話があるんだけど、いいかな?」

「いいけど」


 右隣にいる茜に向かって反射的ににっこり笑った。面倒なのだ、考えることが。これからどうするかとか自分がどうなるだとか、自分のことなのに他人事のようにしか感じなくて、全てがどうでも良くなってしまう。これは自虐心なのか加虐心なのかわからない。


「私絶叫乗りたいなぁ」

「私、船がいい。龍巳くんは?」

「別にどれでもいいけど」

「じゃあ、別行動で!若、お供します」

「そうだな。行こうぜ、聖」


 意見がバラバラに割れ、誠が早々と別行動を提案した。それに龍巳が簡単に頷き、聖を促す。聖は軽く了承の返事をしたけれど、女子の方が納得していないようだった。全員が少し不満そうな顔をしたように見えて、別れるに別れられない。どうしようかと思案していると、初めて優一が動いた。聖を庇うように正面に立ち、女子たちを睨みつける。


「坊ちゃんの手を煩わすまでもない、あまり文句をいうのなら帰らせてもらう」

「何それ、学校行事にそれはないんじゃないの!?」

「角倉くんはまだ何も言ってないじゃない!」


 冷ややかな声にも少女たちは怯まず逆に噛み付いた。聖も彼のこの回答はどうかと眉を顰める。女性に対しては絶対に優しい態度しか見せない聖にとって、優一の言葉は癇に障った。後ろから底の厚いブーツで蹴り上げると優一は「うわ!?」と驚きの声を上げたが、聖は無視して唇を尖らせて怒っているさくらと茜を宥めるように眉を寄せて俯いてみせる。翳った睫毛が憂いを秘めて、少女たちは一瞬息を詰めた。


「俺たちなんかと一緒にいても楽しくないよ。お昼に一度集まろう?」

「……角倉くんがそう言うなら、わかった。でも、その前にちょっといいかな」


 茜はさくらと頷きあい誠の提案を呑んだ。それから少し恥ずかしそうに沈黙し、何かを決心した顔で聖に告げた。それを見た瞬間は来たかと身構えたけれど、僅かに赤面した顔にどこかときめきを覚えて微笑んで頷いた。
 茜はきょろきょろと辺りを見回したけれど場所を決めたのかそこに出ているワゴンの向こうに引っ張っていった。聖はただ黙ってついて行き、くるりと向きを変えた茜の顔を真っ直ぐに見る。茜の顔は朱色に染まり、緊張に震えていた。


「あ、あの……、角倉くんて今彼女とか好きな人いるの?」

「いないけど、何で?」

「よかった。あの、あのね……」


 分かっているくせに知らないふりをして聖はポケットから手を出して前で組んだ。この後に続く言葉は分かっている。けれど自分はどうしよう、答えは決まっていない。けれど今こだわる気はないし、どうでもいいのだ、全てが。


「私と付き合ってください!」

「うん、いいよ。付きあおっか」

「……え、いいの?」

「いいよ?あ、携帯の番号教えといた方がいい?」

「う、うん。……ありがと」


 「どーいたしまして」と笑って、聖は携帯を引っ張り出して開いた。赤外線で茜に送ってあげながら何気なく彼女を観察する。顔は可愛いし、長い髪も中々好みだ。ツインテールをする年齢の子と付き合ったことはないけれど、だからこそ楽しいかもしれないと思う。少しだけ楽しみを見出して、聖は茜とみんなが待つところに戻った。
 戻ると、不審そうな顔をしている男子たちと恨みでも篭っているような顔をしている女子の視線を一斉に浴びた。中でも美鈴の視線に奇妙なものを読み取って聖は目を眇める。けれどそれに気づいたのか美鈴はすぐに顔を逸らすと舞依に笑いかけた。


「舞依ちゃん、何に乗りたい?」

「あの、角倉くん!私もちょっといいかな」


 今度こそ別れようと思ったら今度はさくらに少し怒ったような声で言われた。聖は今度は少し疑問を覚えたけれど、素直に従うことにする。何があるにしても罠にはかかって見なければ分からないし、回避するのも億劫だった。今度もまたさっきと同じワゴンの向こう側に引っ張っていかれた。


「角倉くんさ、湊さんとどういう関係?」

「舞依?マネージャーだけど」

「付き合ってるとかじゃないの?仲いいみたいだけど」

「好きとかは思ってないよ、仲間だしさ。恋愛対象外」

「じゃあ私と付き合って」

「さくらちゃんと?」

「いいでしょ?湊さんのこと好きじゃないんだよね?」

「まぁ。……いいよ、付き合っちゃおっか」

「本当!?ありがとう!あ、携帯の番号教えて?」


 さくらは何を思って舞依のことを言ったのだろう。彼女にはどんな思惑があってこの話を切り出したのだろう。この学校で損得なしの恋愛は成立するのだろうか。色々考えながらさくらの携帯に赤外線を送信してやり、何の疑問もなくさくらのアドレスを知った。茜とどういう関係だろうとは思うけれど、罪悪感も何も感じなかった。
 それからみんなのところに戻り、今度こそ別れて聖は龍巳と一緒に目的もなく歩き出した。










 テーマパークなどは楽しい人間は楽しいけれど、興味のない人間には牢獄のような所だ。そう思って聖は木陰で休んでいた。チームメイトも興味がなかったのかいつの間にか全員集まってしまっている。喫煙スペースのところで休みながら、聖はぼんやりと煙草を銜えていた。


「ひーじり!未成年が何吸ってんのぉ?」

「煙草」


 淡々と答えて紫煙を吐き出した。だいぶ馴染んだ楽園の香りは細胞に染み入るように心地いい。寿季も他のメンバーも特に注意する気もないようで「体壊すなよ」とだけ言われた。ただ龍巳は嫌悪するように眉を寄せて近づいてこなかった。誠も優一も黙って集団から一歩離れていた所にいる。
 二人の少女に告白されて、どちらにも同じ返事をした。別にそれに関して罪悪感はあまりない。けれど彼女たちの思惑も何も信じられはしないから懐疑的になっているかもしれない。今までの女性たちはずっと快楽を求めていた。聖に対して夢を抱いて、着飾った。それと同じだろうか、ならばどうして了承の返事をしたのか。少なくとも、彼女たちの一番になりたいと思わないし彼女たちは聖の一番にはなれたない。


「やっぱ……溜まってんのかな」

「何が?ストレス?」

「精子」

「は!?」

「ここんとこ誰とも寝てないから。ある種のストレス?」

「……ひ、聖って大人ぁ」


 聖の言葉に寿季が引きつった声で答えた。聖は短くなった煙草を灰皿に放り込んで、振動した携帯を取り出した。見てみると、茜からメールで今絶叫系のところにいるのだときていた。返信をするのも億劫なのでポケットに戻して、息を一つ吐き出す。今まで女性の家を転々としてそのたびに関係を持った。聖から迫ったことはないけれど、断ることもしなかった。だからここ二週間、誰とも寝ていないという事実に驚きを隠せない。


「聖」

「葵も文句言う気かよ?」

「違うよ。存在意義の定義なんて人からの価値だから、傍にいな」

「……別に、迷ってなんかいねぇよ」


 吐き出して、聖はもう一本煙草を銜えた。貰ったライターで火を点けて、紫煙を吐き出す。自分の存在意義を見出したいから彼女たちと付き合うことを決めた訳じゃない。人間の価値なんて煙草の煙のようなもので安定しないしすぐに消えてしまう。けれど、確かなのは存在しようともいつかは消えてしまうこと。


「そう言えば、角倉のお姉さんと海人先輩って同じ班らしいね。昨日すごく喜んでたよ、先輩」

「へぇ。道理で美月さんも昨日寝かせてくれなかったと思った」

「寝かせてくれなかったって何!?聖ってば隅に置けないなぁ、もう」


 食いついてきた寿季が鬱陶しくて、聖は振り払うように寿季を追っ払って煙草の灰を灰皿に落とした。昨日は遠足を楽しみにした美月が一晩中寝ずに話をしていた。三時くらいには眠ってしまったけれど聖はその時間に寝るのは億劫になり本を読んでいたので結局徹夜してしまった。不規則な生活は慣れているからいいのだけれど、安らかな美月の寝顔を見ていたらぜひ幸せになった欲しかった。美月が海人を好きなことは知っていたけれど、もしかしたら海人も美月のことが好きだったのだろうか。


「……美月さんが幸せになれればいいなぁ」

「聖はお姉さんが大切なんだね」

「シスコン」


 龍巳のポンと発した声に聖はギロリと見たけれど龍巳は知らない振りをしてそっぽを向いた。それ以上何を言える訳でもないので聖は舌を打ち鳴らし、煙草を灰皿に落として立ち上がった。時計を確認してそろそろ集合時間になるだろう、昼は集合せずに遊びながら食べるとさくらと舞依からメールが来た。テーマパークで喫煙所で煙草を吸っていただけだった一日に苦笑しながら、聖は立ち上がった。










 集合場所にいくと、すでに女子はみんな集合していた。聖たちの姿に気付くと、茜とさくらがまず気づいて駆け寄ってきた。


「聖くん!」

「時間ギリギリだよ。何かお土産買った?」


 少し距離が近づいた物言いに聖は苦笑を浮かべて「ごめん」と軽く謝った。時間ギリギリになるように狙ったので丁度いいようだ。当たり前のように茜とさくらが両隣に陣取り、そういえばこの二人はお互いのことをどれくらい知っているのだろうかと疑問を覚えた。両方と付き合うと言ったけれど、それを知っているのだろうか。いや、知っていたら怒っているかもしれない。


「聖くん、ちょっと」


 後ろから裾を引かれてなんだと思ったら、舞依が言い辛そうな顔をしていた。茜とさくらはあからさまにむっとしていたけれど、聖はただ不思議そうに首を傾げる。舞依がちらりと聖の両脇に視線を移し、何かを言いたそうだったので聖は彼女たちに「ちょっとごめん」と言って舞の手を引いて班を離れた。少し離れて溜め息に似た息を吐き出すと、舞依が窺うように上目遣いで見てきた。舞依に取り繕う必要がないことは部活で接していてあたり前になっているので、にこりともしないでポケットに手を突っ込んだ。


「何?」

「あ、私じゃなくてね。美鈴が……」

「美鈴ちゃん?」


 さして意外でもなかったが、聖は思わず呟いた。内気で自分の意見を中々言えない少女が、今日行動を起こすとは思わなかった。いや、学校行事であったという点で当たり前だと思うべきか。舞依の影に隠れておどおどしていた美鈴が舞依に促され一歩だけ足を進めたけれど、まだ舞依よりも少し後ろにいる。


「美鈴がね、聖くんのこと……好きだって」

「ふーん」


 やっぱりな、と思って聖は軽く頷きながら目を眇めて美鈴を見やった。真っ赤になってスカートを握ってカタカタ震えているのは演技だろうか。今まで教室で感じていた視線には確かに好意も含まれていただろうけれど、聖はそれだけではないと思っている。美鈴と言う少女がどこまでを見通しているのかただ親の言いなりになっているのかは分からないけれど、聖はにっと笑った。


「俺のこと落したければ、自分で言えよ」

「あ、……あの………好き、です」

「ん、ご褒美」


 真っ赤になって蚊の鳴くような声で呟いた美鈴に喉で笑って、聖は一歩大きく足を踏み出した。すっと細い指で髪が隠している美鈴の顔を持ち上げて、驚いて動けないのをいいことに噛み付くように小さな唇を吸った。すぐに離したけれど、美鈴は目を大きく開いてパクパク口を開閉している。それにまた笑って聖は赤くなって顔を逸らしている舞依に声をかけた。


「舞依も告っとく?」

「結構です!」


 「一番乗り」と口の中で呟いて、聖は振動した携帯をポケットから取り出した。早く戻って来いと催促がさくらと龍巳から来ていて、美月から車が迎えに来るから合流したい旨のメールが来ている。美月に了解の意をメールで送りながら、未だ人のごった返す集合場所に戻った。





-続-

いきなり彼女が三人てどういうことですか?