遠足で珍しく歩き疲れたのだと言う美月にマッサージをしてあげながら、聖は今日のことを思い返した。遠足といえども貸切のテーマパーク。特に興味もないので班はバラバラになって結局ずっと喫煙所で煙草を吸いながらチームメイトたちと他愛のない話をしていた。でもその方がありがたいと思う。同じ班の三人に告白されて三人と付き合い始めたのだ、一緒にいてばれないはずがない。それに、同級生と付き合っているという事実が何だか気恥ずかしかった。


「聖さん、遠足楽しかったですか?」

「ま、そこそこ。美月さん楽しくなかったんですか?昨夜はあんなに楽しみにしてたのに」

「だってぇ……」


 聖の布団の上にうつ伏せになっている美月の顔は流石に見えないけれど、聖は声の感じだけで美月が不満そうに口を尖らしているのを感じ取った。腰を揉んでいたのを移動して今度は足を揉み解しながら、もしかしてと話題を振ってみる。


「海人先輩と班、一緒だったんでしょ?」


 聖たちが昼食を取ろうと適当な、屋台に並んでいる時、二年レギュラーに絡まれた。いつも煩いぐらいに付きまとってくる海人はどこか元気がなかった気がする。けれどそれを補うくらいに庄司と護が煩かったから気づかなかった。
 美月が海人のことを好いているのではないかと思ったのはつい最近だし、それまでは接点なんてないと思っていた。けれど海人も美月のことを気にしているようだし、満更でもないようだ。


「で、でも……大沢くんたちとは別れて行動してましたし……」

「海人先輩もへこんでましたよ。美月さんと一緒にいたかったって」

「本当ですか?」


 半分くらい嘘だけど、聖は何も言わずにただ頷いた。美月が嬉しそうに微笑んだ声が聞こえて嬉しくなる。けれど美月には不安もあるのだろう、帰りの車の中でも溜め息を吐いていた。マッサージを終えて聖は美月の隣に寝転がって彼女の顔を覗き込んでみた。目を眇めて何かを言いたそうな美月に微笑むと、彼女はきゅっと唇を引き結んだ。


「でも、私には婚約者が……」

「いいじゃん。学生のうちだけですよ、遊べるのは」

「……だめですよ」


 ふるふると美月は首を振り、何度か小さな声で「駄目」と繰り返した。美月の婚約者は常陸紀仁という聖と同学年の少年だ。名家角倉の名に相応しく皇族で、成人したら降家することになっている。聖は実際会ったことがないけれど、今はF組に所属しているらしい。普通なら遊びで済まされる恋愛もこの世界では済まされない。聖にとって遊びである恋人ごっこも、美月にとっては重罪なのだ。それはきっと、竜田学園に通う多くの子女が感じることのない重責なのだろう。それだけ角倉と言う名は重く、美月の責は大きい。
 搾り出すように、美月はきつく噛み締めた唇をゆっくりと開いた。


「……私は、角倉の跡取りを産むのですから」

「そう、ですね……」


 それに対して言う言葉を聖は生憎持ち合わせていない。聖は本妻の子ではなく愛人の子であり、角倉の血は流れていない。だからこの問題に口を出すことはできない。聖は美月に布団を掛けてやり、そっと髪を撫でた。
 美月に掛ける言葉を探しあぐねていると、携帯が振動して着信を告げる電子音がした。着メロなんてものは設定していない。だから誰からか分からなくて取り上げると、茜からのメールだった。『明日のお昼は予定ある?良かったら一緒に食べよう』今流行なのか絵文字が多用されていて、読むのに多少時間が掛かった。恋愛と言う遊戯を楽しんでいるようで、聖は簡単に保健室で食べようとメールを返した。保健室なら他の人間にばれる心配もないし、あとの処理も簡単だ。
 急に手が離れて不満そうな美月が見上げてくるので、聖は携帯を放って机に乗せるとにっこりと微笑んで美月の髪にそっと指を絡めた。










 昼休み、龍巳には茜と昼食を取ることを話し、一緒に食べようと探すだろうさくらや美鈴には学食に行ったと伝えてくれとメールで頼んだ。
 一足先に保健室に行って保健医の先生に甘えて誰も入れないようにお願いした。すると彼女は快く了承してくれ、代わりに目を閉じたのでお望みどおり軽く口付けてあげた。このくらいの取引はいつもやっている。保健室は聖の避難所だった。保健室か屋上、どちらかでしか肩の力を降ろせない。ここはそんな場所だ。けれど他の人間はきっとそれすらもできないだろう。


「失礼しまーす。……聖?」

「おっせぇよ」


 茜が来るまでと本を読んでいた聖は顔を出した彼女の方に視線を巡らせながら本に栞を挟んだ。コンビニの袋の隣に本を置いて手招くと、茜はやや緊張した面持ちで聖の前のソファに腰掛けた。恥ずかしげにはにかんだ笑みを浮かべるものだから、思わず聖は「可愛い」と呟く。すると、茜は頬を染めて俯いた。


「か、からかわないでよ」


 予想と反応が違って聖はただ笑って「ごめん、ごめん」と謝ることしかできなかった。いつもなら「やだ、聖ったら。そんなこと言っても何もしてあげないわよ」とか言って笑ってくれるのに。やはり大人と子供のギャップかなと考えながらコンビニの袋から期間限定のパックのジュースを取り出してストローを刺した。聖は新商品が好きだ。だからコンビニに行ってもついつい新製品で目が止まり、目的を無視して買ってしまう。今日も烏龍茶気分だったのに、レジに出したのはこのさくらんぼジュースだ。


「聖っていつもコンビニだよね。うらやましいな」

「そ?弁当の方がいいじゃん、バランスいいし」

「でも食べてみたいの。ねぇ、それ何?美味しい?」


 聖のさくらんぼジュースを指差して茜が首を傾げる。彼女は小さなお弁当に水筒持参だ。聖にはお弁当の記憶と言うものがあまりない。幼い頃、母が料理が出来なかったおかげで幼馴染の母と一緒に作っていたけれど小学校に上がる前には自分で作れるようになっていたし、今は弁当なんて重荷になるものは作ってもらわないし作ってもらったとしても温かみがないように感じた。


「これ?期間限定さくらんぼジュース。飲んでみる?」

「い、いいの?」


 何故茜が顔を赤くしたかは分からないけれど、聖はさくらんぼジュースを差し出した。茜が震える手でそれを受けとって口元に運ぶ。聖はそれを見ながら足を組み、袋の中からツナマヨのおにぎりを取り出して封を切った。コンビニおにぎりののりのパリパリ感が好きだ。


「あら聖、間接キスね」

「あ、そゆこと」


 恥ずかしそうに茜がジュースを返してきたのを受け取って口を付けると、黙って備品チェックをしていた保健医が楽しそうに笑った。彼女の言葉に合点して聖は思わずマジマジと茜の唇を見た。最近の女子中学生は色気づいて色のついたリップをしているらしい。いつも女性たちが言っていた「最近のガキは」という台詞に妙に納得できた。けれどこのくらいなら付着を気にすることもないだろう。そう思って聖は白くて綺麗なままのストローを指で弾いた。


「女の子ってそういうとこ気にするんだ?」

「……まぁ、気にするよ」

「そうそう、聖。貴方、口の端に口紅ついてるわよ?」

「貴子先生!」


 さっきから面白がっているのかクスクス笑いながら言ってくれる保健医に聖が声を荒げ、おにぎりとパックを置くとツカツカと彼女に歩み寄った。茜がはらはらとこっちを見ているけれど気にせずに彼女の白衣の襟を引っ張って顔を引き寄せた。凄んでみても、彼女の顔から笑顔は消えなかった。


「先生?面白がってるでしょ」

「聖がこんな遊びが好きだなんて知らなかったものだから」

「俺、遊びって好きだよ?でも先生は遊びじゃない」

「あら。それはおどろきね」

「俺は先生を利用してるだけ。そこんとこ、間違えんなよ」


 彼女の胸元に指を乗せて笑み、聖はぱっと彼女から手を離した。彼女を垂らしこんだのはこの場所を確保する為。それを理解しているから今も彼女は笑っていられる。
 聖はコロコロ笑っている保健医から目を逸らし、肩を竦めてソファに戻った。困惑の篭った表情の茜に掛ける言葉を探すのも億劫になっておにぎりを食べていると、一つ食べ終わる頃に茜はすこし震える声で呟いた。


「……聖って、大人だね」

「何、怯えてんの?」


 食べ終わったお弁当の蓋を閉めて飴玉を口に放り込んだ茜の僅かに震えている手を不意に握って、聖は身を乗り出した。何となく保健医の香水の匂いがする気がして自分に目を眇めながら、手を引いて茜の体を引き寄せてもう片方の手を彼女の頬に添えた。


「口直し」



 そう落とした声で囁いて、聖は軽く茜の小さな唇に触れた。触れるだけなのでなんの味も伝わってこず、ただ柔らかい感触だけが残った。ぱっと茜を見るとこれ以上ないくらい顔を真っ赤にしていて、今日これ以上進むのは無理だろうということが簡単に見て取れた。それを見ていたのだろう保健医はクスクス笑いながら、白い戸棚を指差した。


「使うなら避妊具も入ってるわよ」


 その言葉に茜が今度こそ顔を手で覆ってしまい、聖は何となくデジャヴを感じながら袋から今度はいくらのおにぎりを取り出して封を切った。同学年の女の子が何を求めているのか正直分からない。恋愛ごっこがしたいのか処女を失いたいのか、聖には判断できなかった。










 部活中も部活後もずっと元気のない海人を誰もが無視していた。レギュラーになったので部室がレギュラー専用の部室になり、そこには今一、二年のレギュラーしかいなかった。三年はまだ練習している。シャワーを浴びて着替えていると、海人が後ろから圧し掛かってきた。重さに一種んよろめいて、どうにか踏みとどまって犯人を見るとものすごくへこんだ表情をしていた。


「ひーじりー……」

「重いんで降りてくれます?」

「姫の様子はどうだったー……」


 美月は二年の間では姫と呼ばれているらしい。彼女の人柄を表したのか地位を表したのか分からないけれど、確かにそれは美月に似合っている。
 聖はちらりと海人を見上げ、とりあえず離してもらうことにして亮悟に助けを求めた。聖の上に乗っかっているものに気づいた亮悟は悲鳴のような声を上げて護と庄司に海人を除去させ、更に聖を非難させるように椅子に座らせて後ろに回って髪を拭き始めた。この人も大概過保護だと思う。


「海人も自業自得なんだからいつまでも落ち込んでないの」

「だってしょうがねぇじゃん!?俺そういうキャラじゃん!」

「あのね、キャラのせいにしない。全く不器用なんだから」


 床に座り込んでしまった海人を亮悟が厳しい声で叱った。制服の下しか穿いていない聖が流石に肌寒くなって体を震わせると、髪を拭いていた亮悟がそのままの口調で「そんな格好をしてないで服着なさい」と怒った。何となく納得いかないけれど過保護から解放されたのでYシャツを羽織ると、今度は後ろから護が聖の髪を櫛で梳かし始めた。


「うわ、ビックリした」

「でさ、実際の所どうなの?姫の様子は」

「どうって?海人先輩と同じ班なのに別行動で落ち込んでたって?」


 無視された挙句護にも質問されて、聖は半ばやけになって笑った。確かに美月は海人と行動できなかったことに落ち込んでいた。けれど、顔を輝かせた海人が妙にムカついたので真実を言おうか躊躇った。別に嫉妬している訳ではない。聖と美月は恋愛感情とは別のもので結ばれている。姉弟という切れない絆で。


「嘘だけど」

「……嘘かよ……」


 言ってみると意外に海人がへこんだけど、もう一度聖は「嘘」と言ってやった。すると訝しむように視線を上げた海人だが聖が髪を三つ編にされて護に向かって切れた頃漸くそれが真実らしいことに気づいて表情を明るくした。


「うわ、嬉しいんだけど!これって脈あり?脈ありだよな!?」

「煩いな。落ち込んでた方がマシだったかもね」


 直治の少し棘の含んだ声に亮悟が苦笑しながらも頷いた。それを目撃しながら海人はあからさまに落ち込んで見せたけれど、彼らのは戯れだと分かっている。いつか自分もこんなチームになれるのかと聖は漠然と考えてしまって思わずチームメイトを振り向くと、みんな黙って頷いてくれた。


「でも海人って好きな子イジメちゃうタイプだもんなぁ?」

「うっせ」

「うわ、ガキ」

「お前には言われたくねぇよクソガキ!」


 だからか、と聖は口の端に笑みを刷いた。美月が落ち込んでいるとき、何かあったのかと訊くといつも「大沢君に言われた」と落ち込んでいる。今まではただ普通に意地悪されたことに落ち込んでいると思っていたけれど、結局は海人に言われた事を気にしていたのか。聖がにやりと笑うと、その瞬間海人が食いついてきた。


「何!?聖!姫なんか言ってた!?」

「べっつに。ただ美月さんお嬢でイジメられなれてないし」

「俺の馬鹿ー!」

「そもそも婚約者いるし」


 言うと、二年レギュラー全員が頷いて口々に「あの皇族の坊ちゃんだろ」「海人とは比べ物にならない身分だけど」「そもそもいじめっ子」と海人の耳元で囁き始める。海人は耳を塞いで聞こえないようにしていて、その光景を見ながらどうして美月さんはこんな人を好きになったのだろうと純粋に疑問が浮かんだ。
 耳を塞いでしゃがみこんで、海人が恨みがましさを込めた割りに優しい顔で聖を見た。嫌な予感がして聖は顔を逸らしたけれど、逃げる準備すら出来ずに後ろから抱きしめられた。


「聖くん、今夜の宿は?」

「知り合いのバー」

「家来る?」

「いらない。苦しい」


 海人にさらっと言い捨てて、聖は亮悟に助けてという視線を送った。すると亮悟は瞬間的に海人に離れるように怒る。喚く海人にばれないように舌を出して、聖は鞄に荷物を詰め込んでポケットにケータイを突っ込んで、逆のポケットに煙草とライターが入っていることを確認した。





-続-

常陸紀仁(ひたちのりひと)

新商品は一通り試してみたいです。