浜崎家は平安のそのころ、神託賜る家計として天皇の側に侍ていた。安部清明の血を組んでいると言われておりかつては神力にも定評があった。それは化学力が発達した今でも変わらず、神託を受ける機会は皆無だが天皇の側に相談役として侍っている。その浜崎家は平安のころからあったと言われる屋敷だった。


「葵坊ちゃま。ご学友の方々の個室もご用意しておりますが、本当にこのような場所でよろしいのですか?」

「いいの。構わないから用がないなら下がれ」

「皆様、どうぞごゆるりとお寛ぎください。何かありましたら遠慮などなさらず何なりとお申し付けくださいませ」

「はぁ……ありがとうございます」


 浜崎家で豪華な夕食をご馳走になり、一年レギュラーは大きな部屋にまとめて布団を敷かれていた。畳だから何の違和感も無いのだが、そういう問題じゃない。このパジャマパーティみたいな光景は一体何なんだと聖は思わず溜め息を吐いた。すると葵がぱっと顔を寄せてくる。


「聖?この部屋気に入らない?」

「そういう問題じゃなくて……もういいや」


 金持ちには理屈なんて通じない。それが聖が竜田学園という金持校に通っていて気づいた事実だ。他人に言えば聖の方が金持ちだと喚くが、聖の感覚はそれ以前に培われたものだ。決して角倉にも学校にも感化されていない。角倉に感化されるのは絶対に嫌だったし、学校は好きじゃなかった。ただいつも漠然と金持ちの思考は元から違うんだと思っていた。そしてそれは今日最たるものだと思った。


「ぼく、パジャマパーティってしてみたかったんだよね」

「着物だけどな」


 にこにこ笑って羊のクッションを抱えた葵に龍巳が冷静に突っ込んだ。やはり屋敷が純日本だからだろうか、着替えも普通に着物が用意されていた。角倉の家で着慣れているので特に問題ないし龍巳も家で着慣れているらしく手際よく着ていたが、晃と寿季はあまり経験が無いのか手間取っていた。そんな格好で布団が5枚敷かれているのはおかしいと思う。


「ところでさ、彼女とはどう」

「何、聖彼女いんの!?」

「……どっから知ったんだよ」


 クラスの子だよねとニッコリ笑った葵が布団に寝転んで言ったので寿季がぎょっと目を見開いてこちらににじり寄ってきた。葵の顔からすれば大抵のことはばれているだろうから黙秘する意味は無いだろう。彼らには少しだけ正直になってみようと思う。少なくともそれで拒絶されることは無いはずだ。数ヶ月付き合って、確信できた。
 だから聖は足を投げ出して口の端を引き上げた。不意に龍巳と目が合って、思わず逸らしてしまった。


「いるけどさ」

「陰謀の匂いがするねぇ。三股かけてる聖から」

「三股ぁ!?」


 葵の笑顔が怖いと今日初めて思った。にこにこと純粋そうに笑って全てを知っているなんてまるで直治のようだ。彼は手札が多く情報を集めるのが得意だ。恐ろしいことに人の弱みを握ることも得意なので逆らったらいけない。それに対して葵はどこから情報を得たのだろうか。まさか神託ではないだろうか。
 聖が微妙な顔をして黙っていると、葵はさも面白そうに笑った。


「別に神託とか超能力の類じゃないよ。真土先輩に聞いたの」

「直治先輩も知ってんのかよ」

「あの人なんでも知ってるよね。で、どう?」

「どうって何が?」

「クラスメイトと三股やってまだばれてないの?」


 直治先輩が知ってるなら亮悟先輩も知ってるんだろうなと聖は不満そうに口を尖らせた。自分の荷物から何気なく煙草とライターを引っ張り出そうとしたら、昨夜もらった包みが出てきた。中身の形に歪んだ袋は昔見たのと同じ袋だった。


「ばれるほどのことしてないし」

「ばれるほどのことって何だよ!?聖のハレンチ!!」

「ハレンチって……」


 呆れたように聖が吐息と一緒に吐き出して包みを開けた。シルバーメタルの灰皿が出てきて、それは綺麗とは言いがたいけれどとても彼らしいと思った。一緒に髑髏柄の携帯灰皿も入っていて、灰皿を使うのも大きいので携帯灰皿を残して灰皿は袋に仕舞った。煙草を一本引き出してけれど吸う訳でもなく手元で遊ばせながら、結局最近誰とも寝てない事実にびっくりした。そろそろ彼女たちの誰かと寝てもいいころだろうか。


「聖って初めてエッチしたのいつ?どうだった!?」

「……うざ」

「あぁー!本気でウザがってる」


 寿季に重ねて問われたので聖は鬱陶しそうに目を眇めて煙草を口元に運んだ。けれど銜える前に晃からお茶を差し出された。吸うんじゃなくて飲めってか、と聖は一瞬顔を嫌そうに歪めたけれどすぐに思い直して湯飲みを受け取った。煙草はケースに戻してある。今日はもう、吸うことはないだろう。


「聖、お腹空いたら言ってね。すぐ用意させるから」

「お前らさ、俺が口に何か入ってないと煙草吸うと思ってるだろ」

「うん。煙草体に悪いから控えてね」

「で、彼女とはどうなんだ?」


 葵が飴玉を差し出してくれたので、聖はそれを口に含んで布団の上に寝転がった。苺の味が口の中に広がり、久しぶりに食べたそれは妙に懐かしくて美味しかった。
 話が折角変わったと思ったのに、晃がさらっと戻してくれた。折角話が逸れたのにと聖が睨みつけるけれど、彼はしれっとそっぽを向いただけだった。どうしてこいつらはこういう話題に食いついて来るんだか。


「彼女って言っても俺のこと好きなわけじゃないだろうし」

「町谷さんだっけ、あからさまに角倉の名目当てだよね」

「知ってんなら聞くなよ」

「あと大石さんだっけ?角倉傘下の娘さん」

「そーそ。俺に媚売ってパイプを太くしようとか思ってるんだろ」

「聖って本当、利用価値あるから」


 葵が笑ってごろんと転がってきた。すぐ隣に肩を並べて甘えるように体を寄せてきた。口では辛辣なことを言いながらもその声音からも表情からも厭味さなどは伝わってこないで親しさから来るからかいのように感じられた。きっともう、彼らには心を許している。


「大変だなー、金持ちって」

「ほんと」

「聖だって金持ちだろが」

「俺、昔普通に貧乏だったけど」


 さらりと聖が言った言葉に寿季がギョッと目を剥いた。知っているはずの事実に対するこの反応は聖がさらりと言葉にしたからだろうか。角倉に引き取られる前、聖は新宿に住んでいた。新宿でも狭いアパートで母と幼馴染と一緒に住んでいた。そのころはスーパーの特売をチェックしたりこまめに節約したりと大変だったけれど楽しかった。あの時の大変さと今の大変さを比べたら、昔の方がはるかにいい。
 昔の話を軽く話すと、寿季は共感したようにしきりに頷いていたが晃も葵も不可解な顔をしていた。彼らにはスーパーなんて未知の世界だ。龍巳にいたってはこの煩い中すでに寝ていた。


「聖って本当昔から女に囲まれてたんだね」

「母親と幼馴染は女じゃないと思うんだけど」

「女だよ。だから聖って女の子みたいなのかも」

「どこが?」

「所作の柔らかさが女の子みたい」

「……勝手に言ってろ。もう寝る」


 会話がバカらしくなって、聖は布団を被った。周りから笑い声が聞こえたけれど、反応しなかった。布団を被っても眠れないので周りが静かになるまでずっと黙っていた。頭の中には、かつての幸せだった日々がフラッシュバックして再生されて胸を苦しくさせた。










 翌日学校に行って知ったのだが、亮悟が倒れたらしい。部活の時間に亮悟が休んでいるからおかしいと思って直治に聞いたら「昨日の夜中に倒れたって朝連絡が来たよ」とさらっと言われた。その後に心配するなとばかりに隣にいた護に頭をくしゃっと撫でられたので余計心配になって亮悟の家を訪れた。
 宍原家にはよく泊まりに来るので勝手を知っているしお手伝いさんたちとも仲がよい。聖はすぐに通してもらうと亮悟の私室のドアをノックした。


「亮悟先輩、入っていい?」

「……聖?」


 ドアを開けると、ベッドから体を起こした亮悟と目が合った。顔色が青いのは気のせいなんかじゃない。聖が遠慮がちに入って彼の枕元に立つと、亮悟はにこりと笑ってベッドの上を叩いた。それに促されて聖は荷物を降ろしてベッドに座る。


「ごめんね、心配かけて」

「……ごめんなさい」

「何を謝ってるの?」

「俺が心配かけたから、悪化したんだろ」


 亮悟の病気にはストレスとか疲れとかが深く関係していると直治が言ってくれた。その後でそれが聖のせいだとも言葉にしてはいないけれど言外に告げた。一言謝れば気が済むわけじゃない、けれど謝らなければ気が済まなかった。亮悟に許されれば全てが許されるような、そんな気がしていた。


「聖のせいじゃないよ。僕は聖のこと重荷に思ったこと一度もない」

「………」

「聖のせいじゃないんだよ」


 くしゃくしゃと髪を撫でられて、聖はほっと息を吐き出した。沈み込んだ肩に亮悟が笑った気配がしたけれど顔を向けることができない。自分はむしろ許されたかったのだ。許されて自分は悪くないのだと自己の無罪を確認したかった。それは何と浅ましい行動なのだろうか。そんな自分に吐き気は催せど笑おうなんて思えなかった。


「聖?泣きそうな顔してるよ。何かあった?」

「何もない、大丈夫」

「そう。昨日は浜崎君の家に泊まったんでしょ?話聞かせて」

「……今日泊まっていい?」


 俯いて言うと、亮悟は微笑んで頷いてくれた。制服姿の聖を上から下まで見てお風呂入っておいでと促した。聖が踵を返すのとほぼ同時に使用人に言いつけて聖の着替えを出させる。その口調は自己の物に対する言い方のようで、葵のそれを思い出しながら少しだけ眉を寄せた。


「……すごいな、金持ち」


 慣れた風呂に浸かって、聖はぼんやりと高い天井を仰いだ。深い息を吐き出して、これからの先に不安を馳せる。徐々に自分は変わり始めている。それはやっと自覚し始めた。笑えるようになった、言葉を素直に発せるようになった。けれど変わることが怖いと思う。それは条件反射のように今までの自分を壊しているようで、今までも守ってきたものをこれからも守れるだろうか。妙な不安に胸を掬われ、立っているのが本当は怖くなっている。ただ、周りに支えてくれるように立ってくれているからまだ強がっていられる。


「いつまでこんななんだろな、俺」


 言葉にすればその分自分の中に沁みこんでいく。自分は亮悟のもとに逃げてきた、それはちゃんと理解している。いつまでも逃げているのは分かっている。いい加減に逃げるのをやめたい。もとから逃げるのは性に合わない、どんなに不利な状態であろうと立ち向かうのが性に合っている。だから現状にイライラしているのは事実だ。けれどいつまた挫けるかわからないから、どこまで意地を張れるか分からないから。負けるのを恐れで勝負を仕掛けることができない自分に腹が立った。





−続−

龍巳さんがよく寝てます。