よく晴れた日曜日、体育館に行って自分のロッカーを見たら真新しいユニフォームが入っていた。先日から言われ続けてきた練習試合は、専用体育館で行われる。他校生を学園の本敷地内に入れるのは危険だという配慮からだそうだが、警戒の仕方が分からない。今日だって、数人の警備員が体育館の内外を警備している。


「警備の意味が分からない」

「聖、用心しないと誘拐されるぞ」


 たかだか練習試合でどういうことだと思って着替えながら呟くと、となりで晃が僅かに笑った。それを半眼で軽く睨んで黙らせる。誘拐なんかされてたまるかってんだ。
 月曜日に亮悟の家に泊まってから、聖は角倉に帰る気を完全になくして一度も帰っていない。教科書はすべて部室に置きっぱなしだから問題はないが、海人の家とSodomに厄介になりあとは町で喧嘩して倒れるような生活を送っていた。おかげで顔にはまだ治っていない傷がまた増えた。


「そういえば、明日は授業参観があるだろう」

「そんなのあんの?」


 ユニフォームの上にジャージを羽織り、聖がきょとんと晃を見た。普通の私立は土曜に授業があるが、竜田は変則的に隔週で補習があるだけだ。今日は授業のない週なので練習試合が組まれた。それは知ってはいるけれど、明日が授業参観なんて始めて知った。そんな話、一体いつ誰がしていたのだろう。


「ずっと言ってただろうが。うちは理科と家庭科、数学英語だぞ」

「……木曜授業か。いつ言ってた?」

「この間の家庭科の授業は授業参観について話してただろ」

「知らなかったし」


 横から呆れたように聖と同じジャージを羽織った龍巳が口を挟んできた。聖が記憶を思い起こしても家庭科の時間に授業参観の話をした記憶はない。やったことといえば班で次回の調理実習の手順についておさらいしたくらいだろうか。肉じゃがを作るらしいということは理解しているが、参観されるとは思っていなかった。そもそも最近家に帰っていないのに、大丈夫だろうか。


「はい、そろそろ集合して」


 髪を手櫛で梳きながら話していると、直治にパンパンと手を叩かれて話を切られた。そろそろ始めるとばかりに部室から追い出そうとするので、聖は髪をハーフアップに結い上げながら仲間と共に部室を出る。すでに外にいた一般部員は準備の真っ最中だったようだ。体育着を着た敦たちと調度目が合ってしまい、思い切り睨みつけられた。


「わお、完璧に聖嫌われてるね」

「ンなこと言われても俺なんもしてねぇじゃん」

「逆恨みだろう」


 一般部員は試合ができないという訳ではないが、ユニフォームは与えられない。レギュラーだけが三学年共通のユニフォームを与えられる。ジャージもレギュラー専用のもので一般部員からは羨望の眼差しを向けられる。それを敦はあからさまに睨みつけてくる。聖にとってはイチャモンに過ぎないので、軽く無視することにした。構ってやっていいことなんて何もないだろう。


「少しアップした後、二、三年が上で試合をします。一年は下のAコート使ってね」

「一般部員はアップの後下の残りコート使ってくれ。応援は任意だ」


 豪快に笑った部長に、全員が本当に任意でいいのか疑問を浮かべた。けれどすぐに思い当たる。応援なんていらないんだ、彼らは。そんなものがなくても簡単に勝てると言外に誇っている。もしかしたら驕っているのかも知れないけれど、少なくともそれに見合う分の実力を有している。
 相手が聞いたら怒るよなと思っていると解散のの号令がかかり、一年レギュラーは軽くコートの周りを走ることにした。その間に一般部員が各自練習したりを始める。


「今日の作戦とかって考えねぇの?」

「いらないだろ、そんなもん」

「いや、いるっしょ」


 コートの周りを軽く流して体を温めていると、入り口の扉が開いて数人見覚えのある部員が入ってきた。その後からぞろぞろジャージ姿の学生が入ってきた。これが試合相手だろう。その証拠に上から降りてきた勝春と直治が挨拶をしている。


「公立の学校ってジャージ微妙な色だね」

「公立関係ある?」


 葵の言うとおり、彼らのジャージは傾向の青に似た色をしていた。対して竜田のジャージは黒と赤のデザインだから生徒の評判もいい。それ以前に公立はジャージで行動しているが竜田学園では制服で行動が基本だ。ランニングを終わりにして適度にボールになれるように三年の部員に相手をお願いして軽く試合形式のアップをした。


「一年レギュラーちょっとこっち来い!」


 始めたばかりに勝春に呼ばれ、五人は一斉にお互いに顔を見合わせた。一体何かあったのかとボールを先輩に投げ渡して小走りに掛けていくと、二、三年のレギュラーも全員集合していた。駆け寄った瞬間に聖は頭を海人と庄司にかき回される。


「わっ、何?」

「悪い、予定変更だ。お前らも上」

「はぁ、分かりました」


 相手が思っていたより人数がいた為下をアップと一般部員用にして上でレギュラーが試合をするらしい。相手は関東でも名があると言われていると護が脅し代わりに教えてくれたが、誰一人として顔色を変えていない。一年レギュラーにとって一番強いのは竜田のレギュラーであり、それ以上に畏れるものは何もない。そして聖がいれば勝てると思っている。
 じゃあ行くかとばかりに三年が踵を返したので、それに倣って聖達も踵を返した。その瞬間、知っている声に名前を呼ばれた。


「聖!?」


 思わず振り返ってみると、相手の集団の中からあまり背の高くない少年が飛び出してきた。その顔をまじまじと見て、見たことのある人物だと思い当たる。けれど名前は出てこなかった。考えているうちに駆け寄ってきた彼が聖の手を握って細い目を更に細めて笑った。


「やっぱ聖だ。俺のこと覚えてない?健二」

「健二……健二!?うわ、久しぶり」

「久しぶり!聖ってばいきなり転校しちゃうんだもん。でもそっか、竜田学園だったんだ」


 名前を聞いて思い出した。胸の内に押し込めて忘れた振りをして仕舞い込んだ記憶の彼に思わず聖は過去と同じように無邪気な笑みを向けた。周りが見えなくなるほど懐かしくて嬉しくて、はしゃいでしまった。


「タクたちは?あいつらも元気?」

「元気元気。あいつらはみんなサッカー部。聖相変わらずママ似で可愛い!んでもって格好良い!」

「あったり前だろ。俺を誰だと思ってんだ?」

「あれ、聖背ぇ伸びた?……あ、オレのが高い!」

「うっそ、マジかよ。成長しやがって!」

「……あの、聖?」


 思わず過去の話で盛り上がってしまい、遠慮がちに亮悟に声を掛けられて聖は我に返ったように振り返って一瞬顔を歪めた。やってしまった、はしゃいで浮かれてしまった。最もばつが悪い状況を自分で引き起こしてしまったことに、奥歯を噛み締める。けれど護は容赦なく笑顔を浮かべた。


「そちらはだーれ?」

「……友達、です」

「へー。トモダチ」


 何か含みのある言い方をされて、聖は視線を床に落として顔を歪める。彼らにとっては公立校の友人と言うのはあまりいいものではないのだろう。それに彼らに見せたことの無い表情を見せてしまった。なんだか見られたくないものを見せてしまったようで顔を上げられなくなった。
 けれど次の瞬間優しく背を軽く叩かれて聖は思わず顔を上げた。目の前では亮悟が優しく笑っている。


「お友達は大事にするんだよ」


 やはり自分は、亮悟に許されたがっていた。きっとそれが彼の心労に繋がっているのだろう。そう考えるととても辛かったけれど心は軽くなった。思わず泣きそうな顔で亮悟を見つめると彼は聖の頭を数度撫で、チームメイトを睨みつけた。聖が黙っていると、寿季が急に抱きついてくる。


「俺たちも大事にしてねー!」

「ウザイ重い離れろ」

「聖、そういうツンデレやめようよ。もうちょっとデレが欲しいよ」


 寿季に冷たい声で言い放って、聖は微笑んだ。絡み付いてきた寿季を足蹴にして引き剥がして健二に向き直って笑って見せた。少し紹介するのが気恥ずかしい。これは彼に対しての羞恥ではなく、仲間たちに対する羞恥だ。そしてそれを感じる自分はやはり変わったんだと自覚した。


「こいつら、今の仲間」

「そっか。村上健二です、よろしく!」


 昔は友達がいっぱいいて、友達だということに憚りはなかった。それがいつからか言葉にできなくなっていつからか恥ずかしかった。けれどそれは全てが変わったから。そして自分の中に今尚昔の感情が息づいていることを知った。結局、根本の筋は変われないのだ。


「よーし、お喋りはそのくらいで上行って試合するぞ」


 一段落吐くのを待っていてくれたのか、勝春が笑って体育館のくせにやけに豪奢な全員で階段を上がった。その間、聖はかつての友達に囲まれて笑っていた。それを見て目を眇めた葵を、聖は知らない。










 相手のレギュラーと三年レギュラーが試合しているのを見ながら、聖はポケットに手を突っ込んでしゃがみこんでいた。相手校は応援が盛んに行われていて、代わりにこちらは応援なんていない。二年は興味無さそうに練習しているので、一年レギュラーしか試合を見ている者はいなかった。


「ひーじり。どったの、一人で」

「お前こそ応援は?」


 壁に背を預けるようにして座っていたのでそのままズルズルと座り込んだ。隣に立った健二に聖は視線だけを送ってから視線を試合に戻した。あっちは全員一致で応援しているというのに、一人だけ抜けて大丈夫なのだろうか。


「やっぱり竜田て強いね。聖もバスケ上手いし、レギュラーじゃないの?」

「ユニフォーム着てるじゃんよ」

「だよね。……聖、変わったね」

「言うなよ」

「いいじゃん、オレ聖のこと大好きだし。今度連絡するよ、アドレス教えて?」

「後でいい?」

「オッケー。さ、聖のお仲間のお坊ちゃんたちがこっち見てるからオレそろそろ戻るね」

「おー。じゃあな」


 壁から背を離し、健二は笑って聖に手を振った。妙に煙草が吸いたくなって、聖は思わず唇を舐めた。代わりに深く息を吐き出して近づいてきたチームメイトにぎこちない笑みを浮かべる。隣に龍巳が背を付けて並んだ。けれど黙っているので、聖のほうが耐えられなくなって口を開く。


「いいたいことあるんなら言えよ」

「別に」

「気になんじゃん」

「別に何でもねぇよ」


 口を開いても会話にならず、聖は諦めて溜め息を吐くと立ち上がって近くに転がっていたボールを拾い上げた。それを数度弾ませて、龍巳の方に投げると龍巳は少し慌てたように受けて聖を見た。聖が黙って空いているコートに歩き出すと、その意図を理解したのか龍巳もドリブルしながらコートに向かう。
 その時、試合終了のホイッスルが鳴って三年レギュラーの勝利を告げた。次は二年の番だろうか。


「余裕で勝ったな」

「先輩たちが負ける訳ねぇじゃん」

「一年レギュラー集合!」

「俺たち?」


 二年だと思っていたのだが集合をかけられ、思わず聖と龍巳は顔を見合わせた。けれど体育館内を見回して二年レギュラーの姿が見えず、聖は一瞬背筋が寒くなった。
 ジャージを脱いで集合してすぐ、審判をやる二年の一般部員の先輩に不安な顔を向けてしまう。レギュラー陣はどうしたのかと訊くけれど、彼の答えはハッキリしなかった。代わりに心配しなくていいから試合に集中しろと諭されてしまう。


「……亮悟先輩」

「聖?」

「さっさと試合終わらせよーぜ」


 最近体調が悪そうだった亮悟に何かあったのではないかと妙に不安になってしまい、聖は僅かに顔を青くしながらも試合の開始を急かした。その意を汲んでくれたのか、先輩が速やかに試合を開始してくれる。
 初めのジャンプボールを取られたものの、珍しく本気になった聖が一度相手からボールを奪うと速攻で一度ゴールを決めた。


「聖、パスパス!」


 三人に進路を阻まれて聖が一瞬足を止めると、その隙を突いて寿季が手を上げた。声の方に目も向けずにボールを出して相手を抜いて再びボールを受け取って、そのままレイアップでシュートを決める。ザンと静かな音を立ててネットが揺れると、いつの間にか集まって来た一年一般部員が歓声を上げた。
 再びボールを取ってガンガン攻める。器用にボールを出すけれどパスした先でもたつくので、聖は軽く舌を打ち鳴らすと半ば無理矢理ボールを奪ってゴールに持ち込んだ。


「聖!独りプレーすんなって何度言ったら分かんだバカ!」


 突然聞こえた声は、海人のものだ。思わず走りながら視線をそちらに向けると、二年レギュラーが揃って壁にもたれて立っていた。亮悟もジャージ姿で微笑を浮かべている。彼の顔色が別段悪い訳ではないことに安堵して、聖は思わず足を止めた。ここぞとばかりにボールを奪いに来た相手を軽くいなして、龍巳にボールを渡した。
 結局、デビュー戦でもあるこの試合に二点差で勝利を収めた。





−続−

聖さんはどこまで亮悟先輩が好きですか