試合の翌日に授業参観というのはどうかと思うけれどそれを知らなかったのは聖だけのようで、昨夜のうちに茜からもさくらからもメールが来た。彼女たちから情報を聞き出していたので今特に混乱することがない。持参させられたエプロンをかけて、聖はいつになくウキウキしていた。エプロンをするのが久しぶりだということもあるけれどそれ以上に、今日作るものが金持校の家庭科の実習の割には肉じゃがなのだ。肉じゃがは聖の得意料理だ。


「なんだか聖くん嬉しそう」

「そんなことないって」


 美鈴に簡単に見破られて聖は微笑んで首を傾げた。授業がはじまるこの十分をこんなに長いと思ったのは初めてだった。待っているのは休み時間と言うよりも保護者の到着を待っている時間のようだった。ぞろぞろと入ってくる高そうな衣服を纏った男女にその度に生徒が駆け寄っていく。


「そういや誠は?」

「知るか」


   五人の班のはずなのに誠の姿が見えず聖は辺りを軽く見回した。いつもなら「若!」とずっと隣にいて煩く喚いているくせに今日に限って親の迎えにでも行っているのだろうか。しばらく待っている間に舞依と美鈴が各々席を立った。舞依の両親だと思われる男女と一緒に勝春の姿もある。


「お兄ちゃん何やってんの!?」

「舞依の授業参観」

「さっさと教室に戻れ!」

「舞依のケチ!聖、龍巳。舞依のことよろしくなー」

「ケチじゃない!さっさと行かないとチャイム鳴るよ」


 一通り騒いだ後に渋々家庭科室を出て行った勝春の背を見送って、聖と龍巳は思わず顔を見合わせた。先輩たちはレギュラーになると途端に親しく名前で呼んでくれる。人数が多いから覚えられないのだと言っていたので、レギュラーの特権のようなものだ。いつの間にか名前で呼ばれることにも慣れてきて、本当に仲間なのだと言う気がしてくる。
 ふと自分の名前が聞こえた気がしてそちらを見れば、美鈴が両親にこちらを指差していた。歩み寄ってくるので思わず聖も立ち上がる。


「お世話になっております、町谷と申します。角倉の若様におきましては……」

「あの、そんな堅苦しくなくていいんで……」


 授業参観のこんなときにそんな挨拶されても家に帰る気がないから他の人間に伝えることなんてできやしない。もともと伝えようと思っても伝えられないが聖は反射的に思って顔を引きつらせた。聖のあからさまに困った顔に彼らも手短にこれからもよろしくと言う旨のことを述べて下がっていく。残った美鈴が申し訳なさそうな顔をしているのでとりあえず気にしてないというふうに微笑んでやると、彼女は安堵したように笑った。
 丁度チャイムが鳴り始めた時、板前姿の誠が駆け込んできた。聖はまず板前姿に驚いたけれど龍巳は見慣れているのか特に驚きもせずに目を眇めただけだった。


「若、頭がお越しです!」

「何でだ!?俺は教えてないはずだ」

「ツメが甘いんだよ愚弟が。お前に聞かなくても森の親父に聞けば一発だ」

「チッ」


 顔に虎の刺青を刺れた人間を校内にいれるのはセキュリティ上問題は無いのだろうか。聖は一瞬疑問を浮かべたが、誰も文句を言わないのでそれ以上考えることをやめた。けれど彼の周りには数人のヤクザ然とした人が付き添っている。周りのセレブたちが距離を置く気持ちはよく分かる。
 チャイムが鳴ったことだしと家庭科担当の教員が扉を閉めて、教壇に立った。そう入っても前回の授業で何をするのかこちらは把握している。聖はエプロンの上で数度拳を解し台の上の食材に微笑む。やっぱり金持校は材料が良い。


「今日は庶民料理を保護者の方に振舞いましょう」

「若、ここは森の跡取のこの私にお任せを!」

「待った。俺にやらせろ」

「角倉貴様!若の何を狙っている!?」


 誠はいつだって見当違いだ。聖は正直にこいつどうしようかと思った。いきなり怒鳴りあいが始まったので教室中が一瞬静まり返って一気に注目を浴びた。けれど誠は気にせず「若の右腕は私のものだ!」とか喚いているからこっちが恥ずかしい。どう対処したものかと思ったら、龍巳が唸るような低音で誠を諫めた。


「バカ言ってんじゃねぇよ。別々に作ればいいじゃねぇか」

「若!格好いいです!!」


 誠が黙ったと思ったら今度は砂虎の取り巻きが声を揃えて合唱した。最近のヤクザってこんなもんなのだろうか。けれど彼らも盛り上がりは一瞬で、龍巳が睨みつけるとすぐさま口を噤んだ。それを見て砂虎だけが豪快に笑うけれど龍巳は完全に無視して腕を組んでいただけだった。


「九条院の血は争えねぇな」

「全くですよ、九条院砂虎」

「おう、ぜんちゃん」


 教壇に立っていた教員はいつの間にか砂虎の隣に移動していて親しそうに話しかけた。砂虎も軽く笑っている。一体この学校はどうなっているんだか。
 聖はとりあえず気にしないで肉じゃがを作ることにした。ジャガイモの皮を剥きながら教室内の会話に耳を向けていると、砂虎が学生の時からあの教員は家庭科教諭をしていたらしい。九条院砂虎も校内では有名だったようで、話が弾んでいる。


「聖くん、私たちは何をすればいい?」

「ん?あー……じゃあたまねぎの皮よろしく」

「うん、これむけばいいんだよね」


 舞依と美鈴に玉ねぎの皮を剥かせながら、聖はふと過去幼馴染と台所に立ったことを思い出した。どうせ龍巳は直治に話を聞いて昔のことを知っているはずなので、聖はジャガイモの処理をしながら口ずさみ程度に口の端に乗せてみた。


「新宿に住んでた時にさ、母親が働いてたから俺が飯作ってたんだけど」

「あぁ」

「肉じゃが作ってたら幼馴染が手伝うって来たから玉ねぎ剥かせたわけよ」


 一つ年下の幼馴染はいつも聖の後を付いて回る泣き虫だった。その分聖が彼女を守ってあげなければと思うことが強く、強くあった。あの時は聖が六つくらいのときだっただろうか、人参嫌いだから入れるなとか甘くしろとか、我がままを言った挙句にお決まりの文句があった。


「聖くん、玉ねぎの皮ってどこまでなの?」

「は?」


 過去を思い出しているときに同じような台詞を聞いて思わず聖は間抜けな声を漏らしてその声のほうを見た。美鈴が玉ねぎを半分くらいのサイズにして涙目になっている。聖がしていた話は六年ほど前で、幼馴染は五つだった。それと同じ言葉が今聞けるとは、金持ちは怖い。聖はどうしようかと思ったけれど六年前と同じ対応をすることにした。美鈴からたまねぎをやんわりと奪うと優しい口調で諭すように教えてやる。


「玉ねぎってのは茶色いの一枚剥けばいいんだよ。それ以上は食えるからさ」

「そうなんだ。目が痛いよぉ」

「俺やるから座ってな」


 そう言って舞依からも取り上げると手早く玉ねぎを切って端に避けた。さっさとジャガイモも処理して、鍋に放り込む。慣れた過程なので体が勝手に動くような錯覚を起こす。美鈴よりも器用に玉ねぎを剥いていた舞依に焦げつかないように鍋を任せ、人参に手を出した。厚さを均等に切る。


「花の形だ、可愛い」

「この方が食べやすいだろ」

「残った部分はどうする気だ?」

「ミキシングしてパウンドケーキに気でも入れれば食うだろ」


 幼馴染は人参が嫌だと食べなかったけれどペーストにしてケーキに入れれば食べたし、花形に繰りぬけばまだがんばって食べてくれた。そのくせでついつい花形にして鍋に放り込んだ。ここで一段落とばかりに聖はなぜかテーブルに載っている林檎に目を留めた。


「誠、林檎使うのか?」

「いや、使わないが」

「じゃあ俺がもらおっかな」


 にこりと微笑んで、聖は林檎を手早く洗うと包丁を入れた。器用に林檎に耳を残してウサギを作り、待っている舞依と美鈴の前に出してやる。すると彼女たちは楽しそうに顔を綻ばせた。










 最近の料理器具は凄い。圧力鍋を使って聖は感動した。味を濃い目に作れば短時間で美味しい肉じゃがが完成するのだ。今まで時間をかけていかにガス代を節約して煮込むかに賭けていたのに、これ一つで万事解決だ。
 完成した肉じゃがを小鉢に移したていざ保護者に振舞おうとなったとき、教室中がざわめいて思わず聖もそちらに視線を移した。


「これは、角倉様。いつもお世話になっております」

「弟君にもお世話になっているようで」


 教室に入ってきたのは、角倉澄春その人だった。普段病気がちで臥していることが多いのにこんな人ごみの中に出てくるのは珍しい。美月の様子でも見に来たのだろうかといらない思案を巡らせて見たりする。昔は澄春と美月は仲が良かったようだし今も美月は澄春を慕っている。今は敬遠しているようなところがある澄春もやはり美月の様子が気にならないはずもない。


「聖くん、良かったね。お兄さんが来て」

「………」


 美鈴が微笑んだのは気配で分かったけれど聖には返事する余裕がなかった。思わず凝視している先には兄と義母、そして優一の姿がある。彼もどうせ角倉の名が欲しいだけだから権力者に直接媚を売っているのだろう。数言言葉を交わしてから、優一がこちらに駆け寄ってきた。


「坊ちゃん、角倉様がお呼びです。坊ちゃんお手製の料理を自慢しておきましたよ」

「あ、あぁ……」

「聖」


 優一に促される形でエプロンを外し始めると龍巳に妙に切羽詰った声で呼ばれた。何だよとばかりに振り返ると、本当に「大丈夫か」と聞かれた。本当はあまり大丈夫ではない。最近家に帰っていないから負い目があるとかではなく妙な圧力を感じるのだ。けれど聖は気丈に笑った。


「心配すんな。大丈夫だって」


 笑って小鉢を持ったけれど、一歩近づくたびにその笑顔は引きつっていった。そんなに離れていないはずなのに兄の前に来ると貼り付けたはずの笑顔は自分では感じられなかった。ただ救いなのは、その隣に義母がいることだろうか。彼女は愛人の子だと言われている聖にも良くしてくれている。


「兄上、このような所に……」

「聖の様子を見に来たんだ、ちゃんとやっているようだね。これは聖が作ったのかな」

「……はい」


 聖が視線を落として返事をした瞬間、一瞬の沈黙があった。聖の視線の先にあった色鮮やかな人参がスローモーションのように宙を舞い、一瞬後に陶器の割れるガシャンと言う音の後に続いて聖の視界から消え失せた。一瞬何が起こったのか理解できなかったけれど、「聖さん!兄様!?」という美月の悲鳴のような声で我に返った。さっきまで持っていた小鉢が、床に落ちて割れていた。


「兄様、何をなさるんですか!」

「聖。中途半端なことをするなと何度も言ったはずだ」

「……はい」


 冷たい兄の視線に聖は機械的に返事をしてしゃがみこんで小鉢の破片を拾い始めた。美月が付き添うように聖の背を撫でるけれど、聖は唇を軽く噛んで何も言えなかった。どうせ自分は中途半端だ。全てに置いて何もできない。そんなこと、自分が一番分かっている。


「おい、角倉だか何だか知らねぇがやっていいことと悪いことがあるんじゃねぇのか」

「若!」


 聖がのろのろと片付けをしていると急に視界が翳った。重い首を上げる前に龍巳の低い声が聞こえてくる。誠の声もしたと思ったら、ちりとりが差し出されたので聖はその中に破片を入れた。少し形の崩れた人参をちりとりに乗せて立ち上がると、兄の冷ややかな視線に射すくめられる。


「聖。仮にも角倉の人間なら付き合う人間は選びなさい」

「ンだとゴラぁ!」

「頭、堪えてくだせぇ!!」


 近くで聞いていた砂虎がその一言に一瞬にして切れた。それは龍巳のことを言われたからか九条院を馬鹿にされたからか聖には判断できなかったけれど、当の龍巳は一度小さく舌を打ち鳴らしただけだった。けれどその一言に、聖は思わず兄をまっすぐ見た。昔から聖の変わらない一本の筋がある。聖の何が変わろうとも、これだけは変わらない。


「ダチは俺が選びます。俺のモンに文句つけないでください」


 それだけははっきりと言い放った。昔から聖は友達をバカにされるのだけは許せなかった。自分のことなら我慢できても友達は我慢できない。
 聖の初めてとも思える反抗に澄春は瞳を眇めると、ふいと視線を逸らして踵を返した。その後に何か言いたげな美月が聖を見、けれど聖が黙って顔を逸らしていると悲しそうにして兄の後を追った。


「残りの肉じゃが、食おうぜ」

「若、角倉なんかじゃなくて私のを食べてください!」


 龍巳が何事も無かったかのように言うから、聖は思わず龍巳を凝視してしまった。隣で喚いている誠を無視して軽く砂虎に会釈して踵を返すと、妙な緊迫感の漂う教室に単調なチャイムの音が響いた。
 きっと周りの金持ちたちはまた聖のことを愛人の子とか立場を弁えぬガキとか陰口を叩くだろう。けれどもう聖には全てがどうでもよくなってきていた。





−続−

肉じゃがの玉ねぎが好きです。