他のクラスメイトは皆家族や友達と作った肉じゃがが美味しい美味しくないとわいわいやっている中、聖のいるテーブルだけがシンと静まり返っていた。聖と龍巳が黙々と肉じゃがだけを食べているのだ。それは会話は弾まない。誠と美鈴がそれぞれ励まそうと思っているのかこの空気を払拭したいのか何かしらの声を掛けてくるが聖はその全てに曖昧な生返事を返していた。
 まだ頭の中が熱を発しているようにぼんやりしていた。何に対してかは分からないが、イラつきとも後悔とも違うもやもやしたものが胸のうちに溜まっていくようで苦しくなってくる。


「……若、玉ねぎ除けるのやめてください」

「うるせぇ」


 誠の声に聖がのろのろと視線を龍巳に向ければ、器用に箸で透明の崩れかけた玉ねぎを小皿に分けていた。いい歳してやる事じゃないと思いながら聖はやっと口の端を引き上げて僅かでも笑った。それを目撃したのか、美鈴がぽっと頬を赤らめて彼女に似つかわしくないはしゃいだ声を上げた。


「聖くん、元気になった?」

「俺元気なくねぇけど」

「……そう?じゃあよかった」


 美鈴のために聖は精一杯強がって笑って見せた。心の中で強がっても表面には微塵もそんな色を浮かべないので誰の聖の辛さには分からない。この肉じゃがの味も、今は聖をすべて苦しめているというのに、誰も。
 聖の言葉を信じたのか、美鈴は笑って手を合わせた。それから「聖くんの肉じゃが美味しいね」と言う。美味しいね、というその言葉が今の聖を痛めつけるとは思っていないのだろう。逆に励ましの言葉として使用している。もどかしいその感覚はまるで生ぬるい水中にでもいるようだった。


「美鈴ちゃんもごめん。両親来てるのに、あっち行っていいよ?」

「ううん、聖くんといる」

「……ありがと」


 美鈴の言葉に聖は僅かに口の端を引き上げて笑った。それを見て目を眇めた龍巳にも気づかずに「嬉しい」とまで口遊びに続けてみる。
 本当はここにいるのはただ「角倉の末子」に取り入る為だろう。あの光景を見ておいて親が傍にいるのを許すとは思えない。普通は距離を取る。龍巳は治外法権を誇る九条院組の跡取で、誠はその取り巻きで権力に屈しない料亭の跡取。だから普通にここにいるが、さっきからクラスメイトの視線は猜疑の色濃くこちらに突き刺さってくる。
 ふと時計を見ると、授業終了が目前だった。片付けを始めなければならないんじゃないかと思ったが、なぜか授業では片付けをしないので誰も動こうとはしていなかった。けれどやはり片付けまでやらなければ気持ち悪いので立ち上がってスポンジを手に取ったとき、廊下からバタバタと足音が聞こえた。何事かと思う前に家庭科室のドアが思い切り開いて二人の生徒が飛び込んできた。


「聖!」

「お前なにやらかしたんだ!?」


 いきなりこっちが悪いような言い方をして入ってきたのは、海人と護だった。珍しいメンバーに龍巳は僅かに繭を跳ね上げ、聖はけたたましく叫ばれた自分の名前と姿を発見されて駆け寄られたのでうんざりしたように肩で息を吐き出した。思わず強く息を止めてそれから震える酸素をゆっくりと吐き出した。


「……何しに来たんスか?」

「姫が泣いてんだよ!お前の名前呼びながら泣いてんだよ!」


 胸倉を掴み上げられて思わず顔を歪めると、海人の方が辛そうな顔をしてぐっと寄せてきた。近くなった顔に思わず顔を逸らすけれど体がそれを許さずに視線だけを外した状態にしかならなかった。
 美月が聖のために泣いた。教室に戻ってきた美月の様子がおかしかったからと海人が声をかけたらぽろりと涙をこぼしだし「聖さん……」と呟いたらしい。海人が黙っている間に後ろから淡々と護が説明してくれたことで要領を得て、聖は思わず泣きそうになった。さっきまで我慢していたものがすべてあふれ出しそうで、慌てて唇をきつくひき結ぶ。


「……なんで、俺ンとこ来んだよ……」

「姫が泣いてるからだっつーんだよ!お前何しやがったんだよ!」

「海人、聖が悪い訳じゃないと思うよ。だからさっき庄司達が行ったんだし」

「分かってるよ、そんなこと!」


 一人でイラついているようで海人は言葉を吐き出すと聖と突き放すように離して近くの椅子にドカッと腰を下ろした。それをしょうがないことのように見て少し笑い、護は机に寄りかかって机の上の肉じゃがに気づいて花形の人参を摘んだ。


「へぇ、可愛い。角倉のこ当主のところ、さっき庄司と直治が乗り込んでった」

「はっ!?」

「で、俺らは聖フォロー係。ほら、今日くらいは俺の胸にこいよ?」


 促すように一度腕を広げた護は、けれど聖が動かないのでそのまま肩を抱き寄せるとそのまま胸の中に収めた。聖は抵抗する訳でもなく大人しく護に抱きしめられて黙っている。珍しくしおらしい聖に護は満足そうに笑って摘んだままの人参を口の中に放り込んだ。じわっと広がる味に思わず目を細める。


「美味い」

「……マジ?」

「マジマジ。ほら、優しい先輩に感謝の言葉は?」

「今の先輩になら抱かれてもいい」

「おぉ、最高の感謝の方法じゃん」


 ぽんぽんと背中を叩かれて、聖は涙を我慢するので精一杯でそれ以上何も言えなかった。そうしているうちに、チャイムが鳴った。










 期末テスト前の期間に入り部活もなく参観後で逃げることもできずに車で家に帰ると、聖は速攻着替えて出かけようと思った。家にいたくなかったのだ。角倉に属しているすべてに嫌気が射して自分自身すら嫌悪の対象で、だから少しでもそれを忘れたかった。けれど実際は何故か部屋の周りに使用人がうろうろしていて部屋を出るたびに何かしら言われて外出を阻まれた。
 出かけることもできないし部屋からも出づらいので雑誌を読んで時間を潰していると、夕食が終わった頃美月が部屋にやって来た。聖は気分が悪いからと言って食事を断ったので、彼女に会うのは車の中で以来だ。あの時も少し眼が赤いと思ったが、美月の眼は明らかに腫れていた。


「……聖さん」

「美月さん?何泣いてんですか?」

「だって、だって兄様が……」


 また泣き出してしまった美月はその場にへたり込んで顔を覆ってしまい、聖はどうしようかと少し戸惑い結局そっと彼女の華奢な体を包み込んだ。自分のために泣いてくれるのは優しい姉。愛人の子だといわれている弟を憎むことなく、何差別する訳でもなく接してくれる彼女がいてよかった。美月がいるから、きっとここでも辛うじて立っていられるのだ。


「美月さん……ありがとう」

「みんな、聖さんにばかり酷すぎるわ」

「あれから、先輩たちが来てくれたんですよ。海人先輩と護先輩がさ、特に海人先輩なんか取り乱して」

「大沢君が……?」

「美月さんが泣いてるって、俺が悪いみたいにさ」


 あの時の話をすると、美月は意外そうに少し声を上ずらせた。直治と庄司はどちらも角倉よりは落ちるが大企業の令息だ、角倉に声を掛けるくらいの立場はある。けれど亮悟は次男だし海人はただのスポーツの名門で経済界にはあまり関係がない。そして護は問題外だ。
 護の名前に不思議そうに首を傾げた美月に子守唄でも歌うように聖は美月の背を撫でながら囁いた。


「護先輩、小等部だと愛人クラスだったから美月さん知らないか」

「……そう、なの?」

「そ。妾腹なのに長男で下に妹だったかな、一人いるだけ」


 中等部からは関係がないが小等部には愛人クラスというものが存在する。世間一般では愛人の子など少なく思えるが、金がある人間は簡単にそういうものすら生み出す。まるで金で命すらも買えるのだと誇示しているようだ。そしてそういう人間でクラスを作ることは造作もない。聖もそこにいるべきではあったが、角倉の例外な力のおかげで最高位のクラスに所属していた。だからやはりどこか現実を見ている節がある。聖は完全に行きずりの子であり、気まぐれで宿った命だ。護とは些細な違いだが、その差は大きい。だから聖と護はどこか違う感覚でいる。


「聖さんは素敵な先輩がいっぱいいてよかったですね」

「素敵なお姉さんにも恵まれたし」


 そういうと、美月は茶化したと思ったのか少し頬を膨らませた。けれど目が腫れているのが恥ずかしいのかぱっと顔を伏せる。その女の子らしい所作に微笑して、聖はふと携帯のディスプレイを確認した。なぜだか直治からメールが着ていて、開いてみると「テスト勉強を部室でするからやるならおいで」とあった。あぁ、ここから逃げる口実を作ってくれたのか。聖は学校から帰ってこないという方法で逃げおおせようと思っていたが、それではまた美月に心配を掛ける。だから言い訳にありがたい。


「美月さん。明日からちょっと先輩ンち泊まるから帰ってこないかも」

「帰ってこないの?」

「先輩が勉強見てくれるっていうから」


 そのときふと誰かが廊下を歩いてくるのが聞こえて聖は意識をそちらに飛ばした。足音は二つ、男女のものだ。歩き方と速度から一つは兄のものだろうが、あと一つは誰だろう。女性のものだとは思うがこの家では母だけしか思い当たらない。けれど歩き方に違和感がつきまとって離れない。
 考えていると、外から案の定兄の声がしてその瞬間美月の背筋が震えた。


「聖、入るよ」


 返事をする前に襖が開き、兄が入ってくる。彼は聖の格好に一度その瞳に嫌悪の色を映し、それから美月の姿に目を眇めた。聖は出かける気満々だったので洋服に着替えていて、しかも気分が悪かったからビンテージのジーンズにTシャツとパーカを羽織っている。家では着物が基本なので制服以外の洋服を着ているといい顔をされないし、まして穴の開いたビンテージは見たくもないだろう。


「美月、どうしてここにいる。部屋に戻りなさい」

「……申し訳ございません、兄様。すぐに戻ります、おやすみなさい」


 兄に声をかけられて美月はびくりと肩を震わせ、泣きそうな声でそういうとそそくさと部屋を出て行った。いっそ聖も一緒に出て行きたかったがそういうわけにも行かずとりあえず姿勢を正して座りなおすと、彼は溜め息を一つ吐いて同行してきた女性を部屋に招きいれた。
 綺麗な女性だった。部屋に入ってくる仕草も襖を閉める仕草も洗練された柔らかさがあり一目で良家の子女だということがうかがいしれた。


「昼間二宮と真土の子息が来てね、聖を解放しろと言われたよ」

「……先輩たちが……」

「でもね、聖。角倉の名を持つ人間はただの金持ちとは違うんだ」

「……存じております」


 なんて、なんて傲慢なんだろう。自分たちが特別だと驕って他人を見下して絶対的な格差を優越する。それを愚かしい行為だと思える聖はただの凡人なのだろうか。正しい感覚と言うものがどこに存在するか知らないから答えなんて見つからない。けれどただ、自分が正しいと信じられないからこそその言葉も信じられない。
 ただ反抗が得策じゃないと知っているから黙って頷いていると、聖が反省したととったのか彼は一歩後ろに控えた所にいる女性を指した。


「聖、京見時子さんだ。これからお前の家庭教師になるから、粗相のないように」

「……はい?」


 女性の姿を気にしていたら大事な言葉を聞き逃したような気がして聖は思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。今、家庭教師がどうとか言わなかったか?そんなものを今までつけられたことはなかった。一体今更何を考えているのか……まさかとは思うが、鎖のつもりなのだろうか。
 兄に睨みつけられて聖は一度深く俯き、その好きに彼は更に残酷な言葉を聖に対して紡いだ。


「テストが終わるまで学校に行かなくていい、ここで勉強していなさい」


 簡単に言うと監禁だ。それを思いのほかすっと理解して聖は思わず携帯を見た。せっかく言い訳も用意してくれたのに、こういう手段に出られるとは思ってもいなかった。そしてそこまでされ、一気に頭がスッとした。我慢しているのがバカらしいと初めて思った。


「……わかりました。構いませんよ、別に」


 心の底からおかしさがこみ上げてきて、聖は綺麗な笑みを浮かべて頷いた。兄の背後で彼女が息を飲んだのが聞こえたが気づかないふりをして、自分でもこんなに純な微笑を浮かべられるとは思っていなかったのでびっくりした。笑みと同じで心の中すら妙にスッキリして、聖は時子に笑いかけた。





−続−

今回、護先輩格好良い。