学校に行かなくていいと事実上監禁させられて、三日経った。心配するからと龍巳と直治だけには監禁されたが自分でどうにかできると言う旨のメールを送ったが、その直後に携帯を取り上げられたから彼らが了承してくれたのか疑問を返してくれたのかさえも分からない。
 この三日で聖がしたことといえば、部屋に篭って時子と勉強。しかし合間の雑談の方が長くてあまり進んではいない。けれどそれに問題がないのは、もともとの目的が聖の監禁だからだろう。


「聖くん、さすが優秀ね」

「まー、答えなんて一つしかないしな」


 聖の部屋は物が多い。比較的小さい部屋を宛がわれているとというのもあるが、それ以上に本棚やラック、箪笥などが場所をとっている。過去女性が彼女の好みでたくさん買ってくれたので服やアクセサリーの所持品が多い。それを捨てることはせずに使っているから自然それらが場所をとっている。その部屋の真ん中には布団が敷いてあり、聖はごろんと布団に寝転がると背筋を伸ばした。べきべき骨が鳴る。


「それよりさ、時子さん。こっち来て」


 こんなこともうやめたと思っていたのに。自嘲に似た笑みを浮かべながら聖は乱れた着物をさっと直す。三日の間に時子ととても仲良くなった。甘えれば答えてくれるくらいになった。これも過去の所業のおかげだと思うとそれもどうなんだろうと思ってもしまう。あれは正しかったのか間違っていたのか。少なくとも今、役に立っている。


「……兄上に何頼まれた?」


 寝転がった所を上から覗き込まれて、聖はその細い首に腕を回して彼女の耳朶に耳を寄せた。途端彼女の体が震えるのが腕を伝わって聞こえてきた。これは彼女が声に身を捩らせたのか、言葉に怯えたのか。まだ判断つかない。
 聖はそのまま微笑してぱっと手を離すとそれ以上何もせずに腕を伸ばして枕を抱きかかえるとそのまま目を閉じた。今何時だろう。時計はあるけれど見る気が起きず、顔を上げることもできない。


「ひ、聖くん……お勉強の続きしましょう」

「やだ。眠い。今何時」

「今?三時くらいかしら」


 見るとはなしに腕時計をみると本当に三時少し前だった。時子がいつも来るのは朝九時からで、だいたい八時過ぎに帰る。そんなにも長い時間一緒にいると彼女の性格なんて手に取るように分かる。それだけの時間を毎日過ごしていればもう聖に出来ないことはない。特に彼女は初めから聖に目を奪われていたのだから。


「勉強あきた」

「でもテスト前だから、頑張りましょう?きっといい点とればお兄様も喜んでくれるわ」

「……携帯」

「え?」

「携帯取られて、先輩たちからきたメールとか見てないんだよね」


 ぽつりと言うと、彼女は少し困った顔をして聖を見た。けれど聖は布団に顔を押し付けて気づかないふり。あくまでこれは彼女にお願いしているんじゃなくて独り言でなければならない。あとで責任を被るのも押しつけられるのも回避する為の小ずるい手。今まで女性に使ったことはない言葉の罠を今、ためらいなく使っている。それは今の聖にとって信念だけでなく全てがどうでもいいからだろう。もう何も、守るべきものなんてない。自分も心も、何もかも自分の掌には入っていないのだから。


「先輩から……それは心配ね。分かったわ、私が内緒で持ってきてあげる」

「ありがと、時子さん」

「だからお勉強しましょう?ちゃんとやらない怒られちゃうわ」


 急かすように時子が聖の肩を揺さぶるから、聖は髪を掻き揚げて体を起こすと甘えるように彼女に抱きついた。さして小さくない時子と聖の身長差はあまりない。バスケをやっていても聖の身長が低めなのが原因だろうが、聖はやや不満そうに顔を歪ませて彼女の髪に唇を落とした。


「俺、保健体育とかがいいな」

「ひ、聖くん……!」

「おあつらえ向きに布団もあるし。大丈夫、俺上手いから」


 顔に奇麗な笑みを浮かべて聖は彼女を強引に布団の上に押し倒した。本当はそれを狙って布団を敷きっぱなしにしていた。
 本当はこんなことをしたい訳じゃない。でもこうする以外に解決法が見つからなかった。あの時のように快楽に溺れて何も分からなくなってしまえばいい。何にも、何にも。分からなくなってただ快楽だけで自分をごまかしていることなんて、自分が一番よく知っているのに。










 外を見るとそろそろ日が沈む頃だろうか。けれど外は生憎の雨で時間は分からなかった。時計を見るとやはり五時くらいで、あのまま眠ってしまったのかとぼやけた頭で無意識に枕元を探ったが煙草は置いていなかった。結局起き上がって着物を適当に羽織って、バッグの中に放り込んである煙草と引っ張り出して寝起きの一服としけこんだ。


「……いつまでこうしてんだろ」


 逃げ出したいとは思っている。けれどどうすればいいか分からない。学校に行っていないから心配してるだろうか。先輩たちには美月に伝えてもらって話はいっているはずだけれど、龍巳たちは知っているだろうか。どう思っているのだろう。何かを考えていてくれれば嬉しいが、何も考えていないで欲しいとも思う。誰かに心配されるのはうんざりだ。期待されるのも信頼されるのも、この体では重過ぎる。


「ん……」

「時子さん、目が覚めた?」

「えぇ……」


 恥ずかしそうに時子が着物を引き寄せるのに小さく笑って、聖は長くなった灰を綾肴からもらった灰皿に落として視線をゆっくりと上げた。ニコチンが体に沁みこんでいくのを感じながらこれからどうしようかと思案を巡らせるが、いい案は浮かんでこなかった。代わりに気づいたことが一つある。


「腹減った」


 ぽつりと呟くと本当にお腹が減って聖は肺から深く息を吐き出して唇を尖らせた。そろそろ食事の時間だろうが、聖はこの部屋からでるのを許されていない。煙草がなくなれば夜中にこっそり抜け出すが、それでもありとあらゆるところに見張りがいるので行くのも帰ってくるのも苦労している。しかし煙草を買ってきてくれるように頼むわけにも行かないので難しいところだ。
 初めは文句あり気な顔をしていた時子は今では喫煙くらいではないも言わなくなった。


「坊ちゃま、時子様。お食事の用意が整いました」

「ん」


 聖はぱっと立ち上がると窓を全開にして匂いを逃がしながら布団を素早くたたんで端の寄せた。一気に舞い上がった風が煙草の匂いをほとんどかき消したが僅かには残っているだろう。けれどこのくらいならば多分彼らは気付かない。
 聖は料理長が襖を開けるころには机の前に座っていた。その早業には時子も驚いているが、中を知らない料理長はただ静かに中にお膳を入れて頭を下げた。


「本日は坊ちゃまのお好きな白身魚の煮付けでございます」

「ありがと」


 聖はにっこりと微笑むとその膳を受け取る為に立ち上がった。二人分の膳を並べてもらうのも悪いので、運んだらすぐに戻ってもらうように言っているので今日も彼はすっと下がった。聖はそれを自分の手で並べると時子と向かい合わせで座り、手を合わせた。


「いただきます」

「い、いただきます……」


 戸惑ったようにしながら時子も手を合わせて箸を取った。聖が食事するのをぼーっと見ているのはまだ頭が完全に目覚めていないからかもしれない。それに苦笑しながら聖はただ魚の身を解す。本当はあまり食欲がない。先ほど彼女を抱いたからかもしれないしさっきまで眠っていたからかもしれない。そう仕向けたくせに時子が甘いから昼夜逆転の生活でもばれない程度に自堕落な生活を送れているせいだと文句を言ってみる。


「……時子さんはさ、俺の何係なの?」

「家庭教師よ。もうすぐテストですもの」

「家庭教師って保健体育も含むんだ」

「ひ、聖くん!」


 クックッと喉で笑うと、時子が咳き込んで頬を紅潮させた。今更そんな年じゃあるまいしと内心笑いながらも聖はそれ以上からかわずにふっと机の横にかけてあるカレンダーを見た。もう三日経った。テストまであと三日程度。でもそれまで、たとえ短い間だろうと我慢なんてできなかった。
 今までどうして我慢できたのかと聞かれると、そういうものだと思っていたからだと答えざるを得ない。もうそれを吹っ切った。何も迷うことはない。ここにいる必要も、ない。


「もし……」

「え?」

「もし、俺がテストで零点とかとったらどうなるんだろ」

「それはありえないわ。それにそんなことになったらお兄様の期待を裏切ることになってしまうわ」

「……ごちそうさま!」


 時子の答えは正しいと思う。模範と言う意味で正解だ。でも聖にとってそれは正解じゃない。あの男は聖が零点を取ったからと言って裏切られたとは思わないだろう。もともと期待なんてしていない。ただ『角倉の人間として』それ相応の成績を修めていなければならないのだというだろう。だから何も変わらない。
 聖は残りのご飯を掻き込むと乱暴に箸を置いた。兄に認められるとか裏切るとか、一体何の意味がある。こんなことをして認められることに興味なんてない。だから全てを捨てても平気だと思った。


「……聖さん?」


 膳を脇に避けてその場にゴロンと寝転がったとき、外から小さな声が聞こえた。その声はまるで聖にだけ聞こえるように囁かれたような泣きそうな色を含み、聖は慌てて体を起こすと襖を開けて美月が誰かに見咎められる前に部屋に引っ張り込んだ。


「美月さん?どうした?」

「……お食事中に失礼します」

「いいよ、俺終わってるし」


 ぱぱっと着物を直して、聖は美月を座らせる。時子がぽかんと彼女を見ているが聖は気にしないように言って美月の顔を覗き込んだ。
 本来聖の部屋には誰も近づけない。唯一訪問を許されているのは時子と料理長くらいなものだろうか。それだけ、角倉本家の一室でありながら完全な監禁状態に置かれているのだ。けれどそれをかいくぐって美月が来てくれたとは。一体何をしにきたのかは分からないけれど、いつも聖のことを心配してくれる美月のことだから今回もきっと何かあってのことだろう。そう結論付けて聖が彼女の言葉を待っていると、美月はすっと一台の携帯を取り出した。ストラップも何も付いていないシンプルな携帯は聖のだ。


「お母様が携帯くらいは返してあげなさいと、兄様に」

「……ありがとうございます」

「大沢君たちにはちゃんとお話してありますけど、連絡して安心させてあげてくださいね」

「美月さん……」


 にっこりと笑った美月に聖は思わず涙が出そうになった。彼女自身の立場だって危ういものだろうにこんなに気を使ってくれるなんて。携帯を開いてみると、着信とメールがたくさん来ていた。自分はこんなにも心配掛けていたのかと、嬉しくなる半面苦しくなった。心配掛けたくなんて、ないのに。


「……大好き」

「聖さん……」


 思わず美月にぎゅっと抱きついて、聖は小さく呟いた。心配かけるのが昔から何よりも嫌いだった。自分は何でもできるから心配なんてしないでほかのことを考えていて欲しかった。自分のことで心を痛められるのがとても嫌だ。
 でももう心配なんて掛けない。すべてが吹っ切れたから、聖には手にできる手段が一つ残されていた。これだけが全てを解放する方法だと信じて疑わずに。


「美月さん、早く戻らないと見つかるから」

「えぇ……。聖さん、おやすみなさい」


 美月を離して早く戻るように促すと美月は頷いてそそくさと部屋を出て行こうとした。襖を開ける前に時子にも頭を下げる。それから物音を確認して、すっと外に出て行った。それを見送って、聖は小さな声で誰にも聞こえないように呟いた。


「おやすみ、美月さん」


 監禁されて三日。自分にしてはよく持った方だ。もう言いなりになんてならない。我慢なんてしない。全て吹っ切ると頭の中がクリアになって、聖はゆっくりと口唇を引き上げた。もう誰の掌の上で踊る気もない。
 じっと美月が出て行った襖を見つめている聖に時子が首を傾げたのに気づいて、聖は彼女ににっこりと笑ってけれどそれ以上何も言わなかった。





−続−

どこの駄々っ子だ。