九条院の屋敷に連れてこられ、理由とか原因とかいろいろなことを考える前に着替えを出され気がついたら着流しで龍巳の前に座っていた。純日本的な屋敷と言うか、ヤクザのそれと言うか。知識の中では関東九条院組は栃木県に本家を持ち、東京のは別邸だったはずだ。今の頭は龍巳の兄である砂虎だから、それを考えたらここにいるのは龍巳だけなのだろうか。
「怪我はないか?」
「まぁ……見てのとおり」
怪我の度合い的に龍巳がどこからを怪我と言うのか知らないし聖的には怪我は骨の一本からなのでかすり傷程度だろうか。多分腹にも打撲があるしそういえば口の中を切っていた。亮悟先輩辺りが見たら顔を真っ青にして怒るだろうなとは思ったけれど笑わなかった。自分がしでかしたことはちゃんと自覚している。
お互いに立場がある。そこは曖昧にして馴れ合ってはいけないところだとお互いに分かってる。だから龍巳は険しい表情を作って襖の向こうに声を掛けた。
「おい」
「へい!」
それに応えるように数人の負傷した青年たちが入ってくる。それを見ながら、きっと彼らは自分がヤった奴等なんだろうと他人事のように思った。誰をどれだけ殴ったとか覚えていないしどれだけ殴られたとか知らないし、記憶する趣味もない。ただいたから殴った、弱いから殴られた。それだけだ。
ただ状況に任せるようにして男たちを見ていると、龍巳の後ろに並んでじっと聖を見据えた。反射的に睨み返すと、龍巳の苦々しい顔が眼に入る。
「お前らをやったのはこいつか?」
「間違いありやせん」
「そうか。下がれ」
それだけ確認すると龍巳は男たちを下がらせた。彼らの目には怒りと言うよりも畏れに似た色が宿って聖を見ている。確かに中学生に三十人でかかって負けたんならこっちがバケモノ扱いされるか、と聖は他人事のように考えて足を寛げた。姿勢を崩して片胡坐をかいて、立たせた膝を引き寄せる。
「堅気のあいつらが入れないだろうから迎えに行ってやれ」
「はい若!」
どこにいたのか龍巳が誰にともなく呟くと誠が廊下の外で頷いて走っていく音がした。ちらりと時計を確認すれば現在時刻は二時過ぎ。こんな時間まであいつはいるのか、と呆れたが今日が異常事態なのだろう事をその後に思った。
「俺が九条院の次の頭だ」
「知ってた、一応」
「お前が喧嘩した相手が九条院の組員だってのもか?」
「それは知らね」
「……そうか」
龍巳は少し考えるようにしてから頷き、この話は終わりとばかりに携帯に手を伸ばして電話を掛け始めた。それを詰まらなくなって視線を逸らし、部屋の中を見回す。何もない部屋はまるで聖と正反対で少し淋しい気がした。
部屋の端に文机と棚。それに向かって左側の端には桐箪笥。それしかなかった。唯一若者らしいものがあるのは机の隣の棚で、それも桐細工だろうかラックと言う雰囲気ではなかった。
「弱いから負ける。それだけだ」
「……あたりまえだろ」
龍巳が呟いたことに応えてやれば、少し意外そうな顔を向けられた。少し会話が途切れた所で外から数人分の足音が聞こえてきた。すぐに誠の「若、お連れしました」という声がして襖が開く。興味がなくて聖がそういえば唯一の持ち物だった煙草はどこにやったかと辺りを見回すと、三人がなだれ込んできた。
「聖!久しぶり大丈夫だった元気!?ちゃんと飯食ってる?」
「……なんでお前らここにいんの」
飛び込んできたのは寿季で、その後ろには晃も葵もいる。なんで夜中に出歩いてんだよとか坊ちゃんが夜遊びとか変なツッコミが総じて一つの言葉に集約されて口から飛び出した。それを聞いてか晃と葵は顔を見合わせてから近寄ってきて座ると、晃が代表してか口を開いた。そして、中々ありえない言葉で誤魔化そうとする。
「テスト勉強をしようという話になった」
「は?」
「龍巳の家でな。そういう訳だ」
「……もういいや」
さっき龍巳も直治先輩に電話をかけていたみたいだしと聖は理由を聞くのを早々に放棄して煙草を探した。龍巳の机の上にちゃんとライターとセットで置いてあることに気づいてほっとして、そっちに手を伸ばしたけれど手にする前に葵が机の上から取り上げてにっこりと微笑んだ。そんな笑みを向けられたところで煙草がほしい。さっき中途半端に吸ったところだったから尚更だ。
「返せよ」
「さ、みんなで勉強しよっか」
「煙草」
「聖、お腹空いてない?」
「たーばーこー」
何だか本当に勉強する気のようで、葵が鞄の中から教科書を取り出した。龍巳なんて立ち上がって机を出してくる。本気で勉強する気のようだが明日も普通に学校があるから寝たほうがいいんじゃないだろうか。けれど何となくいえない雰囲気だったので言うのをやめて寝転がった。勉強をするというよりは聖の監視をするというニュアンスの方が強い気がした。
「何か、腹減ったかも」
「何か作らせるか。何食う?」
「……カツ丼」
夜中に重いのは重々承知だが、さっき食べ損ねたので妙に体がカツ丼を欲していた。龍巳が誠に命じてカツ丼を作らせたが、聖はその間に何となく気が抜けて眠ってしまった。布団が敷いてあったわけではないけれど久しぶりに深く眠り、夢さえ見なかった。本当は少しだけ夢を見たい気がしたけれど、見れないほど強く眠っていた。
一体何の嫌がらせか知らないが朝からカツ丼を出されて聖は無言でお茶にだけ手を出した。なんだって朝っぱらからこんな重いものを食わないといけないのかと文句を言うと、お前が夜食わなかったからだと言われた。確かにそんな事を言ったかもしれないが眠ってしまったものはしょうがない。
嫌がらせのようにあるカツ丼を断固拒否してお茶だけ飲んで五人で学校に行くと、一年の教室の前で待ち構えたように五人の長身がいた。いい加減下級生のクラスに集まってくるのはやめて欲しい。聖は昨日の怪我のおかげでまた顔に絆創膏、腕には包帯をしているので見た瞬間の五人の顔ったらなかった。けれど次にとった行動はやはり五人それぞれだった。
「聖、また怪我したの!?」
「今度は包帯?今度は誰を相手にしたんだよ」
駆け寄ってきた亮悟に心配そうに頬をなでられて、心地悪さに思わず顔を逸らしてしまった。今回も自業自得の類だからあまり心配して欲しくない。しかも家出してすぐの喧嘩だったからできるだけ知られたくない。彼らに知られると美月に気付かれてしまう可能性も高いのだから。
「なんにしても逃げ出せた見たいじゃん。よかったよかった」
「怪我する前に捕まえて欲しかったけどね……可哀相に」
「亮悟ぉ、お前その父性如何にかしとけ?聖のどこがかわいそうだってんだよ」
亮悟は聖をどれだけ小さな子供だと思っているのだろうか。わからないけれど過保護すぎるきらいはある。海人のからかいに一度固まった亮悟だが、心を決めたのか聖の背後に回って後ろから肩にぽんと手を乗せてきた。過保護キャラを続ける気になったらしい。
それを見て護が苦笑のような笑みを浮かべ、聖の頭をクシャクシャ撫でた。まるで一番の理解者のような、そんな雰囲気だった。
「聖が家出を決行したことで、姫が泣きました」
「…………」
「昨夜電話が来てびっくりしました」
「よ、よかったじゃん……電話来て」
「あ?そんなこと言うのはこの口か?」
聖の頬をギリギリと抓り上げて海人は額に青筋を浮かべた。海人にとっては聖が家出した原因とかそんなことよりも、聖の行為によって美月が泣いたことが問題らしい。もしかしたらこの人は自分が美月の弟だから構ってくれるんじゃないかと、そんな疑念が浮かんだ。今だったら護先輩の方が好きかも、と素直に思う。
「海人やめてあげて、顔にも怪我してるんだから。聖、でも姫が泣いてたのは本当だから、ちゃんと理由を話して安心させてあげるんだよ」
「……うん」
言われて気づいた。家出したのはいいけれど何も考えていなかった。自分の計画性のなさと愚かさ。確かに帰らないことは可能だけれど、学校には来なければならないわけで、完全に姿をくらませるわけではなかった。学校に来たらどうあっても角倉の因果から抜け出せない。いっそ学校なんて辞めたくなってきた。けれどそうしたら今できた繋がりは消えうせてしまう気がして。それが恐怖に取って代わった。
「聖さん!」
「姫、お早いおつきで」
「聖さん、よかった。いなくなってビックリしたの」
「……美月さん、ごめん」
今来たのだろう鞄を持ったままの美月が小走りに駆け寄ってきた。その顔が本当に泣きそうになっていて思い切り罪悪感を掻き立てられた。けれど性格はどうにもならない。適当で泣かせてばかりで自己の保身ばっかりのガキは、ただのガキでしかない。美月もそれを分かってくれてるのか一言謝ると笑ってくれた。
「当分帰らないから、俺の部屋の灰皿だけは隠しといてくれると嬉しい」
「灰、皿?」
「もらいもん。すっげ大事だから、お願い」
「分かりました」
美月が頷くと、聖はほっと肩の力を抜いた。あの灰皿だけが気がかりだった。それだけが無事なら後はあの部屋が燃えてしまったも構わない。大切なものなんて、他にはないから。
丁度時間だったのか予鈴が鳴った。思わず上を見上げてから腕の時計に視線を落とすと本当にもうそんな時間だった。何となく廊下も騒がしくなってきたような感じがした。先輩たちが慌しく教室に向かうのを見てから教室に入ると、真っ先に茜が駆け寄ってきた。
「聖、テスト終わったら……その顔どうしたの?」
「別に何でもねぇ。それより何?」
「あ、あのね。テスト終わったら……デートしよう?」
「あ、うん。オッケ」
茜を軽くやり過ごして席につくと、舞依が心配そうな顔で美鈴と一緒にやってきた。舞依は龍巳辺りから話を聞いたのか勝春先輩から聞いたのか事情を知っているのだろう。けれど美鈴の表情の意味が分からない。なんで怒ってんの。
「聖くん、怪我大丈夫?」
「平気、いつものことだし。美鈴ちゃん?んな顔してどした?」
「……他の子と仲良くしないでって言ったのに!」
搾り出すように叫んで、美鈴はいきなり泣き出した。隣にいた龍巳と誠はぎょっとしているし気づいたクラスメイトは驚いて凝視してくる。そのなかで当事者であるはずの聖だけは億劫そうに目を眇めて細く息を吐き出した。言葉にできない「面倒くさい」ははっきりとオーラになっている。
「美鈴ちゃんさぁ……」
「もう知らない!」
聖が言いかけると美鈴は聞くのを拒否したかのようなタイミングで叫んで教室を飛び出していってしまった。突然のことに止めることも追うことも出来ず立ち竦んでしまうと、舞依が困ったような顔で聖を見、それから緩く首を振った。舞依は美鈴の友達だけあって事情を完全に把握しているらしい。バスケ部のマネージャーでもあるから聖のこともよく知っているはずだから何かと美鈴に伝えたのだろう。いいことも悪いことも含めて。
「ごめん、美鈴ここのところ聖くんに連絡つかないこと気にしてて」
「あー、今携帯ないから」
「またなの?」
「また。ちょっと事情があんの」
「早めに誤解解いといてね」
「善処はする」
そうは言ったけれど億劫で、正直今は美鈴に構ってる余裕はない。連絡がつかないにしても茜ははっきりと面と向かって「メールとかなんで無視すんの」と言ってきたので、ちゃんと今携帯がないから知らないと伝えた。龍巳の家に泊まってやりすごし、美鈴になんのフォローもいれない間にテスト期間に突入した。午前中にテストを受けて午後には専用体育館でバスケをして龍巳の家やら先輩たちの家に泊まったりをまた繰り返した。
学期末のテストを、聖は白紙で提出した。
−続−
集団テスト勉強は遊んでるだけ。