本日、七月二十八日は聖の誕生日だと言う。知ったのが生憎数日前のことで何の準備もできなかったが、せめてプレゼントだけはあげようということになった。それが昨日のことで、結局部活が終わった午後に聖を除く四人で買い物に行ったが聖の好みは全く分からないしどのくらいのレベルのものをあげればいいのかも分からなかったし、とりあえず気持ちが伝わればいいということで聖に似合いそうなシルバーのアクセを数点購入した。値段は一般庶民代表の寿季の度肝を抜いたが、割り勘どころか累進徴収だった。


「聖、誕生日おめでとー!!」

「……あぁ?」


 部活の集合時間よりも少し早く来て、いつもと同じ時間にやって来た聖に向かってパンパカパーンとばかりにクラッカーを鳴らして祝ってやった。さっきまで寝ていたのか若干眠そうな顔をした聖が目をきょとんとさせて四人の顔をその瞳に映した。次第にはっきりした目が順番に顔を捉え、最後に寿季が持っている包みに視線が落ちる。


「つっても聖の好みとかわかんなかったから、気に入るかはわかんないけど」

「あ、ありがと……」


 寿季が差し出してくれた包みを受け取って、聖は戸惑いながらも僅かに口の端を引き上げた。はにかんだような微笑だが、それを直視した寿季は息を飲んで数歩後ずさる。しかしそんな反応も聖には慣れきったこと、特に気にもしないで包みを開けた。中から出てきたのは、シルバーのアクセ。ちょうど今欲しいと思っていたクロスのチョーカー。


「うわ、よく俺が欲しいの分かったじゃん」

「あってた?さすが僕!」

「選んだのは葵じゃないぞ。なぁ、龍巳」

「誰が選んだって変わらねぇよ」


 龍巳の斜に構えた言い方と晃の視線で、これを選んだのは龍巳なのだと直感的に悟って聖は龍巳を見た。よく分かったなと言うのが半分、単純に嬉しいが半分。
 荷物をロッカーに放り込んでからチョーカーを取り出して早速つけてみる。居候生活をしている今、手元にある装飾品は数種しかないから代わり映えがない。新しいものをつけるというのは楽しい。しかもいつも買ってもらっていたのに、それよりもはるかに嬉しかった。


「いーねぇ、聖。女の子みたいな顔してるのにゴツイの似合う」

「ありがたくねぇ」


 着けてみると確かに少し重量があるようだがそのアンバランスが逆にいいだろうと判断。からかってくる寿季を軽く睨んで、外す為に後ろに腕を回した。今これをしていても部活の邪魔だという正しい判断だが、その前に邪魔が入った。本来はレギュラー専用の部室であるのに、向井敦以下チーム四人がノックもそこそこに入って来た。先輩たちに話があったのだろうに、今中にいるのが聖達だけだと分かると露骨にやな顔をする。


「……なんだ、君たちだけか」

「ここ、レギュラー専用部室なんだけど何の用?」

「何がレギュラーだ、調子に乗るなよ。……角倉、お姫様が分不相応なもの着けてるじゃないか」


 完全に無視してチョーカーを外そうとしていた聖に気づき、敦が揶揄するように笑った。首の見慣れないアクセとテーブルの上の袋でプレゼントだと分かったのだろう。今までの聖だったら無視していたところだろう。けれど、寿季の目から見ても龍巳の目から見てもどうしたことか、聖はゆっくりと口の端を引き上げると敦に向かって笑って見せた。不敵なまでの、絶する微笑を見せた。


「似合うだろ?」

「ッ!」


 にやりと歪んだ口から紡がれた旋律に敦は思わず息を飲んだ。それを直接投げつけられたわけではない葵までもが目を大きく見開いて聖を凝視して固まっている。
 これが、聖なのかと正直に龍巳は寒気を覚えた。確かに整った顔で笑うとそれなりの殺傷能力はあるだろうが、ここまでとは思わなかった。妖艶であり美麗。ただの笑みが人を恐怖に陥れることが可能だろうか。きっとそれは、角倉聖だから可能なのだろう。でなければ説明がつかない。


「お前ら何やってんの?」

「大沢先輩!」

「海人先輩?」


 初めに驚いたのは敦たち、それから特に驚くこともなく聖が来訪者の名を呼んだ。部活開始十分前、そろそろ二、三年が集まる時間だ。聖に対して悔しそうな視線を投げてから、敦は慌てたように頭を下げ逃げて行った。それを見送って、聖が肩で軽く息を吐き出す。なんか、ちょっと緊張した。


「何しに来たんだ?あいつ」

「さぁ?」

「聖にちょっかいかけに来たんじゃないですか」


 本当に何をしに来たんだ。全く用件を聞いていないのでとりあえず葵が事実を言ってみた。すると海人は不思議そうな目で聖を凝視し、不思議そうな顔をしながらも気にしないことにしたのか中に入って荷物を置いた。そろそろ着替えようかと全員で着替え始めると途端に先輩たちがやってくる。
 ジャージに着替えてから、聖は長い髪を高く結い上げてチョーカーを外した。


「聖、耳のイヤリング?」

「ピアス」


 両耳の輝きに気づいた護の問いかけに聖は事もなげに答えた。昨日開けたばかりだからくれぐれも取るんじゃないと言われている。この時期にあけるのは間違っているという小言つきだから無視することもできず、このままのつもりだ。聖はよくても周りがよくなかったようで、亮悟以下全員が聖の周りに集まった


「ピアス開けたの!?」

「……開きました」

「何やってんの、もう!」

「いーなぁ、俺も開けよっかな」


 お怒りなのは亮悟。肯定的なのは護。他の三人は掛けるべき言葉を探しているように複雑な顔をしていた。耳の飾りに一度触れて、気にしないように逃げるように護の後ろに移動した。この場所は危険だと分かっているが、今で言うのならばここ以上安心な場所はないだろう。きっとみんな体に穴を開けるピアスに肯定的ではない。けれど生まれたときから綾肴を見て育った聖にはピアスなんて当たり前のものでいつも羨ましかった。だから、亮悟の怒りなんて理解できない。どちらにしろ、自分の体なんて興味がないのだし。


「聖、今日開いてる?誕生日パーティしてやるよ」

「僕の家でね」


 空気を換えたかったのかただ話す必要があったのか、寿季が聖の腕を引っ張って言った。誕生日パーティなんてこの歳になってやってもらいたいことではないけれど、やってくれる人がいるのは嬉しい。だが残念ながら、今日は先に予定があった。これは譲れない。このピアスホールに貰ったきっかけでもある。


「悪い、今日は予定あるからまた今度」

「マジで?うわ、ショックー」

「別に明日ならやってくれてもいいぜ?」

「それはタイミング的にねぇよ」


 冗談交じりにそういうと、龍巳が呆れ混じりに吐き出した。
 大丈夫、普通に接している。普通に、昔のように。数年前ではなくその前、まだ綾肴を父親だと思ってたあの頃から続いたあの日々と同じように、自分に帰ってこれた。そのことを意識して、聖はもう一度ピアスに触れた。










 部活が終わった夕方、聖は真坂の家に帰った。ここにいようと角倉だろうと結局綾肴の店にいたのだから変わらなかったけれど、心情は楽だった。けれど帰れなかったのは何となく落ち着かなかったからだろう。誰かに寄り掛かっている状況と言うのが耐えられなかった。
 幼い頃から聖は強く自立することを意識していた。父がなく、母が働いていたからか綾肴は父親代わりだといってもあの性格だから甘えさせてくれることなどあまりなくて、だから幼馴染も守ってやらなければと思っていたし自分がしっかりしなければと思っていた。その結果が、これだ。


「お世話になりました、っと」


 あまり世話になっていない離れに頭を下げて、少ない荷物をまとめて部屋を出た。角倉の家に帰る覚悟はしてあった。今までみたく逃げるのではなくて正々堂々戦う気で、帰る。真っ直ぐ兄と対峙する決心をさせたのは残念ながらここでの冷静な思考の時間ではなくてたった一瞬で開いたピアスだ。綾肴と同じ、体への自傷。それが決定打だった。
 いささか皮肉ではあるなと自嘲の笑みを浮かべながら母屋の光定の部屋に一応の挨拶に向かう。一度口頭で説明されただけだが、だだっぴろい家屋敷の構造は基本が同じなので迷うことがない。簡単に見つかった部屋の襖は締め切られていて、中からは明かりが漏れていた。声をかけようとして、仲から聞こえてきた声に思わず黙った。


「聖が世話になりました」

「そう改まらないでくれ、澄春殿」

「聖を連れて帰ります。これ以上世話になるわけにはいきません」

「まぁ落ち着いてください」

「角倉の恥さらしにはしたくないのでね」


 やはり、どれだけ息巻いて粋がったところで兄には敵わないのではないかと錯覚してしまい、聖は細く深い息を吐き出した。
 例えば、聖の心に上手く進入してくるものがいたとしたら大抵は淡い色をしている。絶対に聖は飲み込まれることはない。ただたまに綾肴などの濃い同系色に感化されることはあっても、飲み込まれることは絶対にない。けれど兄は黒色だと思う。無理矢理入り込み絶対の服従を強いてくる。黒ですべてを飲み込む、そんな存在。だからこそ、聖はここで挫けそうになった。


「貴方が角倉を大切に思うのはよく分かる。だがそれをあれに強要するのはどうかと思います、美月も含めて」

「貴方からそんな言葉を聞くとは思わなかった」

「美月は角倉の血を継いでいるから納得はできる。でも聖は、違うでしょう」


 聞いていたくない会話から逃げ出すことができない。知らない所でされるべき会話だ。人に守られることになんて慣れていないからか、光定の一つ一つの言葉が胸を抉るようだった。
 確かに聖に角倉の血が流れているわけではない。母は角倉と縁も縁もない女だし、父は入り婿で元を正せば真坂の息子だ。だからこそ聖はあの家に引き取られたことも不思議だったし、角倉の人間としての行動を要求されることが苦痛だった。


「でも聖は私の弟なんです。周りは父の血を継いでいるとはいえ聖を非難することもあるでしょう、それを避け聖に辛い思いをして欲しくない」

「だから、聖に厳しく当たると?」

「私は残念ながら不器用なんです。だから美月にも辛い思いをさせている」


 光定にも言葉がないと言ったような感じだった。あたりまえだ。聖のことを疎んじているような仕草さえ見せていた兄がそんなことをいうなんて想像もできなかった。聖自身疎まれていると思っていた。いつ暗殺者でも送られてくるのではないかと諦め半分でいた。なのに、その声からにじみ出たのは恨みでも辛みでもなく疑いようもない慈愛だった。


「だったら……だったらどうして聖にそう言ってやらないのですか」

「聖だっていい迷惑ですよ。私は、いつ死ぬか分からない体なんですから」


 この告白は予想外だった。兄の体が弱いことは聞いていたが、まさかそんな重いことだとは思わなかった。けれどそれならば得心が行くことも多数ある。昔は仲がよかったといわれる美月との中なのに、聖が知る限り傍に寄せることもしていない。まだ二十を越えたばかりだというのに大学にも通っている様子を見せなかったし、何よりも生き急いでいる感があった。
 だからか、と納得した。納得して、苦しくなった。いつまでもガキの自分は、自分のことばっかりだ。


「聖には、立派な跡継ぎになってもらわなければならないんです。けれど、聖には制約が多すぎる」

「だったら、どうして言葉にしないんですか」

「残されたものは、その者を愛しいと思うほど辛く感じるのです。私は妹にも弟にもそんな辛い思いをして欲しくないんですよ」


 不器用な優しさだ。時に欺瞞にみえるほどの甘さ、けれどそれが彼の精一杯だったのだろう。守ろうとしてくれたことに気づかなかった自分は、ひどく子供だった。
 立っていられなくて、その場に崩れるようにしゃがみ込んだ。瞼の奥から溢れてくる熱い液体を止める手立てが思いつかなくて、せめて声が漏れないようにと顔を覆って耐える。けれど涙は、誤魔化せなかった。


「聖を連れて帰ります」

「……分かりました」


 中で立ち上がる音がしたけれど、動けなかった。廊下の真ん中で座り込んで、声を殺してなくことしかできない。昔は泣いてもすぐに涙を抑えることができたのに、どうしてか止まらなかった。リストバンドが雫を吸い込んでくれても刹那の誤魔化しで、匿いきれないほど涙は溢れてくる。
 襖が開いても、その場から動くことはできなかった。


「聖……」

「お前、今の話……」

「こんなところで何をしている、みっともない。立ちなさい」

「澄春殿!」


 聖の名を紡いだ後意識的に冷たくなった口調を光定が諭したが、彼は改める気がないようだった。光定の視線を感じて顔を上げれば、滲んだ視界の向こうに不安そうな顔がある。さっきの話は聞いていたから、もう辛くはない。まだ苦手ではあるけれど、逃げることはやめたから。
 聖は湿気を帯びたリストバンドで顔を拭うと、ぎこちない笑みを浮かべて荷物を背負った。


「お世話になりました、帰ります」

「……そうか」

「では失礼します。聖、行くよ」

「はい」


 淡々と頭を下げて足を進めた兄の後について聖は帰路についた。やっぱり変われた。意識的にではあるしまだ少し気恥ずかしいけれど、昔に戻るのはそう簡単じゃないけれど。それでも少しだけ努力してみたい。その方が楽だと本当は気づいている。
 ふと携帯が鳴ったので見てみると、三人の彼女からそれぞれメールが入っていた。けれど見る気になれずにそのまま電源を落とした。





−続−

本当はパーティすごいやりたかった。