晃が角倉聖に初めて会ったのは小等部五年に上がった時で、竜田学園という巨大な学園では珍しくないけれどこのA組では珍しい転校生だった。初めはみんな、あの角倉の末息子がクラスにきたと浮き足立っていた。奇麗な顔をしていたし、何よりも角倉の人間だから目だっていた。
 子供は純粋だから、簡単に憧れるし簡単に流される。聖と仲良くなろうとしていたクラスメイトはいつ誰が言い出したか知らない噂に翻弄され、聖を避けるようになった。聖が愛人の子だという下卑た噂を流したのはたぶん大人だったのに、子供は簡単に流された。きっとその時に聖は聖でなくなったのだろう。子供とはひどく残酷で脆い。


「あ、聖だ」


 夏休み、葵と出かけた帰り道偶然に聖を見つけた。誰かを待っているようでしきりに時計を気にしている。
 聖は変わったと思う。たぶんきっかけは誕生日だったのだろう。耳に開いたピアスホールはそれを現している。思わずここで見ていると同じ年くらいの少年が二人、駆け寄った。聖が親しそうに表情を崩して彼らに近づいて行く。どこかで見た顔だと思ったら、一人は練習試合のときに見た少年だった。


「聖、ひっさしぶり!相変わらず奇麗じゃーん」

「タク!相変わらず色黒いじゃねーか」


 聞こえてきたのは、聖の少しはしゃいだ声。ようやく部活中に聞けるようになった声だ。それを目の前の古い友人たちには簡単にそれを見せるのか。
 なぜか隣で不機嫌な葵が「浮気者」と呟いた。一体どこで聖が浮気したのか知らないが、葵は晃の腕を引いてずんずんと歩き出す。どこに行くのかとたたらを踏みながら葵に引っ張られるままに行くと、聖の元に真っ直ぐ進んでいた。


「葵?どこに……」

「聖!」

「んあ?……葵と、晃?」


 少し怒ったような葵の声に聖がこちらに気づき、驚いたように僅かに目を開いた。けれど葵は聖の困惑にも気づかずに、ポケットに突っ込まれた手に絡みついて聖の友人たちを見やった。晃から見れば葵も少し女の子のような顔立ちをしている。だからではないだろうが、彼らはたじろいだ。


「お前らここで何してんだよ」

「立食パーティの帰りだ。聖は?」

「友達と遊ぼうとしてるとこ。葵、暑い」


 聖は少し呆れたような顔になって腕についている葵をひっぺがした。確かに暑い夏の真っ盛りにくっつかれたらたまったものじゃないだろう。葵が友人たちを紹介しろとごねるので、聖は少し嫌そうな顔をしながらも見覚えのある少年と知らない少年を指差した。


「これが健二でこれがタク」

「人を指差したらいけませーん!」

「そっち聖の今のお仲間っしょ?」

「マジでか。聖オトモダチいるんだ、よかったー」

「お前俺のことなんだと思ってんだよ!」


 聖が一度がなる。夏前なら見たことのない光景だ。これが聖の素なのだろう。それを自然な姿で見せてくれるとは、昔の友達がいるからと言っても嬉しいものだ。
 聖の友達のタクとやらは、聖の額をツンとつついてから「聖って意外に人見知りするじゃん」と笑ったけれど、こちらから見ればあんなひどい人見知りは人見知りとは言わない。だから聖が少しくらい人見知りしようとも、もっとひどい状態だったのだろう。


「そっちのお仲間さんの紹介してよ、聖」

「ん?あぁ、こっちのでかいのが晃でちっこいのが葵」

「その説明はどうなんだ?」

「指差してねーじゃん」


 ケラケラ笑って聖はふと時計を見た。今までと同じ、ピンクのプラダの時計だ。それに気づいて、健二が辺りをぐるっと見廻し何かを確認する。一体何を確認したか知らないが、聖の肩にぶつかって「なぁ」と声をかけた。


「そっちのお友達はこれから用事あんの?」

「特にないが」

「じゃあ一緒に遊ばねぇ?」


 健二の提案は葵だけでなく晃をも硬直させた。確かに今日は立食パーティだけで午後からは特に用事という用事はない。携帯も持っているから家の者が困ることもない。聖が曖昧に頷いている間に何を思ったか葵がにこっと笑っ頷いた。


「ぜひ!」

「おい、葵?」

「いいじゃん。僕ら普通に遊んだことなんてあんまりないんだから」


 葵の理屈はよく分からないが、別に予定もなかったので晃も了承した。どこに行くのか、何をするのか全く見当もつかなかったけれど、ただ彼らの後について行った。










 待ち合わせ場所から少し歩いたゲームセンターというところに連れて行かれた。たくさんの機械が所狭しと並べられ、どの機械からも忙しなく姦しい音が鳴り響いている。違う音が交じり合って人の声すらも通しにくいし、使用の用途が分からない。ただ呆然と聖の後ろからその使い方を覚えたけれど、見よう見まねでできるほど簡単な代物ではなかった。


「聖、あれとって。あの犬!」

「どれ?あー、あれか。金」


 ぬいぐるみがたくさん入った機械のまえで、タクが中を指差して騒いだ。それを見て聖が試合中と同じに目を眇めて指差されたぬいぐるみを見た。ぬいぐるみのくせに潤んだそれに少し心が揺さぶられる。聖が差し出した手に硬貨を乗せると、聖はそれを機械に入れてひどく真剣な目をしていた。


「やっぱユーフォーキャッチャーは上手い奴がやるべきだよな!」

「聖って器用に取るもんな。俺もあれ取れなかったぞ」

「よっしゃゲットー!」

「さすが聖愛してる!」


 ぬいぐるみを穴に落とした聖が、後ろで喋っている友人に向かってにやりと笑って戦利品を掲げた。聖はタクにそれを投げ渡し、次に何か取りたいのか獲物を探し始めた。もう聖はぬいぐるみを三つも持っているのに。聖は本当に器用なようで、さっきから狙った獲物は逃がさない。


「聖、僕にもとって!」

「どれを?」

「この不細工な猿!」

「百円」


 聖が差し出した手に葵は最高の笑顔で一万円札を渡した。それを見た健二とタクがギョッとしているが、聖は呆れたように肩を落とす。ゲームセンターで万札はあってはいけないもののようだ。聖が両替してくると呟いて、小さな機械のもとに歩いてくのを見送ってから気づいたが、よく知らない二人と四人きりになってしまった。


「おたくらさ、聖のこと好き?」

「……どうして?」


 聖がいないのを見計らったように、健二が呟いた。聖のことを好きかと聞かれたら躊躇いなく頷ける。けれどこの頷きはもしかしたら彼らにとっては軽いものかもしれないと思った。彼らの表情はそれほどにも真剣だった。
 それにすら気分を害されたのか、葵は不審そうな表情を作って彼らを見る。けれど彼らはまるで怯まなかった。


「俺さ、聖と幼馴染ってやつだからさ……聖が本当に大変なこと知ってんだよ」

「……何が言いたいの」

「……だから俺、聖が転校していい仲間に囲まれてればいいなって思うんだ」

「僕、君たちよりも聖のこと好きな自信あるから。ね、晃」

「俺に振られても……君たちよりとは言い切れないが、聖は好きだ」


 はっきり言うが、これは間違っていない。晃達だけでなくメンバーみんなが聖が好きだ。無条件に惹かれる。人を惹きつけるだけの力を聖は持っている。それに気づかなかった小等部時代が恥ずかしいくらいだけれど、それは聖が変ったからだと確信はしている。


「葵、おつり」

「いらない。聖にあげる」

「はぁ?」

「もう財布しまっちゃったもん。あげるからなんかに使って」


 葵は意外にずぼらだ。金に対しても何にしても適当に対応することが多い。聖は少し気分を害したようで、眉間に皺を刻み込んでどうしようかと手の中の紙幣を見た。九千円以上のおつりをもらえる訳がないだろうと思っているのだろう。聖はしっかりしているというか硬い。


「じゃああとでこれでなんか食おうか」

「いいね、それ!聖、それでいいじゃん」

「あー……うん」

「よし決定、ご馳走様です葵くん!」


 聖がまだ納得できずに黙っていると隣から健二が笑いかけた。その言葉に聖はタクの後押しもあってから渋々ながら頷く。健二は本当に聖のことを心配しているのだなと実感した瞬間。聖が誰かに守られているなんて意外だった。


「葵、これでいいんだっけ?」

「うん。それがいい」


 聖が確認して、コインを入れる。真剣な目をしてボタンを操作するとアームが動いてぬいぐるみに引っかかった。少し行き過ぎたくらいの所に降りたそれは標的を取れないと思っていたが、ビヨンと跳ねたアームに押し出されてぬいぐるみが落ちた。隣から歓声が上がり、葵が聖に抱きつく。


「ありがと聖!」

「さっすが聖!」

「そろそろさ、アレいかね?」

「あれ?」


 タクが言い出した「アレ」の意味が分からず首を捻ると、彼は楽しそうに笑って聖の長い髪を結っていたカンザシを取った。はらりと舞った髪を軽く撫で付けて、聖も楽しそうに笑う。それからただ意味も分からず押されるようにしてとある空間に連れて行かれた。
 店の奥にあるコーナーには女性しかいないように見受けられる。入り口に監視するように女性スタッフが立っていて、それまで黙っていた彼女たちは五人もの団体がとおりすぎようとした時に声を上げた。


「すいません、ここからは女の子がいないといけないんだけど……」

「みんな私の連れなんですけど……」

「…………し、失礼しました!どうぞ」


 聖が中心で軽く手を上げて小首を傾げると、スタッフの女性は少し硬直した後ぱっと首を振って通してくれた。大方聖のことが美少女にでも見えたのだろう。だから髪を下ろしたのかと感心反面、聖は普段少女に間違えられるのが大嫌いなくせに友達と一緒なら大丈夫なのかと少しビックリした。
 上手く中に入り込めたのはいつものことなのか、コーナーの中の更に一つに入ってからようやく二人は興奮したように喋りだした。


「さすが聖!普通に男のカッコしてても気づかれないんだけど!」

「…………」

「何へこんでんだよ!聖様様じゃんか」


 友人たちのはしゃぎように反して聖はやはり性別を間違えられるのが嫌なのか少しくらい顔をしている。今までならよかったのかもしれないが、中学生になったらもう嫌なのだろう。その気持ちは分かる。葵も聖が不憫になったのか、聖の手をぎゅっと握って微笑した。こうしてみたら葵のほうが少女めいているかもしれない。


「リボンの騎士にならなくてもいいんだよ」

「だから女じゃねぇっての」


 怒ったような聖の声の前に、友人二人が意味が分からないように顔を見合わせていた。最近になれば葵の意味不明の言葉の意味が分かるようになってきた。つまり聖に対して葵は「男らしく振舞うことはない」と言ったのだ。もともと聖は男なのに。


「と、とりあえずプリクラとろー」


 ちゃりんちゃりんと健二が機械にコインを入れた。
 初めて取るプリクラと言うものはどういうものか全く分からない。聖のことをよく理解できるようになったと思ったが、もしかしたらこの世界のように聖のことなんてまだ分かってなかったのかもしれない。少なくとも、昔と今の聖のギャップには驚いた。けれど本当に聖とはこのままの人間だったらしく、夏休み中の部活で態度を変えることはなかった。それは先輩に対してもチームメイトに対しても、もちろんマネージャーに対しても聖は聖だった。
 こうして、中学一年の夏休みは過ぎ去った。





−続−

時期早送りの術!