新学期になっても変わり映えなんてしない。ただ周りの誰かが少し可愛くなっているかもしれないしハワイ焼けしてるかもしれない。けれど少なくとも、聖と龍巳は夏休み中ずっと会っていたから変わり映えなんて仕様がなかった。強いて言うなら、聖は誠に会うのは久しぶりだったが、相変わらず龍巳の斜め後ろに控えていた。


「聖くん」

「おはよ、美鈴ちゃん?」


 朝、教室に着いてそうそう美鈴が凄い形相で席までやってきた。一瞬龍巳はぎょっとして彼女を見たが、聖は笑顔を崩さずに笑顔を返す。刹那だけ笑顔にたじろいだが、美鈴はすぐにまた目尻を吊り上げて聖の机をバンと叩いた。それには流石に聖も驚いて彼女の顔を凝視する。


「どうして連絡くれなかったの!?」

「ちょ、とりあえず落ち着こうぜ?」

「私、待ってたのに!」


 聖の静止も聞かず、美鈴は喚き散らした。目が涙目になっている。本来ならば罪悪感を覚えなければならないのだろうが、聖の胸には残念ながらその感情が浮かんでこなかった。それよりも大声で喚いているおかげでクラス中から注目を集めている。茜とさくらも不審そうな顔をしていた。
 ここでこれ以上喚かれると鬱陶しいことになると直感で完治し、聖は美鈴の手を引いて教室を出た。


「聖、五分前」

「便所」


 もしも戻ってこなかったらそう言っておいて欲しいという意味をこめて龍巳の足りない問いに答え、教室を出て左側の中等部専用特別教室に彼女を引っ張って行った。H型の校舎の左側は高等部の校舎になっていて、右側が中等部校舎だ。中等部の場合Hの下部分が教室だとすると、上部分に特別教室が集まっている。
 後ろから「聖くん」と何度も呼ばれたがその間、一度も振り返らない。適当な教室に入ってドアを閉めてから、聖は美鈴を壁に押し付けるように彼女の横に手をついた。


「美鈴ちゃんさ、もうちょい落ち着けよ」

「ひ、聖くん……っ」

「何騒いでんだよ」

「だ、だって聖くんが連絡くれないから……」


 顔を近づけて囁けば、美鈴は顔を真っ赤にして俯いた。もごもごと理由らしきものを言うが、聖は聞かなくても最初から分かっていた。何となく美鈴はしっくりこないのだ。だからつい連絡を貰ってもそのままにしておいた。一月も放っておけばそうなるか、最悪家に乗り込んでくるかと思っていたがそうでもなかったので、教室では覚悟ができていた。


「部活忙しいって始めに言ったじゃん。何でそれわかんねーの?」

「でも、でもメールくらい返してくれてもいいじゃない」

「忘れてた」

「ひどい!」


 涙目で、この至近距離で睨んでくる美鈴に聖は辟易して溜め息を吐き出した。ひどいって別に何もしてねえじゃん。どうせ家柄が欲しいだけの癖に強かな女だ。もとからそれと分かっていたのにもうも疲れるとは思えなかった。


「美鈴ちゃんさ、俺に何して欲しいわけ?」

「私、彼女でしょ?」

「とりあえずキスでもしとけば満足か?」

「そんなこと……ンっ」


 鬱陶しくなって、聖は目を眇めると言葉を吐かせないように唇にかぶりついた。驚いて大きく目を見開いている彼女から唇を離して少し距離を保つ為に数歩離すと、真っ赤な顔をして力が抜けたのかずるずるとその場に座り込んだ。その姿すら聖の目には演技に見えて、無意識に目を眇めて彼女を見下ろした。


「満足した?」

「ひ、ひどい……」


 俯いて搾り出すように呟いた美鈴を慰める気も弁解する気にもならなくて、聖は無言でポケットに手を突っ込むと彼女のすぐ横を抜けて教室を出て行った。教室を出たところで丁度チャイムが鳴ったけれど、教室に行く気になれずにそのまま屋上に足を伸ばした。










 始業式を早々サボって、けれど式の最中にメールを貰ったので昼食は茜と屋上で食べた。本来は放課なのだが、部活があるため帰るわけには行かない。茜も女子テニス部に入ったので部活があって丁度よかった。
 家で作ってもらった弁当を食べてから、聖はふと思って茜の肩を抱き寄せてみた。一瞬体を硬くしたが、すぐに体を預けてくれる。


「夏休み、連絡しなくてごめんな?」

「部活だったんでしょ?しょうがないよ、一日やると私も帰ってすぐ寝ちゃうし」


 茜は簡単に納得してくれた。やはり運動部に所属していてくれると理解があってありがたい。別に聖には練習が辛い訳ではないが、話は合せておいたほうがいいだろう。茜は合わせなくてもそれとなく察してくれるから楽だけれど、それゆえに彼女が何を不安に思っているか分からない。


「またどっかデートしような」

「うん!」

「あー、眠くなってきた」

「膝枕してあげよっか」

「いい、このまま。五分したら起こして、部活行かねーと」


 まだ暑い日差しのおかげで、屋上でも日陰にいる。にも拘らず熱せられたコンクリートは暑いし蒸している。できるだけ涼しい場所をと建物の影に隠れるようにして身を置き冷たい壁に背をつけて極力暑さを凌いでいる状態だ。なのに女に触れているのは矛盾しているだろうか。壁に寄り掛かって、少し横に体重を預けて目を閉じる。閉じたはずなのに瞼を透かして太陽が見える。
 そういえば、茜と居る時間が一番長いかもしれない。たぶん一番楽だからだ。茜には家柄だとか政略だとかそんなことは全くない。本当にただ純粋に、聖自身を見ている。


「茜とはさ、結構キスしてんだよな」

「な、何いきなり?」

「ちょっと思って。でもお前からはしてきたことないよな」

「もー。寝るんでしょ、寝なよ」


 目を閉じているから分からないが茜は赤くなったのだろうか。確かめるのも億劫なので目を瞑っていると、不意に唇に柔らかいものが触れた。茜の唇なのだと単純に納得し、ぶつかった歯に苦笑が漏れる。目を瞑ったままクックッと笑うと、茜が肩をバシバシ叩いてきた。


「笑わないでよ!」

「へったくそ」

「しょうがないでしょ、初めてなんだから!」


 片目を開けて見れば、茜が真っ赤な顔で叫ぶように言う。初めてなんていつの話だろう。聖にとっての初めてはいつだったか、記憶を辿っても思い出せない。キスの仕方を教えてくれた人はいたけれど、いつから自分から口付けられるようになったのかは覚えていない。
 からかって口付けてやると、茜はまた真っ赤になって「部活行く時間!」と言いはじめた。照れ隠しもいいが、もうちょっと大人になってもらわないと困る。


「でもマジでさ、俺お前ともうちょっとレベル高いことしたいんだけど」

「なっ!?」

「猶予やるから覚悟しとけ?」

「……。……いつでも、覚悟できてるよ」


 真っ赤な顔を俯かせ、蚊のなくような声で茜が呟いた。まだ十三かそこらの少女がいつでも寝る覚悟ができているという。普通の女子中学生ならありえなくもないが、この学校でそういう人間がいるとは思わなかったから驚いた。少し間を空けて、聖は茜の頭にちゅっと唇を落す。


「じゃ、また今度」


 時計を確認したがまだ部活が始まるまでには間があった。けれどコトを起こすには足りない時間なので、鞄を持って部室に向かうことにする。慌てた茜が荷物をまとめて駆け寄ってくる。
 屋上から校舎内に戻った所で電話が鳴った。この時間なら先輩たちからの呼び出しだろうかとポケットから取り出す。着信音がみんな一緒なので誰から来たのか区別がつかない。取り出してみたら、舞依だった。別に遅刻しそうなわけでもないのに、一体なんだろう。


「もしもし?」

『聖くん、今どこにいるの?』

「どこってまだ学校だけど……何だよ、何怒ってんだ?」

『ちょっと話あるから、部室来て』


 それだけ言うと電話はぷちっと切れてしまった。全く要領を得ないが、舞依は怒っていた。舞依を怒らせるようなことはした覚えがないのに、一体どうしたのだろう。分からないけれど、その声は今まで聞いたことがないような怒気を含んでいた。


「電話、湊さん?」

「そうだけど、何で?よく分かったな」

「声聞こえた。何で湊さんから電話来るの?」

「マネージャーだから」


 不審そうな茜に自然に答え、聖は彼女の手を握ってみた。あまり手を握ることがない聖には何となく気恥ずかしかったけれど、絡めた指にはしっかりと茜からも力を込めてくれる。暑いけれど、別に気にならなかった。










 部室に入るなり、鬼の形相をした舞依に奥に連れ込まれた。シャワー室に続く脱衣所には鍵が掛かる。怖い顔で鍵までしっかり掛けるので、この空気をとりあえず和らげようと冗談をかまそうとした。つーかクーラーが効いてて涼しい。外からガンガンドアを叩いて寿季が「何、どうしたの!?」と声を上げているが舞依は完全に無視している。


「何だよ、こんなとこ連れ込んで。やらしいことでも考えてるわけ?」


 冗談をかましてみるが、一睨みされてそれ以上の言葉を飲み込んだ。なんだ、この威圧感。目を合わせると意思にされるんじゃないかと思って顔を逸らすと、舞依が長椅子にドンと腰を下ろして大層憤慨しているというように腕を組んだ。それに気圧されて聖も腰を下ろすと、舞依が漸く重々しい口を開く。


「美鈴が泣いてるんだけど」

「美鈴ちゃんが?」

「何したのよ」


 舞依の低い声はそれなりに威力があった。何をしたって、どういえばいいだろう。ちょっと説明し辛いなと思わず聖は頬を掻いた。別に聖自身が何かをした記憶はない。したのかもしれないが、聖には悪いという意識はない。強いて言うなら喧嘩両成敗と言う奴だろうか。けれど舞依は納得しないだろう。顔を見ただけで分かるが、完全に聖が悪者だと思っているようだ。


「別に何もしてねぇよ」

「じゃあ何であんなに泣いてるのよ!?」

「痴話喧嘩。犬も喰わねぇから放っといた方がいいぞ」

「そんな訳にはいかないわよ!」


 どうあっても舞依は食い下がってくれないようだ。だったらどうしようか、瞬時に作戦を考える。三人と付き合っていることはできれば黙っていたいが、嘘を吐くと後でそこを責められるのでできれば別に嘘ではないけれど真実でもない言葉を用いたい。この作戦で舞依は納得してくれるだろうか。納得してくれなくても理解はしてくれるだろう。だったらいい。


「夏休み、部活ばっかりだったろ?それが原因」

「そ、それだけ……?」

「俺がちょっときついこと言っちまったってのもあるけど、本当にそれだけ」


 大まかにまとめると、と聖は心の中で付け加えた。これ以上は付属しすぎた言葉になる。間違ったことは言っていないが、細部を語ってもいない。そういうと、舞依はまだ納得していない顔をしながらも僅かに頷きはした。それから言い辛そうに何度か聖の顔を見ては目を逸らすのを繰り返す。


「何、まだ何かあんの?」

「……美鈴は、襲われそうになったって言ってた」

「誇張しすぎ。ただの被害妄想」

「その言い方はないんじゃないの?」


 何を言われるのかと思ったら、美鈴にそんなことまで言われたのか。呆れ混じりにこれだけかと安堵の言葉を漏らすと、それにカチンと来たのか舞依が不機嫌な顔を作った。これ以上は話しても無駄だとでも言いたげに立ち上がり、鍵を開けて部屋を出て行く。美鈴の友達だから多少は我慢したが、なんで舞依にあんな顔をされなければならないんだ。あんな、軽蔑したような目で。


「聖!舞依と何してたん?」

「……別に」

「何だぁ、怪しいんだけど!」


 舞依と入れ違いに入ってきた寿季が椅子に座って少し遠くを見ている聖に問いかけるが、聖も要領のいい答えが見つけられなかた。ただ舞依が怒る理由も少し分かるので、彼女を一方的に責めることもできない。一体どこで間違ったことになったのか分からない。こういうときはきっと初めから間違っていたのだ。でなければ辻褄が合わない。


「さ、部活部活」

「聖ぃ。言えよ、何してたのさ」

「だから何もしてねーって」


 寿季の言葉をのらりくらりと交わし、聖は一人でボール片手にコートに向かった。
 いつもなら部活の最中も笑って、舞依に余計なちょっかいを出したり先輩に出されたりしている聖は、先輩に対してもチームメイトに対しても変わらずに笑っているのに舞依に対してだけいつものように声がかけられなかった。





−続−

喧嘩の歴史の始まりです。