聖と舞依が喧嘩して一週間が経ったけれど、相変わらず口を聞いていないようだった。他の部員にも普通に接しているのに舞依にだけぎこちないどころか会話も無いしお互い近づかないので誰もが微妙な部活の時間を過していた。
 それに耐えかねて、バスケ部レギュラー三人は昼休みに聖の元に突撃した。龍巳は興味が無さそうだったけれど、一緒に部室まで連れてきた。


「聖、湊と仲直りしよーぜ」

「別に喧嘩なんかしてねーよ」

「だってギスギスしてんじゃん!何、原因何なの!?」


 強制的に部室まで連れてこられて、聖は不満そうにサンドイッチをかじった。原因が何だと聞かれても聖自身知ったことではないので顔を逸らして龍巳に説明をさせるけれど、龍巳は完全に興味が無さそうに弁当をつついている。詰め寄ってきた三人が顔を合わせると、目を合せて頷きあって葵がポケットから手帳を取り出してペラペラとめくった。一体なんだと半眼でそれを見ていると、葵が書かれている文章を読み上げた。要領よく簡潔にまとめられた舞依との喧嘩の顛末が書かれている。


「湊って友達思いだよねー」

「だが聖はその友達に対して浮気か」

「あのな、知ってんなら聞くなよ」

「それで?聖はいい加減に一人に絞らないの?」


 葵の問いに聖は肩で溜め息を吐き出してどうするべきか思案した。一人に絞れといわれてもあまり興味がないので放っておいていると言った方がいい状態だ。誰を選ぶとか選ばないとか、そんな次元の話ではない。ただ確かに面倒だなとは思う。特に美鈴は彼女と言うポジションにえらく執着しているようでこれ以上ないがしろにしていたら問題かもしれない。それはそれで面倒だが。
 ほんの少し過去の自分の行為を呪いつつ、最後の一欠けらを放り込んでパックの紅茶で飲み込んだ。


「聞いた話では、あの子そこそこのお嬢でしょ」

「別に興味ねぇし、そんなんだったらさくらちゃんのが角倉傘下の娘なんだけど」

「聖がどうしても欲しいみたいだよね、彼女。何でも聖の婚約者に立候補したとか」

「は?」


 葵の言葉に聖の方が顔を歪めた。一体どういうわけで婚約者なんて言葉が出てくるのか分からないし、そんな話全く聞いていないし。何かの間違いもしくは巻き込んで欲しくない非日常のことだと思うけれど、そういえば姉には許婚がいる。決して自分に縁遠い話ではないのだと少しは理解できる。できるけど、それだけだ。


「聖の婚約者、まだいないでしょ?」

「そりゃいねーけど……」

「角倉ほどの家でいないって言うのもおかしな話だし」


 この年で婚約者がいるって方がおかしな話なんじゃないかと思ったが聖は黙した。ここは自分の常識が通用しない所だ。少しずつ修正されてはいるが、聖の常識はまだ一般の範囲内だ。美月の子ともあるしその話題から離れたいので黙っていると、彼らもその話題に興味がないのだろうすぐに話題を戻した。


「とにかく、仲直りしてよ」

「だから俺知らねぇって」

「舞依ちゃんと仲直りするには町谷さんと仲直りしないと」

「だからさ、俺マジで興味ないんだって」

「彼女に?」

「大体、彼女って何だよ」


 ずっと抱えてきた疑問を聖はぶつけてみた。彼女とか恋人とか、そんな形を示したものに何の意味があるのだろう。形式上に名称を与えておけば満足するのならいくつだってあげられる。けれどそこに何か付随するのならそれを知らないし、今まで見たことはなかった。
 少し考えた寿季が「好きな子と両思いになったら恋人同士だろ」と言ったけれど聖は彼女たちが特別に好きと言うわけではない。ただ付き合ってと言われたから付き合っているだけに過ぎない。


「夫婦とか、そういうのと同じ名称だろう」

「だったら好きとか関係なくね?」

「それは……」

「もういいじゃん、龍巳、行こうぜ」


 ここで話していても結論は出ないので、聖はごみをまとめて捨てると立ち上がって龍巳を促した。丁度始業五分前だ。このタイミングで止める人間もおらず、聖は龍巳と連れ立って教室に戻った。教室に戻ったら、一番に美鈴が駆けてきてまた文句を言った。










 午後の授業はHRで、文化祭の出し物を決めるらしかった。もうそんな時期かと思う反面今までどおり興味が沸いてこないので、聖は詰まらなそうに窓の外に視線を逸らした。前に出て司会をしている委員長の鈴原源二にちらりと視線をやるけれど、すぐに興味を失って椅子を後ろに傾けた。


「部活じゃ賭けバスケやんだろ?」

「俺に聞くな、湊に聞け」

「……なんでだよ」


 龍巳の言葉に聖は僅かに不機嫌な顔を作った。先日の席替えで、くじ引きだったくせに龍巳と聖の席関係は変わらず、誠も優一までもが近くの席になった。更にタイミングが悪いことに舞依もすぐ隣にいる。喧嘩する前は楽しかったのだが、残念ながら今は楽しいどころの話じゃない。
 けれど龍巳にも龍巳の事情があり聖の不機嫌を知りながら知らないふりを決め込んだ。


「俺に当たるな」

「若、若はどちらの企画がよろしいですか?」

「坊ちゃん、お茶は如何ですか?」


 外野が煩いが龍巳はそれを無視して黒板を見やった。今は話し合いのため自由席になっており舞依は近くにいない。いたらぎこちない雰囲気が漂っているだろうが、外野のおかげも含めてそんなに窮屈ではない。けれど龍巳は自己保全の意味も兼ねた任務を遂行することを躊躇わなかった。黒板に書かれているのはアンティークカフェと劇。どちらかの二択でクラスの企画が決まる。
 スッと目を細めて、龍巳は手を上げてざわつく教室内に少しの声量でよく通る声を発した。


「カフェだ」

「龍巳?」

「若?」


   突然の発言に教室が水を打ったように静かになった。その中で龍巳は臆せずにもう一度「カフェだ」と繰り返しその利点をつらつらと並べ立てた。
 昨日、部長であり舞依の兄である勝春からメールが来た。最近、舞依の様子が家でもおかしいらしい。兄にも怒っていて居心地が悪いと文句を言われ、理由を訊けば聖と一悶着あったと言われたから如何にかしろというものだった。龍巳自身興味はなかったが、先輩命令に逆らうと何が起こるかわからないという訳でここで聖と舞依の仲直りを企てている。


「聖は好きに使え。あとは適当に割り振れ」


 一見丈高な言い方ではあるが、体育祭の一件以来クラスにだいぶ馴染み委員長を差し置いて聖と龍巳がクラスの決定権を持っているようなものだ。地位と金の中で生活している者たちはともすればやはり金と地位には敵わないのかもしれないが、龍巳としてはそれよりも聖のカリスマ性とでもいうようなものに惹かれているのではないかと思っている。


「おい、人を物みたいに言ってんじゃねぇよ」

「黙っとけ。俺のためだ」

「ンな自己中な理由でダチ売んな!」


 多少戸惑いを見せたものの、クラスの流れはそちらに向かい始めた。幼稚部から大学部までが一緒に行う学園祭には慣れているので誰も戸惑うことは無いが、小等部までは展示だったのでみんなのやる気は一気に燃え上がったようだ。話がまとまった途端、急に話がとんとん拍子に決まり始めた。舞依の家は輸入業を営んでいるのでそちらの方で装飾品は揃うだろうし、聖はセンスがいいので自然舞依と仕事をすることも多くなるだろう。そしてそれは龍巳の目論見どおりに話が進んでいるようだった。
 ある程度話が進むと、仕切っている鈴原がやってきた。


「角倉君に現場指揮官をお願いするね」

「……拒否権なしかよ」

「九条院君が好きに使えって言ってたし。それで九条院君は角倉君のマネージャーをお願いできるかな」

「あぁ」


 言う事を言ったらさっさと戻って言った鈴原を見送って、聖は不満そうに奥歯を噛み締めた。けれどその結果で龍巳は満足し口角を引き上げる。龍巳が聖の世話をすることすら計画通りだ。そしてそのまま行けば無事に任務完了になる。舞依も予想通りに装飾の係だし、これは貰ったと龍巳は勝利を確信した。


「聖くん、一緒に頑張ろうね!」

「……あー」


 美鈴が笑いかけてきて聖が曖昧な返事を返した。その隣では舞依が苦々しい顔をしていて、龍巳はこれは少しマズイかもしれないと思ったけれど時既に遅く時間も世界も勝手に進んでいった。
 残り時間に各係で計画などをまとめることになり、聖は嫌そうな顔をしながらも龍巳と一緒に舞依と一緒に装飾の話をした。妙にギスギスした雰囲気に龍巳は口を噤みながらも内心辟易していたが、それが気にならないくらい聖の態度はおかしかった。


「ロココ様式をメインにしようと思ってるんだけど」

「あー……いんじゃん」

「聖くんはどんなのが好き?今度一緒に見に行こうよ」


 美鈴が空気も読まず聖の隣に座って言葉をかけるので龍巳は言葉も無く肩で息を吐き出した。舞依の視線が痛いのはしょうがないかもしれない。聖は邪険にするでもなく、けれど相手にもしないでいる。舞依はそれも気に入らない様子でイライラとした表情を浮かべている。


「舞依に任せる。そういうの得意だろ」

「はぁっ?」

「お前結構センスいいじゃん。龍巳、行こうぜ」

「あ?あぁ……」


 短く言い切って聖は席を立った。衣装係に顔を出して茜と楽しそうに話をしていた。
 どうしても聖と舞依の関係はぎこちないまま、学園祭は日一日と近づいてきていた。クラスの準備も部活の準備も徐々に終わり、気が付けばぎこちないまま文化祭前日にまでなっていた。










 文化祭前日は一日準備に費やせる。業者やらが入り装飾をするのだが、午後になると大掛かりな準備も終わって細かな最終チェックにまで入れた。装飾をチェックして、聖は面白そうに口笛を短く吹いて舞依を見た。


「すげーじゃん」

「……まぁね」

「美鈴ちゃんにも言っといて」

「あ、あのさ……」

「んぁ?」


 次は衣装のチェックだと聖が踵を返したとき、舞依が切羽詰ったように聖を呼び止めた。不思議そうに振り返った聖を見て、けれど言い辛そうに顔を逸らしてしまう。二週間以上準備で会話をしていたのでお互いに怒りも解けていたので龍巳の見立てではあと少しのはずだ。美鈴の方もあれから構ってもらえて満足なのか何も言っていない。あと一押しだと龍巳が聖に目だけで促すけれど、聖は何も言わなかった。そうしているうち、結局舞依がぽつりと呟く。


「何でもない」

「あっそ。んじゃ俺衣装のチェック行くから」


 舞依が少し口惜しそうに俯いているけれど、聖は気づかない振りをして本当に踵を返した。聖が気づかないはずは無いと思っていても、意外に頑固なので自分から折れるのが嫌なのだろう。けれどこれ以上龍巳に何が出来るほどの器用さはなく、ただ見守っているしかできない。
 今度は衣装のチェックだと、衣装をやっている部屋に行くと女子が数人アンティーク調のエプロンを身につけていた。これがクラスの衣装なのだが、何故か聖が入ってきたのを見ると茜が駆け寄ってきて豪奢なアンティークドレスを広げて見せた。


「聖、これ着て?」

「は?俺が?」

「そうよ。もう、聖が脱がないなら剥いちゃうからね」


 笑ってさくらがシャツのボタンに手を掛けた。男子は全員衣装が無いはずなのだが、聖だけマリーアントワネットみたいなドレスなのは龍巳が指示したことだ。聖は自分が知らなかったことに脱がされながら呆然としていたが、ボタンが全て取られた所でプッと吹き出した龍巳を睨みつけた。


「龍巳テメェか!」

「いいから着ろよ、似合うぞ」

「誰が着るか!ってさくらちゃんそれ以上マジで脱がすのかよ!?」


 聖が龍巳に向き直っている隙にさくらが躊躇いも無く聖のベルトのバックルに手を掛けるので、聖は驚いて声を張り上げた。まさか同い年の女の子に脱がされるとは思っていなかったらしい。たぶん二人だったらこんなこともできないだろうに、集団効果とは怖ろしいものだ。
 女子が全員見ている中では流石の聖もこれ以上逆らう訳にも行かず、渋々ドレスを着た。予想通り本物の人形のようになり、偶然を装って通り掛かった二年レギュラーが飛び掛ってきた。驚いている聖から目を逸らして、準備が着々と進んでいる教室を見回しながら龍巳は目を細めた。気が付けば、聖と出会って半年が過ぎていた。





−続−

さくらちゃんすげーな